闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)

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いつわり

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 そのぬくもりに包まれながら彼は――小林隼人はけれど何かがおかしいと違和感を覚えた。

 果たして自分の知る相原奈央はこんなふしだらで淫乱な女だっただろうか。

 唐突に男を押し倒し、その股座に跨り、恍惚の瞳で快楽に身を委ねるようなことをするとはどうしても隼人には思えなかった。

 あり得ない。あの相原奈央がこんなことをするはずがない。彼女は常に物静かで思慮深く、如何にも馬鹿みたいに尻の軽そうなクラスメイトの女どもとは違い、常識的で禁欲的な女だったはずだ。

 それが、まるで狂ったように、隼人をその中に受け入れ、一心不乱に――

「……違う」

 隼人は口にして上半身を起こすと、激しく乱れる相原の身体を力いっぱい突き飛ばした。

「――あっ」

 相原が――相原の面をした女が驚きの声を漏らし、地面の上にごろりと転がる。

 隼人や女を取り囲んでいた黒い影の間から、ざわめきが起こった。

「お前は、誰だ」

 隼人はふらりと立ち上がり、女を睨みつける。

 女は大きなため息を吐くと、その姿をぐらりと歪ませながら、にやりと笑んだ。

「何を言っているの? 私よ、相原奈央」

「違う。お前は相原なんかじゃない。相原は、こんなことなんてしない」

「そんなことないわ。あなたの思い込みよ。私は最初からこういう女だった」

「例えそうだったとしても、少なくともお前は俺の知ってる相原じゃない」

「……どうして、そう思うの?」

「においが違う。お前は――臭い」

 鼻を突くような僅かな腐臭に、隼人は眉間に皺を寄せた。

 その腐臭を誤魔化すために、別の匂いで偽っているだけだ。

 女は小さく目を見張り、「そう」と口にした。

 瞬間、女の姿が大きく揺らめいたかと思うと、そこには見知らぬ裸の女がいた。

 豊満な乳房に細い腰、しなやかな手足、白い肌が闇夜の中で輝いて見える。

 長い黒髪の、妖艶な女だった。

 その身体には至る所に黒い蛇のような入れ墨が這い、顔と言わず乳房と言わず蠢いていた。

 隼人は眉間に皺を寄せながら女を見つめ、同時に戦慄した。

 自分の身体が、その女を畏れているのを感じる。

 そんな隼人に、女はニタリと口元を歪め、
「残念だ。せっかくがモノにしてやろうと思うていたのに」
 腰に手を当てると、見下すような視線を隼人に向けた。

 隼人は一歩後ずさり、そして強い腐臭に背後を振り向く。

 そこには数えきれないほどの、化け物たちの姿があった。

 かつて人であったであろう、形を失いただの肉塊と化した悍ましいそれらの姿に、隼人は思わず吐き気をもよおす。

 中にはまだ人の形を留めている者の姿もあったが、その大半は頭部が半壊し、或いは手足が失われ、中には臓物を垂らし佇む者もいた。

 そればかりか、まるでそれらを混ぜてこねたような、肉団子のような巨大な影がその背後には控えている。

 とてつもない腐臭に、隼人の鼻は曲がり、今にも気を失ってしまいそうだった。

「な、何なんだ、こいつら……!」

 けれど、女はそれには答えなかった。

 逃げ場を失った隼人に、女はゆっくりとした歩みで近づいてくると、彼の頬に手を当てながら、
「……そんなにあの女が恋しいか。そんなにあの女が欲しいのか?」

 隼人はそれには答えなかった。

 ただ不気味に輝く女の瞳を、じっと強く睨みつけた。

 女はふんっと鼻を鳴らすと、嘲るように口を開いた。

「良いだろう。わたしがあの身体を手にした時、好きに抱かせてやろう。それならどうだ?」

 隼人は女の言っている意味が解らなかった。

 女が自分に何を求めているのかも理解できなかった。

 理解する間もなかった、というべきだろうか。

 女は隼人の頭を両手でそっと押さえつけると、躊躇いもなく唇を寄せてきたのだ。

 隼人はそれから逃れようと試みたが、女の力は想像以上に強く、身動き一つできなかった。

 女は隼人の口の中に舌を這わすと、どろりとした何かを喉の奥へと流し込め。

 隼人はその感覚に驚き、怯え、両手をばたつかせるようにして女の身体を突き飛ばそうとしたが、しかし背後から伸びてきた複数の手足にそれを阻まれてしまう。

「んんっ! ンんんんっ!」

 必死に抗う隼人の中に、次から次へと生臭い何かが流れ込んでくるのが隼人には解った。

 胃の中でその何かが激しく蠢き、内側から隼人を喰らいつくさんばかりに暴れている。

 隼人は大きく目を見開き、その激痛に声なき悲鳴をあげた。

 蠢く何かが内臓を食い破り、手足の中を這いずり回り、脳の中へと侵入してくる。

 やがてその痛みが終わりを迎えた時、隼人はまるで自分の身体が自分のモノではなくなったような、異様な感覚にとらわれた。

 女がそっと唇から離れて、隼人はその場に崩れ落ちる。

 口元から、だらりと涎がだらしなく垂れた。

「私は、あの女の身体が欲しい」

 女は言って、隼人の身体を優しく抱いた。

 その胸の感触がとても柔らかく、暖かく、まるで母に抱かれているような感覚だった。

 隼人は呆然としながら、女の言葉を耳にする。

「お前も、あの女の身体が欲しい」

 ぼんやりとした意識の中で、隼人は何かを思い出そうとしていた。

 自分の愛する女の隣に立つ、パッとしない男の姿。

「あの娘の身体ががモノになったなら、その時は好きなだけその欲望を吐き出せば良い」

 木村大樹――確か、そんな名前だったか。

 俺の愛する女を奪った、あの男。

「――協力してくれるな?」

 女の言葉に、隼人は深く頷いた。

「もちろんだよ、
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