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第4部 序章・大樹
第27回
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あれから一週間が経過した。
大樹は夏休み前最後の現国の授業中、窓辺の自分の席からグラウンドを見下ろしながら、日陰に佇んでいる奈央の姿をぼんやりと眺めていた。
奈央は相変わらずひとりで、けれどその視線の先には宮野首と矢野がふたり、バドミントンに興じている。最後の体育の授業とあってか、他の生徒たちもそれぞれ仲の良いグループでバレーやバスケットなど、自由に遊んでいるような感じだった。中には体育教師と日陰でお喋りしている生徒の姿もあって、なんとなく羨ましく思う。とはいえ、大樹もまた国語の授業でのんきに読書をしているだけなのだけれども。
大樹は奈央を眺めながら、あの日のことを思い返した。
あのあとひとしきり泣き続けた奈央を連れて、なんとか大樹は奈央を家まで送り届けた。疲れ切ってしまったのだろう、奈央はそのまま自室のベッドで倒れるようにして眠ってしまった。大樹はそんな奈央の傍らで、彼女の手を握りしめたまま、ただ一緒に居てあげることしかできなかった。
そのままもう一晩、大樹は相原家に泊まることとなった。眠り続ける奈央の傍で大樹もうとうとしていると、深夜近くに小父が帰ってきた。小父はまた大樹がいることに眉間に皺を寄せたが、しかしただ深いため息を吐いただけだった。
その翌日、日曜日も大樹は夕方に帰宅するまで、奈央の傍にずっと寄り添い続けていた。
ふたりの間にあまり会話はなかった。その日もふたりは小母の見舞いに向かったが、ただ本当に、ずっとふたり一緒にいただけだった。
何が奈央の身に起きていたのか、結局大樹は聞いていない。それによって奈央がまた嫌な思いをしてしまうのを避けるために、あえてあの件には触れないように決めたのだ。
いつか、奈央の方から話してくれるだろう、そう思って。
それから一週間、ようやく今までの日常が戻ってきたが、大樹の中には相変わらずモヤモヤした思いがあった。
奈央を狙っていたらしい喪服の少女。その喪服の少女と小林の関係。奈央を助けに行った際に聞こえてきた謎の男の声も誰のものか解らなかったし、あの時あの場には奈央の姿しか見当たらなかった。
さらに宮野首と矢野にもどうやら何かがあったらしく、それはあの日、駅前で水道管が破裂して大渋滞が起きていたこととも関連しているようだった。
他にも大樹の知らないところで色々なことが起きていたのは間違いなく、けれどその全てを把握しているわけではない大樹にとって、それらは現状、ただの点の集まりでしかなかった。これらが結び付けばその向こう側に真相が見えてくるのだろうけれど、そのためには奈央にもあの時何があったのか聞く必要があるだろう。
しかし、それを聞いてまた奈央の様子がおかしくなってしまったら、と思うとそれが怖くて、大樹はどうしても奈央に聞くことができなかった。
宮野首の祖母にさえ会えれば何かを教えてくれそうな気もするのだけれど、あの人はすでにこの世の者ではないし、宮野首曰く、自身が死んでなお、宮野首の祖母は怪異にかかわり続けているらしく、それらの怪異の解決の為に、常にあっちこっち動き回っていて、全く連絡を取ることができないという。
大樹は大きなため息をひとつ吐いて、やれやれと肩を落とした。
何にしても、とりあえずすべては解決したように思われた。小林は宮野首の祖母から貰ったあのブレスレットのおかげで完全に消滅してしまったのだろう、あれから一度もその姿を目にしていない。
奈央も何かに怯えるような様子はもうほぼなくなったし、宮野首やその姉である結奈、矢野の見解でも、もう完全に解決したように思われた。
だから、これ以上深く考えたってしかたのないことなのかもしれない。
そんなことよりも、今自分が考えるべきはこれから先のこと。
夏休みが始まり、その間、奈央とどう過ごしていくかということだった。
昨年の夏はただ同じ図書委員として、その仕事の範疇で会っていただけだった。
けど、今年は違う。恋人同士としての夏を迎えるのだ。
大樹はあれやこれや変な妄想を膨らませてはかぶりを振り、その考えを必死に振り払った。
奈央がまさかあんなに強引なタチだったとは思いもよがらなかった。大樹は自身の理性がそんな奈央に果たして打ち勝てるのか自身がなかったけれど、間違いだけは犯さないよう自分をしっかりもたなくては、と思いながら、再び手にした小説に目を戻したのだった。
その日の授業が終わり、大樹はいつものように、駐輪場で奈央が降りてくるのを待っていた。
次々と生徒たちが校門を出ていくなか、そろそろかな、と大樹は奈央が来るのを待っていたが、いつまで経っても奈央は昇降口に姿を現さない。
まさか先に帰ってしまったのか、と不安になったが、すぐに思いなおす。そもそも自分の隣に奈央の自転車が置きっぱなしになっているのだから、そんなことあるはずがない。
では、図書委員の当番日だっただろうか。スマホで予定表を確認してみたけれど、間違いなく今日はその日ではない。
どうしたんだろう、奈央……
なんだか無性にそわそわし始めたころだった。
「……フフフフフッ」
どこからともなく笑い声が聞こえ、大樹は眉間に皺を寄せた。
それは明らかに奈央の笑い声で、けれどその姿はどこにも見当たらない。
「……奈央?」
大樹は口にして、辺りを見回す。
「……フフフッ 」
すぐ耳元で声が聞こえるような気がするのに、どこにいるのかが全く大樹には判らない。
笑い声ばかりが大樹を翻弄するように、ただ聞こえてくる。
「奈央? どこ? 出てきてよ!」
思わず叫んだ時だった。
「……フフッ、捕まえたぁ」
「…………っ!」
大樹の眼を覆い隠すように、冷たい手の感触が伸びてきて、大樹は息を飲んだ。
ほんのりと香る甘い匂い。背中に感じる、人の感触。
大樹は眼を覆うその手をそっと握り、小さくため息を吐いて振り向いた。
「もう、驚かさないでよ、奈央――」
そこで大樹は大きく目を見張った。
そこには、薄く化粧を施した奈央の姿があったのだ。
もともと美人だと思っていたけれど、化粧をするとその魅力が幾倍にも増したようだった。
もしかして、化粧をするために降りてくるのが遅かったのだろうか。
「……どう、かな?」奈央は恥ずかしそうなそぶりで視線をそらす。「たまにはって思って、ちょっとだけメイクしてみたんだけど――」
大樹はそんな奈央に見惚れながら、
「す、すごく、綺麗だ……」
その言葉に、奈央は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「――良かった」
それからすっと顔を近づけてくると、何のためらいもなく、大樹の唇にキスをする。
それはとても熱い口づけだった。情熱的で、煽情的で、欲情的で、大樹の口の中を激しく奈央の舌が這いずり回った。大樹もそれに答えざるを得なかった。答えないわけにはいかなかった。答えないという選択肢などそもそもなかった。
このまま奈央とひとつになりたいと思った。奈央が望むのであれば、自分のすべてを奈央に捧げたかった。奈央と溶け合い、そのままひとつになりたいと心の底からそう思った。奈央は今や自分であり、自分は奈央のものに違いなかった。
そこが学校の、しかも駐輪場であるということを大樹はすっかり忘れ去っていた。誰の目に触れているかわからないような場所で、ここまで激しい口づけを交わすことになるだなんて思いもよらず、そうして奈央と求め合うのが当然のことであるように感じていた。
やがて奈央が唇を大樹から離した時、そこにあったのは寂しさだった。もっと奈央と口づけを交わしていたかった。このままひとつに溶け合ってしまいたかった。奈央の中に入り込んで、全てを包み込んでほしくてたまらなかった。
意識がぼんやりとしながら、大樹はあまりにも美しく魅力的な奈央から目を離せない。
「――行こっか」
奈央の言葉に、大樹はハッと我に返る。
辺りを見回し、そこがまだ学校の駐輪場であることを再認識して、周囲に誰も居ないことに深い深い安堵のため息を漏らす。
それから再び奈央に視線を向けて。
「……うん」
奈央の瞳とその微笑みに、大樹の意識は再び吸い込まれていった。
序章・大樹 終わり
第1部に続く。
あれから一週間が経過した。
大樹は夏休み前最後の現国の授業中、窓辺の自分の席からグラウンドを見下ろしながら、日陰に佇んでいる奈央の姿をぼんやりと眺めていた。
奈央は相変わらずひとりで、けれどその視線の先には宮野首と矢野がふたり、バドミントンに興じている。最後の体育の授業とあってか、他の生徒たちもそれぞれ仲の良いグループでバレーやバスケットなど、自由に遊んでいるような感じだった。中には体育教師と日陰でお喋りしている生徒の姿もあって、なんとなく羨ましく思う。とはいえ、大樹もまた国語の授業でのんきに読書をしているだけなのだけれども。
大樹は奈央を眺めながら、あの日のことを思い返した。
あのあとひとしきり泣き続けた奈央を連れて、なんとか大樹は奈央を家まで送り届けた。疲れ切ってしまったのだろう、奈央はそのまま自室のベッドで倒れるようにして眠ってしまった。大樹はそんな奈央の傍らで、彼女の手を握りしめたまま、ただ一緒に居てあげることしかできなかった。
そのままもう一晩、大樹は相原家に泊まることとなった。眠り続ける奈央の傍で大樹もうとうとしていると、深夜近くに小父が帰ってきた。小父はまた大樹がいることに眉間に皺を寄せたが、しかしただ深いため息を吐いただけだった。
その翌日、日曜日も大樹は夕方に帰宅するまで、奈央の傍にずっと寄り添い続けていた。
ふたりの間にあまり会話はなかった。その日もふたりは小母の見舞いに向かったが、ただ本当に、ずっとふたり一緒にいただけだった。
何が奈央の身に起きていたのか、結局大樹は聞いていない。それによって奈央がまた嫌な思いをしてしまうのを避けるために、あえてあの件には触れないように決めたのだ。
いつか、奈央の方から話してくれるだろう、そう思って。
それから一週間、ようやく今までの日常が戻ってきたが、大樹の中には相変わらずモヤモヤした思いがあった。
奈央を狙っていたらしい喪服の少女。その喪服の少女と小林の関係。奈央を助けに行った際に聞こえてきた謎の男の声も誰のものか解らなかったし、あの時あの場には奈央の姿しか見当たらなかった。
さらに宮野首と矢野にもどうやら何かがあったらしく、それはあの日、駅前で水道管が破裂して大渋滞が起きていたこととも関連しているようだった。
他にも大樹の知らないところで色々なことが起きていたのは間違いなく、けれどその全てを把握しているわけではない大樹にとって、それらは現状、ただの点の集まりでしかなかった。これらが結び付けばその向こう側に真相が見えてくるのだろうけれど、そのためには奈央にもあの時何があったのか聞く必要があるだろう。
しかし、それを聞いてまた奈央の様子がおかしくなってしまったら、と思うとそれが怖くて、大樹はどうしても奈央に聞くことができなかった。
宮野首の祖母にさえ会えれば何かを教えてくれそうな気もするのだけれど、あの人はすでにこの世の者ではないし、宮野首曰く、自身が死んでなお、宮野首の祖母は怪異にかかわり続けているらしく、それらの怪異の解決の為に、常にあっちこっち動き回っていて、全く連絡を取ることができないという。
大樹は大きなため息をひとつ吐いて、やれやれと肩を落とした。
何にしても、とりあえずすべては解決したように思われた。小林は宮野首の祖母から貰ったあのブレスレットのおかげで完全に消滅してしまったのだろう、あれから一度もその姿を目にしていない。
奈央も何かに怯えるような様子はもうほぼなくなったし、宮野首やその姉である結奈、矢野の見解でも、もう完全に解決したように思われた。
だから、これ以上深く考えたってしかたのないことなのかもしれない。
そんなことよりも、今自分が考えるべきはこれから先のこと。
夏休みが始まり、その間、奈央とどう過ごしていくかということだった。
昨年の夏はただ同じ図書委員として、その仕事の範疇で会っていただけだった。
けど、今年は違う。恋人同士としての夏を迎えるのだ。
大樹はあれやこれや変な妄想を膨らませてはかぶりを振り、その考えを必死に振り払った。
奈央がまさかあんなに強引なタチだったとは思いもよがらなかった。大樹は自身の理性がそんな奈央に果たして打ち勝てるのか自身がなかったけれど、間違いだけは犯さないよう自分をしっかりもたなくては、と思いながら、再び手にした小説に目を戻したのだった。
その日の授業が終わり、大樹はいつものように、駐輪場で奈央が降りてくるのを待っていた。
次々と生徒たちが校門を出ていくなか、そろそろかな、と大樹は奈央が来るのを待っていたが、いつまで経っても奈央は昇降口に姿を現さない。
まさか先に帰ってしまったのか、と不安になったが、すぐに思いなおす。そもそも自分の隣に奈央の自転車が置きっぱなしになっているのだから、そんなことあるはずがない。
では、図書委員の当番日だっただろうか。スマホで予定表を確認してみたけれど、間違いなく今日はその日ではない。
どうしたんだろう、奈央……
なんだか無性にそわそわし始めたころだった。
「……フフフフフッ」
どこからともなく笑い声が聞こえ、大樹は眉間に皺を寄せた。
それは明らかに奈央の笑い声で、けれどその姿はどこにも見当たらない。
「……奈央?」
大樹は口にして、辺りを見回す。
「……フフフッ 」
すぐ耳元で声が聞こえるような気がするのに、どこにいるのかが全く大樹には判らない。
笑い声ばかりが大樹を翻弄するように、ただ聞こえてくる。
「奈央? どこ? 出てきてよ!」
思わず叫んだ時だった。
「……フフッ、捕まえたぁ」
「…………っ!」
大樹の眼を覆い隠すように、冷たい手の感触が伸びてきて、大樹は息を飲んだ。
ほんのりと香る甘い匂い。背中に感じる、人の感触。
大樹は眼を覆うその手をそっと握り、小さくため息を吐いて振り向いた。
「もう、驚かさないでよ、奈央――」
そこで大樹は大きく目を見張った。
そこには、薄く化粧を施した奈央の姿があったのだ。
もともと美人だと思っていたけれど、化粧をするとその魅力が幾倍にも増したようだった。
もしかして、化粧をするために降りてくるのが遅かったのだろうか。
「……どう、かな?」奈央は恥ずかしそうなそぶりで視線をそらす。「たまにはって思って、ちょっとだけメイクしてみたんだけど――」
大樹はそんな奈央に見惚れながら、
「す、すごく、綺麗だ……」
その言葉に、奈央は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「――良かった」
それからすっと顔を近づけてくると、何のためらいもなく、大樹の唇にキスをする。
それはとても熱い口づけだった。情熱的で、煽情的で、欲情的で、大樹の口の中を激しく奈央の舌が這いずり回った。大樹もそれに答えざるを得なかった。答えないわけにはいかなかった。答えないという選択肢などそもそもなかった。
このまま奈央とひとつになりたいと思った。奈央が望むのであれば、自分のすべてを奈央に捧げたかった。奈央と溶け合い、そのままひとつになりたいと心の底からそう思った。奈央は今や自分であり、自分は奈央のものに違いなかった。
そこが学校の、しかも駐輪場であるということを大樹はすっかり忘れ去っていた。誰の目に触れているかわからないような場所で、ここまで激しい口づけを交わすことになるだなんて思いもよらず、そうして奈央と求め合うのが当然のことであるように感じていた。
やがて奈央が唇を大樹から離した時、そこにあったのは寂しさだった。もっと奈央と口づけを交わしていたかった。このままひとつに溶け合ってしまいたかった。奈央の中に入り込んで、全てを包み込んでほしくてたまらなかった。
意識がぼんやりとしながら、大樹はあまりにも美しく魅力的な奈央から目を離せない。
「――行こっか」
奈央の言葉に、大樹はハッと我に返る。
辺りを見回し、そこがまだ学校の駐輪場であることを再認識して、周囲に誰も居ないことに深い深い安堵のため息を漏らす。
それから再び奈央に視線を向けて。
「……うん」
奈央の瞳とその微笑みに、大樹の意識は再び吸い込まれていった。
序章・大樹 終わり
第1部に続く。
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