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第4部 序章・大樹
第1回
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1
木村大樹にとって、恋愛とは興味の対象外の代物であり、自分には全く縁のないものだという認識だった。これまでの人生で誰かを好きになったという経験もなかったし、中学校の頃からの友人たち――一番仲の良い村田一やその幼馴染であり(たぶん一の彼女である)矢野桜、そして桜の親友である宮野首玲奈の三人――とそこそこ長くつるんでいるが、周囲からも『可愛い』と一定の評判を得ている玲奈と恋仲になろうなどとは一度も思ったことはなかった。
あくまで彼女たちは『友人』としての関係であり、『恋愛』となると完全にその対象外――というより、そもそも『恋』とか『愛』というものが具体的にどういうものであるのか、中学生までの大樹には理解することが出来なかったのである。
何より彼らとの付き合いの中で、そこまで気持ちが至ることがまるでなかった、というのが正解かもしれない。
一緒に遊ぶ、勉強する、登下校する。そんな当たり前の学校生活の他に、大樹は思いもよらない出来事に巻き込まれ続け、必死な思いこそすれ、その感情が恋愛に向かうことは全くなかったのである。
むしろ大樹は毎度の如く、こう思っていた。
――もう、勘弁してくれ。
何度も何度も彼らと距離を置こうと思った。そうでなければ命がいくつあっても足らないと思っていた。それなのに、大樹は彼らを見捨てることなんてできなかった。
大樹にとって、彼らは紛れもなく大切な『友達』だったからである。
どれだけ危険な目に遭っても、どんな怪異に襲われようとも、大樹は一や桜、玲奈と四人でそれらに立ち向かってきた。それは大樹にとって、そのどれもが貴重な体験であり、友情を感じた印象深い思い出であり――離れたくとも離れがたい、そんな微妙な気持ちをこれまでずっと抱き続けていた。
そう、彼らは『親友』であり、それ以上でも以下でもない、唯一無二の存在だったのだ。
怨霊に呪い殺されそうになったとき、化け物に追い掛け回されたとき、なんだかよくわからない影に襲われたとき、夜の学校からぬけだせなくなったとき――常に一緒にいた大切な仲間たち……と考えて、大樹はいつも首を傾げる。
「いや、むしろあいつらのせいで、今まで死ぬような思いをしてきただけだよなぁ……?」
独り言ちて、けれど大樹の出す結論はいつも一緒だった。
――まぁ、友達だし、しかたがない、か?
本当にそれでいいのか、と自問自答することも多いのだけれど、大樹にとってそれが事実であることに変わりはなかった。
そう、彼らはあくまで、『親友』なのだ。
そして、そんな大樹の前に突然現れた、相原奈央というひとりの少女――
この相原奈央が、大樹の世界を見事にぶち壊し、一変させ、『恋』やら『愛』やらといった感情を芽生えさせたのだ。
それは大樹が高校に入学して、比較的すぐのことだった。
中学を卒業するのと同時に家を引っ越した大樹だったが、結局いつもの四人が揃った鯉城高校。その図書委員会の集まりで、ひと際目を惹く彼女の姿に、大樹は心臓を穿たれたような思いがした。
なんて綺麗な黒髪なんだろう、なんて綺麗な瞳なんだろう、なんて綺麗な唇なんだろう。
そしてそのどこか人を寄せ付けない、何とも言い難い佇まいに興味を惹かれ、大樹はそれから毎日、彼女のことばかり考えるようになっていた。
それは大樹にとって、今まで一度たりとも感じたことのない、不思議な感情だった。
相原奈央の姿が、どうあっても頭から離れなかった。もっと彼女のことを知りたいと思うようになっていた。彼女と話をしてみたいと思うようになっていた。できれば彼女と――友達になりたいと願うようになっていた。
そんなある日の放課後のことだった。
その日、大樹は図書室で、適当に選んだ読む気もあまりない本を開きながら、貸し出しカウンターに座る相原奈央の姿を、ちらちら盗み見るように、片隅の席に座っていた。
なかなか声を掛けるタイミングをはかれず、ただもやもやした気持ちを持て余していた、その時だった。
相原奈央が隣に座る同じく貸出当番の男子に何か会話を交わしたあと、おもむろに立ち上がり、返却棚に並べられていた十数冊もの本を抱えて動き始めたのである。
たぶん、返却処理の終わった本を各本棚に戻す仕事に取り掛かったのだろうけれど、あれだけの本を一気に抱えるだなんて絶対に大変だ。
大樹はその貸出当番の男子に『お前が戻しに行けよ!』と内心舌打ちしつつ、同時にこれは声を掛ける絶好のチャンスだとも思った。
あの本を戻す手伝いを口実にすれば、自然に話しかけることができる。
大樹は緊張しながら、ジャンルごとに棚に本を戻していく相原奈央の後ろにゆっくりと近づいて――その瞬間、不意に相原奈央がこちらを振り向き、油断していた大樹は思わず、
「――うわっ!」
と叫び声をあげていた。
けれどそれは相原奈央も当然一緒で、彼女も「きゃっ!」と小さく叫び、目を大きく見開いて、抱えていた本を数冊、どさどさと床に落としてしまった。
しまった! と思いながら、大樹は慌てて、
「あ、ごめん! まさか振り向くとは思わなくて――」
床に落ちた本を、急いで拾い集めた。
それに対して、相原奈央も首を横に振りながら、
「あ、ううん。私も周りを気にしてなかったから。ごめんなさい」
「こ、これ、戻せばいいんだよね?」
顔を上げ、真正面から向き合って、大樹は改めて彼女の美しさに見惚れてしまいそうだった。
長いまつげと、少しばかり吊り上がった眼が何とも印象的で、大樹の心をとらえて離さない。
相原が「うん、そう」と頷き、大樹も頷き返した。
「じ、じゃぁ、僕が戻しておくよ。あ、これもそれも同じジャンルだね。ついでだから持っていくけど」
「え、そんな、でも…… 一応、委員の仕事だし…… 悪いよ」
「大丈夫だよ。僕だって同じ図書委員なんだからさ」
言って、大樹は頑張って笑顔を作って見せた。
それから相原の抱える本から同じジャンルの本を数冊抜き出しながら、同じ図書委員であることも覚えられていないことを、内心ショックに思いつつ、
「ま、まぁ、クラス違うから覚えてないか。僕、D組の木村大樹」
「木村、くん――?」
自分の名前を口にしてもらえて、大樹の心は今にも舞いあがってしまいそうだった。
いや、事実大樹の心は舞いあがっていた。
だからだろう、もっと一緒に居たい、話がしたい、そんな欲望が芽生えてきて、
「あっ、あぁ、そうそう、丁度いいや」としどろもどろになりながら、「つ、次のオススメ図書のコーナー、僕の担当なんだけど、意見くれない? 今、司書の先生の所でポップとか作ってる途中なんだ。手伝ってくれたら凄い助かるよ。真鍋さん、僕に押しつけてさっさと帰っちゃってさぁ……」
一応、事実に違いはなかった。ただし、その仕事をしていたのは自分が貸出当番だった昨日の話であり、真鍋さんとは「また来週続きをしよう」という話になっていた。別に押し付けられたわけではないけど、そこはちょっと許して欲しい。思わず口からでてしまったのだ。
相原奈央はチラリとカウンターの男子に視線を向け、「う~ん」と少しだけ考えるような仕草を見せた後、
「うん、いいよ。これ終わったら、手伝ってあげる」
その言葉に、大樹は嬉しさのあまり、全身が震えるような感覚になりながら、
「ほ、本当に? ありがとう、助かるよ!」
思わず、満面の笑みを浮かべてしまったのだった。
木村大樹にとって、恋愛とは興味の対象外の代物であり、自分には全く縁のないものだという認識だった。これまでの人生で誰かを好きになったという経験もなかったし、中学校の頃からの友人たち――一番仲の良い村田一やその幼馴染であり(たぶん一の彼女である)矢野桜、そして桜の親友である宮野首玲奈の三人――とそこそこ長くつるんでいるが、周囲からも『可愛い』と一定の評判を得ている玲奈と恋仲になろうなどとは一度も思ったことはなかった。
あくまで彼女たちは『友人』としての関係であり、『恋愛』となると完全にその対象外――というより、そもそも『恋』とか『愛』というものが具体的にどういうものであるのか、中学生までの大樹には理解することが出来なかったのである。
何より彼らとの付き合いの中で、そこまで気持ちが至ることがまるでなかった、というのが正解かもしれない。
一緒に遊ぶ、勉強する、登下校する。そんな当たり前の学校生活の他に、大樹は思いもよらない出来事に巻き込まれ続け、必死な思いこそすれ、その感情が恋愛に向かうことは全くなかったのである。
むしろ大樹は毎度の如く、こう思っていた。
――もう、勘弁してくれ。
何度も何度も彼らと距離を置こうと思った。そうでなければ命がいくつあっても足らないと思っていた。それなのに、大樹は彼らを見捨てることなんてできなかった。
大樹にとって、彼らは紛れもなく大切な『友達』だったからである。
どれだけ危険な目に遭っても、どんな怪異に襲われようとも、大樹は一や桜、玲奈と四人でそれらに立ち向かってきた。それは大樹にとって、そのどれもが貴重な体験であり、友情を感じた印象深い思い出であり――離れたくとも離れがたい、そんな微妙な気持ちをこれまでずっと抱き続けていた。
そう、彼らは『親友』であり、それ以上でも以下でもない、唯一無二の存在だったのだ。
怨霊に呪い殺されそうになったとき、化け物に追い掛け回されたとき、なんだかよくわからない影に襲われたとき、夜の学校からぬけだせなくなったとき――常に一緒にいた大切な仲間たち……と考えて、大樹はいつも首を傾げる。
「いや、むしろあいつらのせいで、今まで死ぬような思いをしてきただけだよなぁ……?」
独り言ちて、けれど大樹の出す結論はいつも一緒だった。
――まぁ、友達だし、しかたがない、か?
本当にそれでいいのか、と自問自答することも多いのだけれど、大樹にとってそれが事実であることに変わりはなかった。
そう、彼らはあくまで、『親友』なのだ。
そして、そんな大樹の前に突然現れた、相原奈央というひとりの少女――
この相原奈央が、大樹の世界を見事にぶち壊し、一変させ、『恋』やら『愛』やらといった感情を芽生えさせたのだ。
それは大樹が高校に入学して、比較的すぐのことだった。
中学を卒業するのと同時に家を引っ越した大樹だったが、結局いつもの四人が揃った鯉城高校。その図書委員会の集まりで、ひと際目を惹く彼女の姿に、大樹は心臓を穿たれたような思いがした。
なんて綺麗な黒髪なんだろう、なんて綺麗な瞳なんだろう、なんて綺麗な唇なんだろう。
そしてそのどこか人を寄せ付けない、何とも言い難い佇まいに興味を惹かれ、大樹はそれから毎日、彼女のことばかり考えるようになっていた。
それは大樹にとって、今まで一度たりとも感じたことのない、不思議な感情だった。
相原奈央の姿が、どうあっても頭から離れなかった。もっと彼女のことを知りたいと思うようになっていた。彼女と話をしてみたいと思うようになっていた。できれば彼女と――友達になりたいと願うようになっていた。
そんなある日の放課後のことだった。
その日、大樹は図書室で、適当に選んだ読む気もあまりない本を開きながら、貸し出しカウンターに座る相原奈央の姿を、ちらちら盗み見るように、片隅の席に座っていた。
なかなか声を掛けるタイミングをはかれず、ただもやもやした気持ちを持て余していた、その時だった。
相原奈央が隣に座る同じく貸出当番の男子に何か会話を交わしたあと、おもむろに立ち上がり、返却棚に並べられていた十数冊もの本を抱えて動き始めたのである。
たぶん、返却処理の終わった本を各本棚に戻す仕事に取り掛かったのだろうけれど、あれだけの本を一気に抱えるだなんて絶対に大変だ。
大樹はその貸出当番の男子に『お前が戻しに行けよ!』と内心舌打ちしつつ、同時にこれは声を掛ける絶好のチャンスだとも思った。
あの本を戻す手伝いを口実にすれば、自然に話しかけることができる。
大樹は緊張しながら、ジャンルごとに棚に本を戻していく相原奈央の後ろにゆっくりと近づいて――その瞬間、不意に相原奈央がこちらを振り向き、油断していた大樹は思わず、
「――うわっ!」
と叫び声をあげていた。
けれどそれは相原奈央も当然一緒で、彼女も「きゃっ!」と小さく叫び、目を大きく見開いて、抱えていた本を数冊、どさどさと床に落としてしまった。
しまった! と思いながら、大樹は慌てて、
「あ、ごめん! まさか振り向くとは思わなくて――」
床に落ちた本を、急いで拾い集めた。
それに対して、相原奈央も首を横に振りながら、
「あ、ううん。私も周りを気にしてなかったから。ごめんなさい」
「こ、これ、戻せばいいんだよね?」
顔を上げ、真正面から向き合って、大樹は改めて彼女の美しさに見惚れてしまいそうだった。
長いまつげと、少しばかり吊り上がった眼が何とも印象的で、大樹の心をとらえて離さない。
相原が「うん、そう」と頷き、大樹も頷き返した。
「じ、じゃぁ、僕が戻しておくよ。あ、これもそれも同じジャンルだね。ついでだから持っていくけど」
「え、そんな、でも…… 一応、委員の仕事だし…… 悪いよ」
「大丈夫だよ。僕だって同じ図書委員なんだからさ」
言って、大樹は頑張って笑顔を作って見せた。
それから相原の抱える本から同じジャンルの本を数冊抜き出しながら、同じ図書委員であることも覚えられていないことを、内心ショックに思いつつ、
「ま、まぁ、クラス違うから覚えてないか。僕、D組の木村大樹」
「木村、くん――?」
自分の名前を口にしてもらえて、大樹の心は今にも舞いあがってしまいそうだった。
いや、事実大樹の心は舞いあがっていた。
だからだろう、もっと一緒に居たい、話がしたい、そんな欲望が芽生えてきて、
「あっ、あぁ、そうそう、丁度いいや」としどろもどろになりながら、「つ、次のオススメ図書のコーナー、僕の担当なんだけど、意見くれない? 今、司書の先生の所でポップとか作ってる途中なんだ。手伝ってくれたら凄い助かるよ。真鍋さん、僕に押しつけてさっさと帰っちゃってさぁ……」
一応、事実に違いはなかった。ただし、その仕事をしていたのは自分が貸出当番だった昨日の話であり、真鍋さんとは「また来週続きをしよう」という話になっていた。別に押し付けられたわけではないけど、そこはちょっと許して欲しい。思わず口からでてしまったのだ。
相原奈央はチラリとカウンターの男子に視線を向け、「う~ん」と少しだけ考えるような仕草を見せた後、
「うん、いいよ。これ終わったら、手伝ってあげる」
その言葉に、大樹は嬉しさのあまり、全身が震えるような感覚になりながら、
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