闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)

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第3部 第4章・あちら

第2回

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 駅前の道路周辺は混乱を極めていた。

 遠くからこちらへ近づいてくるけたたましいサイレンの聞こえるなか、道路の至る所が陥没し、折れた水道管からはまるで噴水のように水が溢れ出ていた。多くの人々が狼狽し、どよめき、或いはスマホでその様子を撮影したり、どこかへ電話している。

 陥没した穴にタイヤがはまってしまったらしく、苦い顔をしながら腕を組んでそれを見つめるタクシードライバー。運行不可能になってしまったバスからは、運転手の指示のもと、たくさんの乗客がぞろぞろとバスから降りているところだった。前にも後にも進めなくなった車両が次から次へと連なり、辺りは大渋滞となってクラクションが鳴り響いている。

「――うわぁ、これはひどい」
 桜が目を丸くしながら呟いて、
「なにがあったんだろう」
 と玲奈も眉間に皺を寄せた。

 生まれて初めて見るその光景に、玲奈は何度も辺りを見回して、
「――えっ」
 その喧騒の中に、玲奈はよく見知った姿を見つけた。

 タンクトップにデニムのホットパンツという、あまりにラフな格好をした結奈である。

 結奈の隣には見知らぬ男の姿があって、ふたりは次から次へと飛び掛かってくる赤黒い何かの塊を殴り、或いは蹴り飛ばし、まるで激しい戦闘を繰り広げているように玲奈には見えた。

 赤黒い塊はどこかで見たことがあるような小鬼や餓鬼のような異形の姿をしており、結奈や男の一撃によって頭部や四肢が弾け飛んでは道路にゴロゴロと転がった。

「結奈……?」

「え? 結奈さん?」
 玲奈の視線に、桜もそちらの方へ顔を向けて、
「ひとりで何やってんだろ? 何かと戦ってる?」

「え、ひとり?」玲奈は首を傾げて、「お姉ちゃんの隣に、もうひとり男の人がいるけど……」

「そうなの?」と桜は目を細めて、「う~ん、あたしには見えないけど」

「じゃぁ、あの人は――」

 だけど、どうして結奈はあの死者である男の人と一緒に異形と戦っているんだろう。

 いったい、今ここで、何が起こっているんだろうか。

 やがて結奈はその男と何か言い合いを始めると、突然男の背中を大きく蹴飛ばした。

 男は道路に倒れ、驚いたように結奈に顔を向けると、慌てたように立ちあがり、再び結奈と何か会話を交わす。それから大きくひとつ頷くと、男はひとり、結奈を残してどこかへ走り去っていったのだった。

 結奈はなおも襲い掛かる異形と戦いながら、走り去る男の後ろ姿をじっと見つめる。

 やがて男の姿が見えなくなった頃、結奈は静かにその場に佇むと、地に足を踏ん張るようにして、両手を合わせた。

 次から次へと飛び掛かってくる異形をそのままに、結奈はそれらに身体中しがみつかれながらも、何か言葉を口にして――パンっと大きく、手を打ち鳴らす。

 それは周りのビルに反響するほど、とても大きな音だった。

 その瞬間、玲奈は何か激しい衝撃を感じた。

 何が起こったのか理解するまでに、しかしさほどの時間はかからなかった。

 それまで結奈に襲い掛かっていた異形たちの身体が、その瞬間、一気に弾け飛んだのである。

 頭が爆ぜ、四肢が千切れ、ぐちゃりぐちゃりと地面に落ちて辺りを赤黒く染めて――それらの残骸も、やがて水道管から溢れ出す大量の水に流されて、見えなくなってしまったのだった。

「えっ? なにっ? 今結奈さん、なんで手を叩いてたわけ?」

 首を傾げる桜に、けれど玲奈もうまく説明する言葉を持たなかった。

 それは玲奈も初めて見る結奈の姿で、彼女が何をしたのかまるで解らなかったからだ。

 ただ一つ解るのは、結奈が周囲の異形を、一気に祓ってしまったということだけだ。

 けど、それだけで十分だった。

 まさか、結奈にそんなことまでできただなんて。

「行こう、桜」
「えっ? あ、うん」

 玲奈は結奈に駆け出し、桜もそのあとを追う。

「結奈!」
「……玲奈?」

 結奈は息を切らしながら、玲奈に身体を向けた。

 その服や肌は弾け飛んだ異形たちの体液なのか、赤黒い汚れにまみれている。

「なに? なにがあったの? アイツらは、いったい何だったの?」

 すると結奈は大きく胸を張って伸びをしながら、
「さぁて、なんだろうね?」

「もう、誤魔化さないでよ」
 眉間に皺を寄せる玲奈に、結奈はくつくつと苦笑して、
「誤魔化してなんかないよ。私にも、あれらが何なのかわかんないだけ。あえて言えば、見たこともない、異形の何か、よ」

「――異形の、何か」

「そ。まぁ、考えるだけ無駄だね。あとでおばあちゃんかタマちゃんに聞いてみればわかるんじゃないかな」
 それにしても、と結奈は腰に手を当てて辺りを見回す。
「すんごい有様だよねぇ。まさか、アイツらにこんなことするほどの力があるだなんて思わなかったよ」

「……アイツら?」
 困惑した様子の桜に、結奈は、
「そ、アイツら」
 軽い口調で、そう言った。

 玲奈も結奈や桜と並んで、一面水浸しの道路や混乱した街並みに顔を向けた。

 すでに何台もの救急車や消防車、パトカーが到着し、交通整理やけが人の治療などを始めていた。新聞記者やテレビ関係者と思われる車両もやってきて、カメラを回して通行人にインタビューを始めている。眉間に皺を寄せながら歩いて通勤せざるを得なくなったサラリーマン、嬉々として混乱する様子をカメラに収め続ける若者たち。仕方なく遠回りするように脇道へ抜けていく沢山の車両や通行人――

 いったいこの街で、何が起こっているというのか。

 その時だった。


 
 ――ぴちょんっ
 


 水が流れる音に混じって、はっきりと、玲奈の耳に水の滴るその音が聞こえてきたのだ。

 次いで、
 


 ――がしりっ
 


 玲奈の右足首に、誰かに掴まれるような感覚があった。

 
「――えっ?」
 

 玲奈は目を見開き、足元を見やる。
 

 ニタリと笑む男の顔が、大きな水たまりから浮かび上がって――
 

 次の瞬間、玲奈の身体は、叫び声をあげる間もなく、赤黒い水たまりの中に、引きずり込まれた。
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