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第3部 第3章・襲撃
第10回
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***
「玲奈!」
玲奈が瞼を開くと、そこには目に涙を浮かべた桜の姿があった。
その傍らにはコトラの姿もあり、玲奈の頬を、心配そうにペロペロと舐めている。
煌々と輝く白い光は、自分の部屋の灯りのもの。
玲奈はしばらくの間、現状を理解することが出来なかった。
どうして桜もコトラもこんな顔をしているのか、どうして自分はぼんやりと横たわっているのか。すぐには思い出すことができなかった。
やがて玲奈は石上麻衣に首を絞められていたことを思い出すと、自身の首に手をやりながら、ゆっくりと上体を起こして、
「……桜」
桜はそんな玲奈をぎゅっと強く抱きしめると、
「よかった! 生きてた! ごめんね、あたしがトイレに行っちゃってた間に、こんなことになっちゃうなんて……!」
「すみません。僕も、アイツに気を取られていたばかりに……」
コトラも項垂れながら、玲奈の膝に前脚をかける。
あぁ、良かった、と玲奈は安堵のため息を漏らす。今回もちゃんと戻ってくることができた。
「何があったの? アイツに襲われたの?」
「それは――」
玲奈が口を開き、説明しようとしたところで、
「――なぁに? こんな夜遅くに騒いで、何かあったの?」
寝ぐせの付いた頭の母親が眉間に皺を寄せながら、部屋の中を覗き込んできた。
桜は「あっ」と口にして玲奈の身体に回していた腕を離すと、一歩後ろにあと退り、コトラはクンクン小さく喉を鳴らした。
玲奈は首を横に振って、
「ごめん、ちょっと怖い夢、見ちゃって」
「夢?」母親は小さくため息を漏らして、「まぁ、なら良かったけど。ご近所さんの迷惑になるから、静かにね」
「うん」
玲奈は頷き、
「はい、すみません……」
桜も小さく謝った。
ぱたんと部屋の扉を閉めて去る母親の足音が聞こえなくなったところで、
「……それで、結局なにがあったわけさ?」
改めて桜に問われて、玲奈はしばらく石上のことをどう説明したらいいのか逡巡し、やがてゆっくりと、彼女のことを桜に語った。
桜は終始眉間に皺を寄せたままだった。時折相槌を打ったり、小さくため息を漏らしたり、石上に同情したり――そして玲奈が全てを話し終えると、
「――それじゃぁ、石上さんは、もう」
「……うん」
石上麻衣は、玲奈たちの知らないうちに、死んでいた。
表向きは自主退学。けれど本当は、あの青年の手によって――
「でも、どうして? そんなことがあったら、それなりの大事件になってるはずじゃない?」
桜が首を傾げて、玲奈も「確かに」と不思議に思う。
石上があの青年に殺されてしまったのは、恐らく事実に違いない。石上自身の魂――記憶に触れた玲奈は、確かに彼女が殺されていくさまをその目にしたのだ。追体験、と呼ぶのが正しいかも知れない。それは見るに堪えない光景で、玲奈はそんな殺され方をした石上に心を痛め涙した。どうして彼女があんな目に遭わなければならなかったのか。
石上を殺したあの青年が、玲奈は本当に許せなかった。
だけど、でも――あのあと、石上の遺体はどうなったのだろう。
あの青年は、石上の遺体をどうしたのだろう。
いや、そもそも、当時の担任はどうして彼女のことを「自主退学」と玲奈たちクラスメイトに説明したのだろう。
石上の両親が、自らそのように学校側に申し出たということだろうか。
それってつまり、どういうこと?
玲奈には意味が解らなかった。
実の娘が殺されて、けれど全くニュースにもならず、ただ自主退学としてのみ皆に知らせる。
あれだけのことがあったというのに、世間には一切知らされていないのは、どういうわけなのだろうか。
もしかして、石上さんの遺体はまだ見つかっていない……?
玲奈はその瞬間、ぞくりと背筋に寒気を感じた。
あの青年は、あのあと石上の遺体をどこかに隠した。その遺体は今もなお見つかっておらず、そのせいで石上は今日までずっと、行方不明ということになっているんじゃないだろうか。
石上の両親は、石上のことには明らかに無関心だった。彼女が夜遅くまで遊び歩いていても、誰と一緒に居ようとも、それを叱るでもなく、気にするでもなく、ただその愛情や関心をひたすら兄に注いでいた。
まさか石上の両親は、石上が行方不明になっている今もなお、彼女に一切の――
そんなはずはない。実の娘が行方不明なって、心配しない親なんているはずがない。
玲奈はそう信じたかった。そう思わずにはいられなかった。
そうでなければ、本当の意味で石上の魂は浮かばれない。救われない。
だけど、でも――石上が学校に来なくなって、彼女の自主退学が担任によってクラスメイトたちに知らされるまでの期間は、異様に短かったように玲奈は思う。たぶん、彼女が学校に来なくなって、一か月も経っていなかったんじゃないだろうか。彼女の行方を担任や警察、まして彼女の両親から問われたこともないし、彼女の行方を心配する声も玲奈はどこからも聞いた覚えがない。石上と仲の良かったクラスメイト達の間からさえ、彼女の名前を聞くことは進級するまで――いや、進級してからも結局なかった。
彼女の存在は、クラスメイト達の間からも完全に忘れ去られてしまったのである。
果たして彼女は、両親からその行方を捜索されているのだろうか。
彼女の行方不明を、両親は警察に届け出ているのだろうか。
そして彼女のその行方を、両親は少しでも心配しているのだろうか――
「玲奈、大丈夫?」
玲奈はハッと我に返って、顔を覗き込む桜に気付いた。
「あ、ごめん。ちょっと、色々考えちゃって……」
そんな玲奈に、桜は小さく微笑んで、
「そろそろ寝よう? 考えるのは全部全部明日にしてさ。今日はもう疲れちゃったでしょ? ちょっとでも寝ておかないと、心も身体も壊れちゃうよ」
「でも――」言いかけて、けれど玲奈は自分を見つめてくる桜とコトラのその視線にため息を漏らす。「……うん、そうだね」
桜と玲奈は頷きあうと、再び布団の中に横になった。
コトラも布団の隅に丸まると、耳をぴんと立てたまま瞼を閉じる。
「――おやすみ、玲奈」
「おやすみなさい、桜」
「電気は、点けっぱなしにしておくよ?」
「……うん」
玲奈は小さく頷いて、再び瞼を閉じたのだった。
「玲奈!」
玲奈が瞼を開くと、そこには目に涙を浮かべた桜の姿があった。
その傍らにはコトラの姿もあり、玲奈の頬を、心配そうにペロペロと舐めている。
煌々と輝く白い光は、自分の部屋の灯りのもの。
玲奈はしばらくの間、現状を理解することが出来なかった。
どうして桜もコトラもこんな顔をしているのか、どうして自分はぼんやりと横たわっているのか。すぐには思い出すことができなかった。
やがて玲奈は石上麻衣に首を絞められていたことを思い出すと、自身の首に手をやりながら、ゆっくりと上体を起こして、
「……桜」
桜はそんな玲奈をぎゅっと強く抱きしめると、
「よかった! 生きてた! ごめんね、あたしがトイレに行っちゃってた間に、こんなことになっちゃうなんて……!」
「すみません。僕も、アイツに気を取られていたばかりに……」
コトラも項垂れながら、玲奈の膝に前脚をかける。
あぁ、良かった、と玲奈は安堵のため息を漏らす。今回もちゃんと戻ってくることができた。
「何があったの? アイツに襲われたの?」
「それは――」
玲奈が口を開き、説明しようとしたところで、
「――なぁに? こんな夜遅くに騒いで、何かあったの?」
寝ぐせの付いた頭の母親が眉間に皺を寄せながら、部屋の中を覗き込んできた。
桜は「あっ」と口にして玲奈の身体に回していた腕を離すと、一歩後ろにあと退り、コトラはクンクン小さく喉を鳴らした。
玲奈は首を横に振って、
「ごめん、ちょっと怖い夢、見ちゃって」
「夢?」母親は小さくため息を漏らして、「まぁ、なら良かったけど。ご近所さんの迷惑になるから、静かにね」
「うん」
玲奈は頷き、
「はい、すみません……」
桜も小さく謝った。
ぱたんと部屋の扉を閉めて去る母親の足音が聞こえなくなったところで、
「……それで、結局なにがあったわけさ?」
改めて桜に問われて、玲奈はしばらく石上のことをどう説明したらいいのか逡巡し、やがてゆっくりと、彼女のことを桜に語った。
桜は終始眉間に皺を寄せたままだった。時折相槌を打ったり、小さくため息を漏らしたり、石上に同情したり――そして玲奈が全てを話し終えると、
「――それじゃぁ、石上さんは、もう」
「……うん」
石上麻衣は、玲奈たちの知らないうちに、死んでいた。
表向きは自主退学。けれど本当は、あの青年の手によって――
「でも、どうして? そんなことがあったら、それなりの大事件になってるはずじゃない?」
桜が首を傾げて、玲奈も「確かに」と不思議に思う。
石上があの青年に殺されてしまったのは、恐らく事実に違いない。石上自身の魂――記憶に触れた玲奈は、確かに彼女が殺されていくさまをその目にしたのだ。追体験、と呼ぶのが正しいかも知れない。それは見るに堪えない光景で、玲奈はそんな殺され方をした石上に心を痛め涙した。どうして彼女があんな目に遭わなければならなかったのか。
石上を殺したあの青年が、玲奈は本当に許せなかった。
だけど、でも――あのあと、石上の遺体はどうなったのだろう。
あの青年は、石上の遺体をどうしたのだろう。
いや、そもそも、当時の担任はどうして彼女のことを「自主退学」と玲奈たちクラスメイトに説明したのだろう。
石上の両親が、自らそのように学校側に申し出たということだろうか。
それってつまり、どういうこと?
玲奈には意味が解らなかった。
実の娘が殺されて、けれど全くニュースにもならず、ただ自主退学としてのみ皆に知らせる。
あれだけのことがあったというのに、世間には一切知らされていないのは、どういうわけなのだろうか。
もしかして、石上さんの遺体はまだ見つかっていない……?
玲奈はその瞬間、ぞくりと背筋に寒気を感じた。
あの青年は、あのあと石上の遺体をどこかに隠した。その遺体は今もなお見つかっておらず、そのせいで石上は今日までずっと、行方不明ということになっているんじゃないだろうか。
石上の両親は、石上のことには明らかに無関心だった。彼女が夜遅くまで遊び歩いていても、誰と一緒に居ようとも、それを叱るでもなく、気にするでもなく、ただその愛情や関心をひたすら兄に注いでいた。
まさか石上の両親は、石上が行方不明になっている今もなお、彼女に一切の――
そんなはずはない。実の娘が行方不明なって、心配しない親なんているはずがない。
玲奈はそう信じたかった。そう思わずにはいられなかった。
そうでなければ、本当の意味で石上の魂は浮かばれない。救われない。
だけど、でも――石上が学校に来なくなって、彼女の自主退学が担任によってクラスメイトたちに知らされるまでの期間は、異様に短かったように玲奈は思う。たぶん、彼女が学校に来なくなって、一か月も経っていなかったんじゃないだろうか。彼女の行方を担任や警察、まして彼女の両親から問われたこともないし、彼女の行方を心配する声も玲奈はどこからも聞いた覚えがない。石上と仲の良かったクラスメイト達の間からさえ、彼女の名前を聞くことは進級するまで――いや、進級してからも結局なかった。
彼女の存在は、クラスメイト達の間からも完全に忘れ去られてしまったのである。
果たして彼女は、両親からその行方を捜索されているのだろうか。
彼女の行方不明を、両親は警察に届け出ているのだろうか。
そして彼女のその行方を、両親は少しでも心配しているのだろうか――
「玲奈、大丈夫?」
玲奈はハッと我に返って、顔を覗き込む桜に気付いた。
「あ、ごめん。ちょっと、色々考えちゃって……」
そんな玲奈に、桜は小さく微笑んで、
「そろそろ寝よう? 考えるのは全部全部明日にしてさ。今日はもう疲れちゃったでしょ? ちょっとでも寝ておかないと、心も身体も壊れちゃうよ」
「でも――」言いかけて、けれど玲奈は自分を見つめてくる桜とコトラのその視線にため息を漏らす。「……うん、そうだね」
桜と玲奈は頷きあうと、再び布団の中に横になった。
コトラも布団の隅に丸まると、耳をぴんと立てたまま瞼を閉じる。
「――おやすみ、玲奈」
「おやすみなさい、桜」
「電気は、点けっぱなしにしておくよ?」
「……うん」
玲奈は小さく頷いて、再び瞼を閉じたのだった。
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