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第3部 第2章・魂の存在
第10回
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***
「……なるほどね」結奈はひとしきりコトラの身体を洗ったあと、そのぺったりした毛の頭を撫でながら、「なんかイヤーな気配がすると思ったら、アイツか」
「わかるの?」
玲奈が問うと、結奈は「まぁね」と頷いて、
「なんとなく、帰ってきた時から誰かにじろじろ見られている感じはしてたんだよね。アレはあの変態男に間違いないね。たぶん、アイツは玲奈に執着してる。一瞬、私の存在に気づいたみたいで気配が近づいてきてるような感じはしたんだけど――」
「えっ」
近づいてきてる? アイツが?
玲奈は思わず辺りを見回し、湯船のへりに両手をかける。
「私がじっと気配のする方を睨みつけてたら、そのままどこかに引っ込んじゃったよ。今もどこかに隠れてるんじゃない? たぶん、私と玲奈を見間違えたんじゃないかなぁ、姉妹だし。ただアイツ、そんなに強くはないと思うよ。そんなに気にする必要はないと私は思うけどね」
「結奈が気にしなくても、私は気になるの! 教室で胸を揉まれちゃったんだよ? 気持ち悪い!」
玲奈が心底ムッとしながらそう口にすると、結奈はへらへらしながら、
「いいじゃん、減るもんじゃなし。案外、気のすむまで揉ませてやれば成仏しちゃうかもよ?」
「絶対にイヤ!」
冗談じゃない! なんでそんなことされないといけないわけ?
玲奈は頬を膨らませる。
そんな玲奈に、結奈はふっと笑みをこぼしながら、
「ま、そりゃそうだ。私だって見られるぶんには気にならないけど、気安く触られたくはないからね」
やっぱり気持ち悪いし、と結奈は言って、のぼせ始めたコトラを湯船の外にゆっくりおろす。
コトラはプルプルと身体を震わせ、水しぶきを散らしながら、
「大丈夫です! 僕が必ず玲奈さんを守りますから!」
「ふぅん? まぁ、頑張りな。もし私の力が必要なら助けてあげる」と結奈は大きく腕を伸ばして胸を張り、ゆっくりと息を吐きながらその腕を下ろすと、「要らないとは思うけどね。アイツ、明らかに小者って感じだったし。コトラでも十分祓えるでしょ」
言って瞼を閉じて天井を仰いだ。
その余裕の姿に、玲奈は小さくため息を吐く。
そりゃぁ、お姉ちゃんはそうだろう。漫画や小説のように呪文を唱えてどうこうするようなこともなく、自身の気――力によって霊を祓い清められるのだから。まるで人を相手にするかのように、物理的に霊を薙ぎ払うなんてことをする霊能者なんて、玲奈は今まで一度も見たことも聞いたこともなかった。
そもそも、祖母以外の霊能力者(と呼ばれるであろう存在)を玲奈は知らない。祖母曰く、どこかには居るそうなのだけれど、しかしその人物らが視ているものと、自分が視ているものが必ずしも同じとは限らないとも言っていた。
最初、玲奈はその意味を理解しかねた。視ているものが違うとはどういうことなのか、よく解らなかった。そこに霊がいて、視ているモノは同じはずなのに、けれどもその姿は視る者によってまるで異なるというのである。
肉体がないがゆえに、視る者の意識によってその姿が異なってその眼に映るというのだ。
事実、玲奈と結奈の間にも視ているモノの差はあった。
服を着ているか着ていないか。男か女か。子供か大人か。どんな顔をしているのか――その全てが異なっていることも多々あった。
それはつまり、“魂”と呼ばれる存在には明確な姿がないということ。
その姿を認識する者――その魂を視ることのできる人間の、持ち合わせている情報によってその姿は千差万別、まるで異なるのである。
しかしそれは魂とて同じことだとも祖母は玲奈にかつて言った。
その“魂”と呼ばれる存在もまた、姿を偽ることができるというのである。
肉体を失っているがゆえに、自身の在り方――或いは法則が――変わってしまうのだろう、と祖母は話していた。
その“魂”という存在になった祖母――
それなのに、祖母は今なお、自身の――魂という存在が――不確かな何かという、漠然とした結論にしか至れていない。
それを結論といってよいのかも玲奈には解らなかったが、祖母にすら解らないものが、自分に解るはずもない。
解らないけれども、ひとつだけ確かなことがあった。
アレらは祓うことができる。退けることができる。消し去ることができる。
言い方はなんであれ、そういう存在であることだけは確かだった。
そしてそれを、姉である結奈は力技でやってのける。
結奈曰く、結局のところ、それもまたひとつの手段に過ぎないらしい。
祝詞にしろ、お経にしろ、それらは全て、祓うための手段でしかない。
そんななかで、結奈は物理的にねじ伏せることができている、ただそれだけなのだ、と。
けれどそれはあくまで結奈の話であって、玲奈にはその力がない。手段がない。
どうすれば良いのかが解らない。
だから、困っているのだ。
コトラがいなければ、桜がいなければ、タマモがいなければ、結奈がいなければ、悪意のある霊に――魂に対処する手段がひとつもないのだ。
「私にも、何かできることがあればいいのに……」
その呟きに、結奈はちらりと視線を寄こし、口元に笑みを浮かべながら、
「……まぁ、そのうち自分にあった祓い方が見つかるんじゃない?」
その言葉が、玲奈にはひどく無責任なものに感じられてならなかった。
「……なるほどね」結奈はひとしきりコトラの身体を洗ったあと、そのぺったりした毛の頭を撫でながら、「なんかイヤーな気配がすると思ったら、アイツか」
「わかるの?」
玲奈が問うと、結奈は「まぁね」と頷いて、
「なんとなく、帰ってきた時から誰かにじろじろ見られている感じはしてたんだよね。アレはあの変態男に間違いないね。たぶん、アイツは玲奈に執着してる。一瞬、私の存在に気づいたみたいで気配が近づいてきてるような感じはしたんだけど――」
「えっ」
近づいてきてる? アイツが?
玲奈は思わず辺りを見回し、湯船のへりに両手をかける。
「私がじっと気配のする方を睨みつけてたら、そのままどこかに引っ込んじゃったよ。今もどこかに隠れてるんじゃない? たぶん、私と玲奈を見間違えたんじゃないかなぁ、姉妹だし。ただアイツ、そんなに強くはないと思うよ。そんなに気にする必要はないと私は思うけどね」
「結奈が気にしなくても、私は気になるの! 教室で胸を揉まれちゃったんだよ? 気持ち悪い!」
玲奈が心底ムッとしながらそう口にすると、結奈はへらへらしながら、
「いいじゃん、減るもんじゃなし。案外、気のすむまで揉ませてやれば成仏しちゃうかもよ?」
「絶対にイヤ!」
冗談じゃない! なんでそんなことされないといけないわけ?
玲奈は頬を膨らませる。
そんな玲奈に、結奈はふっと笑みをこぼしながら、
「ま、そりゃそうだ。私だって見られるぶんには気にならないけど、気安く触られたくはないからね」
やっぱり気持ち悪いし、と結奈は言って、のぼせ始めたコトラを湯船の外にゆっくりおろす。
コトラはプルプルと身体を震わせ、水しぶきを散らしながら、
「大丈夫です! 僕が必ず玲奈さんを守りますから!」
「ふぅん? まぁ、頑張りな。もし私の力が必要なら助けてあげる」と結奈は大きく腕を伸ばして胸を張り、ゆっくりと息を吐きながらその腕を下ろすと、「要らないとは思うけどね。アイツ、明らかに小者って感じだったし。コトラでも十分祓えるでしょ」
言って瞼を閉じて天井を仰いだ。
その余裕の姿に、玲奈は小さくため息を吐く。
そりゃぁ、お姉ちゃんはそうだろう。漫画や小説のように呪文を唱えてどうこうするようなこともなく、自身の気――力によって霊を祓い清められるのだから。まるで人を相手にするかのように、物理的に霊を薙ぎ払うなんてことをする霊能者なんて、玲奈は今まで一度も見たことも聞いたこともなかった。
そもそも、祖母以外の霊能力者(と呼ばれるであろう存在)を玲奈は知らない。祖母曰く、どこかには居るそうなのだけれど、しかしその人物らが視ているものと、自分が視ているものが必ずしも同じとは限らないとも言っていた。
最初、玲奈はその意味を理解しかねた。視ているものが違うとはどういうことなのか、よく解らなかった。そこに霊がいて、視ているモノは同じはずなのに、けれどもその姿は視る者によってまるで異なるというのである。
肉体がないがゆえに、視る者の意識によってその姿が異なってその眼に映るというのだ。
事実、玲奈と結奈の間にも視ているモノの差はあった。
服を着ているか着ていないか。男か女か。子供か大人か。どんな顔をしているのか――その全てが異なっていることも多々あった。
それはつまり、“魂”と呼ばれる存在には明確な姿がないということ。
その姿を認識する者――その魂を視ることのできる人間の、持ち合わせている情報によってその姿は千差万別、まるで異なるのである。
しかしそれは魂とて同じことだとも祖母は玲奈にかつて言った。
その“魂”と呼ばれる存在もまた、姿を偽ることができるというのである。
肉体を失っているがゆえに、自身の在り方――或いは法則が――変わってしまうのだろう、と祖母は話していた。
その“魂”という存在になった祖母――
それなのに、祖母は今なお、自身の――魂という存在が――不確かな何かという、漠然とした結論にしか至れていない。
それを結論といってよいのかも玲奈には解らなかったが、祖母にすら解らないものが、自分に解るはずもない。
解らないけれども、ひとつだけ確かなことがあった。
アレらは祓うことができる。退けることができる。消し去ることができる。
言い方はなんであれ、そういう存在であることだけは確かだった。
そしてそれを、姉である結奈は力技でやってのける。
結奈曰く、結局のところ、それもまたひとつの手段に過ぎないらしい。
祝詞にしろ、お経にしろ、それらは全て、祓うための手段でしかない。
そんななかで、結奈は物理的にねじ伏せることができている、ただそれだけなのだ、と。
けれどそれはあくまで結奈の話であって、玲奈にはその力がない。手段がない。
どうすれば良いのかが解らない。
だから、困っているのだ。
コトラがいなければ、桜がいなければ、タマモがいなければ、結奈がいなければ、悪意のある霊に――魂に対処する手段がひとつもないのだ。
「私にも、何かできることがあればいいのに……」
その呟きに、結奈はちらりと視線を寄こし、口元に笑みを浮かべながら、
「……まぁ、そのうち自分にあった祓い方が見つかるんじゃない?」
その言葉が、玲奈にはひどく無責任なものに感じられてならなかった。
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