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第3部 第2章・魂の存在
第5回
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***
玲奈はすっと瞼を開いた。
ぼんやりとした意識の中で、目の前に見えたのは白い天井だった。
その視界の片隅で、誰かが動く気配があった。
「――目が覚めたか?」
女は玲奈の顔を、心配そうに覗き込んでくる。その顔に、玲奈は見覚えがあった。
金色の髪を無造作に後ろで束ね、切れ長の眼に吊り上がった眉。綺麗に化粧されたその顔はあまりにも美人で、けれどそれと同時に懐かしさを感じさせた。
玲奈は安堵のため息を漏らし、そして頭をもたげる。
「無理をするな、玲奈。もう少し寝ていろ」
「え。うん……」
タマモはとても短い白のスカートをはいており、そこから長い脚がスラリと伸びていた。足先の白いヒールのかかとでカツンッと床を軽く蹴るように立ちあがると、玲奈の身体に布団をかけ直してくれる。
「あ、ありがとう」
それからタマモはもう一度椅子に座り直すと、その長い脚を組んで座り、「いや」と短く答える。
どうしたんだろう、どこか様子がおかしい。いつもより大人しいというか、落ち込んでいるような印象だ。タマモは結奈と一緒で、普段から自身に満ち溢れたような顔をしていたような気がするのだけれど。
いや、そもそも、祖母が亡くなって以来、会うことそのものが久々だ。
今までいったい、どこで何をしていたのだろう。
おばあちゃんは今、どうしているのだろう。
「久しぶりだね、タマちゃん」
「……そうだな」
「今まで、何していたの?」
その質問に、タマモは小さくため息を吐いてから、
「色々、だな。香澄――お前の祖母と共に、これまで触れることのできなかった領域のあれやこれやに関わっていたんだ」
「触れられなかった領域? あれやこれや?」玲奈は首を傾げて、「それってつまり“あちら”のこと?」
そうだな、とタマモは頷く。
「――この数年、私は香澄のあとを追って、アイツが生前に抱えていたあれやこれやの依頼を片っ端から片付けていっていたんだ」
本当に大変だった、とタマモは辟易したように首を横に振って、それからじっと玲奈の顔を見つめてから、
「今日は、本当にすまなかったな」
目を伏せて、軽く頭を垂れた。
……なにが? なんでタマちゃんが謝るの? 玲奈は思い、じっとタマモの姿を見つめた。しかし、タマモはそれ以上のことを語ろうとはしなかった。ただ足元に目を向けたまま、もう一度小さくため息を吐く。
そしてその足元に隠れるようにして佇む、小さな影に玲奈は気付いた。
「――コトラ」
コトラはおずおずと玲奈の前まで歩み寄ると、
「……ごめんなさい。また、お役に立てなくて」
「えっと、何のこと?」
するとタマモはコトラを両手で抱え上げると、その胸に抱くようにして、
「お前の前に現れた、アレのことだ」
その言葉に、玲奈は自分が今ここに居る理由を思い出した。
……そうだ。あの時、私は教室に現れた黒い影に襲われそうになって、桜が助けてくれて、そうして保健室まで連れてきてもらったのだ。桜から、とりあえず休めと言われてベッドで横になって、それからいつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
ふと辺りを見回してみれば、保健室の中にはタマモとコトラ以外、誰の姿も見当たらなかった。保健室の先生の姿もなく、玲奈はタマモに、「桜は?」と尋ねる。
「戻した」タマモは顎で保健室の出入り口を差し、「今頃は教室で授業を受けている」
「そう……」
タマモは肩を竦めて、
「此度は、桜のおかげで難を逃れることができた。申し訳ないことをしてしまった。別件でコトラを使っていた私の責任だ。本当にすまない、玲奈」
だから、あの時コトラはいなかったんだ。玲奈は納得しつつ、
「でも、別件って?」
「それは――悪いが言えぬ。お前を関わらせるわけにはいかないからな。言えば、必ずお前はそのことに気を傾けることになるだろう?」
「そんなことは――」
ない、とは言い切れなかった。自分の性格は、自分がよく理解している。たぶん、聞けばそのことが気になって仕方がなくなる。無意識のうちに関わろうとしてしまうことだろう。だから、タマモの言う通り、それ以上玲奈はその件には触れないことにした。触れないようにしただけで、その“別件”が何なのか、気になってしまうことにかわりはないのだけれども。
「結局、あの黒い影は何だったんだろう……」
呟くように言った玲奈に、コトラが答える。
「残っていた臭いから、死者であることは間違いありません。けれど、どこへ行ったかまでは判りませんでした。あの場には、他にも色々な死者の臭いが混ざり合っていて……」
「色々な死者? ひとりじゃなかったの?」
少なくとも、玲奈に手を出してきたのはあの黒い影、ひとりだけだった。それなのに、コトラはまるで複数人いたようなことを口にする。それは、いったい――
「玲奈さんを襲ったのは、恐らくひとりです。だけど、それとは別に、もっとたくさんの死者があの場には潜んでいたんです。すでに形を無くし、ひとつにまとまった存在もいたようです。でも、僕が検めに行ったときには、すでに姿はなく……」
もっとたくさんの死者が潜んでいた。その事実に、玲奈は戦慄した。少なくとも、自分はあの黒い影以外の存在に気付かなかった。いったいどこに潜んでいたのだろうか。どうして他の死者たちは、私に手を出してこなかったのか。或いはどうしてそのうちのひとりだけが、私に手を出してきたのだろうか。そもそも、あの黒い影の目的は何だったのだろう。アレは私の身体を――胸を――まるでもてあそんでやろうという手でまさぐってきた。それが目的? でも、どうして私を?
「いずれにせよ、用心した方がいい」タマモは言って、コトラを玲奈の横たわるベッドにそっと乗せる。「その黒い影が、またいつ玲奈を襲いに来るともしれない。ゆえに、今後しばらく、コトラは徹底して玲奈から離れないように。必ず守り抜け」
「――はい」
コトラはベッドの上でお座りし、神妙な面持ちでタマモを見つめた。
タマモはこくりと頷くと、すっと立ち上がり、
「ではな、玲奈。何かあれば、コトラで私に報せてくれ」
「――また、行っちゃうの?」
するとタマモは申し訳なさそうに眉を寄せ、玲奈の頭を撫でながら、
「すまない。香澄をあまり長い間ひとりにさせたくないのだ。アイツは私が見張っておかないと、いつの間にか勝手に動いていなくなる。どこかへ行ってしまう」
それからクスリとほほ笑んで、
「……そうだな。香澄は玲奈と一緒なのだ。気になるとどうしようもなくなる。関わらずにはいられなくなる。玲奈よりひどいのは、考えるよりも先に行動してしまうところだな。ここ数年は、そのせいで何度危うい目に遭ったことか」
「そうなんだ?」
だから、おばあちゃんもタマモも、しばらく姿を見かけなかったのだろう。死してなお死者や“あちら”に関わろうとする祖母を思うと、玲奈もどこか可笑しくてほほ笑んでいた。
「それじゃぁ、おばあちゃんのこと、よろしくね。タマちゃん」
「あぁ、任せておけ」
タマモは頷くと、手を振りながら、保健室から出ていった。
玲奈は小さくため息を吐くと、コトラの頭を撫でながら、
「お願いね、コトラ」
コトラは「はい」と答えると、スンスン鼻を鳴らしながら、玲奈の顔を、ぺろりと舐めた。
玲奈はすっと瞼を開いた。
ぼんやりとした意識の中で、目の前に見えたのは白い天井だった。
その視界の片隅で、誰かが動く気配があった。
「――目が覚めたか?」
女は玲奈の顔を、心配そうに覗き込んでくる。その顔に、玲奈は見覚えがあった。
金色の髪を無造作に後ろで束ね、切れ長の眼に吊り上がった眉。綺麗に化粧されたその顔はあまりにも美人で、けれどそれと同時に懐かしさを感じさせた。
玲奈は安堵のため息を漏らし、そして頭をもたげる。
「無理をするな、玲奈。もう少し寝ていろ」
「え。うん……」
タマモはとても短い白のスカートをはいており、そこから長い脚がスラリと伸びていた。足先の白いヒールのかかとでカツンッと床を軽く蹴るように立ちあがると、玲奈の身体に布団をかけ直してくれる。
「あ、ありがとう」
それからタマモはもう一度椅子に座り直すと、その長い脚を組んで座り、「いや」と短く答える。
どうしたんだろう、どこか様子がおかしい。いつもより大人しいというか、落ち込んでいるような印象だ。タマモは結奈と一緒で、普段から自身に満ち溢れたような顔をしていたような気がするのだけれど。
いや、そもそも、祖母が亡くなって以来、会うことそのものが久々だ。
今までいったい、どこで何をしていたのだろう。
おばあちゃんは今、どうしているのだろう。
「久しぶりだね、タマちゃん」
「……そうだな」
「今まで、何していたの?」
その質問に、タマモは小さくため息を吐いてから、
「色々、だな。香澄――お前の祖母と共に、これまで触れることのできなかった領域のあれやこれやに関わっていたんだ」
「触れられなかった領域? あれやこれや?」玲奈は首を傾げて、「それってつまり“あちら”のこと?」
そうだな、とタマモは頷く。
「――この数年、私は香澄のあとを追って、アイツが生前に抱えていたあれやこれやの依頼を片っ端から片付けていっていたんだ」
本当に大変だった、とタマモは辟易したように首を横に振って、それからじっと玲奈の顔を見つめてから、
「今日は、本当にすまなかったな」
目を伏せて、軽く頭を垂れた。
……なにが? なんでタマちゃんが謝るの? 玲奈は思い、じっとタマモの姿を見つめた。しかし、タマモはそれ以上のことを語ろうとはしなかった。ただ足元に目を向けたまま、もう一度小さくため息を吐く。
そしてその足元に隠れるようにして佇む、小さな影に玲奈は気付いた。
「――コトラ」
コトラはおずおずと玲奈の前まで歩み寄ると、
「……ごめんなさい。また、お役に立てなくて」
「えっと、何のこと?」
するとタマモはコトラを両手で抱え上げると、その胸に抱くようにして、
「お前の前に現れた、アレのことだ」
その言葉に、玲奈は自分が今ここに居る理由を思い出した。
……そうだ。あの時、私は教室に現れた黒い影に襲われそうになって、桜が助けてくれて、そうして保健室まで連れてきてもらったのだ。桜から、とりあえず休めと言われてベッドで横になって、それからいつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
ふと辺りを見回してみれば、保健室の中にはタマモとコトラ以外、誰の姿も見当たらなかった。保健室の先生の姿もなく、玲奈はタマモに、「桜は?」と尋ねる。
「戻した」タマモは顎で保健室の出入り口を差し、「今頃は教室で授業を受けている」
「そう……」
タマモは肩を竦めて、
「此度は、桜のおかげで難を逃れることができた。申し訳ないことをしてしまった。別件でコトラを使っていた私の責任だ。本当にすまない、玲奈」
だから、あの時コトラはいなかったんだ。玲奈は納得しつつ、
「でも、別件って?」
「それは――悪いが言えぬ。お前を関わらせるわけにはいかないからな。言えば、必ずお前はそのことに気を傾けることになるだろう?」
「そんなことは――」
ない、とは言い切れなかった。自分の性格は、自分がよく理解している。たぶん、聞けばそのことが気になって仕方がなくなる。無意識のうちに関わろうとしてしまうことだろう。だから、タマモの言う通り、それ以上玲奈はその件には触れないことにした。触れないようにしただけで、その“別件”が何なのか、気になってしまうことにかわりはないのだけれども。
「結局、あの黒い影は何だったんだろう……」
呟くように言った玲奈に、コトラが答える。
「残っていた臭いから、死者であることは間違いありません。けれど、どこへ行ったかまでは判りませんでした。あの場には、他にも色々な死者の臭いが混ざり合っていて……」
「色々な死者? ひとりじゃなかったの?」
少なくとも、玲奈に手を出してきたのはあの黒い影、ひとりだけだった。それなのに、コトラはまるで複数人いたようなことを口にする。それは、いったい――
「玲奈さんを襲ったのは、恐らくひとりです。だけど、それとは別に、もっとたくさんの死者があの場には潜んでいたんです。すでに形を無くし、ひとつにまとまった存在もいたようです。でも、僕が検めに行ったときには、すでに姿はなく……」
もっとたくさんの死者が潜んでいた。その事実に、玲奈は戦慄した。少なくとも、自分はあの黒い影以外の存在に気付かなかった。いったいどこに潜んでいたのだろうか。どうして他の死者たちは、私に手を出してこなかったのか。或いはどうしてそのうちのひとりだけが、私に手を出してきたのだろうか。そもそも、あの黒い影の目的は何だったのだろう。アレは私の身体を――胸を――まるでもてあそんでやろうという手でまさぐってきた。それが目的? でも、どうして私を?
「いずれにせよ、用心した方がいい」タマモは言って、コトラを玲奈の横たわるベッドにそっと乗せる。「その黒い影が、またいつ玲奈を襲いに来るともしれない。ゆえに、今後しばらく、コトラは徹底して玲奈から離れないように。必ず守り抜け」
「――はい」
コトラはベッドの上でお座りし、神妙な面持ちでタマモを見つめた。
タマモはこくりと頷くと、すっと立ち上がり、
「ではな、玲奈。何かあれば、コトラで私に報せてくれ」
「――また、行っちゃうの?」
するとタマモは申し訳なさそうに眉を寄せ、玲奈の頭を撫でながら、
「すまない。香澄をあまり長い間ひとりにさせたくないのだ。アイツは私が見張っておかないと、いつの間にか勝手に動いていなくなる。どこかへ行ってしまう」
それからクスリとほほ笑んで、
「……そうだな。香澄は玲奈と一緒なのだ。気になるとどうしようもなくなる。関わらずにはいられなくなる。玲奈よりひどいのは、考えるよりも先に行動してしまうところだな。ここ数年は、そのせいで何度危うい目に遭ったことか」
「そうなんだ?」
だから、おばあちゃんもタマモも、しばらく姿を見かけなかったのだろう。死してなお死者や“あちら”に関わろうとする祖母を思うと、玲奈もどこか可笑しくてほほ笑んでいた。
「それじゃぁ、おばあちゃんのこと、よろしくね。タマちゃん」
「あぁ、任せておけ」
タマモは頷くと、手を振りながら、保健室から出ていった。
玲奈は小さくため息を吐くと、コトラの頭を撫でながら、
「お願いね、コトラ」
コトラは「はい」と答えると、スンスン鼻を鳴らしながら、玲奈の顔を、ぺろりと舐めた。
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