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第3部 第1章・黒髪の少女

第7回

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 夜。玲奈は風呂に浸かりながら、ぼんやりと白い天井を仰ぎ見ていた。両足を湯船の縁に上げ、下半身をやや浮かせるように力を抜く。浮力に任せるようぷかぷかしながら、玲奈はひとつため息を吐いた。

 いまだに玲奈は、喪服の少女と相原のことばかり気になって仕方がなかった。

 やはり結奈に相談しておいた方が良いだろうか、とは思うのだけれど、あの姉は長女の麻奈と違い、どこか面倒くさがりなところがある。日常的に見えている死者たちのことを相談したところで、基本的には「無視してればいいんじゃない?」「放っておけばいいんじゃない?」と、根本的なところの解決には消極的だ。もちろん、その方が良いのだろうとは玲奈も思う。自ら危険に身を投じていく必要なんてどこにもない。死者たちの中には、確かに生者に害をなす者たちも少なからず存在するのだから。

 玲奈自身も、幾度となく命の危機を感じたことがこれまであった。例の、覗きばかりしていた変質者の生霊?など可愛いものだ。中には生きているふりをして生者に近づき、死へと誘うタイプの死者もいる。これはかつて桜をそそのかそうとしたお化け桜の、あの学ランの少年のような輩のことだ。玲奈の知る限り、実際に命を落としてしまった同級生も何人かいて、あの時ばかりは何もできなかった自分の不甲斐なさや無力さに失望した。ああしておけば良かった、こうしておけば良かった。もし自分が何か行動を起こしていれば。そう考えたことも一度や二度ではない。この三年の間に玲奈の周囲で起きた、死者の絡んだ数々の出来事。それを思えばこそ、玲奈は相原のことが心配でならなかった。

 もし相原まで喪服の少女に関わってしまったら。もし自分たちが教えてしまったことで、自分から喪服の少女に会いに行ったりなどしたら。はたして彼女はどうなってしまうのだろうか。噂話――いや、祖母や結奈からかつてきかされた通り、本当にあちら側に連れていかれてしまうのではないだろうか。

 それはとても恐ろしいことだった。自分たちのせいで、相原は自ら危険な存在に近づいていくかもしれないのだ。そう思えばこそ、あの時、相原に喪服の少女のことを教えたのは誤りだったのではないか、と玲奈は後悔せずにはいられなかった。

 もし、もし、相原まで、祖母のように……

 
 ――ぴちょんっ
 

 その音に、玲奈はびくりと身を震わせて目を見開いた。どくどくと玲奈の胸は早鐘を打ち、わずかに呼吸が荒くなった。それは天井の水滴が床に落ちたにしては異様に大きな音で、その途端、玲奈は明らかに異質な空気を身体に感じた。

 ……見られている。

 玲奈は直観的に思い、慌てて両腕で胸を覆い隠した。縁にかけていた足を湯船の中に下ろして、辺りを見回すように警戒する。この感覚に、玲奈は確かに覚えがあった。あの、変質者の生霊に学校の更衣室を覗かれていた時と、まったく同じ感覚だ。勇気を振り絞ってあの男と対峙して以来、こんなふうに覗かれているような感覚はなかったのだけれど、どうして今さら、こんなところで……

 そこでふと、玲奈はそのことに思い至った。

 ――このマンションには、あの男が住んでいるのだ。

 先日ばったり階段で出くわしたことによって、あの男も玲奈と同様、玲奈が同じマンションに住んでいるということを知ったはずだ。

 学校では逃げるように消えてしまったあの男だったけれど、玲奈の力が大したことがないのを理解したうえで、再びその肉体から抜け出して覗きに現れたのだとしたら。

 玲奈は青ざめ、息を飲んだ。

 コトラは? コトラは何をしているの? こんな時の為に私につけられたんじゃなかったの?

 焦りながら、玲奈は声をあげるべきか一瞬、悩んだ。

 まだあの男の姿は視えない。けれどたぶん、この風呂場のどこかには潜んでいるはずだ。

 まだ確信もない状態で変に叫んで、果たして両親は驚かないだろうか。

 結奈は呆れたりしないだろうか。

 そうだ。まだあの男の生霊が本当に現れたのだと決まったわけじゃない。

 自分の思い込みや勘違いという可能性だってある。

 ただ大粒の水滴が落ちてきただけ、たまたま大きな音に聞こえただけ。

 ……そう、きっとそうだ。

 玲奈は自分に言い聞かせるように頷き、そして落ち着きを取り戻そうと眼を閉じて深く深呼吸をする。

 大丈夫、大丈夫だ。

 ここには私以外、誰もいない。誰もいないんだ。

 そうして再び瞼を開いた時、水面に映っていたものは。
 


 ――玲奈は、絶叫した。
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