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第3部 第1章・黒髪の少女
第5回
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5
落ち着いて話がしたい、といった相原に連れていかれたのは図書室だった。中には数人の生徒が読書や来週の期末テストへ向けて自習に励んでいたが、それも数えられるほどしかいなかった。そろそろ明日辺りから、部活動もテスト休みになるのだろう。
玲奈たちは彼らの邪魔にならないよう、図書室の奥、窓側の席に腰を下ろした。相原と向かい合うように、玲奈と桜は並んで座る。
まじまじと見つめてくる相原の視線に、玲奈は少し困ったように微笑んだ。これからどんな話をするのか、どんなことを訊かれるのか、やはり、少しばかり不安になる。
「さて、と」と桜は机の上に通学鞄を置くと、「どこから話をしようか?」
すると相原は口元に手をあてて、しばらく俯くように考え込んだ。相原自身もどこから話を切り出したらいいものか悩んでいるらしく、こちらから話を始めた方が良いだろうか、と思い始めたころ、「実は――」と、ようやくゆっくりと口を開いた。
それは玲奈の危惧していた内容そのものだった。相原奈央が居候しているという親戚の家。そこの長男である相原響紀という男性が、昨日から行方不明になっているというのである。しかも彼は数週間前から喪服の少女――いや、女性と関わってしまったらしく、日に日に様子がおかしくなっていった結果に、という話だった。しかも、彼はどうやら相原奈央を喪服の女性と見間違えたらしく、奈央を抱き寄せるように腕を回してきたあと、はっと我に返って逃げるようにして家を出て行って――それっきり、帰ってこないということだった。
「……その響紀さんが飛び出していったの、まだ昨日なんでしょ?」
桜の問いに、相原は静かに頷いた。
なら、まだあの喪服の少女に“連れていかれた”と決まったわけではない。或いはどこか知り合いの家に身を寄せているとか、市内のどこかで一夜を明かしているという可能性だって、ないわけではないのだ。
そんなことを考えてはみたものの、けれど、その響紀が喪服の少女に関わってしまったというのはどうやら事実であるらしい。だとしたら、当然ながら彼も“連れていかれた”と考えることもできそうで、それを相原に伝えるべきかどうか玲奈は迷った。
相原は響紀のことを心の底から心配している。たった一日。けれど、相原にとってはすでに一日。しかも、あの喪服の少女が関わっているのだとしたら――
どうしよう、本当にあの話をしてしまっていいのだろうか。しないほうがいいんじゃないだろうか……
玲奈が相原の顔を見つめながら悩んでいると、
「――じゃあ、次は、あたしが知ってる事を話す番だね」
桜がおもむろにそう口にして、はっと玲奈は桜を見やった。
桜は一瞬、玲奈の眼を見つめたあと、こくりとひとつ頷いてから、
「相原さんは、あの喪服の女の子の事、どこまで知ってるの?」
「えっと――」と相原はおずおずと口を開き、「あの峠の廃屋に独りで住んでて、両親はすでに亡くなっていて、その両親を悼んで常に喪服を着ている、ってことくらい……」
そう、確かに彼女は多くの三つ葉中生徒からそう思われている。実際、本当かどうかまでは判らない。判りようがない。何故なら、彼女に関わってはならないから。関われば、自分も消されてしまうかもしれないのだから。だから、誰も彼女から真実を聞き出すことなんてできなかった。
「ふうん、そっか……」と桜は呟き、「じゃぁ、それ以外の噂は知らないってこと?」
「……噂?」
首を傾げる相原に、桜は頷き、
「そう。あの女の子に関わったら、消されるって話」
どくん、と玲奈の心臓が大きく跳ねた。まさか、そんな話を相原にしてしまうだなんて思いもよらなかったのだ。玲奈は驚きのあまり眼を見張り、桜のスカートを指で引っ張った。
けれど、桜は小声で「ちゃんと話しておくべきだよ」と玲奈に聞こえるように小さく囁く。
「――え」と、相原も驚いたように眼を見張った。
桜は小さくため息を吐いてから、
「これは、私が色んな大人――例えばお父さんや近所の人たちから聞いた話なんだけどさ。その話をまとめると、どうやら喪服少女の噂が流れはじめたのって、実は十年くらい前からみたいなんだよね」
「……十年、前?」
首を傾げ、戸惑う様子の相原に、桜は話を続ける。
「喪服少女は両親を早くに亡くし、父母を悼んで常に喪服を着ている、というのは基本の形。最初はただそれだけだったみたい。でもさ、何年かすると流石にずっとその姿はおかしいって思われるようになったみたいでさ。だって、一年を通して同じ服装なんだもの、それは仕方がないよね。じゃあ、年がら年中誰を悼んでるのかって話になった時、誰かが口にしたわけ。あの喪服少女は自身が殺した誰かを悼んでいるんじゃないか、って。それはもちろん、何の根拠もないただのデタラメな話だった。でも、誰かが一度口にした事って、それを聞いた人を介してどんどん一人歩きを始めちゃうものでさ。気がつくと、関わった人は行方不明になる、或いは殺されてしまうって話になっていったみたい。そうして、あの町の周辺で誰かが行方不明になる度に、喪服少女と結び付けられるようになっていったの……」
相原は桜の顔をじっと見つめながら、でも、と口を開く。
「じゃあ、喪服少女の話はやっぱりただの噂になるの? だとして、私がすれ違ったことのあるあの子はいったい何なの? 噂自体は十年も前からあったんでしょ? あの子とは関係ないってこと?」
それに対して、桜は困ったように眉を寄せて、「……そこがよく解らないんだよね」と腕を組んだ。
「噂は十年くらい前からあった。なら、その喪服少女が実在するとして、今頃は二十代後半から三十歳くらいにはなってるはずでしょ。だけどさ、あたし達が見た事のある喪服少女って、どう見てもあたし達と同じ歳にしか見えない訳だけど……」
そこでふと桜は思い出したように、
「って、あれ? 相原さんも喪服少女、見たことあるの?」
すると相原は「うん」と小さく頷いて、
「私もあの辺りに住んでるから、登下校の時に、たまに」
「あ、そうなんだ!」と桜は何故か途端に笑顔になると、「じゃあ、もしかして同じ三つ葉中出身? どこのクラスだったの? 見覚えがなくてさ、ごめんね!」
それは玲奈も思っていたことだった。喪服の少女のことを知っていたから、もしかしたら同じ中学出身なんだろうな、くらいにしか思っていなかった。玲奈だって、三年間同じ学校に通っていたからといって、すべての生徒の顔と名前を記憶しているわけではない。そもそも、三つ葉中学は一学年八クラスもある地域でも大きな学校だった。当然、三年間で一度も同じクラスにならなかった生徒だってたくさんいる。相原はそのうちの一人だったんだろう、くらいにしか思っていなかったのだ。
けれど、相原は「あ、ううん」と首を横に振って、
「中学は別。私は高校進学の為に小父さん小母さんの家に居候する事になっただけだから」
「ああ、なるほど。そりゃ、知らないわけだ」桜はこくこく納得したように頷くと、「でも、そっか、同じ三つ葉町周りに住んでるんだねぇ。ならさ、もっと早く話とかしてたら、一緒に帰ったり遊びに行けたのにさ。そうだ、連絡先教えてよ、登録しとくから。なんかさ、相原さん、いつも一人で居るし、ツンとしてる感じがして何だか話しかけ辛かったけど、こうやって話してみたら全然そんな事なかったね。玲奈の後ろの席でずっと伏せてたから、話しかけるなって事かなって思ってたけど、あれってもしかして……」
ペラペラと脱線していく桜のおしゃべりに、玲奈は思わず桜の肩を叩きながら、
「ちょ、ちょっと桜! ストップ、ストップ!」
「――あん? なに?」
ぽかんと首を傾げる桜に、玲奈はため息を一つ吐いて、
「話が逸れ過ぎ! 相原さん、顔固まってるから……!」
実際、相原は桜の勢いに気圧されたのか、口をぽかんと開けたまま、桜の顔をじっと見つめたままだった。その視線が桜と交わり、二人はくすくすと苦笑する。
「ごめん、ごめん」と桜はへらへらしながら謝ると、「まあ、とにかくさ。喪服少女についてはよく解らないんだよね。十年くらい前に噂されてた喪服少女と、今噂されてる喪服少女が同じ人かどうか、本当にあの廃墟みたいな家に人が住んで居るのか、居ないのか。そこからしてよく判らないわけさ」
それに対して、相原は「……そっか」と小さく答え、視線を机の上に落とした。
玲奈はそれを見て、どこか安堵したような心持ちで机に胸を寄りかからせた。それから窓の外に顔を向けて、ぼんやりと薄暗い曇り空を見上げる。今のところ雨はやんでいるようだが、この様子だといつまた降り始めるかわからないだろう。適当なところで話を切り上げて、早めに帰った方が良いかもしれない。喪服の少女の話も、結局はただの噂話だ、ということで落ち着きそうな感じではあるし、これならたぶん、大丈夫……だよね?
しばらく三人は黙りこくっていたが、やおら桜が思い出したように口を開いた。
「あぁ、でもさ、一応、あの家には誰も住んで居ないってのが不動産屋の正確な解答らしいよ。庭の木の剪定だけはしてて、敷地の外に枝葉が飛び出さないようにはしてるらしいけど。今後も誰かに貸し出したり売ったりする気はないってさ。あそこの元の地主さんの遺言みたいで、あの土地はなるに任せるようにって。本当はあまり良くはない事らしいんだけどね。あたしが知ってるのは、たぶん、これくらいかな?」
――誰も住んでいない。
そう、あの廃屋には“誰も住んではいない”のだ。
まるで自分に言い聞かせるように、玲奈は心の中でそう繰り返した。
だから、これ以上、この話に関わる必要は、ない。
そこで桜はふうっと小さくため息を吐き、天井を仰ぐようにしながら両腕をあげて大きく身体を伸ばした。やれやれ、と姿勢を正しながら、もう一度相原に顔を向ける。
「どう? なにか参考になった?」
相原は「あ、うん」と頷いて、
「ありがとう、色々教えてくれて……」
「まあ、あくまで都市伝説のひとつだと思えば良いんじゃないかな、とあたしは思うよ。あまり気にしないでさ、その響紀って人が帰ってくるのを待てば良いんじゃないかなぁ」
そこまで言って、桜は玲奈に顔を向けると、小さくウィンクをして見せた。
知らないよりはある程度知っておいた方が、変に詮索するようなことはないだろう、と判断したのかも知れない。けれどそれは反面、喪服の少女に深入りする可能性もあるわけで……
果たして相原は、どちらの人間なのだろうか。
「うん……そうだね」
相原の表情は、先ほどよりも、どこかほっとしたように見えたのだった。
「さて!」と桜は、鞄を肩に提げながら突然立ち上がると、「で、これからどうする? どこか寄って帰る? そうだ、相原さんも一緒に帰ろうよ! 他にも色々話ししたいしさ! 相原さん、バス?」
「あ、ううん。私は自転車通学だから」
そんな相原に、桜は眉間に皺を寄せつつ、「そうなの? 残念」と大きく肩を落として、
「あ、じゃあさ、今日だけバスで帰ろうよ。そうすれば色々話ができるじゃん? どうせ雨降りそうだしさ、そうしようよ!」
ね? と満面の笑みで誘う桜に、相原は少しばかり悩むようなそぶりを見せると、
「ああ、ごめんね」と小さく笑いながら、「私、図書委員で仕事があるから、今日はまだ帰れないの。また、誘ってくれる?」
それに対して、桜は「なるほど」と頷いて、
「なら、ここで本でも読みながら待ってるよ。それなら一緒に帰れるでしょ?」
その途端、「えっ」と相原の表情が陰った。
玲奈はすぐにそれに気づき、慌てて桜の袖を引っ張る。
「さ、桜、押しすぎだよ。相原さん、困ってるよ?」
「え? あ……」桜はそこでようやく相原の気持ちに気づいたらしく、申し訳なさそうに眉間に皴を寄せると、「ごめん、相原さん。勝手に決めちゃって。迷惑だったよね……」
「そ、そんなことないよ。ただ、その……」と相原は首を横に振って、「……上手く言えなくて、ごめんね。今は、一人で考えたくて……」
そう言って、相原は小さく頭を下げた。
玲奈と桜は顔を見合わせて、
「……あ、うん、そうだよね」と桜も頷き、「だって、一緒に住んでる家族の事だもんね。そりゃ、心配しちゃうよ」
「――ごめんね、ありがとう」
「そんな、謝らないでよ。あたしがまた暴走しちゃっただけだしさ、気にしないで! あ、でもさ、また別の日でいいから、今度遊びに行こうよ、この三人でさ!」
その言葉に、顔をあげた相原はとても可愛らしい大きな声で、
「うん! もちろん!」
それはふたりが初めて見る、相原の笑顔だった。
落ち着いて話がしたい、といった相原に連れていかれたのは図書室だった。中には数人の生徒が読書や来週の期末テストへ向けて自習に励んでいたが、それも数えられるほどしかいなかった。そろそろ明日辺りから、部活動もテスト休みになるのだろう。
玲奈たちは彼らの邪魔にならないよう、図書室の奥、窓側の席に腰を下ろした。相原と向かい合うように、玲奈と桜は並んで座る。
まじまじと見つめてくる相原の視線に、玲奈は少し困ったように微笑んだ。これからどんな話をするのか、どんなことを訊かれるのか、やはり、少しばかり不安になる。
「さて、と」と桜は机の上に通学鞄を置くと、「どこから話をしようか?」
すると相原は口元に手をあてて、しばらく俯くように考え込んだ。相原自身もどこから話を切り出したらいいものか悩んでいるらしく、こちらから話を始めた方が良いだろうか、と思い始めたころ、「実は――」と、ようやくゆっくりと口を開いた。
それは玲奈の危惧していた内容そのものだった。相原奈央が居候しているという親戚の家。そこの長男である相原響紀という男性が、昨日から行方不明になっているというのである。しかも彼は数週間前から喪服の少女――いや、女性と関わってしまったらしく、日に日に様子がおかしくなっていった結果に、という話だった。しかも、彼はどうやら相原奈央を喪服の女性と見間違えたらしく、奈央を抱き寄せるように腕を回してきたあと、はっと我に返って逃げるようにして家を出て行って――それっきり、帰ってこないということだった。
「……その響紀さんが飛び出していったの、まだ昨日なんでしょ?」
桜の問いに、相原は静かに頷いた。
なら、まだあの喪服の少女に“連れていかれた”と決まったわけではない。或いはどこか知り合いの家に身を寄せているとか、市内のどこかで一夜を明かしているという可能性だって、ないわけではないのだ。
そんなことを考えてはみたものの、けれど、その響紀が喪服の少女に関わってしまったというのはどうやら事実であるらしい。だとしたら、当然ながら彼も“連れていかれた”と考えることもできそうで、それを相原に伝えるべきかどうか玲奈は迷った。
相原は響紀のことを心の底から心配している。たった一日。けれど、相原にとってはすでに一日。しかも、あの喪服の少女が関わっているのだとしたら――
どうしよう、本当にあの話をしてしまっていいのだろうか。しないほうがいいんじゃないだろうか……
玲奈が相原の顔を見つめながら悩んでいると、
「――じゃあ、次は、あたしが知ってる事を話す番だね」
桜がおもむろにそう口にして、はっと玲奈は桜を見やった。
桜は一瞬、玲奈の眼を見つめたあと、こくりとひとつ頷いてから、
「相原さんは、あの喪服の女の子の事、どこまで知ってるの?」
「えっと――」と相原はおずおずと口を開き、「あの峠の廃屋に独りで住んでて、両親はすでに亡くなっていて、その両親を悼んで常に喪服を着ている、ってことくらい……」
そう、確かに彼女は多くの三つ葉中生徒からそう思われている。実際、本当かどうかまでは判らない。判りようがない。何故なら、彼女に関わってはならないから。関われば、自分も消されてしまうかもしれないのだから。だから、誰も彼女から真実を聞き出すことなんてできなかった。
「ふうん、そっか……」と桜は呟き、「じゃぁ、それ以外の噂は知らないってこと?」
「……噂?」
首を傾げる相原に、桜は頷き、
「そう。あの女の子に関わったら、消されるって話」
どくん、と玲奈の心臓が大きく跳ねた。まさか、そんな話を相原にしてしまうだなんて思いもよらなかったのだ。玲奈は驚きのあまり眼を見張り、桜のスカートを指で引っ張った。
けれど、桜は小声で「ちゃんと話しておくべきだよ」と玲奈に聞こえるように小さく囁く。
「――え」と、相原も驚いたように眼を見張った。
桜は小さくため息を吐いてから、
「これは、私が色んな大人――例えばお父さんや近所の人たちから聞いた話なんだけどさ。その話をまとめると、どうやら喪服少女の噂が流れはじめたのって、実は十年くらい前からみたいなんだよね」
「……十年、前?」
首を傾げ、戸惑う様子の相原に、桜は話を続ける。
「喪服少女は両親を早くに亡くし、父母を悼んで常に喪服を着ている、というのは基本の形。最初はただそれだけだったみたい。でもさ、何年かすると流石にずっとその姿はおかしいって思われるようになったみたいでさ。だって、一年を通して同じ服装なんだもの、それは仕方がないよね。じゃあ、年がら年中誰を悼んでるのかって話になった時、誰かが口にしたわけ。あの喪服少女は自身が殺した誰かを悼んでいるんじゃないか、って。それはもちろん、何の根拠もないただのデタラメな話だった。でも、誰かが一度口にした事って、それを聞いた人を介してどんどん一人歩きを始めちゃうものでさ。気がつくと、関わった人は行方不明になる、或いは殺されてしまうって話になっていったみたい。そうして、あの町の周辺で誰かが行方不明になる度に、喪服少女と結び付けられるようになっていったの……」
相原は桜の顔をじっと見つめながら、でも、と口を開く。
「じゃあ、喪服少女の話はやっぱりただの噂になるの? だとして、私がすれ違ったことのあるあの子はいったい何なの? 噂自体は十年も前からあったんでしょ? あの子とは関係ないってこと?」
それに対して、桜は困ったように眉を寄せて、「……そこがよく解らないんだよね」と腕を組んだ。
「噂は十年くらい前からあった。なら、その喪服少女が実在するとして、今頃は二十代後半から三十歳くらいにはなってるはずでしょ。だけどさ、あたし達が見た事のある喪服少女って、どう見てもあたし達と同じ歳にしか見えない訳だけど……」
そこでふと桜は思い出したように、
「って、あれ? 相原さんも喪服少女、見たことあるの?」
すると相原は「うん」と小さく頷いて、
「私もあの辺りに住んでるから、登下校の時に、たまに」
「あ、そうなんだ!」と桜は何故か途端に笑顔になると、「じゃあ、もしかして同じ三つ葉中出身? どこのクラスだったの? 見覚えがなくてさ、ごめんね!」
それは玲奈も思っていたことだった。喪服の少女のことを知っていたから、もしかしたら同じ中学出身なんだろうな、くらいにしか思っていなかった。玲奈だって、三年間同じ学校に通っていたからといって、すべての生徒の顔と名前を記憶しているわけではない。そもそも、三つ葉中学は一学年八クラスもある地域でも大きな学校だった。当然、三年間で一度も同じクラスにならなかった生徒だってたくさんいる。相原はそのうちの一人だったんだろう、くらいにしか思っていなかったのだ。
けれど、相原は「あ、ううん」と首を横に振って、
「中学は別。私は高校進学の為に小父さん小母さんの家に居候する事になっただけだから」
「ああ、なるほど。そりゃ、知らないわけだ」桜はこくこく納得したように頷くと、「でも、そっか、同じ三つ葉町周りに住んでるんだねぇ。ならさ、もっと早く話とかしてたら、一緒に帰ったり遊びに行けたのにさ。そうだ、連絡先教えてよ、登録しとくから。なんかさ、相原さん、いつも一人で居るし、ツンとしてる感じがして何だか話しかけ辛かったけど、こうやって話してみたら全然そんな事なかったね。玲奈の後ろの席でずっと伏せてたから、話しかけるなって事かなって思ってたけど、あれってもしかして……」
ペラペラと脱線していく桜のおしゃべりに、玲奈は思わず桜の肩を叩きながら、
「ちょ、ちょっと桜! ストップ、ストップ!」
「――あん? なに?」
ぽかんと首を傾げる桜に、玲奈はため息を一つ吐いて、
「話が逸れ過ぎ! 相原さん、顔固まってるから……!」
実際、相原は桜の勢いに気圧されたのか、口をぽかんと開けたまま、桜の顔をじっと見つめたままだった。その視線が桜と交わり、二人はくすくすと苦笑する。
「ごめん、ごめん」と桜はへらへらしながら謝ると、「まあ、とにかくさ。喪服少女についてはよく解らないんだよね。十年くらい前に噂されてた喪服少女と、今噂されてる喪服少女が同じ人かどうか、本当にあの廃墟みたいな家に人が住んで居るのか、居ないのか。そこからしてよく判らないわけさ」
それに対して、相原は「……そっか」と小さく答え、視線を机の上に落とした。
玲奈はそれを見て、どこか安堵したような心持ちで机に胸を寄りかからせた。それから窓の外に顔を向けて、ぼんやりと薄暗い曇り空を見上げる。今のところ雨はやんでいるようだが、この様子だといつまた降り始めるかわからないだろう。適当なところで話を切り上げて、早めに帰った方が良いかもしれない。喪服の少女の話も、結局はただの噂話だ、ということで落ち着きそうな感じではあるし、これならたぶん、大丈夫……だよね?
しばらく三人は黙りこくっていたが、やおら桜が思い出したように口を開いた。
「あぁ、でもさ、一応、あの家には誰も住んで居ないってのが不動産屋の正確な解答らしいよ。庭の木の剪定だけはしてて、敷地の外に枝葉が飛び出さないようにはしてるらしいけど。今後も誰かに貸し出したり売ったりする気はないってさ。あそこの元の地主さんの遺言みたいで、あの土地はなるに任せるようにって。本当はあまり良くはない事らしいんだけどね。あたしが知ってるのは、たぶん、これくらいかな?」
――誰も住んでいない。
そう、あの廃屋には“誰も住んではいない”のだ。
まるで自分に言い聞かせるように、玲奈は心の中でそう繰り返した。
だから、これ以上、この話に関わる必要は、ない。
そこで桜はふうっと小さくため息を吐き、天井を仰ぐようにしながら両腕をあげて大きく身体を伸ばした。やれやれ、と姿勢を正しながら、もう一度相原に顔を向ける。
「どう? なにか参考になった?」
相原は「あ、うん」と頷いて、
「ありがとう、色々教えてくれて……」
「まあ、あくまで都市伝説のひとつだと思えば良いんじゃないかな、とあたしは思うよ。あまり気にしないでさ、その響紀って人が帰ってくるのを待てば良いんじゃないかなぁ」
そこまで言って、桜は玲奈に顔を向けると、小さくウィンクをして見せた。
知らないよりはある程度知っておいた方が、変に詮索するようなことはないだろう、と判断したのかも知れない。けれどそれは反面、喪服の少女に深入りする可能性もあるわけで……
果たして相原は、どちらの人間なのだろうか。
「うん……そうだね」
相原の表情は、先ほどよりも、どこかほっとしたように見えたのだった。
「さて!」と桜は、鞄を肩に提げながら突然立ち上がると、「で、これからどうする? どこか寄って帰る? そうだ、相原さんも一緒に帰ろうよ! 他にも色々話ししたいしさ! 相原さん、バス?」
「あ、ううん。私は自転車通学だから」
そんな相原に、桜は眉間に皺を寄せつつ、「そうなの? 残念」と大きく肩を落として、
「あ、じゃあさ、今日だけバスで帰ろうよ。そうすれば色々話ができるじゃん? どうせ雨降りそうだしさ、そうしようよ!」
ね? と満面の笑みで誘う桜に、相原は少しばかり悩むようなそぶりを見せると、
「ああ、ごめんね」と小さく笑いながら、「私、図書委員で仕事があるから、今日はまだ帰れないの。また、誘ってくれる?」
それに対して、桜は「なるほど」と頷いて、
「なら、ここで本でも読みながら待ってるよ。それなら一緒に帰れるでしょ?」
その途端、「えっ」と相原の表情が陰った。
玲奈はすぐにそれに気づき、慌てて桜の袖を引っ張る。
「さ、桜、押しすぎだよ。相原さん、困ってるよ?」
「え? あ……」桜はそこでようやく相原の気持ちに気づいたらしく、申し訳なさそうに眉間に皴を寄せると、「ごめん、相原さん。勝手に決めちゃって。迷惑だったよね……」
「そ、そんなことないよ。ただ、その……」と相原は首を横に振って、「……上手く言えなくて、ごめんね。今は、一人で考えたくて……」
そう言って、相原は小さく頭を下げた。
玲奈と桜は顔を見合わせて、
「……あ、うん、そうだよね」と桜も頷き、「だって、一緒に住んでる家族の事だもんね。そりゃ、心配しちゃうよ」
「――ごめんね、ありがとう」
「そんな、謝らないでよ。あたしがまた暴走しちゃっただけだしさ、気にしないで! あ、でもさ、また別の日でいいから、今度遊びに行こうよ、この三人でさ!」
その言葉に、顔をあげた相原はとても可愛らしい大きな声で、
「うん! もちろん!」
それはふたりが初めて見る、相原の笑顔だった。
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