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第3部 序章・玲奈
第12回
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玲奈はその問いに答えることができなかった。うまく言葉にして発することができなかった。今しがた自分が瞼の裏に見た光景を、如何にタマモに伝えれば良いか解らなかったのである。
そしてタマモもそれを察したのか、それ以上質問してくることはなかった。代わりに学ランの男子に歩み寄り、彼を見下ろすようにして、
「覚悟はできているのだろうな?」
と低い声で口にした。
学ランの男子はそんなタマモを力なく見上げ、そしてこくりと頷いた。
タマモはお化け桜の方にすっと右手を向け、そして悲しげな表情をして見せた。
次の瞬間、ぼっという音を立てて、お化け桜に無数の青白い火がともった。それは徐々に徐々に桜の木全体を覆い尽くし、やがて大きな炎の柱となって燃え盛った。その太い幹からは泣き叫ぶような声が幾重にも幾重にも重なって聞こえ、めらめらと激しく燃える炎の中でそれらはやがてドロドロに溶けてしまったかのように液状化して――そのまま闇の中に染み込むように、その姿を完全に消してしまったのだった。
あとに残されたのは、タマモと玲奈、そして玲奈が胸に抱きしめた小さな女の子だけだった。
学ランの男子の姿はどこにもなく、恐らく彼はお化け桜と共に闇の中へ消えていったのだろうと思われた。
「……どう、なったの?」
玲奈は恐る恐るタマモに訊ねた。光を失った闇の中で、自分たちの輪郭だけがぼんやりと見てとれる程度の世界で、それでも玲奈はタマモがまだそこにいることに安堵していた。
タマモは大きなため息を一つ吐いてから首を横に振って、「帰るべき場所に帰しただけだ」と、小さく答えた。
「それよりも、いつまでもこちら側にいるわけにはいかない。道を見失えば帰れなくなってしまう。行くぞ、玲奈」
「い、行くって。でも、この子はどうすれば――」
まさか、このまま闇の中に置き去りにはできない。独りぼっちが寂しくて寂しくて、そのせいであんなことを繰り返していたというのに、またこの子を独りっきりにしてしまえというのだろうか。それとも、このまま連れていくべきだろうか。けれど、この子は生者じゃない。どう考えても、あちらに連れて行くわけにもいかなかった。
「放っておけ。じきに迎えが来る」
「……じきに?」
玲奈が首を傾げた時、闇の中からすっと白い腕が伸びてきて、玲奈は思わず「ひっ」と小さな叫び声をあげていた。その腕は淡く輝き、綺麗な細い指先が、玲奈の抱いていた小さな女の子の手を優しく掴んだ。
「――え、なに? なんなの?」
動揺する玲奈をよそに、女の子はすっと顔を上げると、その光る手を握り締めてこくりと頷き、ゆっくりと立ち上がった。それから玲奈の方に顔を向けて、にっこりと微笑んで。
「……え、あっ」
玲奈はその時、その腕の先に見覚えのある女の顔を見たような気がした。彼女は白い着物か何かを身にまとっており、黒く長い髪を腰まで垂らしていた。わずかに見える肌は闇の中にあってぼんやりと白く輝き、どこか神秘的だった。
その女性は女の子と手を繋いで徐々に徐々に闇の中へと消えていき――やがて何も見えなくなった。
玲奈はその闇ばかりになった世界をずっと眺めていたが、
「――何をぼんやりしている。帰るぞ」
タマモに声をかけられて、はっと我に返った。
あの顔は、もしかして――けど、なんで? いったい、どういうことなの? なんでこんなところに、
「……あれは、お姉ちゃん?」
その問いに、タマモは肩を竦めながら、
「――だから言っただろう、迎えがくると。あとはアサナに任せておけ」
「なんで、お姉ちゃんが――あの子を迎えに?」
「さて、なんでだろうな。そうしたいから、そうしているんだろう?」
「な、なにそれ、答えになってないよ」
「そう言われても」とタマモは心底困ったような表情を浮かべてから、「私にも解らんのだ。あいつも多くを語りたがらない。語りたくないものを無理やり聞き出したくもない。だから好きにさせている」
理由になっているのかなっていないのか、玲奈にはまったく解らない返答だった。
なんでこんなところに姉がいたのか、全然全く判らない。確かにあの顔は玲奈の姉、麻奈のそれだったけれども、しかしどこか様子がおかしかったような気もする。果たして麻奈の肌はあんなにも白かっただろうか。真っ暗な闇の中だから、より白く見えただけだったのだろうか。いや、そもそも、麻奈は玲奈を前にして目を合わせず、そればかりか声すらかけてこなかった。ただ黙って玲奈から女の子を引き取り、闇の中へと消えていっただけだった。
麻奈はいったい、あの女の子をどこへ連れて行ったのだろうか。
『……ミヤノクビさん! ねぇ、起きて! ミヤノクビさん……!』
どこからともなく、玲奈を呼ぶような声が聞こえてきた。
この声は――そうだ、矢野さんの声だ。矢野さんが。私のことを呼んでいる。
でも、どうして? 起きてって、いったいどういう意味なの?
玲奈は辺りをきょろきょろ見回した。
「……目を覚ませ、玲奈」
タマモのその一言に、玲奈はゆっくりと瞬きをして――
そしてタマモもそれを察したのか、それ以上質問してくることはなかった。代わりに学ランの男子に歩み寄り、彼を見下ろすようにして、
「覚悟はできているのだろうな?」
と低い声で口にした。
学ランの男子はそんなタマモを力なく見上げ、そしてこくりと頷いた。
タマモはお化け桜の方にすっと右手を向け、そして悲しげな表情をして見せた。
次の瞬間、ぼっという音を立てて、お化け桜に無数の青白い火がともった。それは徐々に徐々に桜の木全体を覆い尽くし、やがて大きな炎の柱となって燃え盛った。その太い幹からは泣き叫ぶような声が幾重にも幾重にも重なって聞こえ、めらめらと激しく燃える炎の中でそれらはやがてドロドロに溶けてしまったかのように液状化して――そのまま闇の中に染み込むように、その姿を完全に消してしまったのだった。
あとに残されたのは、タマモと玲奈、そして玲奈が胸に抱きしめた小さな女の子だけだった。
学ランの男子の姿はどこにもなく、恐らく彼はお化け桜と共に闇の中へ消えていったのだろうと思われた。
「……どう、なったの?」
玲奈は恐る恐るタマモに訊ねた。光を失った闇の中で、自分たちの輪郭だけがぼんやりと見てとれる程度の世界で、それでも玲奈はタマモがまだそこにいることに安堵していた。
タマモは大きなため息を一つ吐いてから首を横に振って、「帰るべき場所に帰しただけだ」と、小さく答えた。
「それよりも、いつまでもこちら側にいるわけにはいかない。道を見失えば帰れなくなってしまう。行くぞ、玲奈」
「い、行くって。でも、この子はどうすれば――」
まさか、このまま闇の中に置き去りにはできない。独りぼっちが寂しくて寂しくて、そのせいであんなことを繰り返していたというのに、またこの子を独りっきりにしてしまえというのだろうか。それとも、このまま連れていくべきだろうか。けれど、この子は生者じゃない。どう考えても、あちらに連れて行くわけにもいかなかった。
「放っておけ。じきに迎えが来る」
「……じきに?」
玲奈が首を傾げた時、闇の中からすっと白い腕が伸びてきて、玲奈は思わず「ひっ」と小さな叫び声をあげていた。その腕は淡く輝き、綺麗な細い指先が、玲奈の抱いていた小さな女の子の手を優しく掴んだ。
「――え、なに? なんなの?」
動揺する玲奈をよそに、女の子はすっと顔を上げると、その光る手を握り締めてこくりと頷き、ゆっくりと立ち上がった。それから玲奈の方に顔を向けて、にっこりと微笑んで。
「……え、あっ」
玲奈はその時、その腕の先に見覚えのある女の顔を見たような気がした。彼女は白い着物か何かを身にまとっており、黒く長い髪を腰まで垂らしていた。わずかに見える肌は闇の中にあってぼんやりと白く輝き、どこか神秘的だった。
その女性は女の子と手を繋いで徐々に徐々に闇の中へと消えていき――やがて何も見えなくなった。
玲奈はその闇ばかりになった世界をずっと眺めていたが、
「――何をぼんやりしている。帰るぞ」
タマモに声をかけられて、はっと我に返った。
あの顔は、もしかして――けど、なんで? いったい、どういうことなの? なんでこんなところに、
「……あれは、お姉ちゃん?」
その問いに、タマモは肩を竦めながら、
「――だから言っただろう、迎えがくると。あとはアサナに任せておけ」
「なんで、お姉ちゃんが――あの子を迎えに?」
「さて、なんでだろうな。そうしたいから、そうしているんだろう?」
「な、なにそれ、答えになってないよ」
「そう言われても」とタマモは心底困ったような表情を浮かべてから、「私にも解らんのだ。あいつも多くを語りたがらない。語りたくないものを無理やり聞き出したくもない。だから好きにさせている」
理由になっているのかなっていないのか、玲奈にはまったく解らない返答だった。
なんでこんなところに姉がいたのか、全然全く判らない。確かにあの顔は玲奈の姉、麻奈のそれだったけれども、しかしどこか様子がおかしかったような気もする。果たして麻奈の肌はあんなにも白かっただろうか。真っ暗な闇の中だから、より白く見えただけだったのだろうか。いや、そもそも、麻奈は玲奈を前にして目を合わせず、そればかりか声すらかけてこなかった。ただ黙って玲奈から女の子を引き取り、闇の中へと消えていっただけだった。
麻奈はいったい、あの女の子をどこへ連れて行ったのだろうか。
『……ミヤノクビさん! ねぇ、起きて! ミヤノクビさん……!』
どこからともなく、玲奈を呼ぶような声が聞こえてきた。
この声は――そうだ、矢野さんの声だ。矢野さんが。私のことを呼んでいる。
でも、どうして? 起きてって、いったいどういう意味なの?
玲奈は辺りをきょろきょろ見回した。
「……目を覚ませ、玲奈」
タマモのその一言に、玲奈はゆっくりと瞬きをして――
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