闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)

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第3部 序章・玲奈

第7回

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 玲奈はその狐のことをよく知っていた。いや、知っていたどころではない。その狐は祖母が飼っていたはずの犬|(玲奈も結奈も麻奈も、犬だと信じて疑わなかった)であり、幼いころはよく遊び相手もしてくれていた、大切な家族とも呼べる存在だった。それがつい先ほどまでタマが座っていたはずの場所に、それこそ「ずっとここにいましたよ」とでも言いたげな佇まいで座り、じっと玲奈を見つめていた。

「――トラ?」

 玲奈たちはその犬を、トラと名付けて可愛がっていた。いや、可愛がられていたのは、玲奈たちの方だったかもしれない。トラはいつも、まるで保護者か何かのように幼い玲奈たちを見守っていた。そしてトラが居ないときにはタマモが、タマモが居ないときにはトラが玲奈たちのそばにはいつも居て、だから、それは、つまり……玲奈は考えれば考えるほど、その事実が解らなくなっていった。全てが急で、突然で、唐突で、何がなんだかわけが解らなかった。

 目を丸くしてその犬――いや、狐を見つめていた玲奈だったが、その狐は玲奈に対してくすりと笑むように口を開くと、ぐにゃりと溶けるように変化して――
「驚いたか?」
 再び見慣れた姿の、タマモの形になっていた。

 開いた口の塞がらない玲奈に、香澄もくすくすと笑いながら、
「ごめんなさいね、急過ぎたかしら」

「え、えっと、本当に、タマちゃんが、トラ? それとも、トラがタマちゃん……?」

 するとタマは首を横に振り、
「どちらでも良い。どちらも私だ」そして真剣な眼差しで、「本来なら、玲奈にはこの事実を教える気はなかった。もしもお前があちら側の世界を認識できない人間であれば、その必要などなかったのだ。だが、残念ながらそれは違った。お前があちら側の世界を認識できるのであれば、恐らくそれを知った奴らはお前に危害を加えることになるだろう。そうなったとき、私はお前を守らなければならない。救ってやらなければならない。その際に私の正体を知らなければ、色々と不都合なことが起こる可能性も考えられる。私という存在を認識していないがために、何らかの勘違いや思い違いが生じる可能性もある。それゆえに玲奈、私たちはお前にこの事実を明かすことに決めたのだ」

 そんなこと、急に言われてもって感じだった。いったい結奈は、どんな説明を香澄やタマモにしたんだろうか。いや、そもそも『あちら側の世界』とはいったい何なのか。どういう世界なのか。これまで見慣れてきた世界が、結奈との会話で崩壊し、本来とは異なる世界であるということを認識させられた。もし結奈に相談しなければ? あちら側の存在を知らずにすんでいれば? 或いはあのお化け桜と学ランの男子のことも、全く気にならずこれまで通りの日常をおくれたのかもしれない。そう改めて考えると、結奈に自分が視えているものを相談したのは間違いだったんじゃないかと思えた。だがそれと同時に、このまま知らずにいた時、どこかのタイミングであちら側の存在と接触してしまったら、果たして私は適切な対処ができただろうか。そう考える自分もいた。

「……私を、守る?」

 そうだ、と頷き、タマモは続ける。
「現にお前は自分があちら側を認識できることを理解し、それゆえに今回の学ランの男とやらの件に首を突っ込もうとしている。悪いことは言わない、辞めておけ。関わるな。放っておけ。お前が自らあちら側のことを知る必要はない。その件は私が何とかしてやる。だから、お前は大人しく普段通りにしているんだ」

「え、で、でも、頼まれちゃったし――」

 このまま自分は何もせず、遠くから見ているだけという気にはどうしてもなれなかった。村田に助けてくれと懇願されたのは自分だ。このままあの学ランの男子をタマモに任せる方が良いのだろうし、その方が玲奈的にも楽であり安全であることは十分に理解できた。矢野桜が学ランの男子に魅せられているように、下手に関わって自分まで魅せられる可能性だって十分にあり得るのだ。それなら、最初からタマモに全てを任せてしまう方が安心できる。けれど、それだとどうしても、玲奈の心には引っかかるものがあった。まるで無責任に放り投げて逃げてしまうような、そんな感覚。

「タマちゃんの言う通りよ、玲奈」
 香澄も優しげな微笑みで頷き、
「あとのことは、タマちゃんに任せておけば安心だから。私は別件で赴くことはできないのだけれど、きっとタマちゃんがよくしてくれるわ」

 その微笑みに、玲奈はそれ以上、もう何も言うことができなかった。どんな言葉も思い浮かんではこなかった。それはその通りで、自分に何かができるわけでもない。それならば香澄の言う通り、何もかもタマモに任せてしまうしかないのだから。

「……わかった」玲奈はこくりと頷いて、できる限り、精いっぱいの笑顔で心の内を覆い隠しながら、「お願いね、タマちゃん」

 その言葉に、タマモもどこか安心したように深く頷いて、
「――あぁ、任せろ」
 言って香澄と眼を見合わせてから、再び狐の姿に変化する。

 そしてあっと思った時にはもう、タマモの姿はどこにも見当たらなかったのだった。
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