闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)

文字の大きさ
上 下
119 / 247
第2部 第3章 闇の抱擁

第9回

しおりを挟む
   4

 どこをどう走ったのか、どこへ向かって走っているのか、響紀には何が何だか全く解らなかった。ただ結奈に引っ張られるがまま、いまだどこか夢見心地の残る意識の中で、彼は自分の身体が自分のものではないかのような、何とも表現し難い違和感を覚えていた。過ぎ行く景色はどこかで見た覚えがあるような、けれど初めて見るような、そんなことすら判らなかった。

 いったいどれくらいの時間を、距離を、結奈に引っ張られ続けていただろうか。あっという間だったような気もすれば、悠久の時を走り続けていたような気さえする。まるですべての感覚を置き去りにしてきたかのような――

「あいたっ!」

 次の瞬間、響紀は全身を強く叩きつけられたかのような激痛で、その曖昧だった意識を取り戻した。全身を強く叩きつけられたような、というのはただの表現などではなくて、事実として響紀の身体は地面に――神社の境内、むき出しの地面の上に、結奈の手によって、勢いよく放り投げられたのだった。

 仰向けに倒れ、うめき声を漏らしながら結奈の姿を見上げれば、彼女は激しく肩を上下させながら、はぁはぁと荒い息を整えつつ、ちらちらと後ろの方を気にしている。

「……たぶん、大丈夫。アイツらは、ここまで、入ってこれないはずだから」

 ふぅ、と結奈は深い深いため息を吐き、それからギロリと響紀を見下ろしてきた。それは悪行を働いた子を戒めようとする親のような、どこか後ろめたさを感じてしまう視線だった。

「それで? なんであんたは、直接敵地に乗り込んでいったワケ?」

 がんっ、と響紀のすぐ目の前に、結奈の足が勢いよく飛んでくる。白いスカートから覗く太ももなど気にする様子もなく、彼女は目を見張り響紀を睨んだ。

 響紀は「そんなこと言われても」と口を濁し、結奈から視線を逸らす。

「お、俺だってよくわかんねぇよ! お前と分かれてから、妙な不安に駆られたんだ! どこからどう調べればいいかわからなかったし、とにかく心を強く持って、俺は俺でやるべきことをやらなきゃって思ったんだ!」

「だからって、いきなりあんな所に行く馬鹿がいる? いったい何考えてんの? あり得ないでしょ? どんな目にあわされるか解らないのに、どうしてそんなことしたのよ? 私が駆け付けなかったら、今頃あんたはアイツに飲み込まれていたかもしれないのよ? わかってんの? あんた、奈央ちゃんを助けたいんじゃなかったの? お父さんやお母さんを、アイツらから守りたかったんじゃなかったの?」

「守りたいに決まってんだろ! だから俺は、そのために、あの女に会いに――」

 ……どうして、そう思った? なんで俺は、あの女のところに行こうと思ったんだ?

 改めて考えてみれば、確かに結奈の言う通り、響紀がとったのはあり得ない行動だった。女に対する恐怖心を抱えながら、一人で行ってどんな目に遭うのかも分からない状況で、あえて響紀は女の下へ向かってしまったのだ。

 ――何故?

 それは響紀自身にも全く分からなかった。今にして思えば、まるで体が勝手にそちらの方へ向かってしまったような気がしてならない。本来の思考とは裏腹に、響紀は女に会うために、あの峠の廃屋に足を向けたとしか思えなかった。

「なによ、そんなに考え込んで。何か言いなさいよ」

 結奈の言葉に、響紀は大きく息を吐いて、
「すまん、俺にもよく解らないんだ。気が付いたらあの廃屋に足を向けていた、としか言いようがない。結奈と分かれて孤独を感じて、不安に駆られて、どこから調べればいいのかわからないまんまさ迷い歩いて。何とかしようと思ったんだ。自分が今するべきことを、ずっと考え続けていたんだ。そうしているうちに、俺の足はあの廃屋に向かっていた。怖い怖いと思いながらも、それに抗うことができなかったんだ」

 そこまで言って、響紀はじっと結奈の目を見つめた。

 結奈はそんな響紀の視線を真っ向から受け止めて、けれど何も言葉を口にしなくて。

 ただただ視線だけを交わらせたまま、いったいどれだけの時間が経ったか。

「――それにしても、ちょっとのどが乾かない?」
 そんなことを結奈は言って、肩に提げていたショルダーから小さな水筒を取り出すと、それを響紀に手渡しながら、
「ほら、あんたにあげる」

「あ、あぁ、ありがとう」

 響紀は何も疑うことなく水筒を受け取ると、機械的にふたを開けて口を付ける。のどが渇いているのか、と問われれば、特に乾いてなどいない、と答えるところなのだけれど、ここまでのやり取りでその好意を無下にしてまた言い合いをする羽目になるのも何だか嫌で、素直に響紀は水筒に収められた水を飲みこむ。

 その瞬間、響紀は胃の腑から込み上げてくる激しい吐き気に襲われた。その感覚に、響紀は確かに覚えがあった。あれはそう、結奈と初めて出会った駅前の大きな神社、その御神井の水を飲んだ時に――

 まさか、と思ったときには、響紀は盛大に赤黒い塊を吐き出していた。結奈はそれを予期していたのだろう、ぱっと響紀の吐き戻したものから逃げるように、避けるように、さっと響紀から遠のいた。

 響紀は反射的に手をついてうつ伏せになり、おえおえと胃の腑からあふれ出てくる赤黒いナメクジを、ぼとぼとと地面の上に吐き出し続けた。気持ちが悪くて仕方がなかった。のたうつナメクジを見ているだけで、次から次へとその不気味な悪い物体は響紀の口からあふれ出ていった。赤黒ナメクジはびちゃびちゃと地面の上を苦しそうにもだえ苦しみ、やがて先に吐いたものから順番にパンッパンッと弾けて散った。

 ただただ気味が悪かった、気持ちが悪かった。

 やがて吐き出すものがなくなって、ようやく響紀は結奈の方に顔を向けた。

「お、お前、これ、まさか」

 それに対して、結奈は小さく頷いて、
「もちろん、御神井の水だけど?」

 どこか勝ち誇ったかのように、そう口にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...