91 / 247
第2部 第1章 闇に犇く
第3回
しおりを挟む
「……おい、兄ちゃん、大丈夫か?」
嗄れた声を耳にして、響紀はゆっくりと瞼を開いた。
見れば、ぼんやりとした視界の先に、眉を寄せて響紀の顔を覗き込む老爺の顔があった。
響紀は地面に手をつき、老爺に背中を支えられながら上半身を起こす。夜明け前の薄闇に見える老爺の顔を見て、何となく安堵しながら、「すみません、ありがとうございます」と立ち上がった。
「無理はせん事だ。もう少し休んでいたらどうだ?」
「いや、大丈夫」
響紀は答え、溜息をひとつ吐いた。
老爺は「そうか?」と心配そうに眉を顰めながら、
「しかし、何でまたこんな所に倒れてたんだ?」
「ああ、いや、その……」
どう説明すれば良いか解らず、言い淀む響紀。
それを見て、老爺は「もしかして」と口を開いた。
「子供の霊にでも追いかけられたか? 足と頭しかない子供に」
え、と響紀は目を見開き、老爺の顔を見つめた。
老爺は「やはりな」と口にすると、くつくつ笑いながら、
「あいつは悪戯好きだからな。驚かすのが好きなんだ」
「何で、それを…… あれは、いったい……」
「昔、ここいらで事故があったのさ。道路に飛び出した女の子を、たまたま通りかかった大きなトラックが轢き殺してな。いやぁ、あれは酷かった。タイヤか何かに身体が巻き込まれたらしくてな、辺り一面が血の海よ。形が残ってたのは、足と頭くらいだったか、それ以外は見事なまでにバラバラになっちまったそうだ」
老爺のその話に、響紀は顔面蒼白だった。
老爺はしかし、それを見ても可笑しそうに、
「それ以来だな、アレが悪戯をするようになったのは。まあ、特に害はない、安心しろ。アレは単に遊んでいるだけさ」
笑う老爺に、響紀はどんな反応をすればいいのか解らなかった。まるで霊の存在を肯定しているかのような物言いに違和感を覚えながら、けれど確かに目にしたあの足と血塗れの子供の顔を思い出すだけで、鳥肌がたった。
幽霊なんて居るはずがない、と思いながら、それと同時に、ならば俺が目にしたアレは何だったのか、と得体の知れない何かに対する疑念と恐怖に苛まれる。
「……納得いかんという顔をしているな」
老爺の言葉に、響紀は「あ、いや」と曖昧に口を濁した。
「まあ、最初はそんなものだ」と老爺は笑みを浮かべながら、「誰もが最初はそれを受け入れられない。まさか、そんなはずはない、何で、とそればかりだ。今まで自分が触れたことのない世界に足を踏み入れたんだからな、無理もない。だが、安心しろ。やがて慣れる。受け入れられるようになる。そんなもんだ。お前さんに何があってそうなったのかは知らんが、まあ、諦めろ。そして受け入れろ。儂には、それしか言えん」
いったい、このジジイは何の話をしているんだ? 何が言いたいんだ?
訝しみながら老爺の顔を見る響紀に、老爺は「そろそろ時間だな」と小さく言った。
「あとは、そうだな。お前さん自身が気付いとるんかどうかは知らんが、行くにしろ、留まるにしろ、それはお前さん次第だ。じゃあな」
そう言い残して背を向け去って行く老爺の後ろ姿に、響紀は驚愕した。
その後頭部は叩き潰されたかのように大きく抉れ、赤黒い肉を露わにしていたのである。あんな状態で生きているはずがない。まさか、あのジジイも……
響紀の動揺をよそに、後頭部の潰れた老爺は昇り始めた陽の光に照らされ、徐々にその姿を光に溶かして――やがて霧の如く、消えてしまった。
嗄れた声を耳にして、響紀はゆっくりと瞼を開いた。
見れば、ぼんやりとした視界の先に、眉を寄せて響紀の顔を覗き込む老爺の顔があった。
響紀は地面に手をつき、老爺に背中を支えられながら上半身を起こす。夜明け前の薄闇に見える老爺の顔を見て、何となく安堵しながら、「すみません、ありがとうございます」と立ち上がった。
「無理はせん事だ。もう少し休んでいたらどうだ?」
「いや、大丈夫」
響紀は答え、溜息をひとつ吐いた。
老爺は「そうか?」と心配そうに眉を顰めながら、
「しかし、何でまたこんな所に倒れてたんだ?」
「ああ、いや、その……」
どう説明すれば良いか解らず、言い淀む響紀。
それを見て、老爺は「もしかして」と口を開いた。
「子供の霊にでも追いかけられたか? 足と頭しかない子供に」
え、と響紀は目を見開き、老爺の顔を見つめた。
老爺は「やはりな」と口にすると、くつくつ笑いながら、
「あいつは悪戯好きだからな。驚かすのが好きなんだ」
「何で、それを…… あれは、いったい……」
「昔、ここいらで事故があったのさ。道路に飛び出した女の子を、たまたま通りかかった大きなトラックが轢き殺してな。いやぁ、あれは酷かった。タイヤか何かに身体が巻き込まれたらしくてな、辺り一面が血の海よ。形が残ってたのは、足と頭くらいだったか、それ以外は見事なまでにバラバラになっちまったそうだ」
老爺のその話に、響紀は顔面蒼白だった。
老爺はしかし、それを見ても可笑しそうに、
「それ以来だな、アレが悪戯をするようになったのは。まあ、特に害はない、安心しろ。アレは単に遊んでいるだけさ」
笑う老爺に、響紀はどんな反応をすればいいのか解らなかった。まるで霊の存在を肯定しているかのような物言いに違和感を覚えながら、けれど確かに目にしたあの足と血塗れの子供の顔を思い出すだけで、鳥肌がたった。
幽霊なんて居るはずがない、と思いながら、それと同時に、ならば俺が目にしたアレは何だったのか、と得体の知れない何かに対する疑念と恐怖に苛まれる。
「……納得いかんという顔をしているな」
老爺の言葉に、響紀は「あ、いや」と曖昧に口を濁した。
「まあ、最初はそんなものだ」と老爺は笑みを浮かべながら、「誰もが最初はそれを受け入れられない。まさか、そんなはずはない、何で、とそればかりだ。今まで自分が触れたことのない世界に足を踏み入れたんだからな、無理もない。だが、安心しろ。やがて慣れる。受け入れられるようになる。そんなもんだ。お前さんに何があってそうなったのかは知らんが、まあ、諦めろ。そして受け入れろ。儂には、それしか言えん」
いったい、このジジイは何の話をしているんだ? 何が言いたいんだ?
訝しみながら老爺の顔を見る響紀に、老爺は「そろそろ時間だな」と小さく言った。
「あとは、そうだな。お前さん自身が気付いとるんかどうかは知らんが、行くにしろ、留まるにしろ、それはお前さん次第だ。じゃあな」
そう言い残して背を向け去って行く老爺の後ろ姿に、響紀は驚愕した。
その後頭部は叩き潰されたかのように大きく抉れ、赤黒い肉を露わにしていたのである。あんな状態で生きているはずがない。まさか、あのジジイも……
響紀の動揺をよそに、後頭部の潰れた老爺は昇り始めた陽の光に照らされ、徐々にその姿を光に溶かして――やがて霧の如く、消えてしまった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説



サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる