上 下
88 / 247
幕間・夏

樹下の空蝉

しおりを挟む
 痛かった。
 汚かった。
 うるさかった。

 たくさんのセミが、ないていた。


 高い木々に覆われた庭に立って、私はじっとなき喚くセミの姿を探していた。
 太陽の光はとても暑くて、痛くて、私の身体を焼いていく。
 家の中から聞こえてくるのは、お母さんの喚く声。
 中で何が起こっているか、私にはわからない。
「邪魔だから外に出てなさい」
 そんなお母さんの言う通り、私はただ、裸で庭に立っていた。
 ミンミン、ジワジワ……
 セミの鳴き声は重なり合って、お母さんの声と交じり合って、私の耳はおかしくなってしまいそうだった。
 ジジッ――と近くの木から音がして、ボトリと何かが落ちてきた。
 私はそれに歩み寄り、腰を屈めて覗き込む。
「……セミ」
 木から落ちてきたセミは仰向けで力なく足を動かし、じっと私の眼を覗き込んだ。
 そこへ、
「何を見ているんだい?」
 優しげな声がして振り向くと、眼鏡をかけたお兄さんが立っていた。
 お兄さんも裸で、その額や身体には大粒の汗がたくさん流れていた。
 開け放たれたふすまの向こう側では、お父さんとお母さんが抱き合っているのが見える。
 お母さんは、相変わらず大きな声で叫び声をあげていた。
「あぁ、セミ」
 お兄さんは言って、私の隣に腰を下ろす。
 その体からは、お母さんのニオイと、生臭い何かのニオイが漂ってくる。
 私とお兄さんはしばらく弱々しいセミを見つめていたが、不意にお兄さんがそのセミに指を伸ばして、
「見ててごらん」
 その途端、
「――ひゃっ!」
 私は思わず声を上げた。
 それまで大人しくしていたセミが突然ジャージャー鳴いて暴れ出して、私の顔のすぐ横をばっと飛んでいったのだ。
 セミはそのまますぐ近くの木にぶち当たって――再び地面にボトリと落ちた。
 そしてそれっきり、ぴくりとも動かなくなった。
「驚いたかい?」
 問われて、私は小さく頷く。
 それからそのセミのすぐ近くに、茶色い何かが落ちていることに気が付いて、
「これは?」
 それを拾い上げながら、お兄さんにきいてみた。
 とても軽いその茶色いものは、形こそ虫のようだったが、中身が完全になくなっていた。
「それは、セミの抜け殻だ」
「抜け殻?」
「そう。今死んだセミも、そこから出てきたんだ」
 私はその抜け殻をじっと見つめた。
 中身のない目玉が、じっと私を見つめ返した。
 何もない身体。
 空っぽの身体。
 その時だった。
「あっ」
 お兄さんが突然、私の身体を押し倒したのだ。
 前のめりに倒れた私は、目の前の木に両手をついて。


 気が付くと、私は地面にうつぶせになって倒れていた。
 背後からは、お兄さんの乱れた息が聞こえていた。
 何があったのか、私はまったく覚えていなかった。
 ただ、お腹の違和感と痛みだけがそこにはあった。
 私の身体から流れ出ていく何かを感じながら、けれど立ち上がる気にもなれなくて、ただただ暑い地面に倒れたままで、私はじっと地面を眺めていた。
 目の前には、死んだセミと、その抜け殻が落ちていて。


 痛かった。
 汚かった。
 うるさかった。

 私の心も、空っぽだった。



 ジュカの空蝉・了
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【怖い話】とある掲示板の書き込みpart1【集めてみない?】

市井安希
ホラー
2ちゃんねる風の怪談を投稿していきます。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

鬼 遊戯(おにごっこ)

風見星治
ホラー
ルールは簡単。鬼から逃げきれればアナタの勝ち。だけどもし捕まってしまったら…… ※ホラーだと思わせておいて……

処理中です...