闇に蠢く

野村勇輔(ノムラユーリ)

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幕間・冬

ゆきの空

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 寒かった。
 冷たかった。
 痛かった。

 雪が、降っていた。

 真っ暗な空には雪に混じって星がぱらぱらと光っていたけど、誰もそんなものは見ていなかった。
 みんな小さくなりながら、足元に目を向けて、足早にお家に帰ろうとしていた。
 けれど私は帰れなかった。
 薄汚れたトレーナーにボロボロのスカートをはいて、裸足のままで。
 手は真っ赤に染まり血が出ていたけど、誰もそんなことは気にしてなかった。
 辺りはとても静かだった。
 暗い下り坂の細い道を、私はひたすら歩き続けていた。
 おかあさんに言われた通り、間違えることのないように。
 坂を下り終えると公園があって、その公園を抜けると少し大きな道路に出る。
 その道路に沿うようにしばらく歩いていくと、車が一台ようやく通れるほどの広さの道が右側に見えてきて、私はその道に入っていった。
 しばらくその道を進むと、左手側に小さな教会が見えてくる。
 おかあさんが言っていた教会だ。
 神父のおじさんがひとりで住んでるって言ってたっけ。
 おじさんは小さな子供が大好きで、特に女の子には優しいんだって。
 だから、きっとお前に食べ物をくれるだろうよ、とおかあさんは言っていた。
 私はお腹が空いていた。
 ずっと、何も食べていなかった。
 私は悪い子だから、おとうさんもおかあさんも、私にはご飯をくれない。
 自分のご飯は、自分で何とかするしかなかった。

 私は教会の前に立って、トントン、と扉を叩いた。
 ガチャリ、と音がして、神父のおじさんらしい男の人が顔を出した。
 おじさんは私の顔を見て、それから私の後ろに誰も居ないのを確認すると、不思議そうに首を傾げた。
「お嬢ちゃん、おとうさんとおかあさんは?」
 私は首を横にふった。
「ひとり?」
 私は首を縦にふった。
 おじさんは納得したように頷くと、「そうか」とにっこりと微笑んだ。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
 私は少しの間考えてから答えた。
「……ユキ」
 たぶん、それが私の名前。
 おとうさんもおかあさんも私を名前で呼ばないけれど、誰かが私をそう呼んだから。
 だから、私の名前は、たぶん、ユキ。
「ユキちゃんか。可愛らしい、とても良い名前だね」
 それからおじさんはもう一度私の後ろに目をやると、
「さぁ、早くおはいり。外は寒かっただろう?」
 そう言って、私を教会の中に入れてくれた。

 教会の中は全部の壁が真っ白で、電気はピカピカ光ってまぶしかった。
 小さな椅子が沢山並んでて、その前には両手を広げた状態で目をつむる、長い髪のおじさんのお人形が吊り下げられていた。
 そのお人形を見上げていると、おじさんがそっと私の肩に手をのせて言った。
「ここで祈りを捧げていれば、きっと、君のこともお救いになられるからね」
 救い。
 私にはよくわからない言葉だった。
 それからおじさんは私を台所に連れて行くと、あったかいご飯を食べさせてくれた。
 ひさしぶりに食べるあったかいご飯は、とてもおいしかった。
 ご飯を食べ終わると、おじさんは私をお風呂に入れてくれた。
 とってもあったかいお風呂だった。
 おじさんは私の体を洗ってくれて、ふかふかのタオルで拭いてくれた。
 おじさんはにっこりと微笑んで、私の体を抱きしめた。
 おじさんの体はあったかかった。
 食べ物があって、お風呂があって、誰かに抱きしめられて。
 これが救いなのかなって思いながら、私はなんだかウトウトしていた。

 それからのことを、私はあんまり覚えていない。
 気が付くと、おじさんはニヤニヤ笑いながら、私の顔を上から覗き込んでいた。
 何があったかなんて、覚えてなかった。
 私は裸だった。
 おじさんも裸だった。
 私の中で、何かが激しく動いていた。
 体の奥底が、何だかとっても痛かった。
 あぁ、いつもと一緒だ、と私は思った。
 私はお人形だった。
 おとうさんやおかあさんに言われた通り、ただ黙って、言う事を聞くだけ。
 そうしなければ、怒られるから。
 そうしなければ、殴られるから。
 そうしなければ、蹴られるから。
 おとうさんやおかあさんに言われた通り、ただ黙って、されるがままに。
 しばらくして、おじさんは大きく体を震わせると、その動きをようやく止めた。
 私は横たわったまま、ただ黙っていた。
 私の中から、何かが流れていくのを感じながら。

 その時、教会のドアを何度も叩く音が聞こえてきた。
 おじさんは慌てたように服を着ると、私にも服を着るように言って、教会の方に向かった。
 勢いよくドアが開け放たれる音と共に、毎日聞いている怒鳴り声が聞こえてくる。
 おとうさんとおかあさんの声だ。
 私がドアのところまで行くと、おかあさんは私の腕を掴んで外に引きずり出した。
「あんたは外を見張ってな! 誰か来たらすぐ教えるんだよ!」
 そう言って、おとうさんとおかあさんはバタンとドアを閉めた。
 また、お外でひとりぼっちだった。
 ドアの向こうから、おじさんの泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
 いつもみたいに、おとうさんとおかあさんが怒っている。
 おじさんはいったい、どんな悪いことをして怒られているんだろうか。

 私はふと、真っ暗な空に顔を向けた。

 寒かった。
 冷たかった。
 痛かった。

 雪が、降っていた。

 救いなんて、どこにもなかった。
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