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序章・奈央
第16回
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奈央はそんな木村の様子にたじろぎ、思わず足を止める。あまりにも間近に迫る木村の顔に困惑しつつ、
「ほ、本当に大丈夫だから……」
と顔を背けるように言って、再び歩き出した。
「相原さんが大丈夫っていうんなら別にいいけど」と木村は先を歩く奈央を慌てたように追いかけながら、「でも、本当に何かあったら言ってよ?」
その言葉はありがたくはあったのだけれど、しかし(奈央的には)昨日知り合ったばかりの関係で、いったいどこまで何を話したらいいのかよく判らなかった。
例えば父親や響紀との関係、母の事、昨日や一昨日のあの怪しげな男の件、色々と気がかりなことはあれど、そういったことを相談するのに適した関係であるとはまだどうしても思えなかったのだ。
何より今この瞬間、奈央が気にしているのは本当に些細な事。ただ汗を掻いて臭いが気になるから近づいてほしくない、というただそれだけの事だ。しかし、それこそどうして口に出して言えようか? そんな恥ずかしいこと、言えるわけがない。
「……うん、そうだね」
仕方なく奈央は適当に返事をし、そそくさと自転車を駐輪場にとめると、
「ありがとう。じゃぁ、またね」
そう言って、逃げるようにして小走りに駆け出す。
そんな奈央の後ろで、
「え? あ、うん、また……」
木村のどこか拍子抜けしたような声が聞こえた。
奈央は溜息とともに着席すると、いつもの如く机に突っ伏した。いつもより長い距離を自転車で駆けてきたため、それだけで一日分の体力を使い果たしてしまったような感覚だった。先ほどトイレで汗を拭いてきたおかげで気持ち的にはある程度さっぱりしているけれど、そんなことで体力が回復するわけでなし、この後の数時間、体力的にもつかどうかわからなかった。今日の授業に体育が無いだけマシだったと思うべきだろう。もしこのうえ体育まであったら、体力を完全に消費し切ってぶっ倒れてしまう自信が今の奈央にはあった。
奈央はふと視線を窓の外に向け、灰色の空を見上げた。雨こそ降ってはいないが、奈央の気持ちを表すかのようにどんよりとしている。時折雲間から青空がちらりと見えたりもするが、それもアッという間に雲に隠れた。
誰かに相談する。それはこれまでの奈央に最も縁遠い事柄だった。確かに小母にはこの歳まで、色々と相談に乗ってもらってきてはいる。母親のいない奈央にとって、唯一相談できる同性の相手は小母しかいなかったからだ。むしろ相談相手といえば小母くらいしかいない。例えば小母にすら言えないことは、ただただ奈央自身の中で燻ぶらせ続けるしかなかった。特に今はただでさえ父親や響紀との関係の件で小母に心配掛けさせっ放しなのだ。このうえ例の怪しげな男の件まで話したら、さらに小母に心配を掛けさせてしまうことになる。それだけはどうしても嫌だった。これ以上、余計な心配は掛けさせたくない。
ならば木村の言う通り、他の誰かに話せれば少しは気が楽になるかもしれない。そうは思うのだけれど、やはり昨日今日の関係である木村に話すのは如何なものか、という思いが奈央の中にはあった。特に木村は異性だ。多少なりとも感覚の違いというものもある。何より、奈央には例えそれが父親であれ、異性に何かを相談するという経験すら今までなかったのだ。もし相談するのであれば、同性の方が話しやすいに決まっている。
そう思ったとき、ふと頭によぎったのは隣のクラスの石上麻衣だった。一昨日奈央を訪ねてきた彼女であれば、或いは良い相談相手になってくれるかもしれない。それに彼女自身も言っていたじゃないか。
『良かったらいつでも遊びに来なよ! 歓迎してるから!』
それに、あの木村の言葉。
『ちょっとずつ慣れていけばいいんじゃないかなぁ』
人との関係、自然な会話。その第一歩として、石上と仲良くなる。
奈央はうんと一つ頷くと、すっと顔を上げた。
――お昼になったら、石上さんに会いに行こう。
奈央は小さく、けれど強く決意した。
「ほ、本当に大丈夫だから……」
と顔を背けるように言って、再び歩き出した。
「相原さんが大丈夫っていうんなら別にいいけど」と木村は先を歩く奈央を慌てたように追いかけながら、「でも、本当に何かあったら言ってよ?」
その言葉はありがたくはあったのだけれど、しかし(奈央的には)昨日知り合ったばかりの関係で、いったいどこまで何を話したらいいのかよく判らなかった。
例えば父親や響紀との関係、母の事、昨日や一昨日のあの怪しげな男の件、色々と気がかりなことはあれど、そういったことを相談するのに適した関係であるとはまだどうしても思えなかったのだ。
何より今この瞬間、奈央が気にしているのは本当に些細な事。ただ汗を掻いて臭いが気になるから近づいてほしくない、というただそれだけの事だ。しかし、それこそどうして口に出して言えようか? そんな恥ずかしいこと、言えるわけがない。
「……うん、そうだね」
仕方なく奈央は適当に返事をし、そそくさと自転車を駐輪場にとめると、
「ありがとう。じゃぁ、またね」
そう言って、逃げるようにして小走りに駆け出す。
そんな奈央の後ろで、
「え? あ、うん、また……」
木村のどこか拍子抜けしたような声が聞こえた。
奈央は溜息とともに着席すると、いつもの如く机に突っ伏した。いつもより長い距離を自転車で駆けてきたため、それだけで一日分の体力を使い果たしてしまったような感覚だった。先ほどトイレで汗を拭いてきたおかげで気持ち的にはある程度さっぱりしているけれど、そんなことで体力が回復するわけでなし、この後の数時間、体力的にもつかどうかわからなかった。今日の授業に体育が無いだけマシだったと思うべきだろう。もしこのうえ体育まであったら、体力を完全に消費し切ってぶっ倒れてしまう自信が今の奈央にはあった。
奈央はふと視線を窓の外に向け、灰色の空を見上げた。雨こそ降ってはいないが、奈央の気持ちを表すかのようにどんよりとしている。時折雲間から青空がちらりと見えたりもするが、それもアッという間に雲に隠れた。
誰かに相談する。それはこれまでの奈央に最も縁遠い事柄だった。確かに小母にはこの歳まで、色々と相談に乗ってもらってきてはいる。母親のいない奈央にとって、唯一相談できる同性の相手は小母しかいなかったからだ。むしろ相談相手といえば小母くらいしかいない。例えば小母にすら言えないことは、ただただ奈央自身の中で燻ぶらせ続けるしかなかった。特に今はただでさえ父親や響紀との関係の件で小母に心配掛けさせっ放しなのだ。このうえ例の怪しげな男の件まで話したら、さらに小母に心配を掛けさせてしまうことになる。それだけはどうしても嫌だった。これ以上、余計な心配は掛けさせたくない。
ならば木村の言う通り、他の誰かに話せれば少しは気が楽になるかもしれない。そうは思うのだけれど、やはり昨日今日の関係である木村に話すのは如何なものか、という思いが奈央の中にはあった。特に木村は異性だ。多少なりとも感覚の違いというものもある。何より、奈央には例えそれが父親であれ、異性に何かを相談するという経験すら今までなかったのだ。もし相談するのであれば、同性の方が話しやすいに決まっている。
そう思ったとき、ふと頭によぎったのは隣のクラスの石上麻衣だった。一昨日奈央を訪ねてきた彼女であれば、或いは良い相談相手になってくれるかもしれない。それに彼女自身も言っていたじゃないか。
『良かったらいつでも遊びに来なよ! 歓迎してるから!』
それに、あの木村の言葉。
『ちょっとずつ慣れていけばいいんじゃないかなぁ』
人との関係、自然な会話。その第一歩として、石上と仲良くなる。
奈央はうんと一つ頷くと、すっと顔を上げた。
――お昼になったら、石上さんに会いに行こう。
奈央は小さく、けれど強く決意した。
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