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序章・奈央

第14回

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 奈央の頭の中には昨日の怪しげな若い男の顔が浮かんでいた。それと同時に、先ほどの「不審者が多いから」という木村の言葉が結び付き、峠道を目の前にして遠回りして帰るべきか、それともこのまま気にせず峠を抜けていくか、二つの選択肢の間で思い悩んでいた。

 峠道を迂回するように山沿いに帰ることは可能だが、当然その分帰宅するまでに時間がかかる。その上こちらで暮らすようになってからまだ日が浅く、この辺りの道を全て覚えているというわけでもない。奈央が知っているのは国道沿いに山を迂回して、隣町を抜けてUターンするように戻ってくる道だけだ。それだとこの峠を抜ける方法の倍以上は時間が掛かってしまう。時刻はすでに午後七時を過ぎており、辺りは薄暗く、あまり帰りが遅くなって小母に心配をかけさせたくもなかった。

 奈央は数分悩んだ末、例の若い男と出くわした側の歩道ではなく、車道を挟んだ反対側の、途中で道が途切れる側の歩道を進むことを選んだ。僅かな違いしかないが、わざわざ遠回りするよりは多少マシに思えたのだ。

 横断歩道を渡り、何となく辺りを警戒しながらペダルを漕ぐ。発電式ライトの所為で、やたらとペダルが重く感じられる。今更ながら電池式にしておけば良かったと思いながら、やがて奈央は車道を挟んだ向かいに建つ、昨日の男が飛び出してきた家の前に差し掛かった。奈央はその家を、列をなして走りゆく自動車越しにちらりと見やった。

 うすぼんやりとした街灯に照らされた対岸の道。そこを歩くまばらな人影。恐らく近くの中学や高校の部活帰りの学生たちだろう。疲れたような、けれど楽しげな様子で談笑しながら峠を登っていくその姿の向こう側で、かちゃりと(少なくとも奈央の脳内ではそんな音が聞こえたような気がした)家の扉が開いた。

 一瞬奈央は目を見張り、思わず漕いでいたペダルから地に足を下ろす。

 ぱっくりと開いた真っ暗い小さな闇。その闇から、ぬるりと覗く男の顔。男は何かを窺うようにちらちらと左右の様子に目をやったあと、ずるずるとまるでナメクジか何かのように、闇の中からその細い身体を現した。それから大きく伸びをするようにしながら峠下に顔を向ける。その様子はまるで誰かを待ち侘びているかのようで、その待っている相手が誰なのか、奈央は想像することすら恐ろしかった。

 やがて男は闇の中から這い出てくると、怪物のように玄関前に立ち、さらに目を凝らすようにして峠下を覗き込んだ。その口元に浮かんだ笑みがあまりにも気味悪く、奈央は眉根を寄せる。と同時に、どうして自分はこんなところで立ち止まってあの男の様子を窺っているのだろう、とふと我に返った。今ならまだあいつは私に気づいていない。このまま急いで峠を抜けるべきだ。

 そう思い、再びペダルに足を乗せた時だった。

 不意に男がこちらに顔を向け、ニタリとあの気持ちの悪い笑みを浮かべたのである。

 奈央はハッと息を飲み、慌てて顔を背ける。グッと太ももに力をこめて、一気に峠を駆け上った。
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