上 下
10 / 247
序章・奈央

第9回

しおりを挟む
   6
 
 放課後。奈央はいつものように一人、帰宅の途に就いていた。空は再びどんよりと重く町の上にのしかかり、今にも雨が降り出しそうな様相を呈している。このまま昨日のようにまた雨には打たれたくはない。なるべく雨が降り始める前に家に帰りつかなければ。そう思うと自然ペダルを漕ぐ足が速まった。歩行者の間を縫うように駆け抜け、点滅する信号の横断歩道を全力疾走する。駅前を通過し、やがて奈央は件の峠道に差し掛かった。

 ふと脳裏をよぎる喪服の少女の姿、そして、石上の語った彼女の話。

 両親を亡くし、一人廃屋に暮らすという女の子。

 昨日の雨の中で見た少女の微笑みがよみがえり、どうしてあの時、あの子は私に微笑んだのだろうと思いを巡らせた。あの微笑みは何だったのか、どういう意味がそこにはあったのか。或いは実は微笑んでいるように見えただけで、ただの私の勘違いだっただけなんじゃ……

 そんな取り留めもないことを考えていた、その時だった。

 不意にすぐ脇に立つアパートの一室から一人の男が出てきたかと思うと、左右も確認することなく奈央の自転車の前に足を踏み出してきたのである。

「――きゃぁっ!」

 奈央は叫び、慌ててブレーキをかけた。

 相手の男も驚いたのだろう、目を真丸くして奈央の方に顔を向け立ち止まる。

 このままでは確実に接触してしまう。そう思った奈央は、反射的にハンドルを左に切っていた。その途端、自転車は一気にバランスを崩し、ガシャンっと大きな音を立てて転倒、奈央は受け身をとる間もなく歩道の上に投げ出された。車道に体がはみ出さなかったのは奇跡的だったというべきだろう。倒れ伏した奈央の髪が走り抜けていった大型トラックの風に煽られ、ぶわっと激しく宙を舞った。

「――大丈夫?」

 その男――二十代前半くらいだろうか――は奈央に声をかけながら右手を差し出してきた。髪は染めているのだろう明るいブラウン。身体は細身だが、半袖のシャツから覗く二の腕はその割にはとても太く逞しく見えた。心配そうな表情、ではなく、微笑みを湛えたその顔に若干の違和感を覚えるのは何故だろうか。

「だ、大丈夫です……」

 奈央はそんな男の手を掴むことなく、よろよろと自力で立ち上がると倒れた自転車を起こした。ずきずき痛む脚に目を向ければ、擦りむいた膝頭が赤く染まっている。

「あぁ、擦りむいちゃってるね。ごめんね、ちゃんと確認せずに飛び出しちゃったから――」

 取ってつけたような(少なくとも奈央にはそう見えた)申し訳なさげな表情を浮かべて男は言った。均整の取れた顔立ち。眉は細く整えられており、僅かながら香水のような匂いがする。

 男は「あぁ、そうだ」と笑顔を浮かべると、

「うちにおいでよ、手当てしてあげる。消毒と絆創膏くらいならあるからさ」

 言って背後のアパートを指し示し、奈央の腕を取ろうと手を伸ばしてきた。

 奈央はそんな男を警戒し、咄嗟に腕を引っ込めてそれを躱すと首を横に振る。

「だ、大丈夫です。これくらい、平気ですから」

 そう言って再び自転車に跨った奈央に、男はなおも追い縋るように口を開いた。

「本当に? でも、このままじゃぁ、

 その瞬間、奈央の背にぞわりと悪寒が走った。ニヤリと怪しげな笑みを浮かべる男の腕が動くのを感じ取り、奈央は痛む膝頭の事も忘れ、寸でのところでペダルを漕いで一気に峠を駆け上る。

 後ろに、何とも言えない、重たい視線を感じながら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

【怖い話】とある掲示板の書き込みpart1【集めてみない?】

市井安希
ホラー
2ちゃんねる風の怪談を投稿していきます。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

女子切腹同好会

しんいち
ホラー
どこにでもいるような平凡な女の子である新瀬有香は、学校説明会で出会った超絶美人生徒会長に憧れて私立の女子高に入学した。そこで彼女を待っていたのは、オゾマシイ運命。彼女も決して正常とは言えない思考に染まってゆき、流されていってしまう…。 はたして、彼女の行き着く先は・・・。 この話は、切腹場面等、流血を含む残酷シーンがあります。御注意ください。 また・・・。登場人物は、だれもかれも皆、イカレテいます。イカレタ者どものイカレタ話です。決して、マネしてはいけません。 マネしてはいけないのですが……。案外、あなたの近くにも、似たような話があるのかも。 世の中には、知らなくて良いコト…知ってはいけないコト…が、存在するのですよ。

鬼 遊戯(おにごっこ)

風見星治
ホラー
ルールは簡単。鬼から逃げきれればアナタの勝ち。だけどもし捕まってしまったら…… ※ホラーだと思わせておいて……

処理中です...