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序章・奈央
第8回
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***
今から十年以上前のことらしいんだけどね、あの峠のボロ屋にある家族が引っ越してきたの。小太りの男と痩せた女、それから小さな女の子。とても幸せそうだった――かどうかは誰も知らないみたい。だって、引っ越してきたことは誰もが知っていたけれど、どんな感じの人が、ってのはわからなかったらしいから。それくらい近所の人たちとも交流が一切なかったし、お父さんがどんな仕事をしているのかも知っている人はいなかった。けど、そこには確かに一組の家族が住んでいた。それだけは事実。
しばらくして、その家に夜な夜な黒い服を着た男の人が来るようになった。皆が皆して目深に帽子をかぶって、首には夏でもネックウォーマーをして。それだけでも十分怪しいと思わない? まぁ、誰が見たのかまでは私も知らないんだけどね、とにかくそんな怪しい男たちが来るようになった。時には家の中から「こんなんで足りるかボケェッ!」とか、「てめぇ殺すぞこらぁっ!」なんて怒鳴り声が聞こえてきたっていうから、多分借金取りか何かだったんじゃないかってはなし。でも誰も警察には通報なんてしなかったし、実際にその様子を見に行ったって人もいないらしいわ。そりゃぁ、そうだよねぇ。だって下手に口出して巻き込まれたくはないもの。ただ殴られて終わりってんならまだマシかもだけど、ホントに殺されちゃうかもしれないって考えたらみんな無視しちゃっても仕方がないよね。
そんなことが数年も続いたある冬のこと。突然、その黒い服の男たちが来なくなった。当然のように怒鳴り声も聞こえなくなった。何があったんだろう、と思った近所の人たちもいたかもしれない。けど、やっぱり誰も様子を見に行ったりはしなかった。だってそうでしょう? それまで散々怒鳴り声が聞こえていた家が突然静まり返るんだよ? しかも、夜になっても明り一つ灯らなかったらしいの。そうなったら、家の人に何かあったんだって思うのが当然でしょう? さっきも言ったけど、誰も関わり合いになりたくないじゃない? だからみんな放置してたの。あぁ、静かになった。何があったのか知らないけど、まぁ、それでいいじゃないか。って感じでね、たぶんだけど。
そうしてみんながそんな家族の事なんて忘れて数年後。黒い喪服みたいな服を着た女の子があの峠道で目撃されるようになった。歳はたぶん、私たちと同じくらい。相原さんみたいな綺麗な長い黒髪に、透き通るような白い肌。愁いを秘めた瞳に艶やかな紅い唇――なんて言ってるけど、実際にそんなマジマジとその子の顔を見た人なんていないらしいから、本当かどうかわからないんだけどね。私も遠目から見たことがあるだけなんだけど、すっごい美人だなぁつてのが素直な感想ね。まぁ、それは置いといて。その女の子が例のボロい――廃屋みたいな家から出てきたり入っていったりしているのを沢山の子が目撃してるの。ってことは、たぶんあの家族の子ってことでしょ? でもその両親がいる様子がなくって。もっぱら目撃されるのはあの女の子だけ。ってことはよ。何があったかは判らないけれど、たぶん両親はとっくの昔に死んでる。なんであの子が黒い喪服に身を包んでいるかっていったら、それはきっと死んだ両親を悼んでってことになると思わない? つまり、あの女の子は両親が死んで以降、ずっとあの廃屋に独りで寂しく住んでたってことになるじゃない? 凄いよね、独り暮らし。あたしだったら、そんな生活してたらきっと寂しさで死んじゃうよ!
***
石上はそこまで一気に捲し立てるように喋りきると、やはり疲れたのだろう、大きな溜息を一つ吐いてからニコリと微笑んだ。
「どう? 相原さんもあの喪服の女の子に興味が湧いたでしょ? 私が相原さんの事をその子だと思い込んで色々聞きたくてワクワクしてたってこと、解ってくれるよね? ねっ? ねっ? ねっ?」
その勢い込んだ言い方に奈央は気圧されつつ、「う、うん、わかるよ……」と曖昧に返事する。
とは言え、その話を聞いても奈央はさしてそんな女の子に興味を持つことはなかった。両親が亡くなり独りで暮らしているってことは十分に凄いと思う。奈央も或いは今頃独り暮らしをしていた可能性だってあるのだ。結局話し合いの結果小父小母の家でお世話になっているが、実際に独り暮らしがちゃんとできていたかどうか考えると怪しい気がする。寂しい、という気持ち。それに耐えられたかどうかわからない。特に奈央には友人と呼べる存在が一人も居ない。学校での『おひとり様』はそれでも周りに人がいるから特に気にはならないけれど、例えば夜なんかに独り家の中、電気を消したその瞬間、私は何を思うのだろうか。
そんなことを考えていると、
「でもさ、実はこの話、これだけじゃないんだよねぇ」
石上がにやりと笑み、勿体ぶったように言ったのに対して奈央は首を傾げた。
「……これだけじゃない?」
「そうそう。実はさ、他にもこんな話があって――」
と口を開いたのと同時に、辺りにお昼時間の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。それと同時に、片付けや次の授業の準備といった喧騒に教室内が包まれる。
「あちゃぁ、ここまでかぁ……」言って石上は立ち上がり、「続きはまた今度ね。あたし、隣のクラスの石上麻衣! 良かったらいつでも遊びに来なよ! 歓迎してるから! じゃねっ!」
奈央が返事をするよりも先に、さっさと教室から飛び出していくのだった。
今から十年以上前のことらしいんだけどね、あの峠のボロ屋にある家族が引っ越してきたの。小太りの男と痩せた女、それから小さな女の子。とても幸せそうだった――かどうかは誰も知らないみたい。だって、引っ越してきたことは誰もが知っていたけれど、どんな感じの人が、ってのはわからなかったらしいから。それくらい近所の人たちとも交流が一切なかったし、お父さんがどんな仕事をしているのかも知っている人はいなかった。けど、そこには確かに一組の家族が住んでいた。それだけは事実。
しばらくして、その家に夜な夜な黒い服を着た男の人が来るようになった。皆が皆して目深に帽子をかぶって、首には夏でもネックウォーマーをして。それだけでも十分怪しいと思わない? まぁ、誰が見たのかまでは私も知らないんだけどね、とにかくそんな怪しい男たちが来るようになった。時には家の中から「こんなんで足りるかボケェッ!」とか、「てめぇ殺すぞこらぁっ!」なんて怒鳴り声が聞こえてきたっていうから、多分借金取りか何かだったんじゃないかってはなし。でも誰も警察には通報なんてしなかったし、実際にその様子を見に行ったって人もいないらしいわ。そりゃぁ、そうだよねぇ。だって下手に口出して巻き込まれたくはないもの。ただ殴られて終わりってんならまだマシかもだけど、ホントに殺されちゃうかもしれないって考えたらみんな無視しちゃっても仕方がないよね。
そんなことが数年も続いたある冬のこと。突然、その黒い服の男たちが来なくなった。当然のように怒鳴り声も聞こえなくなった。何があったんだろう、と思った近所の人たちもいたかもしれない。けど、やっぱり誰も様子を見に行ったりはしなかった。だってそうでしょう? それまで散々怒鳴り声が聞こえていた家が突然静まり返るんだよ? しかも、夜になっても明り一つ灯らなかったらしいの。そうなったら、家の人に何かあったんだって思うのが当然でしょう? さっきも言ったけど、誰も関わり合いになりたくないじゃない? だからみんな放置してたの。あぁ、静かになった。何があったのか知らないけど、まぁ、それでいいじゃないか。って感じでね、たぶんだけど。
そうしてみんながそんな家族の事なんて忘れて数年後。黒い喪服みたいな服を着た女の子があの峠道で目撃されるようになった。歳はたぶん、私たちと同じくらい。相原さんみたいな綺麗な長い黒髪に、透き通るような白い肌。愁いを秘めた瞳に艶やかな紅い唇――なんて言ってるけど、実際にそんなマジマジとその子の顔を見た人なんていないらしいから、本当かどうかわからないんだけどね。私も遠目から見たことがあるだけなんだけど、すっごい美人だなぁつてのが素直な感想ね。まぁ、それは置いといて。その女の子が例のボロい――廃屋みたいな家から出てきたり入っていったりしているのを沢山の子が目撃してるの。ってことは、たぶんあの家族の子ってことでしょ? でもその両親がいる様子がなくって。もっぱら目撃されるのはあの女の子だけ。ってことはよ。何があったかは判らないけれど、たぶん両親はとっくの昔に死んでる。なんであの子が黒い喪服に身を包んでいるかっていったら、それはきっと死んだ両親を悼んでってことになると思わない? つまり、あの女の子は両親が死んで以降、ずっとあの廃屋に独りで寂しく住んでたってことになるじゃない? 凄いよね、独り暮らし。あたしだったら、そんな生活してたらきっと寂しさで死んじゃうよ!
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石上はそこまで一気に捲し立てるように喋りきると、やはり疲れたのだろう、大きな溜息を一つ吐いてからニコリと微笑んだ。
「どう? 相原さんもあの喪服の女の子に興味が湧いたでしょ? 私が相原さんの事をその子だと思い込んで色々聞きたくてワクワクしてたってこと、解ってくれるよね? ねっ? ねっ? ねっ?」
その勢い込んだ言い方に奈央は気圧されつつ、「う、うん、わかるよ……」と曖昧に返事する。
とは言え、その話を聞いても奈央はさしてそんな女の子に興味を持つことはなかった。両親が亡くなり独りで暮らしているってことは十分に凄いと思う。奈央も或いは今頃独り暮らしをしていた可能性だってあるのだ。結局話し合いの結果小父小母の家でお世話になっているが、実際に独り暮らしがちゃんとできていたかどうか考えると怪しい気がする。寂しい、という気持ち。それに耐えられたかどうかわからない。特に奈央には友人と呼べる存在が一人も居ない。学校での『おひとり様』はそれでも周りに人がいるから特に気にはならないけれど、例えば夜なんかに独り家の中、電気を消したその瞬間、私は何を思うのだろうか。
そんなことを考えていると、
「でもさ、実はこの話、これだけじゃないんだよねぇ」
石上がにやりと笑み、勿体ぶったように言ったのに対して奈央は首を傾げた。
「……これだけじゃない?」
「そうそう。実はさ、他にもこんな話があって――」
と口を開いたのと同時に、辺りにお昼時間の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。それと同時に、片付けや次の授業の準備といった喧騒に教室内が包まれる。
「あちゃぁ、ここまでかぁ……」言って石上は立ち上がり、「続きはまた今度ね。あたし、隣のクラスの石上麻衣! 良かったらいつでも遊びに来なよ! 歓迎してるから! じゃねっ!」
奈央が返事をするよりも先に、さっさと教室から飛び出していくのだった。
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