上 下
13 / 20

13.療養所

しおりを挟む
 療養所は、ギルドハウスよりも中町の方にある。冒険者といえども怪我人は怪我人。血気盛んな彼らを少しでも戦闘から遠ざけるための立地だそうだ。
 ギルドハウスよりこじんまりとした建物の扉をあけて、まずはリトハルトが顔を出す。と、中から驚き混じりの歓声が上がった。

「マスター!」
「邪魔するぞ。調子はどうだ?」
「まずまず、というところですね。化膿はしていないので、それだけでも上々でしょう」

 答えたのは、比較的傷の少ない男性だった。黄色味の強い金髪を丁寧に後ろへ撫で付けた青年で、いかにも規律を重んじそうな顔つきをしている。普通にしていればそれなりに注目を集めそうなものを、今は包帯やガーゼが目立つせいで痛々しかった。

「マスター、そちらのお嬢さん方は?」
「ああ、今日の本題だ。『レッドグリフォン』からきてくれた、マツリとユースケだ。マツリは治癒魔法の使い手でもある」
「治癒魔法の……!?」

 にわかに活気付いた騒めきに、まつりが気恥ずかしそうに会釈する。清楚な容姿によく似合う淑やかな仕草に、周囲の熱が増すは必定だった。
 期待だけではない熱い眼差しを一身に浴びながら、まつりは読み漁った魔導書の記載を呼び起こし、口遊む。

「さやけき安らぎの音色よ『治癒ヒーリング』」

 魔力を込めた言葉とともに、まつりから淡い光が溢れ出る。じんわりと広がるそれが、怪我人たちを包み込んだ。まるで陽だまりにいるかのような、心地よい感覚に浸る。

「温かい……」
「ああ、痛みが……」

 喜びの滲む声。自ずと浮かび上がる微笑。
 良かったとリトハルトも安堵しているが、立役者であるはずのまつりの表情はなんとも不満げだった。

「どうしたの?」
「うーん……思ってたよりも効果が薄くて」
「そうなの? みんな喜んでるけど……」
「だって、怪我、治ってないじゃない」

 初級魔法じゃやっぱり足りないのかしら。でも、これ以上の魔法はまだ使ったことがないし、と続けられる呟きに、悠介は改めて喜んでいる面々を見直した。
 『治癒ヒーリング』は、魔力を40消費する代わりに対象の体力を30から50ほど回復する。悠介も度々世話になる、コスパの良い魔法だ。軽傷程度であれば十分治療可能なのだが、彼らの全快には効果が足りなかった。それなりに深い傷らしく、火傷や裂傷といった状態異常が払拭されていないことが原因のようだ。
 痛みから解放された面々はそれだけでも十分と笑みを零しているが、たしかにまつりの言う通り、怪我が治ったわけではない。ということは、たとえば鎮痛剤のような、一時的な効果しか見込めないだろう。

 悠介はまつりのステータスを確認した。
 消費した魔力は320。残っている魔力は半分以上、余剰は十分だ。買ったばかりの金色羊の革袋アリエス・ポーチには、ポーションも入っている。

「ワンランク上げたらどのくらい消費するの?」
「さぁ? 使ったことないからわからないわ」
「じゃあ、検証も兼ねて練習・・させてもらったら?」
「練習?」
「僕たちのクエストも、これから難易度上がるだろうし。今は『治癒ヒーリング』で十分だけど、今後の予習もかねて」

 万が一失敗しても、魔力が削られるだけで悪化させるようなことにはならない。それは以前のスライム退治で悠介自身が確認している。
 どうせ結果が同じなら、やってみても損はないだろう。

「やらない後悔よりやった後悔、ってね」

 にかりと悪戯っぽく笑う悠介に、まつりの目が丸くなる。それから、くしゃりと堪えきれない微笑に変わった。

「失敗したら恥ずかしいから、隠しててくれる?」
「お安い御用だよ」

 とん、と胸を叩いた悠介に、まつりはそっと背を借りた。手を当てた胸がドキドキしている。まつりは祈るように、初めての詠唱を紡いだ。

「静かなる夜の月 儚く灯る導きの星」

 まつりの体を、白い光が包み込む。『治癒ヒーリング』の光を絹布シルクに例えるなら、この光は天鵞絨ビロードのような重厚感があった。
 詠唱は続く。

「暗黒へと誘う暗き手に 慈悲の光を」

 浸透するように広がる光が、怪我人たちを包み込む。とうとう事態に気がついた彼らが、はっとして悠介を、その奥に身を隠すまつりを見た。
 シィィ……。悠介が優しげな微笑で人差し指を立てる。

「ーー完全治癒パーフェクト・ヒール……!」

 詠唱が完成する。途端、目も開けられぬ眩い光が部屋に満ちた。
 網膜に焼き付くような白。視覚が戻るまでに幾許か時間がかかった。

「そんな、まさか……」
「傷が……っ!」

 シュルシュルと解かれた包帯が床を這う。包帯の下、ガーゼの下にも、そこにあったはずの火傷はなくなっていた。薄桃の引き攣れた痕だけが、たしかに傷があったのだと物語っている。

「お疲れ様、まつりさん」
「ん……うん、さすがに、疲れたかも」

 慣れないことはするもんじゃないね。
 そう言いながらも、まつりは今度こそ満足げな笑みを浮かべていた。疲れた、と正直に口にした彼女は、さっきと比べて少し顔色が悪い。『完全治癒パーフェクト・ヒーリング』の影響だろうか?
 悠介はまつりのステータスを確認した。
 

------------------------------------------------------------

佐々木まつり レベル25
HP 1086/1281
MP 135/1075
種族/人間
職業/警察官・冒険者
所属/警察・ギルド『レッドグリフォン』
冒険者ランク/D
属性/光・闇
スキル/情報収集
    『生産』――『調理』Lv.20
『調合』Lv.20

------------------------------------------------------------


(MPの減りが早すぎる……)

 まつりの疲弊の原因はこれか。
 悠介は金色羊の革袋アリエス・ポーチに手を突っ込んだ。下級……いや足りない。中級ポーションを一瓶取り出す。

「まつりさん」

 自分の手のひらで包み隠したポーションを渡すと、まつりは一気に飲み干した。紙のように白かった頬に、ほんの少し赤みが戻る。まつりの中でも何かしらの変化があったのだろう、薄く開かれた唇の隙間から、ほっと気を抜くような吐息が溢れた。
 まつりのMPが300台まで回復している。けれど、まだ足りない。もう一本ポーションを手渡したところで、肩越しに声がかけられた。

「マツリ、大丈夫かい? ああ、まったくなんて無茶を……」
「大丈夫です。無茶なんてしてませんよ」
「この人数に二度も、それも上級の治癒魔法まで使って、これを無茶と言わずに何と言うんだ。手だってこんなに冷え切って……」

 痛ましげに眉を潜めたリトハルトが、大きな手でまつりの手を包む。握手とは違う接触に、まつりは「ひぇ」と情けない悲鳴を上げた。

(た、助けて!)
(なんで? 役得じゃん、甘んじて受け入れたら?)
(じゃあ悠介くんが受けてよ! それかランドルフさん!)
(なんで⁉︎)

 さすがに訳がわからない。ぎょっと目を剥いた悠介に、まつりは涙目で解釈違いだと訴えた。

 ひそひそと言い合う二人を目の前にしながら、リトハルトは口を挟まない。彼は一心にまつりを見つめていた。

「君の気持ちは嬉しいが、もうこんなことはやめてくれ。君が死んでしまう」
「そんな、大袈裟な……」
「大袈裟なものか!」

 リトハルトが初めて声を荒げた。事の重大さを理解せよ、と険しい表情に、まつりはもちろん悠介も困惑する。
 その反応に、本当に知らないのだと察したリトハルトは理性で自身を宥め賺し、努めて平静に語りかけた。

「本当に、大袈裟な話ではない。怪我は魔法で治せても、魔力切れは魔法では治せないのだから」
「魔力切れ……?」

 なんだ、それは。思わずと復唱したまつりと悠介に、そこからかとリトハルトが眉間のシワを深くする。

「ランドルフはいったい何をしているんだ」
「え、っと……いろいろ親切にしてもらってますよ? 私たちが物知らずなだけなので……」
「君たちが物知らずというのには否定しないが、物事には限度というものがあると思わないか?」

 リトハルトが食い気味に話を遮る。困ったように視線をずらすも、彼の背後に控える元怪我人たちさえ渋い顔をして沈黙を貫いていた。
 どうやら助け舟は来そうにない。

「魔法を使うには魔力がいる。消費した魔力を回復するには、休息かポーションがいる。……思うに、君は彼の背に隠れているうちにポーションを服用したのだろう?」

 でなければありえない、とリトハルトは断言した。
 沈黙は、肯定。
 リトハルトはまた溜息を吐いた。

「魔力切れとは、文字通り魔力の欠乏を意味する。魔力切れを起こせば軽くても目眩、失神や、ーー最悪の場合、死にすら至る」

 リトハルトの声が重く、低く、部屋に響く。赤みを取り戻したはずのまつりの頰は、また血の気を失っていた。それは悠介も同様だ。
 なにが練習か。一歩間違っていれば、と怖気がはしる。
 血相を変えた二人に、リトハルトは言い聞かせた。

「治癒魔法を使えるものは稀だ。それは適正だけでなく、魔力消費や負荷が他の魔法より重いという理由もある。君の善意も、才能も認めるが、だからこそ、もうこんな無茶はしないでくれ」
「……すみません、でした。まつりさんも、本当にごめんね」
「ううん、私の方こそ、ごめんなさい」

 軽率でしたと心底反省する二人に、リトハルトの目元が和らぐ。

「マツリ、危険を冒してまで私の仲間を治療してくれてありがとう。ユースケも、貴重なポーションを使ってくれてありがとう。『シルバーホーン』の恩人達に、心からの感謝を」

 まるで忠誠を捧げる騎士のように、リトハルトが胸に手を当てる。それに倣うように、『シルバーホーン』の冒険者達も胸に手を当て、首を垂れた。
 過ぎるほどに真摯な礼に、悠介とまつりはむず痒くなりながらもどうにか頭を上げさせる。

「まだ、スタート地点に戻っただけですよ。問題のモンスターは退治できていないんですから」
「そうですよ。ほら、私たちはご覧の通り物知らずなので、先輩方にお力添えいただけるととても心強いです」

 どうかよろしくお願いします、とあくまで下手に出る二人に、周囲が困惑する中で、リトハルトも目を丸くしながら、けれど嬉しそうに口元を緩めた。

「さすが、ランドルフの秘蔵っ子というべきか……。こちらこそ、よろしく頼む」
「よろしくお願いします!」

 威勢よく声を揃えた二人に、リトハルトは眩しいものを見るように目を細めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

働くおじさん異世界に逝く~プリンを武器に俺は戦う!薬草狩りで世界を制す~

山鳥うずら
ファンタジー
東京に勤務している普通のおっさんが異世界に転移した。そこは東京とはかけ離れた文明の世界。スキルやチートもないまま彼は異世界で足掻きます。少しずつ人々と繋がりを持ちながら、この無理ゲーな社会で一人の冒険者として生きる話。 少し大人の世界のなろうが読みたい方に楽しめるよう創りました。テンプレを生かしながら、なろう小説の深淵を見せたいと思います。 彼はどうやってハーレムを築くのか―― 底辺の冒険者として彼は老後のお金を貯められたのか―― ちょっとビターな異世界転移の物語。

外れスキル持ちの天才錬金術師 神獣に気に入られたのでレア素材探しの旅に出かけます

蒼井美紗
ファンタジー
旧題:外れスキルだと思っていた素材変質は、レア素材を量産させる神スキルでした〜錬金術師の俺、幻の治癒薬を作り出します〜 誰もが二十歳までにスキルを発現する世界で、エリクが手に入れたのは「素材変質」というスキルだった。 スキル一覧にも載っていないレアスキルに喜んだのも束の間、それはどんな素材も劣化させてしまう外れスキルだと気づく。 そのスキルによって働いていた錬金工房をクビになり、生活費を稼ぐために仕方なく冒険者になったエリクは、街の外で採取前の素材に触れたことでスキルの真価に気づいた。 「素材変質スキル」とは、採取前の素材に触れると、その素材をより良いものに変化させるというものだったのだ。 スキルの真の力に気づいたエリクは、その力によって激レア素材も手に入れられるようになり、冒険者として、さらに錬金術師としても頭角を表していく。 また、エリクのスキルを気に入った存在が仲間になり――。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

補助魔法しか使えない魔法使い、自らに補助魔法をかけて物理で戦い抜く

burazu
ファンタジー
冒険者に憧れる魔法使いのニラダは補助魔法しか使えず、どこのパーティーからも加入を断られていた、しかたなくソロ活動をしている中、モンスターとの戦いで自らに補助魔法をかける事でとんでもない力を発揮する。 最低限の身の守りの為に鍛えていた肉体が補助魔法によりとんでもなくなることを知ったニラダは剣、槍、弓を身につけ戦いの幅を広げる事を試みる。 更に攻撃魔法しか使えない天然魔法少女や、治癒魔法しか使えないヒーラー、更には対盗賊専門の盗賊と力を合わせてパーティーを組んでいき、前衛を一手に引き受ける。 「みんなは俺が守る、俺のこの力でこのパーティーを誰もが認める最強パーティーにしてみせる」 様々なクエストを乗り越え、彼らに待ち受けているものとは? ※この作品は小説家になろう、エブリスタ、カクヨム、ノベルアッププラスでも公開しています。

サクリファイス・オブ・ファンタズム 〜忘却の羊飼いと緋色の約束〜

たけのこ
ファンタジー
───────魔法使いは人ではない、魔物である。 この世界で唯一『魔力』を扱うことができる少数民族ガナン人。 彼らは自身の『価値あるもの』を対価に『魔法』を行使する。しかし魔に近い彼らは、只の人よりも容易くその身を魔物へと堕としやすいという負の面を持っていた。 人はそんな彼らを『魔法使い』と呼び、そしてその性質から迫害した。 四千年前の大戦に敗北し、帝国に完全に支配された魔法使い達。 そんな帝国の辺境にて、ガナン人の少年、クレル・シェパードはひっそりと生きていた。 身寄りのないクレルは、領主の娘であるアリシア・スカーレットと出逢う。 領主の屋敷の下働きとして過ごすクレルと、そんな彼の魔法を綺麗なものとして受け入れるアリシア……共に語らい、遊び、学びながら友情を育む二人であったが、ある日二人を引き裂く『魔物災害』が起こり―― アリシアはクレルを助けるために片腕を犠牲にし、クレルもアリシアを助けるために『アリシアとの思い出』を対価に捧げた。 ――スカーレット家は没落。そして、事件の騒動が冷めやらぬうちにクレルは魔法使いの地下組織『奈落の底《アバドン》』に、アリシアは魔法使いを狩る皇帝直轄組織『特別対魔機関・バルバトス』に引きとられる。 記憶を失い、しかし想いだけが残ったクレル。 左腕を失い、再会の誓いを胸に抱くアリシア。 敵対し合う組織に身を置く事になった二人は、再び出逢い、笑い合う事が許されるのか……それはまだ誰にもわからない。 ========== この小説はダブル主人公であり序章では二人の幼少期を、それから一章ごとに視点を切り替えて話を進めます。 ==========

異世界行って黒ネコに変身してしまった私の話。

しろっくま
ファンタジー
さてと、仕上げのパックして……と鏡を見た瞬間、月がブワッと白く発光し衝撃が全身に走った。 気がつくと、見知らぬ土地でケモノコスプレしてた私、月宮沙羅。ちなみに二十四歳、男っ気まったくなし。 ここ一体どこなのよっ、私ってばどうなっちゃうの? 週一より早いペースでも更新できそうな感じです。気長にお付き合いいただければ幸いです。 この作品、なろうさんにも掲載しておりますが、そちらより細分化して投稿する予定です。

処理中です...