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01.辞令とマドンナ

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「おはようございまーす」

 のんびりと間延びした挨拶に、通りがかった老人は皺くちゃの顔ににっこりと笑みを刻んだ。
 黒い髪、黒い瞳。しっかり着込んだ、青色の制服。笑うと見た目より幼い印象を与える彼は、名前を二階堂悠介という。

「おや、ユースケくん。今日も元気だねえ」
「ゴードンさんこそ。何事もないようでなによりです」

 人好きのする笑みを浮かべて悠介が返すと、ゴードンはかっかっと大きな声で笑った。青い目が実に愉快そうに細められて、金色のまつげの陰に隠れる。

「こんな田舎じゃ、何か起こる方が珍しいよ!」

 ゴードンの言葉を後押しするように、どこからかピーヒョロロと暢気な鳥の鳴き声が聞こえた。
 遠くに見える山。緑に広がる草原と、人の手が入った茶色い畑。周りに高層建築はなく、道さえ踏み固められた土道ばかり。
 けれどその『珍しいこと』がつい数か月前に起きたということを忘れてはならない。

(ていうか、俺らからしてみれば、ここの毎日が珍しいことだらけなんだけどねぇ)

 一見すれば田舎としか思えないここは、ただの田舎ではない。
 悠介は数ヶ月前、ここに来たばかりのことを思い出した。

 地獄のような警察学校を卒業し、初めての勤務先に胸をときめかせながら受け取った辞令書。
 もともと交番勤務を志望していたから、希望通りの辞令を受けられて飛び跳ねたくなるほど喜んだのをよく覚えている。
 けれど実際そうしなかったのは、辞令書に似つかわしくないおかしな記載されていたからだ。

『異世界交番への派遣を命ずる』

 名前や日付とともに書かれた辞令に、悠介は目を疑った。何度も見直した。
 けれど、内容が変わることはなかった。
異世界交番。
 額面通りに受け取るなら、日本の土地ではない、地球上には存在しない、異世界の交番。

(いたずらか、間違いか……)

 問い合わせようかと思ったが、こんな頓珍漢な辞令を信じたのかと思われるのも癪だった。
 それに、辞令書の下には二日後に説明会を行うと記載されている。
 いたずらにしても間違いにしても、その時種明かしされるのだ。わざわざ連絡を取るまでもないだろう。

「でも、実在したら楽しそうだよな、異世界交番なんて」

 あるわけないと思いながらの呟きは、言った本人でも笑えるほどファンタジーだった。

 そして二日後、説明会にて辞令も呟きも事実であると知らしめられたわけなのだが。

 説明会のために用意されたのは、捜査本部が置かれる会議室だった。広く仰々しいその部屋に、けれどいるのは悠介含め三人のみ。悠介と、同じ配属になるらしい見覚えのある婦警。同期の男たちがマドンナ讃えていた女性だ。

「え、っと、佐々木さん、だよね? 女子主席の」
「ええ。佐々木まつりです。あなたは……」
「あ、二階堂悠介です。同期で、多分同じ配属先になると思う」

 変な辞令書が届いたけどね、と笑い話をすれば、どうやら彼女も同じらしい。
「二階堂くんも? 私もなのよ」と驚いた顔で返された。

 珍妙な辞令書が届いたのが自分だけではないという驚きはあったが、それでも今回の配属はきっとすごく美味しい気がする。マドンナと同じ職場というだけできっと他の同期たちの羨望の的になることだろう。
 わざわざ説明会を設けられるところは重要性が伺えるが、仕事は仕事。手抜かりなく邁進する所存である。
 しばらくの間談笑していると、三度のノックの後、どう考えても新人ではない中年の警官が入ってきた。どうやら彼が上司になるらしい。
 悠介とまつりは気を引き締めて敬礼した。
 そして、いよいよ説明会が始まった。――のだが、肩章が眩しい上司は、説明会でも紛うことなく『異世界交番』と口にした。
 悠介は上司の正気を本気で疑った。過労で現実と空想の区別さえつかなくなってしまったのかと、心底から同情した。
 それはまつりも同じようで、可哀想なものを見る目を隠しもせず上司に向けていた。
 しかし、そんな悠介たちの反応を予想通りと逆に同情的な眼差しで受け止めて、上司はなおも説明を続けたのだ。

「君たちがそう思うのも無理はない。これは、日本警察の中でも知る者は極僅か、秘匿されている勤務地なのだ」
「はあ……」

 大真面目な顔をして言う上司に悠介が気の抜けた返事をしてしまったのも、きっと無理からぬことだろう。



 そもそも、事の起こりは半年前に遡る。
 増加する一方の犯罪数に頭を抱えた警察上層部たちは、対策会議の最中、息抜きにとアルコールを摂取した。守秘義務もあって迂闊に外で酒を飲めない以上、庁内での飲酒も、まあ、非常に不本意ではあるが、致し方ないことなのかもしれない。
 しかし、問題はその後だった。

「昔さぁ、魔法陣とかハマったりしたんだよなぁ」

 ぽつりと呟いた誰かしらの暴露に、我も我もと同意する声が上がった。
 この時上がった魔法陣とは、縦横斜めの和が同じ数になるという算数的な魔方陣ではない。円の中に文字だの図形だのを書いたりする、ファンタジックな――つまりは中二病的な魔法陣である。
 警察官僚も当然ながら人間で、酒の勢いもあり懐かしくなった彼らは思い出話に花を咲かせ、若き青春時代を懐かしんだ。

 ――そこで、再度の過ちを犯した。

 誰が言い出したか、今一度、魔法陣を書いてみようという流れになってしまったのだ。

 世間一般のサラリーマンが言い出したのであれば、まだ良かったのかもしれない。
しかしこの場に集まっていたのは警察上層部、良くも悪くもエリート集団だった。
 かつては理解できなかった言語も習得して得た幅広い知識と、モンタージュ作成をこなして鍛えた画力を余すことなく発揮して、彼らは一つの魔法陣を作成した。
 その結果、異世界への扉が開いてしまったのである。

 官僚たちは震え上がった。自分たちの才能やべえ、と。

 そしてすぐさま今後の対策を考えた。
 その結果打ち出されたのが、異世界に警官を派遣する――『異世界交番』の設立である。

 事の経緯を聞いた悠介は愕然とした。阿呆としか言いようがない。上層部はいったい何をやっているのか。

「幸い、繋がった異世界に何度か偵察を派遣しているが、今のところ危険があるとは判断されていない」
「今のところは」
「……緑豊かで、空気も綺麗だそうだ」
「今のところは」

 繰り返す悠介に、上司がとうとう押し黙った。
 じっと目を合わせようとしても、意図的に、顔事逸らされて目が合わない。

「つまり、尻拭いを押し付けられた、と」
「………………。まあ、君たちにとっても悪いことではない。爆処並みの危険手当が給料に上乗せされるし、階級も巡査部長と破格の好待遇だ」
「はぁ⁉」

 悠介は耳を疑った。
 巡査部長といえば、採用から規定の勤務年数を経て、昇任試験を通らなければいけない階級だ。初任のスタートであるはずがない。
 だというのに異例中の異例を押し通すとは、上層部がどれだけ黒歴史を抹消しようとしているのかという本気具合がうかがえる。
 呆気にとられている悠介に、上司が凄むように低い声を出す。

「二階堂悠介くん、そして佐々木まつりくん――勿論・・、受けてくれるね?」
「…………は、い」

 警察官にとって、上官の命令は絶対である。
 悠介たちは絶望にも似た心地で、辞令を受け入れた。
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