俺様吸血鬼の愛し方

藤野

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3.先祖返り

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 吸血鬼ヴァンパイア

 西洋の様々な地域や宗教で伝承の内容に差異はあるが、日本にも鎖国前には既に渡っていたらしい。
 人間の生き血を糧として悠久を生きる、不死の怪物。──そう聞くとただ恐ろしい存在のようだが、吸血鬼が血を吸うのはただ一人のものだけだという。
 血を吸わなくとも、彼らは人間と同じく肉や魚、野菜などの通常の食事でも生きていけるし、血を吸われた人間が吸血鬼になるということもない。
 寿命とて、吸血鬼を含むその血を引く者は、その血が濃いほど長命ではあるが不死というには程遠い。
  
 彼らには、言い伝えがある。
  
 血を飲まずとも生きていける彼らが、唯一血を求めてやまない人間。巡り逢えるか否かはまさしく運命。
 吸血鬼はただ一人に巡り逢えた時、その者と一生を添い遂げる。

 故に、彼らはただ一人を、生涯の伴侶であるとして“花嫁”と呼ぶ。





「……どこのラブファンタジーですか?」
「作り話じゃねえよ。現実だ、現実」

 抱きしめられ、その時タイミング悪く戻ってきた律とともにスタッフルームに引き摺り込まれた千夏は呆れていた。
 見ず知らずの男にいきなりセクハラされたと思えば、今度はわけのわからない夢物語を聞かされたのだ。千夏の反応も当然である。
 いくら人魚の末裔が親友とはいえ、これはさすがに受け止めきれない。夢見がちがすぎるだろう。
 心なしか痛みだしたこめかみに指を添えて、出された紅茶に口をつける。芳醇なダージリンの香りが口いっぱいに広がって、ほっと心が安らいだ。

「えーと……セクハラ吸血鬼さん」
「誰がセクハラ吸血鬼だ。失礼極まりないな」
「ちょっと、律になんてこと言うの!? 大体、本当のことじゃない! いい加減に離しなさいよ!」

 自分のことを棚にあげてと怒る千夏を、気にしてないからと律が押さえて宥める。

「それで、名前は?」

 問われて初めて自分が名乗っていないことに気づいた彼は、そうだったかとようやく名乗りを上げた。

夜之森よのもり晃輝こうき。数ある吸血鬼の血脈の中でも特に由緒正しい夜之森家の先祖返りだ」

 さあ敬えと言わんばかりの尊大な態度に、千夏は頬が盛大に引き攣るのを自覚した。
 彼女を宥めていた律は、驚きに目を見張っている。
 数多の混血たちが熱望してやまない先祖返りが、まさかこんなに傲慢な人格だとは、混血の律でさえ思ってもみなかったことだろう。
 これは酷い。あまりにも痛いと気遣わしげに隣の律を窺い見ると、こちらもこちらで酷かった。
 律は、何か変なスイッチが入ってしまっていた。キラキラと目を輝かせ、その頬を薄紅色に上気させている。

「すごい! 私、先祖返りの方にお会いするの初めてです!」
「ふん、その正直さには好感が持てるな。いいだろう、お前にもこの俺の名を呼ぶ権利をやる。ありがたく思えよ」
「いいんですか? ありがとうございます、晃輝さん!」
「…………」

 混血同士通じるものでもあるのか、すっかり意気投合してしまった彼らがよくわからない。
 気のせいではなく痛む頭に、千夏は深く深く溜息を吐いた。
 律との付き合いは短くない。なのに、いまだに彼女についていけなくなることが少なからずある。さすがにここまで置いてきぼりを喰らったことはなかったが。

 帰りたい。一刻も早く帰りたい。服も買い物ももういいから、一秒でも早く家に帰って自分を労わりたい。

 疲れたとやつれる千夏に、すっかり親交を深めた二人が向き直る。今度は何を言い出すつもりなのやらと、彼女は心の中で身構えた。

 さぁ来い。今なら大概のことは笑って済ませられるから。

 意気込む今の気分はすっかりキャッチャーだった。
 コミュニケーションの基本は会話のキャッチボールだ。相手を肯定して理解しようとする姿勢を見せるところから始める必要がある。
 いつかの講義中の教授の言葉を思い出した。
 当時はいきなり何を言い出すのかと思ったが、今ならそれが真実だと素直に思える。ありがとう教授。

「お前はこの俺が幸せにしてやる。良き妻となり、良き母となるように努めろよ!」
「千夏、お幸せにね! あ、お式は絶対に呼んでね! あとあと、赤ちゃんも抱っこさせてほしいなー」
「ホームラン!? キャッチボールしてよ!」
「ん? 千夏、野球したいの? さすがに室内ではやめてね」 
「黙れ天然! もうやだ帰りたい! 帰らせてよお願いだから!!」

 ついに千夏は崩れ落ちた。
 私の誠意を返してと嘆く彼女は非常に哀愁漂っていた。 
 けれど悲しいかな、混血たちには伝わらない。
 心底不思議そうに顔を見合わせる二人に、千夏は堪らず涙ぐんだ。じわじわと滲んでいく視界が、いっそう涙腺を緩ませる。

「……っく、うぅ…」

 しゃくり上げる千夏の背中を律が撫でる。千夏は律にしがみつくようにして泣いた。たとえ律にも原因があっても、今この場で頼れるのは彼女だけなのだ。
 それをわかっているから、律も大丈夫と何度も声を掛けて、根気強く宥め続けるのだ。…………晃輝が恨みがましい目で凝視してくるのを気にしながら。
 先程まで笑いあっていた人の豹変した表情に、彼の顔が整っている分余計に恐ろしく感じる。口元が動いているのに気がついてしまってからは、どうして気づいてしまったのかと後悔した。
 あれは呪詛だ。オカルトチックな意味ではない。彼は、ただひたすらに同じことを呟いているだけだ。その言葉に、声に、怨嗟が多分に含まれているだけなのだ。

「俺の“花嫁”なのに……」

 ぶつぶつと繰り返す彼は最早ホラーだ。なまじ顔が整っているせいで迫力がある。
 ようやく理性を取り戻しかけていた千夏がそれに気づいて怯えた。
 すると晃輝は美顔をさらに険しくさせるものだから、逆効果だと律はほとほと呆れてしまった。
 そんな律の内心など露知らず、勢いよく立ち上がったかと思えば震える千夏に詰め寄った。

「お前は俺の妻になるんだ、なのになんで俺を頼らない!?」
「っどうして私があんたと結婚しなきゃならないのよ! 馬鹿なこと言わないで!」

 断固として拒む千夏に晃輝は苛立ちばかりを募らせる。掴む腕に力が込められた。
 痛みに千夏が顔を顰め、はっと腕が解放される。
 掴まれていた箇所を庇う彼女に晃輝は舌打ちした。 

「何とでも言ってろ。お前を娶る、それは変わらないからな」

 晃輝の紫眼が微かに赤みを増す。匂い立つ色香に眩暈がした。
 魅了チャームだ。
 律が咄嗟に千夏を背に庇う。ただの人間より、幾分かは耐性があると判断してのことだった。
 けれどその千夏が、真っ赤になって律の腕を掴んだ。
 問うよりも先に千夏が動く。律の手を引いて逃げようと走り出すその直前、千夏は見た。

(え……?)

 晃輝はその場に立っていた。追いかける素振りすら見せないで。逃げて行く二人を、千夏を見つめていた。

(あれは、だめだ)

 見るなと本能が警鐘を鳴らす。
 紫であるはずの彼の瞳は、今や完全に別の色に染まっていた。
 まるで吸血鬼が好むという血のような、鮮やかな赤に。 
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