芙蓉の宴

蒲公英

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宴にて静寂を歌う 3

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 雷の鳴る日が何日か続いたあと、からりとした晴天が来た。子供のころより高くなった気温が、じわじわと体力を奪っていく。尤も筋肉が落ちて冷えがちな身体には、この気温は有り難いと言えないこともない。七月に入ってから何日か過ぎ、休みの日には公園の噴水で子供たちが遊んでいる。
 彼女は土曜日に訪れ、また冷蔵庫にいろいろ詰め込んでいった。
「僕も料理はできるんですよ、芙由さん」
「でも先生、先生は基本的に食に無関心ですよね。卵おじやと袋入りの煮豆だけじゃ、栄養は足りません」
 勤めがあるとなかなか一日に五食摂るのは難しく、勤め先の私のデスクには補助食用のゼリーやシリアルバーが入っているが、ともすれば忘れがちになる。彼女が言うように酵素を含む野菜や消化の良い肉を考えて用意しなくとも、コンビニエンスストアで買い求められる手軽なものを口に入れることは確かに多い。
「僕はあなたにあまり、身の回りのことをして欲しくないんです」
「それは私が、余計なことをしていると仰っているのですか」
 彼女は傷ついた顔で訊き返した。
「かいがいしく世話を焼いてもらうほど、僕はあなたに何もしてやれない」
「見返りは先生の回復です。私がしたくてしていることなんです。それともご迷惑ですか」
「迷惑なはずがない、心苦しいほど感謝しています」
「では、このまま好きにさせてください。私の気が済むまで」
 このままで良いはずなどないのに、彼女の言葉に頷いてしまう。

 もう来るなと言えば良いのだ。彼女が一生懸命になってくれればくれるほど、彼女をこれ以上振り回してはいけないと思う。彼女は誰かに守られて、穏やかな憂いのない生活をすべき人だ。私のような者に時間を割かせてはいけない。そんなことはとうに承知なのに、私の口は動かない。
 習い事が一緒の男やクラスメイトだったという男が、ただ羨ましく妬ましく、私が若く力と生活力のある男ならと何度思ったろう。けれど現実の私は、若くもなければ嵩む医療費を心配する卑小な男に過ぎない。
 せめて彼女が目を見開いて、自分を安定した生活に導いてくれる男を見つけてくれれば。そして私の見えないところで、幸福になってくれれば良いのに。
 綺麗事だ、と心の中の私が言う。本当は彼女を生活ごと欲しくてたまらないくせに、彼女が来ない週末には会いに行ってしまおうかと考えるほど、彼女の声を必要としているのに。実際に彼女が別の男に心を奪われたら、必死になって引き留めてしまいそうな自分が、実に醜悪に感じる。何も与えてやれないくせに、何か与えてもらえると思っているのか。前の妻のように。それが苦しくて別れたんじゃないのか。

「明日は実家で、親戚の相手をしなくてはなりません。近所のかたも焼香しに来てくださるので、祖母は慕われていたのだなと感心します」
「話を聞いただけでも素敵な人だと思うよ。四十九日までは用事も多いだろう」
「それが過ぎたら、両親は旅行に行くそうです。何年も家を留守にできなかったので」
 家に要介護者がいるということは、そういうことなのか。自分の母親を、ふと思い出す。そろそろひとりで置いておくのは良くないと思いながら、大丈夫だよという言葉に甘えている。
「芙由さんも一緒に行って、孝行するといい」
「うちの両親はこれまで、ふたりきりの生活をしたことがないんです。母はまだ父の弟のいる家に嫁に入ったんだもの。祖母はきっちりした人だったから、窮屈なことも多かったと思います。まず父に、母の慰労をしてもらわなくては」
 それから小さく溜息を吐いた。
「私は、回復した先生と旅行に行きます。あまり待たせないでくださいね」
 微笑んだ彼女に、咄嗟に返事ができなかった。その日が来れば良いという希望と、そこまでこの関係が続くのかという疑念と。
「どこか綺麗な場所で、美味しいものをたくさん食べましょうね」
「そうだね。どこに行こうか」
 私の答えを、彼女は鮮やかな笑顔で受け止めた。その顔を見て、遅ればせながら私自身の執着を自覚する。この笑顔を外の男に向けさせたくない。

 座卓に肘をついている彼女を、抱き寄せた。
「先生?」
 委ねられた身体を撫でさすりながら、目を閉じる。
「あなたが誰のものにも、ならないといい」
「そんなこと、はじめて言ってくださった」
 彼女の腕が私の背にまわった。伝わってくる鼓動は、生の証のようだ。
 身体を繋ぐより強いその体温の交流に、私たちは長いこと動かずにいた。
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