芙蓉の宴

蒲公英

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雨を浴びながら伸びる枝 3

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 仕事帰りに実家に寄った。祖母は早々に寝室に引き上げてしまい、両親とお茶を啜った。
「最近、休みの日は忙しいのね。前は必ず来てたのに」
「習い事も楽しいし、新しいお友達が増えたの。おばあちゃん、ちゃんと散歩してる?」
「芙由が来ないと億劫がってねえ。やっぱり家だと管理が難しいからって、来月はまた入院したほうが良いって言われたわ。少しずつ弱っていくのね」
 年老いても頑健な人も、確かにいる。でも大抵の人は、そうやって立木が枯れるように静かに力を失ってゆくのだ。
 では、彼は? 手術は終わったのに、これからも治療が続くという。それは彼の身体の中に、まだ良くないものが残っているということなのだろうか。もともと痩せ型の彼は、退院後にますます痩せていた。訪ねたときに、今日は調子が良いからと言って口にした揚げ物を、何の前触れもなく吐き、申し訳なさそうな顔をした。食べることにすらリハビリが必要だなんて知らなかった私は、驚いて見ているだけだった。
 あの手と、あの声と。彼と生活してみたいと思っているわけでもないのに、離れた途端に体温を感じたくなる。
 恋人というほど甘やかではなく、情人というほど身体を求めているわけでもない。彼の何に呼ばれているのか、自分でもわからない。未来を託せる相手ではなく、彼を支えて生きてゆくほど私は強くない。何故という問いに、私の中では答えが出ている。おそらくこれは、ひとつの恋の形なのだ。何も知らずに過ごしていたころの浮き立つような甘やかさでなく、別れの予感に恐怖して眠れなくなるような激しい感情でもなく、ひたすらに彼の横にいるだけの時間が愛しい。

 彼が私に読ませるために書いたという物語を読み、書いた本人を目の前に溜息を吐いた。LGBTを主題に持ってきたのは意外だったけれど、愛のお話だった。彼が紡ぐ物語はいつも、どこか悲しく生き難い人たちが出てくる。あれが彼の人間を観察する目なのかと、少し不思議になる。誰でも日常生活の中で得る情報は大きく変わらないのに、見え方は大きく違うのだなと思う。何をクローズアップして受け取るのか決めるのは自分自身だから、彼はおそらく人間の営みに興味があるのだ。その視点が、とても優しい。
 私はまだ、人間を優しい目で見ることができない。元の夫の死すら願い、自分だけが解放されたい。ましてやその奥さんが辛い思いをしていることなんて、本音を言えばザマアミロと思っているのだ。彼女に罪がないことは知っている。独身だと思っている男と同棲していただけだ。その男が既婚者だと知ったときにはもう引き返せない場所まで来ていて、どうしようもなかったろう。
 私が彼女の立場なら、結婚しないという選択肢はあったろうか? おまえと一緒になるために慰謝料を払ったと言われ、家を持っているからそこに住むのだと決められたら、ついて行くしかなかっただろう。かつてそこに暮らしていたのが見捨てた母と妻だとは、あの男でも言えなかったに違いない。考えれば考えるほど気の毒だとは思うが、やはり私は、ふたりの不幸を願ってしまう。
 これをどうでもいいと思える日が、早く来ればいい。まったく無関係な人のように、道ですれ違っても気がつきもしないようになりたい。

 彼は別れた奥さんの話はまったくしないけれども、離婚の原因については生活感の違いだと言っていた。僕がね、甘やかされた立場にあまんじてしまっていたのですよ。自立した男女じゃなかった。庇護することに執着する女と、庇護されることに疑問を抱かない男だったんです。詳しく聞くことはなくとも、彼があの年になってから就職したのは、おそらく奥さんの所得がメインの生活をしていたからだろう。
 そう考えれば本当に、未来を共にする男じゃないことはわかる。私は配偶者を抱えこめるほど、生活力があるわけじゃない。でも今は、彼と一緒にいたい。それがいつまでと期限はないのだけれど。

「芙由は良い人が見つかりそう?」
 母が唐突に言う。
「おい、それは本人に任せると言った。それにまだ、片付いていないだろう」
 父が諫めるのを、母が不満げに見る。
「だってね、怖いのよ。芙由が寂しく年をとっていっても、私たちは助けてあげられないんだから。旦那さまがいなくても、子供がいればまだいいわ。だけど両方いないっていうのはね」
 母が言っていることは理解できるけれど、それに返事することはできない。誰かと共棲みして生活を作り上げることは体力を使う。それは恋愛のモチベーションとは別のことなのだ。
 恋はおそらく、している。欲しいのは彼だけれど、生活基盤の中に欲しいわけじゃない。
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