芙蓉の宴

蒲公英

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雨を浴びながら伸びる枝 1

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 高熱を発しているときは疲れたが、入院生活は退屈だ。朝早くに検診がまわれば、あとは特に何もない。胃の三分の二を切除したことでもたらされる身体の不都合のため、食事にはおそろしく時間がかかるが、あとは血栓予防のため院内を歩き回り、同じ病室の人と世間話をし、ベッドでひたすら体力の回復を待つ。やけに目が疲れると頭に手をやったら頭皮がひどく固くて、慌てて髪の中に指を突っ込んでマッサージしたりする。
 持ち込んだ小型のパソコンは、暇潰しに役に立った。プロットを文章にしていくのだが、依頼があって書いているものではないため、フリースタイルで思い付きで話が転んだりする。入院前に書きはじめた小説を書き上げ、次は何を書こうかなと思ったところで、やっとシャワーを浴びる許可が出た。
 彼女との連絡は、すべてメールだ。私が電話をできる時間は彼女が仕事中だし、彼女が電話をできる時間は私が病室に入っている。ときどきスマートフォンで撮影した写真が送られてくる。ちょうど八重桜が見頃だ。来年は一緒に、とある。

 退院が近いだろう日曜日に、彼女は電車を乗り継いでやって来た。
「少し痩せられましたね」
「食事がね、元の通りに摂れるようにはならないから」
「でももう、悪いところは取ってしまったんでしょう? 体力さえ回復すれば」
 胃を三分の二切除して終わりではないのだ。食事に関してもリハビリが必要で、一日中少しずつ食べ続けている。
「とりあえず、早く退院したいよ。病院の生活リズムには、慣れないね。朝も夜も早すぎて」
 姉が忙しい中、寝巻や下着の洗濯をしてくれている。今までそんなに濃い姉弟関係ではなかったのに、有難いことだ。人間はやはり、ひとりでは生き難いようにできているらしい。
 白いカーテンで区切られたスペースの中、彼女は私の唇に唇を寄せた。
「次にお会いするのは、病院の外ですね」
「そうですね。散歩にでもつきあってもらいましょうか」
「近所を一周だけですよ」
 そんな言葉だけで、ツツジの咲く公園を彼女と歩く光景が浮かんでしまう。

 退院するより前に、病理の結果が出た。モニターに映された画像を見ながら、説明を聞く。
「思いの外深くて、血管への浸潤があります」
 予測ステージよりも少し良くない状態で、血液に乗って転移する可能性があるという。現在は見られないが、予防的に抗がん剤を使うか検診で様子を見ながら生活するか、次の検診まで考えてくれと言う。再発の可能性としてのパーセンテージは大きく思えないが、医師に言わせると充分に大きな数字だそうだ。
「次の検診までに決めてください。試しに使ってみて、副作用が強ければ薬を変えることもできます」
 入院して点滴を打つのかと思ったら、錠剤を飲むだけで、仕事をしながら治療できるらしい。私の知識はずいぶん古いようだ。
 長生きしようとは思っていないが、不肖の息子でも心配する母がいる。せめて母を送ってからと思うのは、自然な感情ではないか? 五月の連休には母の家を訪れて、手が届かないと言っている風呂の天井掃除をするつもりだった。たった二週間ほどでは、食事のリハビリも間に合わない。

 門柱の横の芙蓉の木は、もう青い葉を広げはじめているだろう。明るい色の枝には、まだ蕾は見えない。光を浴びて広がる葉が力を蓄え、梅雨を迎えて水を蓄えると、暑い夏に次々と花を咲かせる。夜に萎んでポトリと落ちた花は、緋桃の中に青を宿した色をしている。
 あの花の下で、彼女を見つけたのだ。生涯の中で最後の恋になりそうな予感のする、彼女を。
 生きなくてはならない。たとえ彼女が外の場所で違う恋をするとしても、私の恋が終わるわけじゃない。人の死というのは、好意を持たない相手ですら悲しい記憶だ。彼女にもう、そんな思いをさせたくないのならば、今の私は生きていなくてはならない。
 次の検診の医師への返事は、迷うこともなく決まっていた。
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