芙蓉の宴

蒲公英

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天に向かい広がる葉 2

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「このあたりのことは、ご存知ですか」
 まだ帰すのは惜しくて、そんなふうに切り出した。
「大して見るものもない地方都市ですが、大きな公園があります。まだ日も高い。散歩しましょう」
 彼女も話の接ぎ穂に困っていたのだろう、すぐに賛成の返事が来た。

 十分ほど歩いて公園に到着すると、思いの外風が強い。濃い色の早咲きの桜がもう終わっていて、花の季節の中継ぎのように辛夷が咲き、背の低い木瓜の木が華やかな色を添え始めている。彼女の髪が風に靡き、コートの裾がはためく。
「この公園、桜の木が多いのですね。来週末くらいでしょうか」
 枝の先に一輪二輪と咲いている花を見上げて、彼女が言う。
「そうですね、咲きはじめるとぱあっと咲きますから。閉園になるまで、花見客がビニールシートで飲み食いしてますよ」
 幹から直接出ているような花を、スマートフォンで撮影する。本当は彼女を撮影したいと思ったが、どう言い出して良いのかわからなかった。横を歩く彼女の体温が、風に遮られて感じられない。
 この苦しさを抱えた人が、少しでも呼吸しやすくなるように。私は無力だが、祈ることはできるだろう。なんの救いにもなれなくとも、私は彼女を傷つけたり貶めたりしない。彼女を取り巻く事情の中に、こんな人間がひとりでも多くいることを、彼女が理解していればいい。
「その後、何か事件はありましたか」
「弁護士さんが頑張ってくれているようです。直接は何も」
「早く落ち着けると良いですね」
 そんな話をしただけで、黙りがちに公園の中を歩いた。

 風の冷える時間になった。
「そろそろ引き上げましょうか。駅のほうへ歩けば、軽い食事のできる店もあります」
 私を見上げた彼女の表情から、目が離せなくなった。まだ帰したくない。
「駅まで行ったら、帰らなくてはならなくなります」
 彼女の唇が、小さく動く。この言葉を、どう受け止めたら良いのだろう。
「あの閉じた部屋から、逃げ出してきたんです。どこにも行けなくて」
 それきり唇を結んだ彼女を、ただ見ていることしかできなかった。せめて私が彼女の感情の受け皿になれる状況であれば、いつでも逃げて来いと言ってやれるのに、今はそれすら難しい。
 しばらく合っていた視線を逸らし、彼女はやっと口を開いた。
「ごめんなさい、我儘を言いました。先生はお困りですね」
 細い道で迷子になったように、彼女は行き先を見失っている。その姿は、あまりにも小さくて痛々しい。
「僕の部屋に戻りましょうか。しばらく留守する理由と、予定が立たない理由をお話します」
 彼女の不安定さと自分の不安定さを天秤にかけて、結局は言い訳になってしまうような気がする。それでも私が彼女を疎んでいると誤解されるよりは、ずっと良いように思った。

 部屋の中が暗くなるまで、私と彼女は話をした。そんなに長い時間ではないが、とても密度の濃い時間だった。病院を訪ねたいと彼女は言い、それが可能になれば必ず連絡すると私は約束した。
「おそらくね、そんなにひどい状態ではないと思いますよ。実際、気がつかなかったのだし」
「大変な病気です。そんなときに私は、自分のことばかり……」
「言わないようにしていたのですよ。ネガティブなイメージのあることなので」
 彼女は心底申し訳なさそうに、向かい側に座っていた。そんな態度にさせた私も却って申し訳なくて、黙ってお茶を淹れ替えた。
「暗くなりましたね、カーテンを引かなくては」
 そう言って立ち上がると、彼女ははっとしたように視線を上げた。

 また絡まった視線を解くことができない。おそらく手を伸ばしたのは、私のほうが早かった。これを恋にはするまいと思っていたのに、私の腕は言うことを聞かず、それに委ねられる彼女の身体は柔らかかった。
 そうして私たちは、ふたたび体温を分け合ったのだ。
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