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いらない子ですか
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本社での挨拶が終わっても、まだ定時じゃない。舘岡中の主事室に戻ると、三時休憩の最中だった。
「和香ちゃん、どうだった? 上手くやっていけそう?」
口を開いたのは、勤続十年の金子さんだ。普段は午前中だけのパートなのだが、和香が本社に行くというので、和香の代わりに午後もいてくれたらしい。
「和香ちゃんがいなくなっちゃうと、俺が大変だよなぁ。力が必要な場所とか、高い場所とか」
背は高いけれど痩せ型の中山さんは、唯一の男性だ。それに被せるように、背が低くて小太りの鈴木さんが言う。
「男仕事担当は、他の学校でもひとりだけよ。中山さんが和香ちゃんに、甘えすぎてただけでしょ」
中山さんがムッと口を噤んだところで、お茶のマグを和香に差し出した金子さんが、口を開いた。
「なんにせよ、良かったわ。私、何度も本部に『和香ちゃんがもったいないから、どうにかしてあげて』って頼んでたんだもの」
「私も言ったわー。ロートルに囲まれて仕事するには早すぎるって」
何を余計なこと言ったんだ、このおばさんたち。あんたたちのフォローをしていたことはあっても、放り出されるような働き方はしてないじゃないか。それとも一緒に仕事したくないと、嫌われていたんだろうか。
「私、辞めた方が良かったですか?」
情けない声が出た。
「そりゃ私たちは、和香ちゃんがいてくれればラクだけど。和香ちゃんにとっては、どう考えても良くないの。もともとここは、年寄のペースで四人工なのよ。時給が安いのも、軽作業って括りだから。和香ちゃんがすっごく熱心に仕事して、できることが増えたって、会社は評価できないのよ。あくまでも人工で考えて予算組みしてるんだから、能力で昇給したら他の人もそうしなくちゃならなくて、マージンが少なくなってしまう。そうしたら、請負業はやっていけない」
勤務年数が長く、会社の内情に詳しい金子さんが言う。
「和香ちゃんは身体が動くしやる気があるんだから、もっといろいろなことを覚えた方が良いと思うのよ。ここではルーティンの作業がスピードアップするだけだよ」
ひとつの企業で勤め上げ、まだ働きたいと再就職してきた鈴木さんも言う。
「でも、俺が大変に……」
中山さんの言葉は、金子さんと鈴木さんに黙殺された。
まだ定時までに時間があるからと、印刷室の床にモップをかけていたら、理科の水木先生が入ってきた。三十前後の年齢の独身男性、いつも朗らかな態度である。同年代の女性の次に、和香が苦手な層だ。意識しすぎだからだとは、自分でも理解している。
「あ、ありがとうございます。お疲れさまです。榎本さんがいつも綺麗にしてくれるから、僕らも気持ちよく使えます」
爽やかな笑顔で労われ、下を向いたままアリガトウゴザイマスと呟く。こんなときに元気よく笑顔で礼が言えれば、印象はずいぶん違うんだろうなと自己嫌悪を感じる。それができればきっと、こんな仕事はしていない。消去法で残った仕事なのだから。いろいろな場所で馴染めなくて、ひとりでいるって選択もできなくて、かと言って引きこもりもできず、やっと辿りついた場所だ。
水木先生は印刷したものを纏めて、失礼しましたと出ていった。
「水木先生って、和香ちゃんのこと気に入ってるよね」
雑巾を握った鈴木さんが、唐突に言う。
「そんなわけ、ないです」
咄嗟に否定が出る。
「私たちジジババには、あんな風に話しかけないよ、あの人。美化委員の清掃指導も、和香ちゃんが直に頼まれてるでしょ?」
請負業の場合、本来ならば発注者(この場合は中学校の施設管理責任者)が、受託者(佐久間サービス)に依頼を出し、そこからの指示で労働者が動く。発注者(大抵、副校長や副館長だ)側から労働者への直接指示は、偽装請負に当たる可能性がある。まして発注者でない施設の使用者からの依頼は、本来ならばあり得ない。
っていうのは表向きで、実際のところ施設管理責任者は大抵多忙だし、蛍光灯が切れたとか壁紙が剥がれかけてるなんて、気がつかない。気がついた先生が、主事室に直接言いに来る。そこで本社に行動しても良いのかと確認するのが筋なのだが、返事は決まっているので勝手に動くほうが早い。管理さんと連絡が取れないこともあるし、本社の事務に伝えたって、指示は出してくれない。そして依頼ごとの中には、施設管理だけじゃなくて学校運営に関することも、稀に含まれているのだ。
確かに水木先生からは、直接和香に話が来ることが多い。けれどもそれは美化委員会担当教師としてであって、個人的にどうということではないはず。
「リーダーは一応、中山さんだからね。和香ちゃんが来るまでは、中山さんに話が行って、それからの人にまわったのよ。今は和香ちゃんご指名じゃない?」
「それは多分、中山さんが掃除ポイントを説明できないからだと思う……」
子育てが終わって構う相手がいなくなった主婦は、自分の子供と年齢の近い和香が、気になって仕方ないらしい。
「水木先生、いいじゃないの。生徒たちからも人気があるし、真面目そうよ」
こちらが値踏みしたって、相手がこちらをどう見ているのか、わかるわけがない。いくら和香が水木先生に好意を抱いていたとしても。
「和香ちゃん、どうだった? 上手くやっていけそう?」
口を開いたのは、勤続十年の金子さんだ。普段は午前中だけのパートなのだが、和香が本社に行くというので、和香の代わりに午後もいてくれたらしい。
「和香ちゃんがいなくなっちゃうと、俺が大変だよなぁ。力が必要な場所とか、高い場所とか」
背は高いけれど痩せ型の中山さんは、唯一の男性だ。それに被せるように、背が低くて小太りの鈴木さんが言う。
「男仕事担当は、他の学校でもひとりだけよ。中山さんが和香ちゃんに、甘えすぎてただけでしょ」
中山さんがムッと口を噤んだところで、お茶のマグを和香に差し出した金子さんが、口を開いた。
「なんにせよ、良かったわ。私、何度も本部に『和香ちゃんがもったいないから、どうにかしてあげて』って頼んでたんだもの」
「私も言ったわー。ロートルに囲まれて仕事するには早すぎるって」
何を余計なこと言ったんだ、このおばさんたち。あんたたちのフォローをしていたことはあっても、放り出されるような働き方はしてないじゃないか。それとも一緒に仕事したくないと、嫌われていたんだろうか。
「私、辞めた方が良かったですか?」
情けない声が出た。
「そりゃ私たちは、和香ちゃんがいてくれればラクだけど。和香ちゃんにとっては、どう考えても良くないの。もともとここは、年寄のペースで四人工なのよ。時給が安いのも、軽作業って括りだから。和香ちゃんがすっごく熱心に仕事して、できることが増えたって、会社は評価できないのよ。あくまでも人工で考えて予算組みしてるんだから、能力で昇給したら他の人もそうしなくちゃならなくて、マージンが少なくなってしまう。そうしたら、請負業はやっていけない」
勤務年数が長く、会社の内情に詳しい金子さんが言う。
「和香ちゃんは身体が動くしやる気があるんだから、もっといろいろなことを覚えた方が良いと思うのよ。ここではルーティンの作業がスピードアップするだけだよ」
ひとつの企業で勤め上げ、まだ働きたいと再就職してきた鈴木さんも言う。
「でも、俺が大変に……」
中山さんの言葉は、金子さんと鈴木さんに黙殺された。
まだ定時までに時間があるからと、印刷室の床にモップをかけていたら、理科の水木先生が入ってきた。三十前後の年齢の独身男性、いつも朗らかな態度である。同年代の女性の次に、和香が苦手な層だ。意識しすぎだからだとは、自分でも理解している。
「あ、ありがとうございます。お疲れさまです。榎本さんがいつも綺麗にしてくれるから、僕らも気持ちよく使えます」
爽やかな笑顔で労われ、下を向いたままアリガトウゴザイマスと呟く。こんなときに元気よく笑顔で礼が言えれば、印象はずいぶん違うんだろうなと自己嫌悪を感じる。それができればきっと、こんな仕事はしていない。消去法で残った仕事なのだから。いろいろな場所で馴染めなくて、ひとりでいるって選択もできなくて、かと言って引きこもりもできず、やっと辿りついた場所だ。
水木先生は印刷したものを纏めて、失礼しましたと出ていった。
「水木先生って、和香ちゃんのこと気に入ってるよね」
雑巾を握った鈴木さんが、唐突に言う。
「そんなわけ、ないです」
咄嗟に否定が出る。
「私たちジジババには、あんな風に話しかけないよ、あの人。美化委員の清掃指導も、和香ちゃんが直に頼まれてるでしょ?」
請負業の場合、本来ならば発注者(この場合は中学校の施設管理責任者)が、受託者(佐久間サービス)に依頼を出し、そこからの指示で労働者が動く。発注者(大抵、副校長や副館長だ)側から労働者への直接指示は、偽装請負に当たる可能性がある。まして発注者でない施設の使用者からの依頼は、本来ならばあり得ない。
っていうのは表向きで、実際のところ施設管理責任者は大抵多忙だし、蛍光灯が切れたとか壁紙が剥がれかけてるなんて、気がつかない。気がついた先生が、主事室に直接言いに来る。そこで本社に行動しても良いのかと確認するのが筋なのだが、返事は決まっているので勝手に動くほうが早い。管理さんと連絡が取れないこともあるし、本社の事務に伝えたって、指示は出してくれない。そして依頼ごとの中には、施設管理だけじゃなくて学校運営に関することも、稀に含まれているのだ。
確かに水木先生からは、直接和香に話が来ることが多い。けれどもそれは美化委員会担当教師としてであって、個人的にどうということではないはず。
「リーダーは一応、中山さんだからね。和香ちゃんが来るまでは、中山さんに話が行って、それからの人にまわったのよ。今は和香ちゃんご指名じゃない?」
「それは多分、中山さんが掃除ポイントを説明できないからだと思う……」
子育てが終わって構う相手がいなくなった主婦は、自分の子供と年齢の近い和香が、気になって仕方ないらしい。
「水木先生、いいじゃないの。生徒たちからも人気があるし、真面目そうよ」
こちらが値踏みしたって、相手がこちらをどう見ているのか、わかるわけがない。いくら和香が水木先生に好意を抱いていたとしても。
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