薔薇は暁に香る

蒲公英

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 マウニからの催促が激しいからと、サウビは休みを取らされて草原の村に向かった。到着するや否やマウニはサウビに張り付き、片時も離れずに
お喋りを続けた。
「兄さんはしばらく帰らないって言うし、サウビはバザールに行ったまま。ギヌクは兄さんの分まで忙しく飛び回っていて、お喋りのための言葉が身体一杯に詰まっているのよ」
「まあ。お友達がたくさんいるじゃありませんか」
「生い立ちを憐れむ人たちと、長く話すのは疲れるわ。私は兄さんとふたりで寂しかったけれど、不幸ではなかったのよ。だってそれしか知らないんですもの。父さんのことは確かに不幸だったわ。でも兄さんが、守れるだけ守ってくれていた。他人に憐れまれるような育ち方はしていないのよ」
 言い切るマウニに、サウビは見蕩れた。自分に足りないのは、この自尊心のもたらす強さだと思う。

 ノキエのいない家に泊まるのもおかしな話だけれど、市の立つ日に合わせて商人に運んでもらったので、マウニも泊まるという。
「兄さんは僧院に、私を管理者だと申告していったの。おかげで市の許可やら地代の受け取りやらって、意外にここに来ることが多いのよ。朝早くからいなくちゃならないから、忙しい日はギヌクがこちらに来ることになったの」
 マウニは不平らしく言ったが、傍で見ていると結構な女主人ぶりだ。
「慣れているもの。兄さんは籠ると眠ることも食べることも忘れてしまうことを、知っているでしょう? 催促に行くと扉越しに、署名はしてあるから印だけ押しとけ、なんて言うんだもの。そんな日は、全部私が代わっていたのよ」
 忘れていたが、サウビがはじめてこの家に来たとき、マウニは確かにそんな働きをしていた気がする。まだほんの少女だったころから兄の代わりができていたなんて、と感心してから、あることに気がついた。ノキエとマウニには、お互いしかいなかったのだ。ノキエに何かが起こったときにマウニが何もできなければ、この家と土地は無法地帯になってしまう。
「ノキエはそうやって、自分の不慮に備えたのではありませんか」
「そんなわけないわ。兄さんはああ見えて、思いつきで動く人なのよ」
 マウニは頬を膨らませてみせた。

 もう初夏に近くなっている庭は、花が咲きはじめている。冬の間に手入れした薔薇は蕾をつけ、一番の花が翌日には開きそうだ。この花の色を覚えてからバザールに帰ろう。色づいた蕾の先を撫で、見せたかった人を思い出す。まだ火の村にいるのだろうか。いつまでいるのだろう。
「もうみんな店仕舞いして帰ったわ! サウビ、食事にしましょうよ。お腹がペコペコ」
 マウニが家の中から呼ぶ。
「ギヌクを待たなくて良いのですか」
「意地悪言わないで、竈の上で良い匂いをさせているスープを出してちょうだい。ライギヒが持って来てくれたイネハムのお菓子もよ」
 先刻までの女主人ぶりは消えて、妹のようなマウニが戻ってくる。その変わりようが可愛らしく、サウビはまたイケレを思い出す。会ったときにずいぶん大人びたと感じたが、もしかすると自分が変わっていないだけなのではないだろうか。停滞していた三年間の間に、たくさんのものに追い抜かれてしまった。
 それを正常に戻せたら、もう一度ノキエと向かい合うことができるだろうか。サウビは頭を横に振る。それだけじゃない、そんなことだけではないのだ。

 明け方に庭に出て、薔薇の前に立った。開きかけた花びらは、東の空と同じ色に見える。ノキエの母親への思慕は、美しく花開くのに。空を渡る風は、北の森にも火の村にも吹くに違いない。まだ春でしかない場所に初夏の風が吹けば、そのなかには薔薇の香りも含まれているだろう。

 バザールに向かうという商人に頼み、荷車に乗せてもらうことになった。
「次は私が行くわ。市の日にゆっくりお買い物ができなくなったから、いろいろ不便なの」
 ギヌクに肩を抱かれながら名残惜しそうに見送るマウニに、サウビは手を振った。あんなに悲しんでくれるからと心配していたマウニは、サウビがいなくても大丈夫だ。保護者然としていたノキエは戻って来ず、話し相手がいないと言いながら、しっかり生活を営んでいる。
 自分が頼られたいだけだったのだと、サウビはふっと笑った。こんなに頼りない女に、何かを守れたり救ったりできるはずがないのに。
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