55 / 60
55.
しおりを挟む
「結婚記念日だよ、秀さん」
「そうだったか?」
「嘘っ! 忘れてたの?ひどい!」
別に忘れちゃあいない。箱詰めにした茜の衣服と少々の本を車に積んで、自分のアパートに運んだ。新しい布団を買いに行き、箸だけでも揃えようと食器売り場を歩いた。あれから一年も経ったのか、それともまだ一年なのか。
「たまには外で待ち合わせするか」
予約の必要な店でなくとも、少々の特別感は味わえるだろう。お互い昼間は仕事があるのだから、家で用意させるよりも負担が少なくなる。
「でも、作業着じゃ居酒屋でしょ?」
「バカにすんな、車に乗っけとけばいいだけじゃねえか」
まあ相手は相手だし、あんまり期待しないで置こうと思いながら茜はその日一日を過ごした。自分も仕事帰りだしなーなんて、期待しないフリでお気に入りのピンクのバッグとお揃いのパンプス。可愛いと言ってくれるわけじゃないし、下手すると何を着ているのかも気がつかない男だ。秀一が持って出たのはシャンブレーのシャツとブレザーなのだから、(っていっても、コーディネートしたのは茜である)少なくとも焼き鳥屋じゃない。どこか店を予約しているのでもないし、落ち合ってからどこに行くか考えよう。イタリアンかな、秀さんは和食のほうがいいんだろうなあ。
「お、平野さん珍しいね。どこか寄り道?」
ロッカールームで着替えた秀一に、同僚が声をかけた。
「いや、メシ食いに」
「そのカッコ、三沢ちゃんの見立てだろ? 若い嫁さん貰うと、若返るねえ」
アイボリーのシャツとチャコールグレーのブレザーは、そんなに値の張らないものだ。最近の若い奴は金をかけずに着まわしの利くアイテムを揃えるのが上手で、秀一の服は大して増えていないのに、なんとなくスマートに見えるらしい。
「そんなカッコしてるとなりゃ、どこか予約してるんだ。何、誕生日?」
「結婚記念日……」
言葉が尻切れになった。気恥ずかしいこと、この上ない。
「ああ、一年目かあ。俺も昔は、花なんて買って帰ったことある。子供ができるとそっちにバタバタして、忘れちゃうけどな。今じゃ母ちゃんも忘れちゃってるし、なーんもしねえけど」
同僚がけらけらと笑う。
「甘やかしていられるうちは、甘やかしてやった方がいいよ。女はいろいろ大変だから。ところで、どんなとこ行くの?」
「困ってんだ、女連れてくとこなんて知らないから」
仁王の困り顔に、同僚は吹き出した。
「四十過ぎた男の悩み事じゃないな、平野さんらしいや。おい、ちょっと女の子たち!」
ロッカールームを出たところで同僚は数人の女子社員に声をかけて、勝手に場所をリサーチしはじめた。
「え、結婚記念日? 羨ましー! 夜景のきれいなとこ、とか?」
「三沢ちゃんなら、どこでも喜ぶんじゃない? 平野さんがフレンチとかって、無理そうな気がする」
「多国籍料理なら大丈夫かなあ。あんまりロマンチックじゃないけど」
「簡単な懐石なら知ってる! 予約なしで行ける」
わいわいと案が出て、箸で食べられる気楽なフレンチが良いと勝手に決めつけられ、誰かが早々に予約を入れる。秀一の意思はこの際、全然関係ない。女の子たちがノリノリで予定を決定してしまうのを、呆然と見ているだけである。
「な? こういうことは女の子の頼むに限るんだ。奴ら、妙なパワーがあるから」
ニヤリと笑う同僚に、無言で頷く。確かに自分の知識では、考えもつかない。
「はいっ、ここの予約しましたー。地図はこれね。あとね、今駅前の花屋さんにも電話しといたから、行きがけに受け取ってね」
「花ぁ?」
素っ頓狂な声が出る。花なんか持って電車に乗れってのか、こいつらは。
「それはね、私たちから三沢ちゃんにプレゼント。よろしく言っといてね。わざと忘れちゃダメだよ?」
「おまえらが茜に直接渡しゃいいだろうが」
面白がられているのがわかっているのに、好意の皮を被っているので拒否できない。
「だーめっ! それを渡す平野さんの顔まで、プレゼントだから」
ウウと唸りながら、秀一は店までの地図を受け取った。
「……おっさん、からかいやがって」
「からかってませーん。幸せの恩恵に与ろうとしてるんでーす」
「言っとけ、バカども」
社内の女の子たちと気軽に話すようになったのも、茜の置き土産だ。すぐに入れ替わってしまう若い女たちなんて、正確に仕事してくれれば、どうでも良かった。
「何の騒ぎっすか?」
若い同僚が、女の子の固まりの中に頭を突っ込みたがる。
「平野さん、結婚記念日なんだって」
「三沢ちゃんが平野さんに捕まっちゃってから、一年も経ったのかあ」
失礼な言い草だが、外側から見ればそんなものだろう。若い女を嫁に貰った幸福な男、それが自分の評価だ。
「娘くらいの嫁さんって、どんな感じっすか? 可愛くてしょうがないんじゃ」
「一年も一緒に住んでりゃ、そんなんじゃ済まねえ」
まだ未婚の同僚には、わかりにくいだろう。
「またまたぁ。三沢ちゃんって家ではどんな感じです? やっぱり可愛いんじゃないっすか?」
可愛いのは否定しないが、口に出しての肯定もできない。秀一が外に向かって言えることは、これだけだ。
「どんなって言ったってなあ。朝起きると見る最初の女で、寝る前に見る最後の女だ」
これの言外の意は、誰にも言わない。茜本人にすら、言うつもりはない。
「そうだったか?」
「嘘っ! 忘れてたの?ひどい!」
別に忘れちゃあいない。箱詰めにした茜の衣服と少々の本を車に積んで、自分のアパートに運んだ。新しい布団を買いに行き、箸だけでも揃えようと食器売り場を歩いた。あれから一年も経ったのか、それともまだ一年なのか。
「たまには外で待ち合わせするか」
予約の必要な店でなくとも、少々の特別感は味わえるだろう。お互い昼間は仕事があるのだから、家で用意させるよりも負担が少なくなる。
「でも、作業着じゃ居酒屋でしょ?」
「バカにすんな、車に乗っけとけばいいだけじゃねえか」
まあ相手は相手だし、あんまり期待しないで置こうと思いながら茜はその日一日を過ごした。自分も仕事帰りだしなーなんて、期待しないフリでお気に入りのピンクのバッグとお揃いのパンプス。可愛いと言ってくれるわけじゃないし、下手すると何を着ているのかも気がつかない男だ。秀一が持って出たのはシャンブレーのシャツとブレザーなのだから、(っていっても、コーディネートしたのは茜である)少なくとも焼き鳥屋じゃない。どこか店を予約しているのでもないし、落ち合ってからどこに行くか考えよう。イタリアンかな、秀さんは和食のほうがいいんだろうなあ。
「お、平野さん珍しいね。どこか寄り道?」
ロッカールームで着替えた秀一に、同僚が声をかけた。
「いや、メシ食いに」
「そのカッコ、三沢ちゃんの見立てだろ? 若い嫁さん貰うと、若返るねえ」
アイボリーのシャツとチャコールグレーのブレザーは、そんなに値の張らないものだ。最近の若い奴は金をかけずに着まわしの利くアイテムを揃えるのが上手で、秀一の服は大して増えていないのに、なんとなくスマートに見えるらしい。
「そんなカッコしてるとなりゃ、どこか予約してるんだ。何、誕生日?」
「結婚記念日……」
言葉が尻切れになった。気恥ずかしいこと、この上ない。
「ああ、一年目かあ。俺も昔は、花なんて買って帰ったことある。子供ができるとそっちにバタバタして、忘れちゃうけどな。今じゃ母ちゃんも忘れちゃってるし、なーんもしねえけど」
同僚がけらけらと笑う。
「甘やかしていられるうちは、甘やかしてやった方がいいよ。女はいろいろ大変だから。ところで、どんなとこ行くの?」
「困ってんだ、女連れてくとこなんて知らないから」
仁王の困り顔に、同僚は吹き出した。
「四十過ぎた男の悩み事じゃないな、平野さんらしいや。おい、ちょっと女の子たち!」
ロッカールームを出たところで同僚は数人の女子社員に声をかけて、勝手に場所をリサーチしはじめた。
「え、結婚記念日? 羨ましー! 夜景のきれいなとこ、とか?」
「三沢ちゃんなら、どこでも喜ぶんじゃない? 平野さんがフレンチとかって、無理そうな気がする」
「多国籍料理なら大丈夫かなあ。あんまりロマンチックじゃないけど」
「簡単な懐石なら知ってる! 予約なしで行ける」
わいわいと案が出て、箸で食べられる気楽なフレンチが良いと勝手に決めつけられ、誰かが早々に予約を入れる。秀一の意思はこの際、全然関係ない。女の子たちがノリノリで予定を決定してしまうのを、呆然と見ているだけである。
「な? こういうことは女の子の頼むに限るんだ。奴ら、妙なパワーがあるから」
ニヤリと笑う同僚に、無言で頷く。確かに自分の知識では、考えもつかない。
「はいっ、ここの予約しましたー。地図はこれね。あとね、今駅前の花屋さんにも電話しといたから、行きがけに受け取ってね」
「花ぁ?」
素っ頓狂な声が出る。花なんか持って電車に乗れってのか、こいつらは。
「それはね、私たちから三沢ちゃんにプレゼント。よろしく言っといてね。わざと忘れちゃダメだよ?」
「おまえらが茜に直接渡しゃいいだろうが」
面白がられているのがわかっているのに、好意の皮を被っているので拒否できない。
「だーめっ! それを渡す平野さんの顔まで、プレゼントだから」
ウウと唸りながら、秀一は店までの地図を受け取った。
「……おっさん、からかいやがって」
「からかってませーん。幸せの恩恵に与ろうとしてるんでーす」
「言っとけ、バカども」
社内の女の子たちと気軽に話すようになったのも、茜の置き土産だ。すぐに入れ替わってしまう若い女たちなんて、正確に仕事してくれれば、どうでも良かった。
「何の騒ぎっすか?」
若い同僚が、女の子の固まりの中に頭を突っ込みたがる。
「平野さん、結婚記念日なんだって」
「三沢ちゃんが平野さんに捕まっちゃってから、一年も経ったのかあ」
失礼な言い草だが、外側から見ればそんなものだろう。若い女を嫁に貰った幸福な男、それが自分の評価だ。
「娘くらいの嫁さんって、どんな感じっすか? 可愛くてしょうがないんじゃ」
「一年も一緒に住んでりゃ、そんなんじゃ済まねえ」
まだ未婚の同僚には、わかりにくいだろう。
「またまたぁ。三沢ちゃんって家ではどんな感じです? やっぱり可愛いんじゃないっすか?」
可愛いのは否定しないが、口に出しての肯定もできない。秀一が外に向かって言えることは、これだけだ。
「どんなって言ったってなあ。朝起きると見る最初の女で、寝る前に見る最後の女だ」
これの言外の意は、誰にも言わない。茜本人にすら、言うつもりはない。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる