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花つける堤に座りて
立場が違う
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中間考査の2日前の日曜日、私はとてもイライラしていた。気が散って上手く暗記できないのが和の泣き声のせいに思えてしまい、聡美と待ち合わせて図書館に行くと、グループ学習の席は満員だった。
ぜんぜんはかどらない。家に帰って前島サンがソファで眠っているのを見たら、腹が立ってしまった。私は思うようにいろいろなことが動かないのに、前島サンは呑気に寝てる。それはもちろん前島サンのせいじゃなくて、たまのお休みくらいお昼寝するだろうけど。和がも起きてもぞもぞと動いている。母は洗濯物を畳んでいる。
「なごちゃん、ただいま」
顔を寄せたら、ちょっと臭い。
「なごちゃん、ウンチしたみたいだよ」
そう言って自分の部屋に入ろうとしたら、母に呼び止められた。
「だって私、これから勉強するんだもん。徹さんが寝てるじゃない」
なんで勉強しなくちゃならない私が、和のオムツ換えなくちゃならないの。別にたいした時間をとる訳じゃないし、和のウンチはそんなに臭くない。だから、これは完璧なヤツアタリだ。気が散っているのは和や前島サンのせいじゃなくて、私が勉強したくないからなのだ。
「悪いけど、お願い。すぐかぶれちゃうから」
母は洗濯物を畳む手を休めずに言う。
「やだ。勉強する」
ただ、意地を張りたいために口答えをした。寝起きのボーっとした顔の前島サンが目に入った。
「徹さんに頼めばいいじゃない。パパなんだから」
「手毬にだって妹でしょ」
いつもの母なら、このへんで自分が立ち上がるのに、今日は折れてくれない。
「手毬に頼んだのよ。オムツ替えてあげて」
母の手は止まって、顔は私に向いていた。
「やだって言ったじゃない」
ひっこめようがなくなった言葉を前島サンが引き取った。
「麻子さん、強制するようなことじゃないでしょ。てまちゃんはイヤだって言ってるんだから、僕がそれくらいします」
これで私の主張は通った。不満がある筈はないのに。
「いいっ!私がやる!」
前島サンの言ったことが何故か余計にカンに触ってしまい、私は支離滅裂になった。自分でも何がどうしてイヤなのか、すでによくわからない。腹を立てながらオムツ替えシートの準備をしていると、前島サンに腕を掴まれた。
「僕がやるから、いい」
静かな口調で、別に怒っている訳じゃないのに、私は妙に怯んでしまった。母とは違う威圧感。
結局、前島サンが不器用な手つきでオムツを替えるのを、全部見ていた。そして、ホンの何分か前の出来事なのに、もう後悔している。
私は、なんで意地になったりしたんだろう。そして、母はなんで折れてくれなかったんだろう。なんだか悲しいみたいなワケのわからない感情の中で、私は黙って立っていた。
手を洗って戻ってきた前島サンは、膝の上に和を乗せながら私の顔を見た。
「勉強、しないの?」
それは本当に普通の声で、だから却って私が妙な意地を張ったことを自覚させられた。謝らなくてはいけないだろうか。私は謝るようなことをしたんだろうか。
手毬、と母の声がした。そちらを向くと、やはり怒った表情ではない母が私を見ていた。
「何で強く言われたんだか、わからないんでしょう?」
母の問いに、首を縦に振るだけで答える。
「お母さんとふたりだけの時は、全部手毬の都合優先だったものね。でも、もう違うんだよ。自分では何をして欲しいもまだ言えない和がいるし、徹君もいるでしょ。それが手毬の希望でいるんじゃないとしても、もう、ふたりだけの生活と同じようにはできないの」
言ってる意味はわかるかな、と母は私の顔を覗いた。
「だからね、優先順位っていうのがあることをちゃんと考えておいてね」
母の話はそこで終わった。そんなこと、言われなくたってわかってる。だからいつも、和を抱っこしてたり洗濯物取り込んだりしてるじゃない。口には出さなかったけれど、とっても不愉快。
「麻子さん、それはてまちゃんは理解してると思うよ」
口を挟んだのは、膝の上に和をのせて足を揺らしながらの前島サン。
「てまちゃん、イライラしてて口答えしたくなったんでしょう?」
ずばり言われて、それも返事に困る。
「でもね、その甘え方はまわりが不愉快になるから、やめたほうがいいよ」
あれって、甘えたことになるの?ちょっとびっくり。
前島サンの声は、いたって真面目だ。
「甘えるのはもちろんかまわないし、不機嫌な時があるのは仕方ないけど、向ける方向が違うでしょ」
前島サンにこんなこと言われたのは、はじめて。
「てまちゃんがしたのは、他の人にイライラを感染させること。わかった?」
うん、わかった。小さい声で返事したから、聞こえなかったかもしれない。自分の部屋のドアを開けて中に入ったあと、ベッドの上に座り込んでしまった。
叱りつけられるより、ずっと響いた。間違っていると諭されたことで自覚したことがある。前島サンは、私にそんなことを言うことができる立場の人なんだ。
叱られたり諭されたりする立場の私はと言うと。
少なくとも、不愉快じゃない。前島サンが私を嫌ってそんなことをするんじゃないって知っているから。
ぜんぜんはかどらない。家に帰って前島サンがソファで眠っているのを見たら、腹が立ってしまった。私は思うようにいろいろなことが動かないのに、前島サンは呑気に寝てる。それはもちろん前島サンのせいじゃなくて、たまのお休みくらいお昼寝するだろうけど。和がも起きてもぞもぞと動いている。母は洗濯物を畳んでいる。
「なごちゃん、ただいま」
顔を寄せたら、ちょっと臭い。
「なごちゃん、ウンチしたみたいだよ」
そう言って自分の部屋に入ろうとしたら、母に呼び止められた。
「だって私、これから勉強するんだもん。徹さんが寝てるじゃない」
なんで勉強しなくちゃならない私が、和のオムツ換えなくちゃならないの。別にたいした時間をとる訳じゃないし、和のウンチはそんなに臭くない。だから、これは完璧なヤツアタリだ。気が散っているのは和や前島サンのせいじゃなくて、私が勉強したくないからなのだ。
「悪いけど、お願い。すぐかぶれちゃうから」
母は洗濯物を畳む手を休めずに言う。
「やだ。勉強する」
ただ、意地を張りたいために口答えをした。寝起きのボーっとした顔の前島サンが目に入った。
「徹さんに頼めばいいじゃない。パパなんだから」
「手毬にだって妹でしょ」
いつもの母なら、このへんで自分が立ち上がるのに、今日は折れてくれない。
「手毬に頼んだのよ。オムツ替えてあげて」
母の手は止まって、顔は私に向いていた。
「やだって言ったじゃない」
ひっこめようがなくなった言葉を前島サンが引き取った。
「麻子さん、強制するようなことじゃないでしょ。てまちゃんはイヤだって言ってるんだから、僕がそれくらいします」
これで私の主張は通った。不満がある筈はないのに。
「いいっ!私がやる!」
前島サンの言ったことが何故か余計にカンに触ってしまい、私は支離滅裂になった。自分でも何がどうしてイヤなのか、すでによくわからない。腹を立てながらオムツ替えシートの準備をしていると、前島サンに腕を掴まれた。
「僕がやるから、いい」
静かな口調で、別に怒っている訳じゃないのに、私は妙に怯んでしまった。母とは違う威圧感。
結局、前島サンが不器用な手つきでオムツを替えるのを、全部見ていた。そして、ホンの何分か前の出来事なのに、もう後悔している。
私は、なんで意地になったりしたんだろう。そして、母はなんで折れてくれなかったんだろう。なんだか悲しいみたいなワケのわからない感情の中で、私は黙って立っていた。
手を洗って戻ってきた前島サンは、膝の上に和を乗せながら私の顔を見た。
「勉強、しないの?」
それは本当に普通の声で、だから却って私が妙な意地を張ったことを自覚させられた。謝らなくてはいけないだろうか。私は謝るようなことをしたんだろうか。
手毬、と母の声がした。そちらを向くと、やはり怒った表情ではない母が私を見ていた。
「何で強く言われたんだか、わからないんでしょう?」
母の問いに、首を縦に振るだけで答える。
「お母さんとふたりだけの時は、全部手毬の都合優先だったものね。でも、もう違うんだよ。自分では何をして欲しいもまだ言えない和がいるし、徹君もいるでしょ。それが手毬の希望でいるんじゃないとしても、もう、ふたりだけの生活と同じようにはできないの」
言ってる意味はわかるかな、と母は私の顔を覗いた。
「だからね、優先順位っていうのがあることをちゃんと考えておいてね」
母の話はそこで終わった。そんなこと、言われなくたってわかってる。だからいつも、和を抱っこしてたり洗濯物取り込んだりしてるじゃない。口には出さなかったけれど、とっても不愉快。
「麻子さん、それはてまちゃんは理解してると思うよ」
口を挟んだのは、膝の上に和をのせて足を揺らしながらの前島サン。
「てまちゃん、イライラしてて口答えしたくなったんでしょう?」
ずばり言われて、それも返事に困る。
「でもね、その甘え方はまわりが不愉快になるから、やめたほうがいいよ」
あれって、甘えたことになるの?ちょっとびっくり。
前島サンの声は、いたって真面目だ。
「甘えるのはもちろんかまわないし、不機嫌な時があるのは仕方ないけど、向ける方向が違うでしょ」
前島サンにこんなこと言われたのは、はじめて。
「てまちゃんがしたのは、他の人にイライラを感染させること。わかった?」
うん、わかった。小さい声で返事したから、聞こえなかったかもしれない。自分の部屋のドアを開けて中に入ったあと、ベッドの上に座り込んでしまった。
叱りつけられるより、ずっと響いた。間違っていると諭されたことで自覚したことがある。前島サンは、私にそんなことを言うことができる立場の人なんだ。
叱られたり諭されたりする立場の私はと言うと。
少なくとも、不愉快じゃない。前島サンが私を嫌ってそんなことをするんじゃないって知っているから。
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