花つける堤に座りて

蒲公英

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花つける堤に座りて

新しい人を迎える-3

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 翌日、部活をパスして駅で祖母と待ち合わせ、産院に向かった。なんか、とっても不思議な雰囲気。待合室も廊下も女の人だらけで、お部屋のほうからは笑い声なんか聞こえちゃう。入院してる人たちは、みんなブカブカのパジャマを着てる。母の部屋に行く前に、赤ちゃんが並んでいる部屋の前に行った。ガラス越しに赤ちゃんが寝ているのが見える。
 あ、「前島ベビー」の札。残念だけど、顔は見えない。

「あれ、手毬。今来たの?」
 母の声が聞こえた。
「もうじき授乳時間だから迎えに来たのよ。ちょっと待っててね」
 部屋に入って、とても小さなキャスター付きベッドを押しながら母は出てきた。中には、小さな小さな「前島ベビー(女)」だ。
「はじめまして」
 ぎゅっと握った手が、びっくりするくらい小さい。顔は、誰に似てるんだかよくわからない。くしゃくしゃ。強いて言えば、遮光器土偶。廊下を歩いていると、赤ちゃんが泣きだした。思ったよりもずっと小さい声。

 母のいる部屋にベッドは4つで、私が入って行った時にはみんなパジャマの前をはだけて、胸のマッサージをしていた。どっちを向いていいのかわからない。仕方なく目をやった母の胸は、私が知っている形じゃなかった。
「手毬、消毒してる間に抱っこしてごらん」
 教えて貰って、祖母にゆっくりと赤ちゃんを腕に移してもらう。自分の胸のあたりから、ミルクの匂いがふわっと立ち上った。やわらかくて、あったかい。産着の隙間から覗く足は、私の掌の半分もない。
 私の、妹。今私が手をゆるめて床に落としても、彼女は文句ひとつ言えないのだ。
 はじめまして、よろしくね。今度は声に出さずに呟いた。

 小さな赤ちゃんは、ミルクを飲んでいる最中に眠ってしまい、オムツをきれいにした後に、新生児室に戻された。とっても名残惜しいような気分。
「名前はもう決めたの?」
 祖母が母に話しかけた。
「今晩、徹君ともう一度話してから。手毬とも相談するって言ってたよ」
 私も名前を決めることに参加していいの?びっくりした顔をしていたら、母が笑いながら頷いた。
「みんなで育てていくんだから、みんなで考えるの」

 その夜も、とってもご機嫌に帰宅した前島サンは、祖母の用意した夕食を機嫌良くとり機嫌良く洗い物を済ませてから、機嫌良くバスルームに向かった。
「てまちゃん、相談事があるから待っててね」
 名前のことかな。嬉しさの滲み出てる背中だなあ。そんなに嬉しいものなのか。

 カラスの行水よりも早い時間でバスルームから出てきた前島サンは、やっぱり中途半端に着たシャツをひっぱり下ろしながら、麦茶をグラスに注いだ。食卓にレポート用紙を出し、あんまり上手とは言えない文字をいくつか書く。
「和」「絆」
 なんだか、両方とも今風じゃない。祖母は今日は帰ってしまったので、私の意見だけになる。母の意見はどうだったんだろう。

「ふたつに絞ったよ。和って書いてなごみ。絆っていうのはわかるよね。」
 前島サンがひとつずつ指差しながら説明する。
「お母さんと徹さんの意見は?」
「僕は、絆って名前をつけたい。だけど、あんまりダイレクトだって麻子さんに言われた」
 絆って言葉に、きっと前島サンの決意があるんだってことはわかる。

「私は和がいいと思う。お母さんは何て?」
 そう言うと、前島サンの顔が少し綻んだ。
「麻子さんと同じ意見だね。それね、麻子さんが考えたんだ」
 母らしいと思った。私が馴染めなくて困っていたことも、ちゃんとわかっていたんだろう。全員で和やかに生活する。
「多数決で決定、かな」
 前島サンは、とても素敵な微笑み方をした。

 なごみ。なごちゃん。
 前島サンは口の中で何回か転がし、私もそれに倣ってみた。なんとなくふたりともバカみたいで、でも誰も見てないんだからいいや。

 たった5日間で母は帰ってきた。これ以上はありえないくらい張り切った顔の前島サンが、迎えに行った。祖母がせっせとお祝いの支度をするのを手伝って、私もリビングを片付ける。祖父と前島サンのご両親もやってくる。
 普段3人しかいないマンションが、いきなりとても賑やかになる。賑やかな部屋の中、眠っている小さな和を囲んでお祝い。

「手毬ちゃん、お姉さんになった感想はどう?」
 前島サンのお母さんに話しかけられて、ちょっとドキドキしてしまった。
「徹は気がきかないから、よろしくね。麻子さんも女の子がいて助かったわね」
 軽く責任を持たされた気がしないでもないんだけど、「はい」と返事をした。和の顔は、産院で見た時よりずっと赤ちゃんらしくなっている。
 何日かで変わっちゃうものなんだ。


 赤ちゃんのいる日常は慌ただしい。祖母は平日に来て泊まっていったり帰ったりを繰り返していたが、それも二週間程度だった。母は常に眠そうで、私が帰宅するとリビングで和と一緒に寝ていることも多い。夜中に何回も起きなくてはならなくて、続けて眠れないそうだ。祖母が来てくれている間、祖母が洗濯や食事の支度をしてくれていたのだけれど、母に任せたらあまりにも大変で、私と前島サンも手伝う。祖母にずいぶん教えられたらしく、前島サンの洗濯物の干し方は幾分マシになった。

 母が家事をしている間、和が泣きだすと「抱っこしてて」と母に渡されることがある。本を読んでいたり絵を描いていたりすると、面倒くさい。
 でも、私が抱いて揺すると泣きやんだりするんだ。前島サンは抱っこがとてもヘタらしい。私が抱きあげて泣きやむ和を恨めしそうに見たりする。実は、私は内心得意だったりするんだけど。
「やっぱり女の子の方が赤ちゃんの扱いは上手なのかなぁ」
 なんて軽くへこんでる前島サンは、ちょっと可哀想かも。

 文化祭の準備で部活の時間が増え、委員会の時間も増えて私も忙しくなってきた。文化祭が終わるとすぐに中間考査が始まるし。和の顔は毎日ちょっとずつ変わってくる。
「手毬の赤ちゃんの頃とよく似てる」
 母がミルクを飲ませながら、そんなことを言うのでちょっとびっくりした。
「私はパパ似だって言わなかったっけ」
「うん、おかしいね。だけど、本当によく似てるのよ」
 写真の父と前島サンの見かけは、全然似ていない。

 前島サンは和にすっかり夢中で、まだ使えない赤ちゃんの玩具なんか買ってきちゃう。それだけじゃ不公平だと思うのか、私にもケーキなんか買ってきちゃう。そんなことで赤ちゃんにやきもち焼いたりしないんだけどな、なんて思いながら、ケーキは美味しく食べちゃうんだけど。そして、やっぱり眠っている和のほっぺをプニプニつついてみたりしてる。
 私の父が私にしたっていうことを、前島サンが和にする。前島サンの優しい表情を見ながら、思う。私も、あんなふうに可愛がられたんだ。

 淋しいような嬉しいような不思議な感じ。でも、嫌じゃない。 
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