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花つける堤に座りて
居場所を広げる-2
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前島サンの顔が見られない。私はあの日以来、食事の時間しか自室を出ないようになった。母は何も言わないけど、時々私をとても困った顔で見る。困らせてるのは、私。
でも、私も困っているんだ。
私が前島サンを父だと思っていないように、前島サンも私を娘だなんて思っていないだろうし「いとこのお兄さん」くらいの仲の良さでしかないのに、家の中ではパジャマで顔を合わせてる。友達に誰かと聞かれたとき、母の夫なんて返事したらおかしいじゃない。だけど、前島サンに失礼だったことはわかってる。謝らなくてはいけないだろうか、と思うと部屋から出られないのだ。
入浴しようと洗面室に入ったら、前島サンが歯を磨いていた。ちょっとびっくりして後ずさったら、泡を吐き出してから小さな声で呟いた。
「てまちゃん、ごめんね」
場所を占領してることかなと思ったんだけど、意味が違うのかも知れない。頭のてっぺんまでお風呂に浸かりながら、前島サンの「ごめんね」を何度も反芻した。
日曜日には、みゅうと公園で待ち合わせして散歩した。好きな本がよく似ていて、今度本棚の見せ合いっこしようかなんて話をする。引っ越したばかりの頃に見つけた土手の桜は終わってしまったけど、
カラスノエンドウやヒメオドリコソウだけではなく、ハルジョオンやムラサキケマンが咲き始めた。とても幅の狭い川だけれど、流れは緩い。みゅうは平たい石を選んで器用に水切りをして見せた。
「お父さんにコツを教えてもらった」
そう得意げに言うみゅうが、羨ましい。
学校ではずいぶん話し相手ができた。聡美の隣の席だと、聡美とおしゃべりに来た子が一緒に仲間に入れてくれるし、美術部に行けばクロッキーを見せ合える子がいる。部活動のない日は、下校時刻まで図書室で本が読める。出窓の隣の席に座って、目が疲れると校庭を見る。校庭で運動部のコ達が、大きな声を出しながら走り回っているのを見るのは楽しい。
委員会の当番の日は、司書の先生に指示されながら書架の整理をする。自分の部屋で帰ってくる誰かのことを考えているより、学校にいるほうがいい。
逃げてるのかな、と自分でも思う。
ゴールデンウィークだ。美術部の活動はなく、図書室にも入れない。運動部は活動しているので、聡美もみゅうも部活の隙間に遊べる程度で、私は家にいる時間が長い。そして、家の中には母と母の夫。
母は最近ダルそうに座っていることが多くなった。
「手毬、連休退屈じゃない?どこかへ出掛けない?」
「本、読んでるから退屈じゃない。最後の日にみゅうと映画に行くし」
普通に答えたつもりだったのに、母はとてもがっかりした顔になった。
前島サンが午前中だけ仕事、と出かけた日にリビングで母にいきなり聞かれた。
「手毬、徹君が一緒に住んでるの、イヤ?お母さんが結婚したの、本当はイヤだった?」
私が自室に籠もるようになってから、母はきっとずっと聞きたかったのだろう。とても真剣な顔で、怖いくらい。
「どっちもイヤじゃない」
私にできる返事は、本当にこれだけ。本当は私が「なんとなくヘンで気持ち悪い」と思っていることを説明しなくちゃいけないんだろうけど、どう言葉にすれば良いのかわからないし、母に伝わるとも思えない。
「ちょっと座って」
母には珍しい、命令口調。
ソファに座っている母の向かいに膝を抱えて座った。母の顔は怒ってはいない。どちらかと言えば、困って悲しそうな顔。
「お母さん、手毬に無理させてる?テレビも見ないで部屋にいるの、寂しくない?」
なんて答えたらいいのかわからないのに、こんな質問はずるい。
無理はしてるよ。だけど、それは嫌いだからじゃなくて。なんていうのかな、私の居場所が見つからないって感じなんだけど。私は膝の上に顔を伏せて丸くなった。ソファの上からは、深くて長い溜息。
「徹君が一緒に住むのは、お母さんの都合だもんね。ごめんね、手毬」
確かに母の都合だけど、母が悪い訳じゃない。言葉にならなかった。
「たまには一緒にテレビ見ようよ、手毬」
私は首だけで頷いた。母がわかったかどうかは、知らない。
それでも前島サンが昼早い時間に帰宅すると同時に、私は散歩に出た。頭がぐるぐるする。9月の終わりに赤ちゃんが生まれてくるのは決まっていて、それを否定することなんてできないのだから、私が、自分をどうにかしなくちゃならないんだ。
だって、悪い人はいないんだから。
食卓を沈黙が支配しているなんて、良くない言い回しだろうか。3人とも黙ってテレビを見ながら食事をしている。テレビでは、人気のアイドルグループが踊りながら歌ってる。
「てまちゃんは好きなアイドルとかいないの?」
答えても、前島サンはそれが誰だかわからずに話が途切れた。私からは、前島サンへの話題も母への話題もない。学校の友達のことも、読んでいる本のことも、別に話したいとは思わない。小学校の頃は、あんなになんでも喋っていたのに。
「友達みたいな親子」と「友達」って全然違う。もう、友達みたいとも思わなくなっちゃったけど。
学校のどの先生が好きとか、誰かの髪型が可愛いとか。同じ年の友達同士なら当然の話題があって、それに賛成したり反対したりのお喋りができるのに、家でそんな話をしたって母には関係のないことだし、もちろん前島サンにも関係ない。読んだ本の感想を言っても仕方ないし、部活で何してるかなんていちいち言わない。
困ったな。みんな、家でごはんの時って何を話してるんだろう。
「え?家で親となんか喋んなーい。話、合わないし、ウザイしー」
聡美の返事は明快だった。
「学校でだって話が合わないヤツとなんか喋んないもん」
それで、いいの?
「兄貴となんか、1年くらい口利いてない。ムカつくし」
ちょっとびっくりして、それから安心した。聡美みたいに家にも学校にも心配事なんてなさそうな人でも、親と話したりしないんだ。
「手毬って家の中でまでイイコ?」
逆に、そんな風に質問された。うちは、よそのおうちと違うから、なんて言えないけど。
そうか、話題がなければ無理して話さなくてもいいのか。そういえば、母とふたりだけだった時だって、ひっきりなしに喋ってたわけじゃないし。そう思うと少しだけ気楽になって、私はその日からリビングに顔を出せるようになった。
前島サンには、まだ謝れないけど。
でも、私も困っているんだ。
私が前島サンを父だと思っていないように、前島サンも私を娘だなんて思っていないだろうし「いとこのお兄さん」くらいの仲の良さでしかないのに、家の中ではパジャマで顔を合わせてる。友達に誰かと聞かれたとき、母の夫なんて返事したらおかしいじゃない。だけど、前島サンに失礼だったことはわかってる。謝らなくてはいけないだろうか、と思うと部屋から出られないのだ。
入浴しようと洗面室に入ったら、前島サンが歯を磨いていた。ちょっとびっくりして後ずさったら、泡を吐き出してから小さな声で呟いた。
「てまちゃん、ごめんね」
場所を占領してることかなと思ったんだけど、意味が違うのかも知れない。頭のてっぺんまでお風呂に浸かりながら、前島サンの「ごめんね」を何度も反芻した。
日曜日には、みゅうと公園で待ち合わせして散歩した。好きな本がよく似ていて、今度本棚の見せ合いっこしようかなんて話をする。引っ越したばかりの頃に見つけた土手の桜は終わってしまったけど、
カラスノエンドウやヒメオドリコソウだけではなく、ハルジョオンやムラサキケマンが咲き始めた。とても幅の狭い川だけれど、流れは緩い。みゅうは平たい石を選んで器用に水切りをして見せた。
「お父さんにコツを教えてもらった」
そう得意げに言うみゅうが、羨ましい。
学校ではずいぶん話し相手ができた。聡美の隣の席だと、聡美とおしゃべりに来た子が一緒に仲間に入れてくれるし、美術部に行けばクロッキーを見せ合える子がいる。部活動のない日は、下校時刻まで図書室で本が読める。出窓の隣の席に座って、目が疲れると校庭を見る。校庭で運動部のコ達が、大きな声を出しながら走り回っているのを見るのは楽しい。
委員会の当番の日は、司書の先生に指示されながら書架の整理をする。自分の部屋で帰ってくる誰かのことを考えているより、学校にいるほうがいい。
逃げてるのかな、と自分でも思う。
ゴールデンウィークだ。美術部の活動はなく、図書室にも入れない。運動部は活動しているので、聡美もみゅうも部活の隙間に遊べる程度で、私は家にいる時間が長い。そして、家の中には母と母の夫。
母は最近ダルそうに座っていることが多くなった。
「手毬、連休退屈じゃない?どこかへ出掛けない?」
「本、読んでるから退屈じゃない。最後の日にみゅうと映画に行くし」
普通に答えたつもりだったのに、母はとてもがっかりした顔になった。
前島サンが午前中だけ仕事、と出かけた日にリビングで母にいきなり聞かれた。
「手毬、徹君が一緒に住んでるの、イヤ?お母さんが結婚したの、本当はイヤだった?」
私が自室に籠もるようになってから、母はきっとずっと聞きたかったのだろう。とても真剣な顔で、怖いくらい。
「どっちもイヤじゃない」
私にできる返事は、本当にこれだけ。本当は私が「なんとなくヘンで気持ち悪い」と思っていることを説明しなくちゃいけないんだろうけど、どう言葉にすれば良いのかわからないし、母に伝わるとも思えない。
「ちょっと座って」
母には珍しい、命令口調。
ソファに座っている母の向かいに膝を抱えて座った。母の顔は怒ってはいない。どちらかと言えば、困って悲しそうな顔。
「お母さん、手毬に無理させてる?テレビも見ないで部屋にいるの、寂しくない?」
なんて答えたらいいのかわからないのに、こんな質問はずるい。
無理はしてるよ。だけど、それは嫌いだからじゃなくて。なんていうのかな、私の居場所が見つからないって感じなんだけど。私は膝の上に顔を伏せて丸くなった。ソファの上からは、深くて長い溜息。
「徹君が一緒に住むのは、お母さんの都合だもんね。ごめんね、手毬」
確かに母の都合だけど、母が悪い訳じゃない。言葉にならなかった。
「たまには一緒にテレビ見ようよ、手毬」
私は首だけで頷いた。母がわかったかどうかは、知らない。
それでも前島サンが昼早い時間に帰宅すると同時に、私は散歩に出た。頭がぐるぐるする。9月の終わりに赤ちゃんが生まれてくるのは決まっていて、それを否定することなんてできないのだから、私が、自分をどうにかしなくちゃならないんだ。
だって、悪い人はいないんだから。
食卓を沈黙が支配しているなんて、良くない言い回しだろうか。3人とも黙ってテレビを見ながら食事をしている。テレビでは、人気のアイドルグループが踊りながら歌ってる。
「てまちゃんは好きなアイドルとかいないの?」
答えても、前島サンはそれが誰だかわからずに話が途切れた。私からは、前島サンへの話題も母への話題もない。学校の友達のことも、読んでいる本のことも、別に話したいとは思わない。小学校の頃は、あんなになんでも喋っていたのに。
「友達みたいな親子」と「友達」って全然違う。もう、友達みたいとも思わなくなっちゃったけど。
学校のどの先生が好きとか、誰かの髪型が可愛いとか。同じ年の友達同士なら当然の話題があって、それに賛成したり反対したりのお喋りができるのに、家でそんな話をしたって母には関係のないことだし、もちろん前島サンにも関係ない。読んだ本の感想を言っても仕方ないし、部活で何してるかなんていちいち言わない。
困ったな。みんな、家でごはんの時って何を話してるんだろう。
「え?家で親となんか喋んなーい。話、合わないし、ウザイしー」
聡美の返事は明快だった。
「学校でだって話が合わないヤツとなんか喋んないもん」
それで、いいの?
「兄貴となんか、1年くらい口利いてない。ムカつくし」
ちょっとびっくりして、それから安心した。聡美みたいに家にも学校にも心配事なんてなさそうな人でも、親と話したりしないんだ。
「手毬って家の中でまでイイコ?」
逆に、そんな風に質問された。うちは、よそのおうちと違うから、なんて言えないけど。
そうか、話題がなければ無理して話さなくてもいいのか。そういえば、母とふたりだけだった時だって、ひっきりなしに喋ってたわけじゃないし。そう思うと少しだけ気楽になって、私はその日からリビングに顔を出せるようになった。
前島サンには、まだ謝れないけど。
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