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四十八歳
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先生の書斎ですっかり長居してしまったというのに、お孫さんは駅まで送ってくださった。そのときにやっと、私は彼の名前を聞いた。
「村井正直です。しょうじきと書いて、まさなおと読みます」
そうして意外な申し出を受けた。
「四十九日の納骨に、おいでいただけませんか」
「他のお身内がいらっしゃるのではありませんか。部外者が同席するような」
「あの年齢ですから、祖父母の兄弟は全員鬼籍なのですよ。叔父と私の父がいますが、叔父は本人の身体が悪くて、父は…… 納骨がひとりというのも寂しいものですから、祖父を大切に思ってくれたかたに立ち会っていただければ喜ぶのではないかと」
そんな事情ならばと訪問を約束して、駅で別れた。そのときにふと、彼には家族がないのかなと思った。
オガサーラに四十九日の連絡をしたら、自分は参加できないけれども、近いうちに墓参りに行かせてもらうと言った。お母さまが入院したらしく、実家に顔を出さずに会う機会だからと。ついでにおばあさまとマッシモと先生の墓参りツアーをするよ、なんだか線香臭い帰省だなと笑う。
ああ、これがオガサーラだと改めて思い出した。無理すれば予定は開けられるだろう。けれど彼はお母さまを見舞ったり、墓参りしたりするときの顔を見られたくないのだ。高校生時代、陽気な彼の周りにはひとが集まっていた。あれは彼なりの鎧だったのだ。自分の奥底に隠したものを他人から守るために、彼の自己評価は著しく低い。何を隠しているのかは知らなくとも、マッシモはオガサーラが他人に顔を隠していることに気がついていた。
先生の家に行く前に、何年かぶりにマッシモの墓を参った。墓石に苔が生えたりはしていなかったけれども、敷かれた砂利の隙間から雑草が伸びていた。それを引き抜きながら、義両親も年を取ったのだと思った。
容姿も成績も人並みより上の自慢の息子は、何年か都会で働いて箔をつけたあとに、地元の優良企業に好待遇で迎え入れられ、申し分のない相手と結婚するものだと決めていた。確かにそれは界隈では珍しくもないパターンのひとつだから、義両親は何の疑いもなくそれが当然だと思っていたはずだ。
まさか卒業してすぐに結婚すると言い出し、故郷へ連れ帰るはずの結婚相手は世間様に言えない相手だとは思わなかった。一点も問題のない息子が、性悪女に誑かされた思い、嘆いているうちに帰りたくても帰れないことになってしまった。
「世間様に後ろ指を指されるような母親がいた娘を嫁にしたなんて、恥ずかしくて言えないわ」
マッシモの実家に挨拶に行ったとき、義母はそう言った。
「話しても無駄なんだな。息子の意志より、世間からの評価のほうが大事か」
抑えた静かな声は、逆に大きな怒りを感じさせるものだ。
「舞子がどんなに必死に生きて、自分の力だけで大学を卒業したのか。そのことよりも死んでしまった人間に対する世間の評価が大事なら、僕に話すことはもうないよ」
おそらく彼はあのとき、はじめて母親に向かって牙を剥いた。義母の表情がそう言っていた。他人の感情を読むことに長けたマッシモは、ひとと対立することが苦手だ。真正面から受け止めて引きずられてしまうから、他人との接触を制限していた。尤も本人は無意識だったらしく、私がそれを指摘したときにはじめて、納得のいった顔をしていたけれども。
毎晩母親から電話が掛かってくるからと固定電話の電話線を引っこ抜き、携帯電話は電源を切っていた。そうして安いツアーでグアムに行き、現地の教会でふたりだけの結婚式をしてから、もう入籍したとだけ報告した。
その後引っ越したので電話番号が変わり、新しい番号を実家に教えていなかったのか、連絡はマッシモの携帯電話にだけ入るようになったので、私には親子関係がどう変化していたのかわからない。
送ってもらったターミナル駅に立ち、高校の入学から卒業までを思い出す。祖母が亡くなった後に帰宅したりしなかったりだった母が勤めていた店まで、高校の制服代と教科書代をもらいに行った。面倒そうに明日来いと言った母に、子供を何度も出入りさせるなと、店のオーナーが立て替えてくれた。部活動必須だと説明があって、用具が要らず部費がかからない郷土史研究会を選んで、マッシモとオガサーラに会った。物静かで自己主張しないマッシモと、友達に囲まれている陽気なオガサーラ。対極に見えるふたりは、根っこの部分でよく似ていた。
オガサーラはどっぷりと地域の子供だったので、私の母の噂もちゃんと知っていたのだろうが、そのことに関心を寄せるような性質ではなかったし、マッシモはそもそも他人の家庭に興味を抱いていなかった。
あの部室は、なんと自由だったことか。
「未来を我が手に!」
バスに乗る前のオガサーラのコール。私は未来を我が手に掴んだのか?
少し遅くなるからとチヒロに電話すると、彼は彼で友人の家に泊まるという。もう十九になろうというチヒロは、どうも最近恋人ができたらしい。帰宅しない日もたまにあり、講義にだけはきちんと出席して欲しいと思ってはいるけれど、もう彼も自分の人生を自分で考えてもいい年頃だ。私たちのころとは時代が違うのだし、まして私とは事情がまったく異なるのだから、彼の甘い見通しを嘆いていても仕方ない。
外見はマッシモととてもよく似ているのに、チヒロは友人に囲まれている。学校やアルバイト先で知り合いを増やし、良い影響も悪い影響も吸収しながら育ってきた。おそらく彼だって片親の寂しい生活に不満はあったろうし、私にだって彼の生活態度に関しての不満はあるけれど、全体的には良好な親子関係が築けたと思う。
もうじき、完走だ。走り切ったよ、マッシモ。やさしくて真っ当な家庭って目標には到達したのかどうかわからないけれど。
「村井正直です。しょうじきと書いて、まさなおと読みます」
そうして意外な申し出を受けた。
「四十九日の納骨に、おいでいただけませんか」
「他のお身内がいらっしゃるのではありませんか。部外者が同席するような」
「あの年齢ですから、祖父母の兄弟は全員鬼籍なのですよ。叔父と私の父がいますが、叔父は本人の身体が悪くて、父は…… 納骨がひとりというのも寂しいものですから、祖父を大切に思ってくれたかたに立ち会っていただければ喜ぶのではないかと」
そんな事情ならばと訪問を約束して、駅で別れた。そのときにふと、彼には家族がないのかなと思った。
オガサーラに四十九日の連絡をしたら、自分は参加できないけれども、近いうちに墓参りに行かせてもらうと言った。お母さまが入院したらしく、実家に顔を出さずに会う機会だからと。ついでにおばあさまとマッシモと先生の墓参りツアーをするよ、なんだか線香臭い帰省だなと笑う。
ああ、これがオガサーラだと改めて思い出した。無理すれば予定は開けられるだろう。けれど彼はお母さまを見舞ったり、墓参りしたりするときの顔を見られたくないのだ。高校生時代、陽気な彼の周りにはひとが集まっていた。あれは彼なりの鎧だったのだ。自分の奥底に隠したものを他人から守るために、彼の自己評価は著しく低い。何を隠しているのかは知らなくとも、マッシモはオガサーラが他人に顔を隠していることに気がついていた。
先生の家に行く前に、何年かぶりにマッシモの墓を参った。墓石に苔が生えたりはしていなかったけれども、敷かれた砂利の隙間から雑草が伸びていた。それを引き抜きながら、義両親も年を取ったのだと思った。
容姿も成績も人並みより上の自慢の息子は、何年か都会で働いて箔をつけたあとに、地元の優良企業に好待遇で迎え入れられ、申し分のない相手と結婚するものだと決めていた。確かにそれは界隈では珍しくもないパターンのひとつだから、義両親は何の疑いもなくそれが当然だと思っていたはずだ。
まさか卒業してすぐに結婚すると言い出し、故郷へ連れ帰るはずの結婚相手は世間様に言えない相手だとは思わなかった。一点も問題のない息子が、性悪女に誑かされた思い、嘆いているうちに帰りたくても帰れないことになってしまった。
「世間様に後ろ指を指されるような母親がいた娘を嫁にしたなんて、恥ずかしくて言えないわ」
マッシモの実家に挨拶に行ったとき、義母はそう言った。
「話しても無駄なんだな。息子の意志より、世間からの評価のほうが大事か」
抑えた静かな声は、逆に大きな怒りを感じさせるものだ。
「舞子がどんなに必死に生きて、自分の力だけで大学を卒業したのか。そのことよりも死んでしまった人間に対する世間の評価が大事なら、僕に話すことはもうないよ」
おそらく彼はあのとき、はじめて母親に向かって牙を剥いた。義母の表情がそう言っていた。他人の感情を読むことに長けたマッシモは、ひとと対立することが苦手だ。真正面から受け止めて引きずられてしまうから、他人との接触を制限していた。尤も本人は無意識だったらしく、私がそれを指摘したときにはじめて、納得のいった顔をしていたけれども。
毎晩母親から電話が掛かってくるからと固定電話の電話線を引っこ抜き、携帯電話は電源を切っていた。そうして安いツアーでグアムに行き、現地の教会でふたりだけの結婚式をしてから、もう入籍したとだけ報告した。
その後引っ越したので電話番号が変わり、新しい番号を実家に教えていなかったのか、連絡はマッシモの携帯電話にだけ入るようになったので、私には親子関係がどう変化していたのかわからない。
送ってもらったターミナル駅に立ち、高校の入学から卒業までを思い出す。祖母が亡くなった後に帰宅したりしなかったりだった母が勤めていた店まで、高校の制服代と教科書代をもらいに行った。面倒そうに明日来いと言った母に、子供を何度も出入りさせるなと、店のオーナーが立て替えてくれた。部活動必須だと説明があって、用具が要らず部費がかからない郷土史研究会を選んで、マッシモとオガサーラに会った。物静かで自己主張しないマッシモと、友達に囲まれている陽気なオガサーラ。対極に見えるふたりは、根っこの部分でよく似ていた。
オガサーラはどっぷりと地域の子供だったので、私の母の噂もちゃんと知っていたのだろうが、そのことに関心を寄せるような性質ではなかったし、マッシモはそもそも他人の家庭に興味を抱いていなかった。
あの部室は、なんと自由だったことか。
「未来を我が手に!」
バスに乗る前のオガサーラのコール。私は未来を我が手に掴んだのか?
少し遅くなるからとチヒロに電話すると、彼は彼で友人の家に泊まるという。もう十九になろうというチヒロは、どうも最近恋人ができたらしい。帰宅しない日もたまにあり、講義にだけはきちんと出席して欲しいと思ってはいるけれど、もう彼も自分の人生を自分で考えてもいい年頃だ。私たちのころとは時代が違うのだし、まして私とは事情がまったく異なるのだから、彼の甘い見通しを嘆いていても仕方ない。
外見はマッシモととてもよく似ているのに、チヒロは友人に囲まれている。学校やアルバイト先で知り合いを増やし、良い影響も悪い影響も吸収しながら育ってきた。おそらく彼だって片親の寂しい生活に不満はあったろうし、私にだって彼の生活態度に関しての不満はあるけれど、全体的には良好な親子関係が築けたと思う。
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