14 / 54
三十八歳
2
しおりを挟む
葬儀の連絡があったのは、兄からだった。
「ちゃんと男の格好をして来いよ。オカマが来たなんて、近所中に恥晒しだ」
兄はゲイとトランスジェンダーと女装趣味の区別がつかない。メディアには女装した男が何人も出ているし、その中にはゲイを公言している者も確かにいる。だから兄は、ゲイがすべてそうだと思っているのだ。それを考えただけでも、俺は都会に出て良かったと思う。俺は生まれてからずっと男だし、女になりたいと思ったことはない。ただ性の志向性が男に向いているだけだ。それについてはかなり苦しんだし、今でも女に恋をできればと思う。せめて身体だけでも、女を愛することができれば良かったのに。そうすれば気の合った女と子供を生し、ごくごく一般的な家庭を築けたかも知れない。心の中に同性への憧れを秘め、社会に溶け込んでいたほうが、生きていく上でははるかに楽な気がした。
けれども、と自分の中で声がする。もし出会ってしまったらどうするのだ。何もかも捨てて良いと思える相手に出会ってしまったら。そうして駆けていった俺のあとに残るのは、夫が同性愛者であったと嘆く妻と子供だ。きっとそれは、異性同士の浮気よりも質が悪い。そもそも俺は、女とセックスできない。かといって男という欲求も薄くて、もともと性行為に対する欲が小さいらしい。
黒いスーツを身に着けて出席した葬儀の席は、居心地の良いものではなかった。父と兄は俺の顔を見もしないし、幾人かの親戚は表面上の挨拶をしたけれども、小さいときに遊んでやった甥たちですら遠巻きだ。義姉は何故か気を惹くように話しかけてきて、それがまた気持ち悪かった。
「ねえねえ。オネエって言われてる人たちって、やっぱりセンス良いの? みんな女より綺麗だよね」
「悪いけど、知りません」
「だって、そういう人がいるところに行ったりするんでしょ?」
「見ただけじゃ性別なんてわかりませんし、他人の前で服を脱いだりしませんから」
「だってテレビに出てる人たちは……」
「それをアピールする人もいれば、隠したい人もいるんですよ」
途中から相手するのが面倒になって、生返事になった。そしてお開きを待たずに、母にだけ断って会場を出た。母は追いかけてきて、俺の手を握った。
「よその国では、あんたたちみたいなのが結婚できる法律があるんだってねえ。日本もそうなるといいね」
老後にひとりでは寂しいからと、母はいつも通り俺を心配するようなことを言ったが、手洗いに行っていたらしい兄が通りかかると、口を噤んだ。昔風の教育を受けた母は、この時世でも父と兄に正面から意見できない。
「ありがとう。またね」
母さん。普通の結婚ができない息子で、本当に申し訳なかった。育て方のせいだと父さんに責められていたこと、知ってるんだ。でもどちらにしろ、嘘を吐きとおすことなんてできなかったに違いない。だってこの地域はまだ、他人の生活を暴きたがるひとたちがたくさんいるから。
新幹線の時間まではまだあったので、懐かしい駅前を歩いた。ユーキがアルバイトしていた中華料理店はなくなっていて、知らない新しい建物が増えていた。少し足を延ばせば、自転車で通った道がある。そして左に折れると田畑が広がり、真ん中のこんもりした鎮守の杜で、俺はマッシモに自分が同性愛者であることを告げたんだ。
俺はおまえに、欲情なんてしたことないよ。高校生の自分の声が聞こえる。あれは嘘だよと言ったら、マッシモは怒るだろうか。いや、あの男は怒らない。気がつかなくてごめんな、だけど俺はヘテロだよ。そう言って申し訳なさそうな顔をするだろう。だから恋心を告げなかったことは正解だったのだ。おかげで二十年後の今でも親友面していられる。まあ、そのうちの十年は本人がいないわけだが。
チヒロも大きくなった。とはいっても、知っているのはメールに添付されている写真だけだ。俺から会いに行けば良いのだろうが、ヤツらは今、海の向こうだ。ほんの数年、とユーキは言っていた。海外転勤の希望を出して希望が通ったとき、ユーキは小学校に入る年だった。
その数か月前に、チヒロはマッシモの両親に誘拐未遂を起こされている。孫がいることを知った両親が、マンションから一緒に出てきた親子から子供だけを攫い、車に押し込もうとした。通行人によって阻止された両親の言い分は、孫が虐待されているから助けに来たということだ。祖父母に存在を知らせないのは虐待、母子家庭でお金に不自由させているに違いないことも虐待、素行不良の女が育てた娘に子育てができるはずがない、と騒ぎ立てたそうだが、そんな言い分が通るはずがない。けれど警察官は、孫と暮らしたい祖父母が暴走しただけだからと、穏便に収めるようユーキを説得した。
両親は何度かユーキのマンションの前に現れ、チヒロを抱えて怯えるユーキを、出国までしばらくの間俺の部屋に住ませた。あれは窮屈ではあったけれども、幸福な時間だった。帰ればチヒロが迎えてくれ、チヒロの未来についてユーキと話すことができた。子供がいるということは、こんなことなのかと思った。身体には何の異常もないのに子供を持てない俺には、一生味わえない幸福なのだ。
「私はマッシモが死んでから、彼に恋した。それでも一緒にいた時間を思い返せるのが幸せなんだって、ようやっと思えるようになった」
ユーキの表情は、若いときの想像もできないほど暖かく柔らかい。
「ちゃんと男の格好をして来いよ。オカマが来たなんて、近所中に恥晒しだ」
兄はゲイとトランスジェンダーと女装趣味の区別がつかない。メディアには女装した男が何人も出ているし、その中にはゲイを公言している者も確かにいる。だから兄は、ゲイがすべてそうだと思っているのだ。それを考えただけでも、俺は都会に出て良かったと思う。俺は生まれてからずっと男だし、女になりたいと思ったことはない。ただ性の志向性が男に向いているだけだ。それについてはかなり苦しんだし、今でも女に恋をできればと思う。せめて身体だけでも、女を愛することができれば良かったのに。そうすれば気の合った女と子供を生し、ごくごく一般的な家庭を築けたかも知れない。心の中に同性への憧れを秘め、社会に溶け込んでいたほうが、生きていく上でははるかに楽な気がした。
けれども、と自分の中で声がする。もし出会ってしまったらどうするのだ。何もかも捨てて良いと思える相手に出会ってしまったら。そうして駆けていった俺のあとに残るのは、夫が同性愛者であったと嘆く妻と子供だ。きっとそれは、異性同士の浮気よりも質が悪い。そもそも俺は、女とセックスできない。かといって男という欲求も薄くて、もともと性行為に対する欲が小さいらしい。
黒いスーツを身に着けて出席した葬儀の席は、居心地の良いものではなかった。父と兄は俺の顔を見もしないし、幾人かの親戚は表面上の挨拶をしたけれども、小さいときに遊んでやった甥たちですら遠巻きだ。義姉は何故か気を惹くように話しかけてきて、それがまた気持ち悪かった。
「ねえねえ。オネエって言われてる人たちって、やっぱりセンス良いの? みんな女より綺麗だよね」
「悪いけど、知りません」
「だって、そういう人がいるところに行ったりするんでしょ?」
「見ただけじゃ性別なんてわかりませんし、他人の前で服を脱いだりしませんから」
「だってテレビに出てる人たちは……」
「それをアピールする人もいれば、隠したい人もいるんですよ」
途中から相手するのが面倒になって、生返事になった。そしてお開きを待たずに、母にだけ断って会場を出た。母は追いかけてきて、俺の手を握った。
「よその国では、あんたたちみたいなのが結婚できる法律があるんだってねえ。日本もそうなるといいね」
老後にひとりでは寂しいからと、母はいつも通り俺を心配するようなことを言ったが、手洗いに行っていたらしい兄が通りかかると、口を噤んだ。昔風の教育を受けた母は、この時世でも父と兄に正面から意見できない。
「ありがとう。またね」
母さん。普通の結婚ができない息子で、本当に申し訳なかった。育て方のせいだと父さんに責められていたこと、知ってるんだ。でもどちらにしろ、嘘を吐きとおすことなんてできなかったに違いない。だってこの地域はまだ、他人の生活を暴きたがるひとたちがたくさんいるから。
新幹線の時間まではまだあったので、懐かしい駅前を歩いた。ユーキがアルバイトしていた中華料理店はなくなっていて、知らない新しい建物が増えていた。少し足を延ばせば、自転車で通った道がある。そして左に折れると田畑が広がり、真ん中のこんもりした鎮守の杜で、俺はマッシモに自分が同性愛者であることを告げたんだ。
俺はおまえに、欲情なんてしたことないよ。高校生の自分の声が聞こえる。あれは嘘だよと言ったら、マッシモは怒るだろうか。いや、あの男は怒らない。気がつかなくてごめんな、だけど俺はヘテロだよ。そう言って申し訳なさそうな顔をするだろう。だから恋心を告げなかったことは正解だったのだ。おかげで二十年後の今でも親友面していられる。まあ、そのうちの十年は本人がいないわけだが。
チヒロも大きくなった。とはいっても、知っているのはメールに添付されている写真だけだ。俺から会いに行けば良いのだろうが、ヤツらは今、海の向こうだ。ほんの数年、とユーキは言っていた。海外転勤の希望を出して希望が通ったとき、ユーキは小学校に入る年だった。
その数か月前に、チヒロはマッシモの両親に誘拐未遂を起こされている。孫がいることを知った両親が、マンションから一緒に出てきた親子から子供だけを攫い、車に押し込もうとした。通行人によって阻止された両親の言い分は、孫が虐待されているから助けに来たということだ。祖父母に存在を知らせないのは虐待、母子家庭でお金に不自由させているに違いないことも虐待、素行不良の女が育てた娘に子育てができるはずがない、と騒ぎ立てたそうだが、そんな言い分が通るはずがない。けれど警察官は、孫と暮らしたい祖父母が暴走しただけだからと、穏便に収めるようユーキを説得した。
両親は何度かユーキのマンションの前に現れ、チヒロを抱えて怯えるユーキを、出国までしばらくの間俺の部屋に住ませた。あれは窮屈ではあったけれども、幸福な時間だった。帰ればチヒロが迎えてくれ、チヒロの未来についてユーキと話すことができた。子供がいるということは、こんなことなのかと思った。身体には何の異常もないのに子供を持てない俺には、一生味わえない幸福なのだ。
「私はマッシモが死んでから、彼に恋した。それでも一緒にいた時間を思い返せるのが幸せなんだって、ようやっと思えるようになった」
ユーキの表情は、若いときの想像もできないほど暖かく柔らかい。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
芙蓉の宴
蒲公英
現代文学
たくさんの事情を抱えて、人は生きていく。芙蓉の花が咲くのは一度ではなく、猛暑の夏も冷夏も、花の様子は違ってもやはり花開くのだ。
正しいとは言えない状況で出逢った男と女の、足掻きながら寄り添おうとするお話。
表紙絵はどらりぬ様からいただきました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
サイキック・ガール!
スズキアカネ
恋愛
『──あなたは、超能力者なんです』
そこは、不思議な能力を持つ人間が集う不思議な研究都市。ユニークな能力者に囲まれた、ハチャメチャな私の学園ライフがはじまる。
どんな場所に置かれようと、私はなにものにも縛られない!
車を再起不能にする程度の超能力を持つ少女・藤が織りなすサイキックラブコメディ!
※
無断転載転用禁止
Do not repost.
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる