二等辺三角形プラス

蒲公英

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十八歳

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 すっかり真っ青な、秋の空だった。薄い雲がところどころに浮かんで、心地よい風が吹いていた。僕たちは制服で、白い長袖シャツの腕を折り返し、畑の真ん中の道を歩いていた。
「自転車なら、すぐなのに」
 僕が言うと、ユーキは膨れっ面をしてみせた。
「私、自転車乗れないもん」
「運動神経、どこで切れてんだ。教えてやるって」
 オガサーラが重ねて言う。
「いいんだよ! 乗れなくたって死なないから!」
 ユーキのスカートから伸びた細い足が、オガサーラの脛を軽く蹴る。
「いてっ! 折れたぞ、馬鹿力」
「そのわりに元気でお歩きになって」
 ユーキとオガサーラの軽口の応酬を、笑いながら聞いていた。向かう先は古いだけで有名でもない寺だったが、ひとつだけ文化財を持っていた。年に一度しか公開しないそれを、特別に見せてもらう手はずになっていて、三人しか所属していなかった郷土史研究会の最後の活動だった。

 幽霊部員しかいなかった郷土史研究会をちゃんと活動させたのは、ユーキだった。ちゃんと部室を使わせてもらっているのだから、ひとつくらい実績を残そうと。それにオガサーラが賛同した。
「俺、あの先生好きなんだよ。ちょっとくらいは喜ばせたい」
 僕たちの高校は入学後にどこかの部活動に所属することになっていて、運動部でなければパソコン研究会か吹奏楽部か、でなければ鉄道研究会、そんなものしかなかった。郷土史研究会は顧問教師が細々と存続させていたけれど、近年の実績としては何もなくて、定年を過ぎて講師として残っている顧問に学校側が気を使っていたに過ぎない。僕がそこに入ったのは、顧問の教師がかつて父の担任で、頼み込まれたからに他ならない。運動はできないし、他の文化部に興味を持てなかったことが大きいかも知れない。ユーキは、他に選択肢がなかったと言った。
「お金ないからね。活動費がかかるところは困るわけ」
 当時の僕は、部活動に掛かる費用を出してくれない家庭があるのだなんて、考えてもいなかった。だから単純に、ふーんと頷いただけだった。オガサーラは背が高く筋肉質の身体で、バスケットボール部やラグビー部から誘われていたが、あっさりと断っていた。
「俺、運動嫌いなんです。スポ魂なんて死ぬほどイヤで」
 そのくせ、体育の成績は人一倍良かった。

 寺に到着すると年をとった住職が、盆に麦茶を載せて運んできてくれた。
「村井先生から、連絡はもらっているよ。光を当てると劣化が早まるから写真はダメだけど、あとで現物を見せてあげよう」
 ユーキがスクールバッグからノートを出して、住職の言葉を書き取り始めた。オガサーラが主に相槌を打ち、前後する話の内容を整理する。その間の僕といえば、ただ座っているだけの役立たずだ。
「天保の絵馬だよ。少しショックを受けるかも知れない」
 ずいぶん昔に撮影したカラー写真が、更に粒子の荒い印刷になった説明書をいただいた。日本の中にいくつか似たようなものが保存されているらしいが、その絵柄は確かに衝撃だ。
「間引き絵馬と言うのだよ。飢饉の最中に描かれたものか、その後に奉納されたものなのかは定かではない」
 おそらく産み落とした嬰児の顔を塞いでいる母親の、夜叉のような表情。そして嬰児の上に浮かぶ観音像。説明書をを両手で持ち、大きな目を見開いたユーキの顔を覚えている。ユーキは僕にノートを押し付け、手洗いに案内を乞うた。
「ああ、若いお嬢さんには辛すぎたかな。でもこれでも、飢饉を乗り切れない人々はおったのだよ」
 木の根だけならまだしも、嬰児を食べたという話まで残っているのだと、住職は話し慣れたように言う。おそらく寺に訪ねてきた人たちに、そんな話を繰り返していたのだろう。
 それでは、と住職が立ち上がったときに、青い顔をしたユーキが戻ってきた。
「絵馬をお見せするけど、お嬢さんはどうする? 待っていてもいいんだよ」
 住職の問いに、ユーキは頭を振った。
「拝観します。見せてください」
 木の引き戸がゆっくり開けられ、普段僕たちが合格祈願や家内安全なんて書く絵馬と同じ大きさで同じ形のものが現れた。形も大きさも同じなのに、美しく彩色された間引き絵図がそこにあった。印刷されたものと違い、相応の質感を持って。

 寺を出て、来た道を三人で歩いた。ススキの穂が少しだけ顔を出した道には、アキアカネが飛び始めていた。
「ユーキ、大丈夫?」
 僕が問えば、ユーキは平気だと答える。
「ノート、任せちゃってごめん」
「いや、いいけど。珍しいな、ユーキが動揺するの」
 そのとき、前を歩いていたオガサーラが振り向いて、僕とユーキに向かって何か投げてきた。
「うわ、ヒッツキムシ!」
「何、イノコヅチ? やだ、髪に絡まった!」
 手の中にまだその草の実をいくつか持っているらしいオガサーラ目掛けて、投げ返す。
「深刻な顔してんなよ! あんなん、大昔の遺物じゃないか。今は飢饉があったって世界中から輸入できんだぜ」
 オガサーラの底抜けに明るい声が、畑の中の道を通って行った。

 僕たちは三年間、何を見せ合っていたんだろう? 活動はいつもユーキが言い出しっぺになり、それをメインで実行するのがオガサーラ、そして最後にまとめてレポートするのが僕。僕たちはよくできた三角形だと教師が言い、少なくとも僕もそう思っていた。
「マッシモがいてくれないと、最後が何も残らなくなる。私は思いつきだけだし、オガサーラは系統立てるのダメだし」
 図書室で郷土史の本を開きながら、ユーキが言ったことがある。取材では何もできない僕を、ユーキやオガサーラはそうやって立ててくれた。だから僕は安心して、ふたりと行動を共にできていたんだと思う。
 でも僕たちは互いのことをあまり知ってはいないのだと気がついたのは、最後の文化祭が終わってからだったと思う。それくらい自然に、仲間内の会話以外ないことに疑問を抱かないほど、ふたりは自分のことを話さなかった。だから僕が知っていたのは、ユーキの家が母子家庭だということと、オガサーラは比較的大きな農家の息子で、兄の家族も一緒に暮らしているということくらいだった。
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