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家庭によって生活も様々です
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友達も一緒なのだからと、可愛い系のふんわりワンピースを持って来ていた。(男と出歩く時より女同士のほうが気合が入るのは、どうしたものか)普段ならば上のポロシャツを変えて帰るだけだから、前の晩に考えたのだ。知らない人ばっかりの場所で、どうも大人がメインだとなると、美優の服装は浮ついていそうな気がする。かといってユニフォームのままで行くわけにもいかない。
「友達はまだ来てないんだ? 迎えに行っちゃう?」
鉄は鉄で、勝手に早く迎えに来たくせにそんなことを言う。
「友達、具合が悪くて来られなくなっちゃったの。私だけでごめん」
可愛い子だったら残念だったなーなんて、鉄はニヤニヤ笑いながら車の座席に座った。後部には缶ビールと缶チューハイとソフトドリンクの箱が積まれ、他にカワキモノの入っているらしいビニール袋があった。
五分もしないうちに、窓の外に見えた大きな看板は、『早坂興業』だ。駐車場は広い。駐車場の隣の門柱にも社名が大きく入っており、フェンスの横にはノウゼンカズラの橙色の花が高い場所に広がっていた。台車に段ボールをいくつも積んだ鉄の後ろを、キョロキョロしながら歩く。
「おう、てっちゃんお疲れ! 彼女も連れてきたの?」
知らないオジサンがタンクトップで庭を歩いてくる。
「彼女じゃないっすよ。言ったでしょ? 伊佐治の作業服の子」
「ああ、こんな若い子なんだ! 一号店みたいにオバチャンなのかと思ってたからさ」
挨拶をどうしたら良いものか迷っていると、男はさっさと通り過ぎて行ってしまう。
「うちの社員さん。あんなのばっかりだから、心配しないで。事務のパートさんは来れないけど、ばあちゃんもいるし」
飾り気のないビルで台車ごと小さいエレベータに乗り四階まで上がると、鉄は通用口と書いてある扉を開けた。
「ばあちゃん! 酒とジュースどうすんの?」
鉄板の扉の向こうに広がるのは普通の家の普通のダイニングキッチンだ。後ろでどうしようかオドオドしている美優にお構いなしに、鉄は扉を開きっぱなしにしてサンダルを脱ぐ。
「上にもう持ってくの? ねえ!」
なんだかいきなり子供の喋り方だ。
「ああ、上に持ってって。クーラーボックスに氷入れてあるから……」
そう言って手を拭きながら出てきたのは、七十代くらいの女の人だ。色白で姿勢が綺麗だから、鉄がばあちゃんと呼びさえしなければ、六十代前半に見えるかも知れない。
「何なの? お客さんが一緒だって言ってくれなくちゃ、挨拶もできないじゃない。まったく順番のなってない子なんだから」
そう言いながら、祖母は鉄を通り越して美優の前に来た。
「あら、可愛いお嬢さんだこと。鉄のお友達?」
「あ、えっと、はじめましてっ。早坂興業さんには、いつもお世話になってまして。今日はお招きいただいて、ありがとうございます。店長からもよろしくと」
緊張して、自己紹介を忘れた。
「伊佐治のねーちゃんだよ、それ」
片手に麦茶の入ったグラスを手にした鉄が、補足した。
「女の子を指して『それ』はないでしょっ!ごめんなさいね、口の利き方も知らない子で。こら、自分だけお茶飲むんじゃなくて、お嬢さんにも出してあげなさい」
祖母は部屋の中を指差した。
「屋上はまだ暑いから、ここでゆっくりしていくといいわ。まだ準備済んでないから、お客様は休んでてちょうだい」
誘われるままにおずおずと靴を脱ぐと、ダイニングの隣のリビングルームらしき場所に導かれた。美優の家の倍くらいある部屋の真ん中には、革張りのソファとガラスのローテーブルだ。もの珍しくキョロキョロしていると、いつの間にやらハーフパンツに穿き替えた鉄が麦茶と菓子を運んできた。
「俺、ちょっと上の準備してくるからさ。テレビでも見てて」
いや、知らないお家にひとりで残されると、思いっきり所在無いんですけど!
綺麗に片付いたリビングの一角だけが、妙にゴチャゴチャしている。棚にはしてあるが、戦車だの飛行機だのの絵のついた箱と、その中身らしき作りかけのプラモデル、小さな工具と本。薄いコンテナボックスと筆をたくさん立てた缶が見える。その横にある腰までの高さの本棚には、コミックスがぎっしりだ。
お父さんのコーナーなのかなーなんて見ていると、自分のグラスを持った祖母が向かい側に座った。
「私もちょっと一休みさせてもらおうかしら。お客さんが来はじめたら、座ってられなくなるから」
そして美優の視線に気がつき、少し笑った。
「あそこはね、テツの巣なのよ。母親を早くに亡くした子だから、寂しかったんでしょうねえ」
てっちゃんのお母さん、亡くなってるのか。道理でばあちゃんが、を繰り返したはずだ。
通用口から、大きな声が聞こえた。
「クニコさーんっ! 上に持ってくのどれーっ?」
聞き覚えのある声だと思いながら、鉄の祖母が立ち上がるのを見ていた。
「そこのね、飲み物の箱。重いから一つずつ……リョウちゃん、無理しなくてもいいから」
「鉄骨に比べたら、軽いもんっす! これだけ? 他には?」
ついダイニングを覗き込むと、左肩に清涼飲料水の箱を担ぎ、右手に缶ビールの箱を抱えたリョウがサンダルをつっかけるところだった。
「あれ? みーさんだ」
他の人が働いているのに、自分だけ涼しい部屋にいるのは申し訳ない気がする。鉄の祖母、どうやらクニコさんと呼ばれているらしい人も、休憩と言いながらソワソワしている。
「あの、何かお手伝い……」
「いいのいいの、力と人手は足りてるんだから」
さくっと断られても、何をするってものでもない。ただ座ってるのもなんだかなあ、なんて思いつつ、興味のない番組を流しているテレビを眺めたりする。
今目の隅を掠めたのは、男のパンツじゃないでしょうか。リビングを横切って歩いていく人を、思わず二度見した。
「タケシ! 女の子がいるのに!」
クニコさんが声を出したので挨拶せざるを得なくなり、美優はソファから立ち上がった。
「お邪魔してます、伊佐治の相沢と申します!」
頭を下げて、今度こそ間違いなく名乗る。
「ああ、みー坊ちゃん。そんな格好してるから、わかんなかった。伊佐治のダサいポロシャツ着てないと」
パンツのまま鉄の父親は、気さくに笑った。
「屋上が焼けちゃってて、あっちぃったらねえわ。人が来はじめたからシート敷こうと思ったんだけど、その前にちょっとシャワー浴びてた」
美優の兄だって、入浴後に下着一枚でウロウロしていることはある。けれども向かい側にトランクス一枚でどっかり座られたって、目の遣り場に困るではないか。美優の視線がウロウロしていることに気づいたクニコさんが、慌ててシャツとハーフパンツを持ってくる。
「みー坊ちゃん、ひとり? こんな可愛い子来たら、みんな喜ぶなあ。ありがとうね」
ホステスしに来たんじゃないんですけど。花火見に来たんです。
「何年かテツの友達ってやつも来てたんだけどね、元の顔がわかんねえほど化粧して髪の色抜いてるような女は、俺は好きじゃなくてねえ。みー坊ちゃんならいいや。ごっつい男見慣れてるし、可愛いし」
服を着ながら鉄の父親は続けて、そのままソファから離れた。
「テツの野郎、ジジイは邪魔だと言いやがった」
渋い顔で通用口から入ってきた人は、鉄とよく似ていた。父親よりも似ているかもしれない。
「人が来はじめたから、スイカでも出すか。スイカ切ってくれたか」
これはどう見ても、身内……てっちゃんが三代目なら、多分初代だと美優は見当をつける。慌ててキッチンまで行き、挨拶をした。
「はじめまして、お邪魔してます。伊佐治の相沢と申します」
肌に日焼けが染み付き、細い身体になお筋肉の残る老人は、驚いたように美優の顔を見た。
「伊佐治の孫か?」
「正確には違うんですが、身内です」
「ああ、あそこの家系にこんな別嬪はいねえよな」
うんうんと頷き、大きなトレーに乗せたスイカを持ち上げた。トレーは全部で三枚ある。
「私も持ちます!」
トレーを持ち上げて後ろに続こうとすると、花柄のエプロンが差し出された。
「お洋服、汚れちゃうから。お客様にそんなことさせて、ごめんなさいね」
「いえ、大したお手伝いできませんから。エプロンだけ、お借りします」
クニコさんのエプロンは少々小さ目だったが、バーベキューもこの調子で手伝ってしまえば、知らない人ばかりの気詰まりから少々解放され、さらに特等席で花火が見られる、はずだ。
スイカを持って屋上に上がると、すでにコンロは設えてあった。鉄やリョウが笑いながら話している相手は、おそらくこの会社の社員なのだろう。壮年から少年まで十四・五人といったところか。その家族らしい何人かと、もう少し改まった面持ちの人たちは招待客だと見当がつく。
とりあえず、冷たいうちにスイカを食べてもらわなくては。人の固まりの中に顔を出して、手渡してしまうのが一番早い。
「スイカ、召し上がってください。よく冷えてますから」
声をかけながら準備している人間に近づく。
「俺にもちょーだい」
手を伸ばした鉄の視線が一度美優の上に留まり、それから離れて行った。スイカを持ってきた誰かを見たって感じじゃなくて、瞬間ではあるが『見られた』って気がする。
あれ、誰か見てる?
振り向くと、鉄がスイカを齧りながらこちらを向いている。別に用があったり文句があったりするわけではないらしく、物言いたげな様子ではなく、ただ見ているだけみたいだ。振り向いた美優とは視線が合わなかったから、本人も無意識だったのかも知れない。
乾杯の音頭もなくバーベキューがはじまり、早坂興業の社員たちが鉄板の前で働き出した。招待客はシートの上に導かれ、缶に入った飲み物を手にお喋りを楽しみはじめる。
美優はと言えば話し相手はいないし、男ばかりの社員さんの仲間にもなれない。招待客の中に知らない人ばかりでどこの輪に入ることもできずに、クーラーボックスの前を陣取り飲み物係をする。そんなことをしているので、招待客たちは早坂の身内だろうと勝手に勘違いし、やけに気安い。ビールちょうだい、コーラ冷えてる? そんな風に、飲み物を受け取っていく。
「みー坊ちゃん、そんなことさせて悪いね。誰かにやらせて、ゆっくりしてて」
鉄の父親はそう言いながらも忙しそうに、客の相手をしている。
ぱんぱん、と小さく音が聞こえて花火会場に目をやった次の瞬間、光の筋が空に昇って行った。夜空一杯の大きな花が咲き、少し遅れて音が届く。花火大会の時間だ。
誰かが気を遣ってくれて、美優にも肉や野菜をぼちぼち持ってきてくれる。鉄が言った通り花火は正面に上がり、見飽きない。
こんな特等席でなんて、滅多に見られない。花火の音でお喋りなんてできないんだから、これはこれで良かったとしようかな。
そんなことを考えながら、また視線を感じる。振り向けば、やっぱり鉄である。今度は向こうも気がついたらしく、美優に歩み寄ってきた。
「なんか食う?」
「ううん、さっきからいろいろ持ってきてもらってるし。ねえ、屋上で花火って、すっごい贅沢」
折りたたみ椅子に座った美優の横に、鉄はしゃがんだ。いわゆるヤンキー座りが安定しているのは、下半身のバランスが良いからである。(納得できないひとは、やってごらん。脛から下の筋肉が固い人と背骨が立てられない人は、後ろに転ぶから)
「エプロン、わざわざ持ってきたの?」
鉄はちょいちょいっと、エプロンの裾を引いた。
「クニコさんが貸してくれたんだよ。スイカ持ってくるとき、汚れるからって。明日、洗って返すね」
「ばあちゃんの? そんなの、持ってたっけ。みーにちょうどいいじゃん」
からかわれてるのかな、と思った。着てきた可愛い系ワンピじゃなくて、その上に締めているエプロンを褒められたって、自分のものでもないし鉄は見慣れているデザインのはずだ。
「ちょっと小さいよ。それより、飲み物取りに来たんじゃないの?」
「ああ、コーラでも飲むか。帰りに駅まで客乗っけてくから、俺は酒飲めないんだ」
ふと、自分の帰り道を考えた。真っ暗になってから、工業団地の中は怖い。招待客といっても、自分は接待される立場の人間じゃない。勝手に帰れと言われたら、ここから駅までどれくらいあるのだろう。
正面で派手にスターマインが広がり、思考を打ち切って花火に見惚れた。花火は音までご馳走だから、腹に響いてくる音を受け止める。
「エプロン、いいなあ。ねえ、階下した行って、おにぎり作ってよ」
「……おにぎり?」
「うん、ばあちゃんが米炊いてるからさ、俺のおにぎり」
「他の人にも、じゃなくて?」
「俺が米食べないと落ち着かないから、いつも俺の分は炊いてあんの。だから、二つか三つでいいや」
はい? 他人の家のキッチンで、客用でもないおにぎり?
見返した鉄の顔は、美優の疑問とは裏腹に、ごくごく普通だった。
おにぎりを作るくらいは、大した手間じゃない。抵抗があるのは他人の家のキッチンだからなのだが、鉄は鼻歌交じりに炊飯ジャーの蓋を開けた。
「塩結びでもいいなあ」
塩結びでもと言われたって、具になるものがどれだけあるのかも知らないし、それを使っていいものかも判断できない。
「やっぱり、おばあちゃんに作ってもらった方が……」
「ばあちゃんはもう、風呂入っちゃってるよ。朝早いから、寝るの早いんだ」
まだ八時前で、外では花火が打ちあがっているのに。
「若い職人が朝飯食わないで来たりするから、ばあちゃんが世話焼いてんの」
鉄は普通の顔で言うのだが、美優には驚きの連続である。職人を抱えた会社って、そこまでするものなんだろうか。ここの家の主婦って大変……
「普通はそんなことしないけどね。でもばあちゃんがそうするから、若いヤツが続くんだって話もあるし、ま、半分は趣味だから」
年配の主婦はきっと、自分の子や孫のような年齢の男が空腹を抱えることを、黙って見ていられないのだろう。
鉄に断って冷蔵庫を開け、具を考えていると、味噌が目に入った。最近美優の中でひそかなお気に入りは、果たして他人も旨いと思うものだろうか。兄には変だと言われたが、試してみようと思う。
ごはんの中にチーズを押し込み、きゅっと握った。鉄がニヤニヤしながら見ているので、仏頂面だ。おにぎりを三つ握ったら、掌に薄く味噌を塗る。
「味噌? 焼くの?」
「ううん、生味噌のおにぎり。おいしいんだよ」
手が汚れることが難点ではあるが、美優の味覚はこれがオーケーだと言っているのである。おにぎりを作れと頼んだのは鉄なのだから、文句を言われても食べさせてしまおうと思う。
皿に載せたそれを、鉄は掴んで口に入れた。外からはまだ花火の音が景気良く続いており、美優は気もそぞろだ。
「旨っ! 旨いな、これ。みーが考えたの?」
「うん。ドリアとか好きだから、チーズとごはんは合うって思って。兄貴は絶対食べないけど」
「へー、兄ちゃんいるんだ?」
瞬く間に三個のおにぎりを平らげた鉄は、冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いだ。
「みーも飲む?」
じゃなっくって、外でスターマインの音がするんですけど!
「兄弟、いいなあ。みーみたいなのが家の中にいると、面白いだろうな。一日中からかって遊ぶ」
「そんなに仲良くないよ。話題違うし、時間も合わないし」
「俺は一人っ子だからな。兄弟ってわかんねえんだ」
シンクの中にグラスを置き、鉄は美優の顔を見た。
「すっげー旨かった。また作って!」
またっつーのは、何だ。
「これ、あったかくないと美味しくないよ。おばあちゃんに……」
「ばあちゃんのメシは旨いけど、なんつーか決まった味なんだよな。たまに友達のとこ行ってメシ出してもらうと、やっぱり母ちゃんの年代とばあちゃんの年代は違うっつーか」
ああ、そうか。てっちゃんのお母さんは亡くなってるのか。話の中で、鉄の情報が美優の中に入って来る。とりたてて聞き出さなくとも、そうすんなり納得した。他人の家のキッチンでおにぎりを握ることに対する違和感が、急に払拭される。ちょっとくらいならご期待に応えてもいいかなー、なんて。
また外で、花火の音が響いた。
「花火、見ようよ」
「あ? ああ、ごちそうさん」
鉄がまた眺めていたのはエプロンなのだと、視線の先が言っている。
「エプロン、そんなに気になる?」
思わず話を振ってみる。
「え、何で?」
鉄の顔に、まったく無意識だった証明のように驚きの色が浮かんだ。
「さっきから、エプロン見てる」
身体の大きな男が赤くなるのが、こんなに可愛いものだとは思っていなかった、うろたえた鉄の顔は、幼い。
「いや、ばあちゃん以外のエプロンなんて見てないからさ、珍しくって。みーだからってわけでもないし。じゃなくって、男のエプロンなんか見たって仕方ないし、やっぱり女の子だとか、ええっと」
慌てると、口数の多くなる性質らしい。しばらくおかしな口調だったが、少し落ち着くと正直な言葉が出てきた。
「……多分マザコンなんだよ、俺。生きてりゃ鬱陶しかったかも知んないけど、鬱陶しくなる前に死んじゃったから」
納得の返事ではある。
外ではまだ花火の音だ。
「てっちゃん、上階うえ行かない?」
「お、ごめん。あと三十分か。終わったら駅まで何往復かするから、待っててな。最後に送ってくから」
階段を上っても花火とおしゃべりに勤しむ人たちは、鉄と美優には気がつかなかった
花火が終わって客たちが帰りはじめると、社員たちは手際良く屋上の片付けを開始する。鉄に待っていろと言われたので、所在ない美優も片付けを手伝おうと、焼き網を持ち上げようとした。
「あ、いいよいいよ。手が汚れるから、女の子はそんなことしなくていい」
コワモテさんがにっこり笑い、その顔でリョウの方を向く。
「クーラーボックスは先に氷捨てるんだ。ない脳味噌でもちょっとは使え!」
「はいっ!」
直立で返事するリョウは、はじめに会ったころより身体が大きくなっている。それでもやっぱり、厳しい上下関係は垣間見えるのだ。
長机を絞った布巾で拭いていると、また社員が走ってくる。
「女の子が片付けなんてしなくていいって。外のことなんて男がするから。おい、若いの!」
パイプ椅子に座らされて甘い清涼飲料水なんて持ってこられて、お姫様扱いである。
「てっちゃんが戻ってくるまで、もうちょっと待ってね。のんびりしてて」
ぼーっとしている間に宴席はなくなり、最後にデッキブラシが使われている。大きな笑い声で冗談が飛び交い、男たちの動きは力強く早い。兄や父とは、明らかに違う温度を持った男たちだ。
「みー坊ちゃん、こんなに遅くなって悪いな。親御さん心配してるんじゃないのか? テツが帰ってきたらすぐに送らせるから」
鉄の父親すら、気を遣ってくれる。
「こちらこそ、遊ばせていただいてご馳走になって。まだ早い時間ですから」
「十時前だよ。いつもそんなに遅いの? 未成年が、不良だなあ」
鉄の父親の言葉に、ちょっと反応する。
「未成年じゃないです。てっちゃんと一歳しか違わないんですけど」
「あれ、ごめん。十七・八かと思ってた。じゃあテツの母親が、テツ産んだ歳だなあ」
若い母親だったらしい。美優は現在進行形で、結婚どころか彼氏もいない。
「テツと仲いいみたいだけど、あいつって男としてどう?」
これを日焼けしたゴツい中年が、笑いながら言うのだ。美優の父親なら、こんな若い娘にフランクな喋り方なんて、できないだろう。
「優しいなーって思います」
男としてとか言われたって、答えに困る。でも、鉄はイイ奴だ。結構賢いし、男気も感じる。口はあまりよろしくないようであるが。
「ばあちゃんっ子だから、ちょっと甘いんだよなあ。だけどまあ、俺の子にしてはイイ子だよ」
何のアプローチのつもりなのか、鉄の父親はニヤリと笑う。
「みー坊ちゃん、また遊びにおいで」
屋上の上はいつの間にか、あらかた片付いている。
「社長、いくら独身だからって、そんな年の差で口説いたら犯罪ですからね」
「いや、テツと女張り合おうと思ってさ」
そう言いながら隣に立っている人が動こうとしたとき、鉄が屋上に入ってきた。
「ほらほら、てっちゃんに怒られますよ」
社員との軽口に、自分が鉄の恋人候補と認識されていることを知った。考えてみれば、こんな場所に女の子一人で来たのである。
「みー、お待たせ。送ってくから、リョウと一緒に車乗って」
鉄の言葉を、他の社員が遮った。
「リョウは方面一緒だから、俺が乗せてくよ。てっちゃんはその子送ってくだけでいいから」
「あ、そう?じゃあ行くか」
エプロンは外して、バッグにしまった。車の中とはいえ、先刻の父親との会話に続いてふたりきりっていうのは、なんとなくドキドキする。
そんなつもり、全然なかったんですけど。本当にただ、花火を見に来ただけなんです。
けれど多少なりとも生活と素顔を見てしまったことで、やけに身近になったことも確かだ。そうして覗いた顔は、結構なんて言うかまあ、って言葉を濁すようなもので。
つまり、鉄への興味が深まったわけである。
「友達はまだ来てないんだ? 迎えに行っちゃう?」
鉄は鉄で、勝手に早く迎えに来たくせにそんなことを言う。
「友達、具合が悪くて来られなくなっちゃったの。私だけでごめん」
可愛い子だったら残念だったなーなんて、鉄はニヤニヤ笑いながら車の座席に座った。後部には缶ビールと缶チューハイとソフトドリンクの箱が積まれ、他にカワキモノの入っているらしいビニール袋があった。
五分もしないうちに、窓の外に見えた大きな看板は、『早坂興業』だ。駐車場は広い。駐車場の隣の門柱にも社名が大きく入っており、フェンスの横にはノウゼンカズラの橙色の花が高い場所に広がっていた。台車に段ボールをいくつも積んだ鉄の後ろを、キョロキョロしながら歩く。
「おう、てっちゃんお疲れ! 彼女も連れてきたの?」
知らないオジサンがタンクトップで庭を歩いてくる。
「彼女じゃないっすよ。言ったでしょ? 伊佐治の作業服の子」
「ああ、こんな若い子なんだ! 一号店みたいにオバチャンなのかと思ってたからさ」
挨拶をどうしたら良いものか迷っていると、男はさっさと通り過ぎて行ってしまう。
「うちの社員さん。あんなのばっかりだから、心配しないで。事務のパートさんは来れないけど、ばあちゃんもいるし」
飾り気のないビルで台車ごと小さいエレベータに乗り四階まで上がると、鉄は通用口と書いてある扉を開けた。
「ばあちゃん! 酒とジュースどうすんの?」
鉄板の扉の向こうに広がるのは普通の家の普通のダイニングキッチンだ。後ろでどうしようかオドオドしている美優にお構いなしに、鉄は扉を開きっぱなしにしてサンダルを脱ぐ。
「上にもう持ってくの? ねえ!」
なんだかいきなり子供の喋り方だ。
「ああ、上に持ってって。クーラーボックスに氷入れてあるから……」
そう言って手を拭きながら出てきたのは、七十代くらいの女の人だ。色白で姿勢が綺麗だから、鉄がばあちゃんと呼びさえしなければ、六十代前半に見えるかも知れない。
「何なの? お客さんが一緒だって言ってくれなくちゃ、挨拶もできないじゃない。まったく順番のなってない子なんだから」
そう言いながら、祖母は鉄を通り越して美優の前に来た。
「あら、可愛いお嬢さんだこと。鉄のお友達?」
「あ、えっと、はじめましてっ。早坂興業さんには、いつもお世話になってまして。今日はお招きいただいて、ありがとうございます。店長からもよろしくと」
緊張して、自己紹介を忘れた。
「伊佐治のねーちゃんだよ、それ」
片手に麦茶の入ったグラスを手にした鉄が、補足した。
「女の子を指して『それ』はないでしょっ!ごめんなさいね、口の利き方も知らない子で。こら、自分だけお茶飲むんじゃなくて、お嬢さんにも出してあげなさい」
祖母は部屋の中を指差した。
「屋上はまだ暑いから、ここでゆっくりしていくといいわ。まだ準備済んでないから、お客様は休んでてちょうだい」
誘われるままにおずおずと靴を脱ぐと、ダイニングの隣のリビングルームらしき場所に導かれた。美優の家の倍くらいある部屋の真ん中には、革張りのソファとガラスのローテーブルだ。もの珍しくキョロキョロしていると、いつの間にやらハーフパンツに穿き替えた鉄が麦茶と菓子を運んできた。
「俺、ちょっと上の準備してくるからさ。テレビでも見てて」
いや、知らないお家にひとりで残されると、思いっきり所在無いんですけど!
綺麗に片付いたリビングの一角だけが、妙にゴチャゴチャしている。棚にはしてあるが、戦車だの飛行機だのの絵のついた箱と、その中身らしき作りかけのプラモデル、小さな工具と本。薄いコンテナボックスと筆をたくさん立てた缶が見える。その横にある腰までの高さの本棚には、コミックスがぎっしりだ。
お父さんのコーナーなのかなーなんて見ていると、自分のグラスを持った祖母が向かい側に座った。
「私もちょっと一休みさせてもらおうかしら。お客さんが来はじめたら、座ってられなくなるから」
そして美優の視線に気がつき、少し笑った。
「あそこはね、テツの巣なのよ。母親を早くに亡くした子だから、寂しかったんでしょうねえ」
てっちゃんのお母さん、亡くなってるのか。道理でばあちゃんが、を繰り返したはずだ。
通用口から、大きな声が聞こえた。
「クニコさーんっ! 上に持ってくのどれーっ?」
聞き覚えのある声だと思いながら、鉄の祖母が立ち上がるのを見ていた。
「そこのね、飲み物の箱。重いから一つずつ……リョウちゃん、無理しなくてもいいから」
「鉄骨に比べたら、軽いもんっす! これだけ? 他には?」
ついダイニングを覗き込むと、左肩に清涼飲料水の箱を担ぎ、右手に缶ビールの箱を抱えたリョウがサンダルをつっかけるところだった。
「あれ? みーさんだ」
他の人が働いているのに、自分だけ涼しい部屋にいるのは申し訳ない気がする。鉄の祖母、どうやらクニコさんと呼ばれているらしい人も、休憩と言いながらソワソワしている。
「あの、何かお手伝い……」
「いいのいいの、力と人手は足りてるんだから」
さくっと断られても、何をするってものでもない。ただ座ってるのもなんだかなあ、なんて思いつつ、興味のない番組を流しているテレビを眺めたりする。
今目の隅を掠めたのは、男のパンツじゃないでしょうか。リビングを横切って歩いていく人を、思わず二度見した。
「タケシ! 女の子がいるのに!」
クニコさんが声を出したので挨拶せざるを得なくなり、美優はソファから立ち上がった。
「お邪魔してます、伊佐治の相沢と申します!」
頭を下げて、今度こそ間違いなく名乗る。
「ああ、みー坊ちゃん。そんな格好してるから、わかんなかった。伊佐治のダサいポロシャツ着てないと」
パンツのまま鉄の父親は、気さくに笑った。
「屋上が焼けちゃってて、あっちぃったらねえわ。人が来はじめたからシート敷こうと思ったんだけど、その前にちょっとシャワー浴びてた」
美優の兄だって、入浴後に下着一枚でウロウロしていることはある。けれども向かい側にトランクス一枚でどっかり座られたって、目の遣り場に困るではないか。美優の視線がウロウロしていることに気づいたクニコさんが、慌ててシャツとハーフパンツを持ってくる。
「みー坊ちゃん、ひとり? こんな可愛い子来たら、みんな喜ぶなあ。ありがとうね」
ホステスしに来たんじゃないんですけど。花火見に来たんです。
「何年かテツの友達ってやつも来てたんだけどね、元の顔がわかんねえほど化粧して髪の色抜いてるような女は、俺は好きじゃなくてねえ。みー坊ちゃんならいいや。ごっつい男見慣れてるし、可愛いし」
服を着ながら鉄の父親は続けて、そのままソファから離れた。
「テツの野郎、ジジイは邪魔だと言いやがった」
渋い顔で通用口から入ってきた人は、鉄とよく似ていた。父親よりも似ているかもしれない。
「人が来はじめたから、スイカでも出すか。スイカ切ってくれたか」
これはどう見ても、身内……てっちゃんが三代目なら、多分初代だと美優は見当をつける。慌ててキッチンまで行き、挨拶をした。
「はじめまして、お邪魔してます。伊佐治の相沢と申します」
肌に日焼けが染み付き、細い身体になお筋肉の残る老人は、驚いたように美優の顔を見た。
「伊佐治の孫か?」
「正確には違うんですが、身内です」
「ああ、あそこの家系にこんな別嬪はいねえよな」
うんうんと頷き、大きなトレーに乗せたスイカを持ち上げた。トレーは全部で三枚ある。
「私も持ちます!」
トレーを持ち上げて後ろに続こうとすると、花柄のエプロンが差し出された。
「お洋服、汚れちゃうから。お客様にそんなことさせて、ごめんなさいね」
「いえ、大したお手伝いできませんから。エプロンだけ、お借りします」
クニコさんのエプロンは少々小さ目だったが、バーベキューもこの調子で手伝ってしまえば、知らない人ばかりの気詰まりから少々解放され、さらに特等席で花火が見られる、はずだ。
スイカを持って屋上に上がると、すでにコンロは設えてあった。鉄やリョウが笑いながら話している相手は、おそらくこの会社の社員なのだろう。壮年から少年まで十四・五人といったところか。その家族らしい何人かと、もう少し改まった面持ちの人たちは招待客だと見当がつく。
とりあえず、冷たいうちにスイカを食べてもらわなくては。人の固まりの中に顔を出して、手渡してしまうのが一番早い。
「スイカ、召し上がってください。よく冷えてますから」
声をかけながら準備している人間に近づく。
「俺にもちょーだい」
手を伸ばした鉄の視線が一度美優の上に留まり、それから離れて行った。スイカを持ってきた誰かを見たって感じじゃなくて、瞬間ではあるが『見られた』って気がする。
あれ、誰か見てる?
振り向くと、鉄がスイカを齧りながらこちらを向いている。別に用があったり文句があったりするわけではないらしく、物言いたげな様子ではなく、ただ見ているだけみたいだ。振り向いた美優とは視線が合わなかったから、本人も無意識だったのかも知れない。
乾杯の音頭もなくバーベキューがはじまり、早坂興業の社員たちが鉄板の前で働き出した。招待客はシートの上に導かれ、缶に入った飲み物を手にお喋りを楽しみはじめる。
美優はと言えば話し相手はいないし、男ばかりの社員さんの仲間にもなれない。招待客の中に知らない人ばかりでどこの輪に入ることもできずに、クーラーボックスの前を陣取り飲み物係をする。そんなことをしているので、招待客たちは早坂の身内だろうと勝手に勘違いし、やけに気安い。ビールちょうだい、コーラ冷えてる? そんな風に、飲み物を受け取っていく。
「みー坊ちゃん、そんなことさせて悪いね。誰かにやらせて、ゆっくりしてて」
鉄の父親はそう言いながらも忙しそうに、客の相手をしている。
ぱんぱん、と小さく音が聞こえて花火会場に目をやった次の瞬間、光の筋が空に昇って行った。夜空一杯の大きな花が咲き、少し遅れて音が届く。花火大会の時間だ。
誰かが気を遣ってくれて、美優にも肉や野菜をぼちぼち持ってきてくれる。鉄が言った通り花火は正面に上がり、見飽きない。
こんな特等席でなんて、滅多に見られない。花火の音でお喋りなんてできないんだから、これはこれで良かったとしようかな。
そんなことを考えながら、また視線を感じる。振り向けば、やっぱり鉄である。今度は向こうも気がついたらしく、美優に歩み寄ってきた。
「なんか食う?」
「ううん、さっきからいろいろ持ってきてもらってるし。ねえ、屋上で花火って、すっごい贅沢」
折りたたみ椅子に座った美優の横に、鉄はしゃがんだ。いわゆるヤンキー座りが安定しているのは、下半身のバランスが良いからである。(納得できないひとは、やってごらん。脛から下の筋肉が固い人と背骨が立てられない人は、後ろに転ぶから)
「エプロン、わざわざ持ってきたの?」
鉄はちょいちょいっと、エプロンの裾を引いた。
「クニコさんが貸してくれたんだよ。スイカ持ってくるとき、汚れるからって。明日、洗って返すね」
「ばあちゃんの? そんなの、持ってたっけ。みーにちょうどいいじゃん」
からかわれてるのかな、と思った。着てきた可愛い系ワンピじゃなくて、その上に締めているエプロンを褒められたって、自分のものでもないし鉄は見慣れているデザインのはずだ。
「ちょっと小さいよ。それより、飲み物取りに来たんじゃないの?」
「ああ、コーラでも飲むか。帰りに駅まで客乗っけてくから、俺は酒飲めないんだ」
ふと、自分の帰り道を考えた。真っ暗になってから、工業団地の中は怖い。招待客といっても、自分は接待される立場の人間じゃない。勝手に帰れと言われたら、ここから駅までどれくらいあるのだろう。
正面で派手にスターマインが広がり、思考を打ち切って花火に見惚れた。花火は音までご馳走だから、腹に響いてくる音を受け止める。
「エプロン、いいなあ。ねえ、階下した行って、おにぎり作ってよ」
「……おにぎり?」
「うん、ばあちゃんが米炊いてるからさ、俺のおにぎり」
「他の人にも、じゃなくて?」
「俺が米食べないと落ち着かないから、いつも俺の分は炊いてあんの。だから、二つか三つでいいや」
はい? 他人の家のキッチンで、客用でもないおにぎり?
見返した鉄の顔は、美優の疑問とは裏腹に、ごくごく普通だった。
おにぎりを作るくらいは、大した手間じゃない。抵抗があるのは他人の家のキッチンだからなのだが、鉄は鼻歌交じりに炊飯ジャーの蓋を開けた。
「塩結びでもいいなあ」
塩結びでもと言われたって、具になるものがどれだけあるのかも知らないし、それを使っていいものかも判断できない。
「やっぱり、おばあちゃんに作ってもらった方が……」
「ばあちゃんはもう、風呂入っちゃってるよ。朝早いから、寝るの早いんだ」
まだ八時前で、外では花火が打ちあがっているのに。
「若い職人が朝飯食わないで来たりするから、ばあちゃんが世話焼いてんの」
鉄は普通の顔で言うのだが、美優には驚きの連続である。職人を抱えた会社って、そこまでするものなんだろうか。ここの家の主婦って大変……
「普通はそんなことしないけどね。でもばあちゃんがそうするから、若いヤツが続くんだって話もあるし、ま、半分は趣味だから」
年配の主婦はきっと、自分の子や孫のような年齢の男が空腹を抱えることを、黙って見ていられないのだろう。
鉄に断って冷蔵庫を開け、具を考えていると、味噌が目に入った。最近美優の中でひそかなお気に入りは、果たして他人も旨いと思うものだろうか。兄には変だと言われたが、試してみようと思う。
ごはんの中にチーズを押し込み、きゅっと握った。鉄がニヤニヤしながら見ているので、仏頂面だ。おにぎりを三つ握ったら、掌に薄く味噌を塗る。
「味噌? 焼くの?」
「ううん、生味噌のおにぎり。おいしいんだよ」
手が汚れることが難点ではあるが、美優の味覚はこれがオーケーだと言っているのである。おにぎりを作れと頼んだのは鉄なのだから、文句を言われても食べさせてしまおうと思う。
皿に載せたそれを、鉄は掴んで口に入れた。外からはまだ花火の音が景気良く続いており、美優は気もそぞろだ。
「旨っ! 旨いな、これ。みーが考えたの?」
「うん。ドリアとか好きだから、チーズとごはんは合うって思って。兄貴は絶対食べないけど」
「へー、兄ちゃんいるんだ?」
瞬く間に三個のおにぎりを平らげた鉄は、冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いだ。
「みーも飲む?」
じゃなっくって、外でスターマインの音がするんですけど!
「兄弟、いいなあ。みーみたいなのが家の中にいると、面白いだろうな。一日中からかって遊ぶ」
「そんなに仲良くないよ。話題違うし、時間も合わないし」
「俺は一人っ子だからな。兄弟ってわかんねえんだ」
シンクの中にグラスを置き、鉄は美優の顔を見た。
「すっげー旨かった。また作って!」
またっつーのは、何だ。
「これ、あったかくないと美味しくないよ。おばあちゃんに……」
「ばあちゃんのメシは旨いけど、なんつーか決まった味なんだよな。たまに友達のとこ行ってメシ出してもらうと、やっぱり母ちゃんの年代とばあちゃんの年代は違うっつーか」
ああ、そうか。てっちゃんのお母さんは亡くなってるのか。話の中で、鉄の情報が美優の中に入って来る。とりたてて聞き出さなくとも、そうすんなり納得した。他人の家のキッチンでおにぎりを握ることに対する違和感が、急に払拭される。ちょっとくらいならご期待に応えてもいいかなー、なんて。
また外で、花火の音が響いた。
「花火、見ようよ」
「あ? ああ、ごちそうさん」
鉄がまた眺めていたのはエプロンなのだと、視線の先が言っている。
「エプロン、そんなに気になる?」
思わず話を振ってみる。
「え、何で?」
鉄の顔に、まったく無意識だった証明のように驚きの色が浮かんだ。
「さっきから、エプロン見てる」
身体の大きな男が赤くなるのが、こんなに可愛いものだとは思っていなかった、うろたえた鉄の顔は、幼い。
「いや、ばあちゃん以外のエプロンなんて見てないからさ、珍しくって。みーだからってわけでもないし。じゃなくって、男のエプロンなんか見たって仕方ないし、やっぱり女の子だとか、ええっと」
慌てると、口数の多くなる性質らしい。しばらくおかしな口調だったが、少し落ち着くと正直な言葉が出てきた。
「……多分マザコンなんだよ、俺。生きてりゃ鬱陶しかったかも知んないけど、鬱陶しくなる前に死んじゃったから」
納得の返事ではある。
外ではまだ花火の音だ。
「てっちゃん、上階うえ行かない?」
「お、ごめん。あと三十分か。終わったら駅まで何往復かするから、待っててな。最後に送ってくから」
階段を上っても花火とおしゃべりに勤しむ人たちは、鉄と美優には気がつかなかった
花火が終わって客たちが帰りはじめると、社員たちは手際良く屋上の片付けを開始する。鉄に待っていろと言われたので、所在ない美優も片付けを手伝おうと、焼き網を持ち上げようとした。
「あ、いいよいいよ。手が汚れるから、女の子はそんなことしなくていい」
コワモテさんがにっこり笑い、その顔でリョウの方を向く。
「クーラーボックスは先に氷捨てるんだ。ない脳味噌でもちょっとは使え!」
「はいっ!」
直立で返事するリョウは、はじめに会ったころより身体が大きくなっている。それでもやっぱり、厳しい上下関係は垣間見えるのだ。
長机を絞った布巾で拭いていると、また社員が走ってくる。
「女の子が片付けなんてしなくていいって。外のことなんて男がするから。おい、若いの!」
パイプ椅子に座らされて甘い清涼飲料水なんて持ってこられて、お姫様扱いである。
「てっちゃんが戻ってくるまで、もうちょっと待ってね。のんびりしてて」
ぼーっとしている間に宴席はなくなり、最後にデッキブラシが使われている。大きな笑い声で冗談が飛び交い、男たちの動きは力強く早い。兄や父とは、明らかに違う温度を持った男たちだ。
「みー坊ちゃん、こんなに遅くなって悪いな。親御さん心配してるんじゃないのか? テツが帰ってきたらすぐに送らせるから」
鉄の父親すら、気を遣ってくれる。
「こちらこそ、遊ばせていただいてご馳走になって。まだ早い時間ですから」
「十時前だよ。いつもそんなに遅いの? 未成年が、不良だなあ」
鉄の父親の言葉に、ちょっと反応する。
「未成年じゃないです。てっちゃんと一歳しか違わないんですけど」
「あれ、ごめん。十七・八かと思ってた。じゃあテツの母親が、テツ産んだ歳だなあ」
若い母親だったらしい。美優は現在進行形で、結婚どころか彼氏もいない。
「テツと仲いいみたいだけど、あいつって男としてどう?」
これを日焼けしたゴツい中年が、笑いながら言うのだ。美優の父親なら、こんな若い娘にフランクな喋り方なんて、できないだろう。
「優しいなーって思います」
男としてとか言われたって、答えに困る。でも、鉄はイイ奴だ。結構賢いし、男気も感じる。口はあまりよろしくないようであるが。
「ばあちゃんっ子だから、ちょっと甘いんだよなあ。だけどまあ、俺の子にしてはイイ子だよ」
何のアプローチのつもりなのか、鉄の父親はニヤリと笑う。
「みー坊ちゃん、また遊びにおいで」
屋上の上はいつの間にか、あらかた片付いている。
「社長、いくら独身だからって、そんな年の差で口説いたら犯罪ですからね」
「いや、テツと女張り合おうと思ってさ」
そう言いながら隣に立っている人が動こうとしたとき、鉄が屋上に入ってきた。
「ほらほら、てっちゃんに怒られますよ」
社員との軽口に、自分が鉄の恋人候補と認識されていることを知った。考えてみれば、こんな場所に女の子一人で来たのである。
「みー、お待たせ。送ってくから、リョウと一緒に車乗って」
鉄の言葉を、他の社員が遮った。
「リョウは方面一緒だから、俺が乗せてくよ。てっちゃんはその子送ってくだけでいいから」
「あ、そう?じゃあ行くか」
エプロンは外して、バッグにしまった。車の中とはいえ、先刻の父親との会話に続いてふたりきりっていうのは、なんとなくドキドキする。
そんなつもり、全然なかったんですけど。本当にただ、花火を見に来ただけなんです。
けれど多少なりとも生活と素顔を見てしまったことで、やけに身近になったことも確かだ。そうして覗いた顔は、結構なんて言うかまあ、って言葉を濁すようなもので。
つまり、鉄への興味が深まったわけである。
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