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混血の美学 ……5
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青い空を流れる雲の動きは速かった。その風景の手前に、背を向けて佇んでいるお仕着せの女が居た。そう、いずみだ……。
いずみは、なんてことない、よくあるビル群をぼんやり眺めているように見えた。その青い背中が、妙に切ない。お仕着せに羽織った青い革ジャン……。
「あの、革ジャン、じゃん!」
思わず、そう声にしてしまったアタシの方を振り返ったいずみだったが、何食わぬ顔でこう言ってのけた。
「なんだ、サキか……遅いよォ」
「ちょっと、いずみさァ、その革ジャン?」
「え? あー、買っちゃったよ」
「はー!? ったくもって、常識はずれの学者がッ!」
「それ、よく言われる。なんでかしら……」
そう言って金網に凭れた彼女が、真顔で考え込んでいる姿を見守っている内に、どーでもよくなってきたアタシは、そんな彼女の方へ歩を進め、その隣へ並ぶと、同じように金網へと凭れ掛かった。
「ねぇ、サキ、アタシの個室寄ってきた?」
「そりゃ、寄るでしょ。ただ、ジャズが鳴ってたわよ」
「それ、ママよォ……。居た?」
「誰も……。そうだ」
アタシは、持参したテープをいずみへ渡した。
「なんだ、2本?」
「いずみ、テメー!」
「ま、いいや……」
「チェッ!」
そう毒づいて、くるりと金網の方へ身体を向けたアタシは、空を見上げた。青い空を流れる雲の動きは、先程よりも速くなっていた。
アタシは、いずみに訊いてみたいことが山ほどあったが、切り出し方が分からなかった。
「……いずみ、ねぇ?」
「……なんですか?」
そうレスったいずみもまた、金網の方へ身体を向けた。
「うん……ううん、いや、あのさ、ジャズ好きだったの?」
何訊いてんだ、アタシ!
「ママがね。アタシは齧るくらい、有名なヤツを」
そう言ったきり、押し黙ったいずみは、ぼんやり地上を見下ろし始めた。その横顔を盗み見たアタシは、そのままなんとなく口を噤んでしまった。まるで、いつもの彼女が、どこかへ幽体離脱してしまった脱け殻のように見えたからだ……。
「ねぇ、アタシっていつもと違う?」
虚を衝かれたアタシは、それとなく金網へ背を向けてから、こう返した。
「いずみでしょ、いずみは……」
「そお……。聞いたでしょ。アタシは、O型の血を射たれたんだよ。アタシは、大体Oだし、そもそもそれってどの型にも合うから、どうってことないんだけど……でも、なんか、なんかさ、混じってんだよね、アタシの血にィ……ま、間違いなく犯人自身の血だよねッ。アタシの血に混じって、アタシの全身をぐるぐる巡って、やがて、一体化していくんだから、そいつの血ィ、がッ――」
そこまで、やっとこさ言うと、急に言い淀んだいずみは、しゃがみ込んで嘔吐し始めた。もっとも、固形物は見当たらず、黄色い液体だけを喉奥からダラダラ垂れ流していた。
いずみの背後へしゃがみ込んだアタシは、その丸まった青い背を撫で始めて、彼女がしゃくりあげているのにやっと気付いた。手を背に置いたまま、撫でるのを止めたアタシは、フッと空を見上げた。が、青かった空の雲行きは、なんだか怪しくなっていた……。
と、その場へペタッと座り込んだいずみは、抱えた両膝へ顔を埋めると、泣き声を押し殺してこう言った。
「アタシ、しばらくこうしてるから……」
「……」
アタシは、腰を上げると、いずみの丸まった青い背中を見下ろしつつ、掛けるべき言葉を探しあぐねた……。
‛ストップ・ユア・ソビン‚
そう、心のなかで呟いたものの、声にはならずに、そのまま屋上出入口へと向かった。やっぱり、なんか口にした方が良かったかしら……、そう思いながら、階段の踊り場へ踏み入れたアタシは、そこで見覚えのある男と出くわし、足を停めた。
「……いずみなら、今はやめてくれない?」
そう言ったアタシの視線を受け止めた男は、やがてフッと視線を外して、こう返した。
「分かった。それに、アンタの方が良いかもな……」
その男は、先だってアタシから事情を訊いた四十絡みの刑事だった。
院内のカフェテリアは盛況だった。それが、良いことなのかどうかは分からないけど……。
刑事の向かいに座ったアタシは、協力費代わりだと言うアイスコーヒーを啜りながら、渡された3枚の写真を眺めていた。それぞれが、異なる場所の防犯カメラで撮られた、多分同じ男の写真で、白いマスク、眼鏡、黒のリュックが共通していた。
「アンタが屋上から見たってこいつ?」
「それこそ屋上からだし、あの辺り案外暗いし。けど、マスクにリュックに背広はこんなだったと思うけどさ、そうじゃないかも……」
「おそらく、こいつなんだと思う。リュックにスタンガンなんかが入ってんだろうな、きっと。な、良く見てくれよ?」
「うん……けど、っぽいとしか言いようがないよ。ごめん」
「なんだ、今日はバカに素直なんだな、どーした?」
「……別にィ」
そう言ってとぼけておいた。いずみの予想外の異変ぶりに、アタシの心が錆び付いているなんて、さらさら告げる気にはなれなかった。
「ねぇ、いずみの事件で、4件目なんでしょ?」
「ああ、杉並、中央、東久留米に今回。東久留米にゃ、これという写真はないらしい」
「東久留米って、九州?」
「なんだ、知らないのか? 東京だよ、一応」
「けど、どこの署でもその写真で聞き込みとかやってんでしょ?」
「ああ、オレだって今してるからな。ただな、神出鬼没だろ、こいつ? 手口から、同一犯には違いないんだろうが。実際さ、全部O型のRhプラスだしな、射たれた血ィ。あとな、ガイシャの共通点なんだが、職業バラバラ、年齢は18から43まで、体型もグラマーもいれば、その逆もと訳が分からない。行き当たりばったりにすら思えてくる始末だ。ったく、足を棒にしなきゃならんな、こりゃ。ただな、強いて言えば……」
「焦らすのは、あれの時だけにしてよねッ」
刑事さん、しばし口あんぐり……。
「参ったな。いや、ほら、ガイシャは皆女ってさ……ハハハ」
参ったのはこっちだ。刑事のバカ笑い聞き流しながら、アタシは、ぐちゃぐちゃ混ぜるカレーを思い出していた。
続く
いずみは、なんてことない、よくあるビル群をぼんやり眺めているように見えた。その青い背中が、妙に切ない。お仕着せに羽織った青い革ジャン……。
「あの、革ジャン、じゃん!」
思わず、そう声にしてしまったアタシの方を振り返ったいずみだったが、何食わぬ顔でこう言ってのけた。
「なんだ、サキか……遅いよォ」
「ちょっと、いずみさァ、その革ジャン?」
「え? あー、買っちゃったよ」
「はー!? ったくもって、常識はずれの学者がッ!」
「それ、よく言われる。なんでかしら……」
そう言って金網に凭れた彼女が、真顔で考え込んでいる姿を見守っている内に、どーでもよくなってきたアタシは、そんな彼女の方へ歩を進め、その隣へ並ぶと、同じように金網へと凭れ掛かった。
「ねぇ、サキ、アタシの個室寄ってきた?」
「そりゃ、寄るでしょ。ただ、ジャズが鳴ってたわよ」
「それ、ママよォ……。居た?」
「誰も……。そうだ」
アタシは、持参したテープをいずみへ渡した。
「なんだ、2本?」
「いずみ、テメー!」
「ま、いいや……」
「チェッ!」
そう毒づいて、くるりと金網の方へ身体を向けたアタシは、空を見上げた。青い空を流れる雲の動きは、先程よりも速くなっていた。
アタシは、いずみに訊いてみたいことが山ほどあったが、切り出し方が分からなかった。
「……いずみ、ねぇ?」
「……なんですか?」
そうレスったいずみもまた、金網の方へ身体を向けた。
「うん……ううん、いや、あのさ、ジャズ好きだったの?」
何訊いてんだ、アタシ!
「ママがね。アタシは齧るくらい、有名なヤツを」
そう言ったきり、押し黙ったいずみは、ぼんやり地上を見下ろし始めた。その横顔を盗み見たアタシは、そのままなんとなく口を噤んでしまった。まるで、いつもの彼女が、どこかへ幽体離脱してしまった脱け殻のように見えたからだ……。
「ねぇ、アタシっていつもと違う?」
虚を衝かれたアタシは、それとなく金網へ背を向けてから、こう返した。
「いずみでしょ、いずみは……」
「そお……。聞いたでしょ。アタシは、O型の血を射たれたんだよ。アタシは、大体Oだし、そもそもそれってどの型にも合うから、どうってことないんだけど……でも、なんか、なんかさ、混じってんだよね、アタシの血にィ……ま、間違いなく犯人自身の血だよねッ。アタシの血に混じって、アタシの全身をぐるぐる巡って、やがて、一体化していくんだから、そいつの血ィ、がッ――」
そこまで、やっとこさ言うと、急に言い淀んだいずみは、しゃがみ込んで嘔吐し始めた。もっとも、固形物は見当たらず、黄色い液体だけを喉奥からダラダラ垂れ流していた。
いずみの背後へしゃがみ込んだアタシは、その丸まった青い背を撫で始めて、彼女がしゃくりあげているのにやっと気付いた。手を背に置いたまま、撫でるのを止めたアタシは、フッと空を見上げた。が、青かった空の雲行きは、なんだか怪しくなっていた……。
と、その場へペタッと座り込んだいずみは、抱えた両膝へ顔を埋めると、泣き声を押し殺してこう言った。
「アタシ、しばらくこうしてるから……」
「……」
アタシは、腰を上げると、いずみの丸まった青い背中を見下ろしつつ、掛けるべき言葉を探しあぐねた……。
‛ストップ・ユア・ソビン‚
そう、心のなかで呟いたものの、声にはならずに、そのまま屋上出入口へと向かった。やっぱり、なんか口にした方が良かったかしら……、そう思いながら、階段の踊り場へ踏み入れたアタシは、そこで見覚えのある男と出くわし、足を停めた。
「……いずみなら、今はやめてくれない?」
そう言ったアタシの視線を受け止めた男は、やがてフッと視線を外して、こう返した。
「分かった。それに、アンタの方が良いかもな……」
その男は、先だってアタシから事情を訊いた四十絡みの刑事だった。
院内のカフェテリアは盛況だった。それが、良いことなのかどうかは分からないけど……。
刑事の向かいに座ったアタシは、協力費代わりだと言うアイスコーヒーを啜りながら、渡された3枚の写真を眺めていた。それぞれが、異なる場所の防犯カメラで撮られた、多分同じ男の写真で、白いマスク、眼鏡、黒のリュックが共通していた。
「アンタが屋上から見たってこいつ?」
「それこそ屋上からだし、あの辺り案外暗いし。けど、マスクにリュックに背広はこんなだったと思うけどさ、そうじゃないかも……」
「おそらく、こいつなんだと思う。リュックにスタンガンなんかが入ってんだろうな、きっと。な、良く見てくれよ?」
「うん……けど、っぽいとしか言いようがないよ。ごめん」
「なんだ、今日はバカに素直なんだな、どーした?」
「……別にィ」
そう言ってとぼけておいた。いずみの予想外の異変ぶりに、アタシの心が錆び付いているなんて、さらさら告げる気にはなれなかった。
「ねぇ、いずみの事件で、4件目なんでしょ?」
「ああ、杉並、中央、東久留米に今回。東久留米にゃ、これという写真はないらしい」
「東久留米って、九州?」
「なんだ、知らないのか? 東京だよ、一応」
「けど、どこの署でもその写真で聞き込みとかやってんでしょ?」
「ああ、オレだって今してるからな。ただな、神出鬼没だろ、こいつ? 手口から、同一犯には違いないんだろうが。実際さ、全部O型のRhプラスだしな、射たれた血ィ。あとな、ガイシャの共通点なんだが、職業バラバラ、年齢は18から43まで、体型もグラマーもいれば、その逆もと訳が分からない。行き当たりばったりにすら思えてくる始末だ。ったく、足を棒にしなきゃならんな、こりゃ。ただな、強いて言えば……」
「焦らすのは、あれの時だけにしてよねッ」
刑事さん、しばし口あんぐり……。
「参ったな。いや、ほら、ガイシャは皆女ってさ……ハハハ」
参ったのはこっちだ。刑事のバカ笑い聞き流しながら、アタシは、ぐちゃぐちゃ混ぜるカレーを思い出していた。
続く
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