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第1話 恋敵出現

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「同期の水島みずしまさんっているだろ。付き合うことになったから」

 片想い相手の同僚・ぎんじょうにコーヒーに誘われ、ほいほいついて行ったら告白する前にフラれた。なんと、25歳という四捨五入して三十路になったその日のことである。

「マジか……マジ、入社して3年、2年片想いこじらせて誕生日に失恋するのか、私……」

 呆然とするあまり、ブツブツ呟きながらフラフラとデスクに戻る途中、せめて化粧くらい直して気合を入れようとトイレに入ろうとした瞬間「てかマジ白藤しらふじさんとデキてなくてよかったー」と件《くだん》の水島さんの声が、しかも私の名前を出すのを聞いて足を止めてしまった。

「ねー。あれ絶対デキてるか、じゃなきゃ秒読みじゃんってみんな言ってたけど」
「だよねー。でも違うんだって、ベッドでしおらしく、でも銀城くんって白藤さんと付き合ってるよね、責任とか考えなくていいよって言ったとき、なんもないって言ってたし」
「意外と銀城くん奥手じゃん。てかやっぱ銀城くん好みおかしいわ、白藤さん、美人だけど仕事デキすぎてキッツイってみんな言ってるし」
「男より仕事してどーすんだろうね? 老後のマンションでも買うのかな?」

 そうして聞き耳を立てていた私は知ってしまった。どうやら水島さんは、新年会の二次会終わりに銀城のグラスに薬を盛って部屋に連れ込んで服を剥《は》ぎ、あたかも自分が無理矢理関係を持たされたかのように装《よそお》ったのだと。ついでに、水島さんは犯罪行為を武勇伝のように語るヤバイ女だと発覚した。

「気が変わる前に結婚してほしいし、次は妊娠かなー。銀城くんも付き合いさえすれば手出さないはずないし、そっちは本当にすればいいんだけど」
「てか銀城くん意外と騙されんだね、ヤッてないのに」
「女は分かるって言うけど男は分かんないもんなのかな? ま、どーでもいいんだけど」

 今時漫画でも見かけないベタな悪女ムーブで好きな男を横から掻っ攫われた。そんな事実を知ってしまった私にできることは――しかし水島さんを糾弾することでも銀城に告げ口をすることでもなく、ただ仕事をすることだった。なにせこちとら会社の兵士《ソルジャー》、三度の飯を食う暇があるなら三日分のノルマをこなせ言われる営業マン、終わった恋に割く時間の余裕なんてない。

 もちろん心の余裕もなかった。だから新年早々終電を前に呟いた。

「……死にたい」

 最低最悪な誕生日を迎えた、その日のうちに死んでいた。




 それが、私の人生

 そう気が付いたのは、シルヴィア・ブランシャールとして生を受けて僅か3年後のことだった。

 このシリゼ王国にて、我がブランシャール伯爵家はそれなりの名門貴族で、しかも潜性遺伝子まで美形なのかと思ってしまうほどの美形一族。お陰様で私も金髪碧眼、陶器のように白い肌に整いきったパーツを持つ美少女となったうえ、優しい家族に何一つ不自由なく育てられた。

 ただ、営業のエースを争った男勝りな性格は変えようがなかった。しかも、私は「これ転生ってヤツ? 憧れの天才児とかなれちゃう!?」と張り切ったのだが、この世界では女なんていい家に嫁《とつ》いでなんぼで、それどころか令和の日本と同じノリで勉強と仕事ができる女は「女のくせにはしたないッ」と敬遠されてしまう。なんとも旨味のない転生だ、と私は肩を落とした。

「シルヴィア、お前は口さえ閉じれば、そうでなければ男であれば引く手数多あまただったというのに」

 お陰でお父様もいつもそう呆れていた。でも営業なんて喋ってなんぼで、毎月高くなるノルマを毎月こなすのが仕事で、なおかつそれが私の武器だったのだから仕方がない。

 といっても、得意なのは取引先のオジサンを口説くことばかりで、好きな男一人口説けなかった。めちゃくちゃな美少女なのに相変わらずさっぱりモテない、私らしい転生といえばそうだった。



 そんなシルヴィアとして平和に過ごしてはや16年、貴族学院入学を控えた私に、ある転機が訪れた。

「ごきげんよう、シルヴィア……」

 学院が始まる直前、同級生のアントワネット・ブルークレールがわざわざ屋敷を訪ねてきたのである。

 アントワネット・ブルークレールは、いま流行りの“悪役令嬢”という形容がぴったりな気の強いご令嬢だ。その性格は遺伝子にも表れていて、バッキバキの金髪縦ロールに吊り上がった眉、威圧的なほど大きなパープルの瞳の持ち主なのである。ちなみに、私とフレデリク王子殿下の婚約者の座をかけて争い、そして勝利したのも彼女、アントワネットだ。

 そんな彼女の訪問を“転機”と呼ぶ理由はふたつ。まずアントワネットは、まかり間違っても挨拶から入るような礼儀を持ち合わせていない、傲慢と高慢を絵に描いたようなご令嬢だからである。

 もうひとつ、ゆえにモチロン私は仲良くなんてない。なんならフレデリク王子殿下の婚約者の座争いのときはわりと嫌がらせをされたし、そのせいで家同士もギクシャクしている有様なのだ。

 そのアントワネットが私を訪ねるとは、一体なにごとか? 毒を持ってきたので今から紅茶に淹れて飲んでみろと言われても納得するくらいにはおかしなイベントだった。

「……どうしたの、アントワネット」

 しかしだからといってわざわざ家に来られて邪険にすることはできない。貴族の体裁ってヤツだ。

 仕方なく紅茶を出すと、アントワネットは似合わぬ神妙な面持ちで「実は……」と切り出した。

「私……、学園の卒業と同時に破滅を迎える運命にあるの」
「え、急になに?」

 入学する前から卒業時の心配、しかも身の破滅とか、そんなん嗤《わら》う――間違えた笑うわ。というか声を上げて笑ってしまったのだけれど、「違うのよシルヴィア、私は真面目に話してるの!」と憤慨された。

「……今朝、思い出したのよ。私はかつて日本に住んでいたってこと……、ここという異世界に転生したんだってことをね」

 が、さすがにそれを聞いて硬直せざるを得なかった。

 そうして話し出したアントワネットによれば、ここは乙女ゲーム『カルテ・カルテット』――通称『カルカル』を舞台にした剣と魔法の世界。ヒロインがいて、ヒーローという名の攻略対象が複数人いて、そしてヒロインを虐める悪役令嬢が用意されているという。

 そしてアントワネットはその悪役令嬢なのだそうだ。攻略対象の一人がアントワネットの婚約者・フレデリク殿下であり、高確率でアントワネットは、卒業記念パーティでの婚約破棄&学園追放のコンボを食らうのだという。ちなみに私は『カルカル』どころか乙女ゲー自体やったことない。

「だからお願い、私を助けてほしいの!」

 わっと涙を浮かべて手を合わされたけれど、待て待て。お前、フレデリク王子殿下の婚約者の座を争って私に何したか忘れたか?

 挨拶代わりの嫌味と皮肉はもちろん、社交場でぶつかりおじさんもびっくりな勢いで体当たりしてきたのは一度や二度じゃない。階段どころか崖から突き落とそうとしたこともあるし、私がベランダにいるのをいいことに寒空に締め出したことも、坊ちゃん嬢ちゃんの遠足で山に置き去りにすべく罠に嵌めようとしたこともある。もっと地味なことをいえば、ドレスの色が同じだっただけで「私が美しいからって真似しないでくださる!?」なんて自意識過剰な文句を言ってきたこともあるし、その後は「他の令嬢のドレスを真似るなんて、シルヴィア・ブランシャールは盗人《ぬすっと》同然」なんて老若男女問わず触れ回った。

 そんなアントワネットの所業のお陰で「ブランシャール伯爵令嬢はとんだじゃじゃ馬」なんて言われて私のもとには釣書《つりがき》一枚来なくなったけど――いや正直前世の銀城《しつれん》を引き摺ってるからいいんだけど――そんな私に助けろとか言うか?

 マジかコイツ、とんだ面の皮だな。……と言いたいところだが、いかんせんこのアントワネットはアントワネットであってアントワネットでないのである。王子の婚約者となるために手練《てれん》手管《てくだ》を尽くし、その中で私に様々な嫌がらせをしたといっても、それはアントワネットであってこのアントワネットではないのである。

「……ちなみに、どうして私にその話を?」
「だって私達、『カルカル』の中でとってもいい友達だったの。だからきっと、シルヴィアなら力になってくれると思って」

 現に、そうして可愛らしく花の咲いたように微笑むアントワネットは、私の記憶の中にあるアントワネットとは別人なのだった。理屈でいっても、異世界転生した人格が入ってきた(乗っ取った?)ということは、きっと今までのアントワネットは消滅したのだろう(だとしたら成仏してほしい、頼むから)。

 そういうことなら、ネチネチと「虐めた側は忘れても虐められた側は覚えてんだからなコノヤロー」と言うほど狭量ではない。もちろん「汝の敵を愛せよってヤツね」と言うほど物分かりよくはないけれど。

「……そういうことなら、仕方ないわね」

 ゲームで親友設定だったから仲良くできるよねって意味分かんない理屈だけど。

「よかった、シルヴィアなら信じてくれるんじゃないかと思って話してみたの」

 ああ、ほらね――。頬を緩めるアントワネットに、私はどこか遠い目をしてしまった。アントワネットはこんな素直ないい子じゃなかった。私を虐めていたアントワネットはもういないのだ。さようなら旧アントワネット、できるだけ早く旧アントワネットのことは忘れるわ。

「転生したのもかなりショッキングなタイミングだったから、もう朝から不安で仕方なくて……せっかく銀城くんを白藤さんから奪ったところだったのに……」

 が、その愚痴に本日二回目、硬直した。

「あ、これはね、転生する前のお話なの。私、前世では営業のエース……こちらの世界でなんて言えばいいのかしら、“花形”? とにかく人気のある男性とお付き合いし始めたところだったの。その男性が銀城という名前で」
「……『奪った』って?」
「あー……それは、ちょっとした言葉の綾《あや》ってものよ! 白藤さんという女性がいたのだけれど、女性なのに男性みたいに働く方でね、はしたないでしょう? 銀城くんがそんな女性に騙されてたから、助けてあげたって言うべきかしら?」

 微笑みながら、アントワネットはとんでもない誤情報《デマ》を口にした。

 いや、アントワネットではない――彼女は水島さんだ。

「ごめんなさいね、前世のお話なんてつまらないわよね。ごめんねシルヴィア、今日はお話を聞いてくれて助かったわ!」

 前世の恋敵が現世で親友になるなんて、どうかしてる。世界がどうかし過ぎてぐうの音も出なかった。
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