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 1.邂逅

(5)選択④

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 体が持ち上がり、奇妙な浮遊感に襲われる。副流煙による息苦しさと胸座を掴まれたことによる苦しさとで顔をゆがめていると、不意にスカートの、中をまさぐられて、まるで虫がうような悪寒が背筋に走った。

「っ──」
「古典的なセコイ真似しちゃあだめだよ、三国ちゃん」

 スカートの内側から、弾くようにスカートのポケットを叩かれた。その手は無駄に、そして執拗しつようふとももを外側から内側へとでる。人の体温が、こんなにも気持ちが悪いことなんてなかった。

「三国!」

 荒神くんの声と、もう一度鈍い音が聞こえた。視界の外で「なに? なにやってんの?」「いいじゃん、ほっとこうぜ」「てか荒神って……あれだろ? もうちょい縛ったほうがいんじゃないの」と他の3人が話す声が聞こえる。

「三国ちゃん、手出されないと思って、油断してない?」

 太腿から手が離れたかと思うと、その不快感は、体がコンクリートの上に叩きつけられた痛みに断たれた。新庄が私の上で馬乗りになる。背中からはビリビリとした痛みとコンクリートの冷感が、お腹からはズッシリとした重みと新庄の体温が、体に注ぎ込まれるようだった。その不気味さに、悪寒を感じる余裕すらなく体が凍り付いた。

 その手は、今度こそスカートのポケットに突っ込まれる。新庄は、開きっぱなしの携帯電話を、見せつけるように私の頭上で振った。

「だーれに電話してたのかな? 雲雀くん?」

 新庄は携帯電話を見ながら「でも雲雀なら登録してんだもんな。電話だってさっきかけたし。なんだこれ」と呟く。その携帯電話番号を見ていない以上、私にだって誰に電話をかけていたのか確信を持てない。

 ドクリドクリと心臓が鳴っていた。早く、見せて。せめて、早く見せて。手探りの発信にミスがなかったと安心させて。

 新庄がゆっくりと、私に画面を突き付ける。

「ねーえ、これ誰?」

 「通話中」が表示された画面を凝視する。頭の中にある写真とそれを比較した。

 11桁の数字は間違いなく一致していた。通話時間は、7分17秒、18秒、19秒……ときざんでいく。

 それが、ブツリと切られた。通話時間は7分21秒。

 頭の中で、荒神くんの連絡先を登録したときの携帯電話画面の記憶を引っ張り出す。あのときに画面の右上にあった数字は16:32だった。次に、新庄が私に携帯電話を突き出したときの画面の記憶を引っ張り出す。あのときに画面の右上にあった数字は16:55。つまりこの2つの行動の差は23分。

 荒神くんの連絡先を聞いてから私と荒神くんが車に乗せられるまでの時間、倉庫に着いてから雲雀くんに電話をかけさせられるまでの時間を概算して、その23分から無駄な時間を引く。ついでに頭の中の地図で現在位置と灰桜高校の位置との距離を概算する。おそらく新庄が口にした「7キロ北」は適当ではなく、新庄自身が認識している概算の距離。

 きっと、灰桜高校からここまで来るのにかかる時間は、車で10分。7分21秒を刻んだ通話時間は、充分とはいえないけれど、不充分ともいえない程度の時間ではある。

 新庄の口角が一層吊り上がった。その手は制服のスカーフを、優しいと言えるほどに丁寧に優しくほどく。

「ねえ、三国ちゃん、知ってる?」

 新庄の手が咥え煙草を取り、私の顔の真横で、ジュッと押し潰す。耳元で、ジリ……と火がつぶれる音がした。その音に反応したのか、心臓の鼓動ごと体が揺れている気がした。

「相手が処女かどうかで、犯罪って違うんだってさあ」
「新庄ッ!」

 私の位置と姿勢から、荒神くんは見えなかった。せいぜい分かるのは、私が息を詰めたのと、荒神くんが叫んだのが同時だったということくらいだった。

「三国に手出したら、昴夜たちは絶対深ディープ・スカーレットに入んないぞ」
「手出したって、分かんのかなあ?」

 新庄の手はセーターのボタンを1つずつ丁寧に外した。するりと、セーラー服からセーターが滑り落ちるようにはだけられた。

 ずっと早鐘はやがねを打っている心臓は、もうそのままセーラー服を突き破ってしまいそうだった。新庄の手は、私の胸よりも先に心臓に触れてしまうのではないかと思えるほど、心臓の鼓動は大きかった。心臓が口から飛び出そうというのは、こういう有様をいうのだろう。

「大丈夫だよ、顔を殴ったりしないから。大丈夫」

 その笑みの裏にある下劣げれつさは、経験則も論理則も関係なく、無根拠に、まさしく直感したと言えるほどダイレクトに伝わってきた。

「三国ちゃんと荒神が黙ってれば、三国ちゃんが犯されたかどうかなんて、分かんないよお」

 ジリジリとセーラー服のチャックが上げられた。セーラー服の中に入ってきた手は、無遠慮に私の胸に触れる。他人に触られて初めて分かる自分の体の柔らかさに、ドッと再び心臓が跳ね上がった。新庄は吹き出す。

「すっごい心臓速い。こんなんでよくそんな表情かおでいられたねえ。本当は怖くて堪らないでしょ?」

 ……怖いに、決まってる。薄暗い倉庫で、冷たいコンクリートの上で、十数分前まで顔も知らなかった男に馬乗りになられて、制服を脱がされかけて、怖くて堪らなくないわけがない。

 体だって、コンクリートに自分で自分を押し付けるようにしてこらえなければ、ひとりでに痙攣けいれんし始めてしまいそうなほどに震えていた。新庄が喋る間、何も返事をしないのだって、声を出そうとしても、まるで喉に詰め物でもされたように、声が出ないから。涙が出ないどころか目がカピカピに渇いてしまっているのは、きっと恐怖のあまり神経が麻痺してるから。

 怖くて怖くて、堪らなかった。散々蛍さんに忠告されたって、何も分かってなかった。こんな目に遭うなんて思ってもなかった。後悔なんてないけれど、本当に、怖くて仕方がない。

 顔に何もでなくたって、私にだって、感情くらいあるんだから。

「ッ──三国は蛍永人のお気に入りだ!」

 荒神くんの言葉を聞き入れようとしなかった新庄の手が、それを聞いて止まった。
 するっと、間抜けなほどにあっさりと新庄の手はセーラー服の中からいなくなった。

「荒神、それ、本当?」

 新庄は私の上に乗ったままだった。私の上に乗ったまま頬杖をつき、多分荒神くんがいるところを振り向いた。

「……本当。この間も、三国が襲われたとき、永人さんがわざわざ出てきて助けてくれたくらいには、お気に入り」
「……ふーん?」

 新庄が少し考え込む。蛍さんの名前は覿面てきめんで、荒神くんの声がしたのと似たような位置から「ってことは群青が出てくる?」「お気に入りったって姫じゃねーだろ」「でもここに来られたら……」とコソコソと話し合いが始まった。

 新庄が再び私の携帯電話を手に取って私に見せた。通話履歴には「雲雀侑生」「三国妙子」「三国妙子」「雲雀侑生」と並ぶ名前のほかに、電話番号だけの表示がある。

「……これ、蛍永人の電話番号なんて言わないよねえ?」
「……ゴールデンウィークに、永人さんは三国に電話番号を渡してた」

 その荒神くんの声を合図にしたように、カンッと携帯電話が放り投げられ、そのままカラカラと倉庫の隅に転がっていった。新庄はすくっと立ち上がる。

「撤収」
「え?」
「三国ちゃんと荒神は置いてく。群青の――蛍永人が来るとなると、ちょっとマズイ。電話してそろそろ10分、下手しもう来るよねえ?」

 そうと決めた新庄たちの動きは、早かった。ただ、コンクリートに寝転がった状態からは、足音の振動と「本当に蛍永人のケー番か?」「知らねーよ、でも本人だとマズイだろ」「つか渡されたって覚えてるわけなくね」「いいから早くしないと」と慌ただしい会話を聞くことしかできなかった。

「三国ちゃん」

 寝転がったままの私の隣に、新庄がかがみこむ。その人差し指は、秘密だよとでもいうように私の唇に押し当てられた。ぞわりと全身の産毛が粟立つ。

「続きはまた今度ねえ」

 その微笑みは、まるで恋人に向けるようなものだった。

 その新庄が視界から消えて暫く、倉庫内には静寂せいじゃくが訪れた。私の心臓はまだドクドクとうるさく鼓動していて、平静を取り戻すにはまだ時間がかかりそうだった。まともなのは頭の中だけで、まるで理性と本能が切り離されているかのように、ぐるぐると思考回路が動いている。

 少なくとも、雲雀くんと桜井くんには連絡がついた。あの2人が来てくれることは間違いない。大丈夫。この場でいたずらに寝転んでいるうちに、いつの間にか深緋の別のメンバーがやってきましたなんてことにはならない。大丈夫。

 それに、手探りで打ち込んだ蛍さんの携帯電話番号に間違いはなかった。ずっと通話中だったということは、蛍さんはきっと会話を聞いている。携帯電話のマイク部分を上にしてポケットに入れていたから、きっと会話は拾えている。

 そう言い聞かせて、必死に息を吸う。大丈夫。きっと、大丈夫。

「……三国、起きれる?」

 荒神くんの声が聞こえる場所は、変わっていなかった。ドクリドクリと早鐘を打ち続ける心臓をセーラー服の上から押さえながら、ゆっくりと、体を起こす。背中にはまだコンクリートの感触が残っていたし、お腹にも、新庄の体温が残っていた。

 気持ち悪い、早く洗いたい――。セーラー服を見下ろした瞬間に、何の論理もなくそんな感情が飛び出てきた。

 頭の中には、私の上に乗った新庄の顔が写真として保存されている。コマ送りとまではいわないけれど、私を見下ろす顔の写真が、パーツの動きを変えていくつも保存されている。その写真のせいで、体への感触さえ、覚えてしまっている気がした。

 ジリジリとセーラー服のチャックを下ろした。痙攣けいれんのように震える手でもたもたとセーターのボタンを留め直す。スカーフを解かれたことを思い出して結ぼうとしたけれど……手が震えて、なかなか結べなかった。それをなんとかかんとか結ぶ。

 そこまできて、やっと荒神くんを見た。荒神くんの頬は赤く腫れていたし、腕はサイドテーブルの足に結び付けられていた。

 なんて言おう。大丈夫かどうか、聞こうか。顔を見れば怪我をしているのは分かるし、でもそれ以外に外傷は見当たらないし、意識もあるし、大丈夫なのは明らかだ。それを口に出す必要が分からなかった。

 荒神くんも何も言わなかった。荒神くんが何も言わないのが、この状況で私にどう声をかければいいのか分からないからならいいと思った。

 倉庫内の静寂が沈黙に変わってしまったそのとき、ガンッと倉庫の扉が揺れた。ガラガラと扉が開く。

「……三国?」

 真っ先に飛び込んできたのは桜井くんだった。雲雀くんもすぐに顔を出し、桜井くんと違って素早く視線を動かす。

「……2人だけか?」
「……新庄ならあっちから逃げた。三国が永人さん呼んだから」

 荒神くんの視線を追いかけると、私達が入ってきたのとは反対側に勝手口のようなものが見えた。

 そうか、あっちから逃げたのか。天井しか見えてなかったから分からなかった――。勝手口のほうばかりを見てそんなことを考えていると、突然強く両肩が掴まれた。

「三国!」

 はっと振り向けば、桜井くんの顔が目の前にあった。

「え、あ」

 やっと声が出たかと思ったら、コホリと咳が出た。新庄の前ではあんなにペラペラと喋っていたのに、そんな自分は別人だったんじゃないかと思えるくらい、上手く言葉が出なかった。

「大丈夫か? 新庄になんかされてない!?」

 荒神くんの視線が私に向く。それに気づかないふりをして、首を横に振った。

「……大丈夫」やっと言葉になった声はかすれていて「……大丈夫。何もされてないから」

 ほーっ、と桜井くんが息を吐きだしながら俯いた。私の肩を掴む手からもゆるゆると力が抜けて、安堵あんどが伝わってくる。

 あとで、荒神くんに口留めしなきゃ……。ゆっくりと、何度か瞬きをする。目はカピカピに渇いていた。きっと、自分でも気づかないうちに目を見開いてしまっていたのだろう。

「マジでビビった……。アイツ本物のクソ野郎だから……三国になんかあってもおかしくなかったから……マジで……」

 桜井くんは、何にも気付かなかった。自然といえば自然なことだった、私には外傷はないし、制服だって乱れていないし、私が何もしていないと言えば何もされていないことになる。

 手出したって、分かんのかなあ? ――その新庄の言葉は正しかった。私と荒神くんが何も言わなければ、私は何もされていないことになる。たとえあのまま最後までされていたとしても――。そう考えると、背筋が凍る思いだった。

「おい、結局誰もいねーのか?」

 扉がもう少し開いて、今度は蛍さんが入ってきた。その背後には知らない長身の人もいる。長身の人は入口に留まり、蛍さんだけが中に入って来た。

 蛍さんは私の前に立つ。私は、床にへたり込んだまま、呆然と蛍さんを見上げる。

 そうして暫く、蛍さんがここにいる原因が自分の電話だと思い出した。

「あ……、あの……蛍さん」
「女子と5分以上通話したの、お前が初めてだぞ、三国」

 ちゃんと着信があったことを示すように、蛍さんは携帯電話を取り出して振ってみせた。

「……すみません」
「桜井達と縁切る準備ができたら電話しろっていったのに、なあ?」

 蛍さんは笑っていたけれど、文脈のおかげで皮肉を読み取れた。

「よりによって、ディープ・スカーレットの新入りに誘拐されて、その助けをブルー・フロックのトップに求めるとは、いい度胸してんな」

 蛍さんの視線が一瞬、私の脇に動いた。でもそれが何を見たのかは分からなかった。分からないまま、蛍さんの視線は私に戻る。

「どうする、三国。俺はタダじゃねーよ。お駄賃でもくれんのか?」

 その視線の間に、桜井くんが割り込む。ゴールデンウィークの海と同じで、まるで私を庇うように、私と蛍さんの視線が交錯こうさくするのを邪魔する。

「……そこは、もう、俺達が約束した通りなんで。三国は関係ないってことにしてもらえないですか」

 あれ、敬語? 状況にそぐわない疑問かもしれないけれど、その疑問は桜井くんと蛍さんの関係の変化を推測させるのに充分だった。

「……まあ、今回に限ってはそうだな」

 桜井くんは、その返事に頭を下げた。

 そのまま私に向き直り「大丈夫? 立てる?」と腕を引っ張ってくれた。立とうとして立てなかったわけではなかったのだけれど、そうされて初めて、自分が腰を抜かしていたことに気が付いた。

「……立てない」
「……おんぶでいい?」
「え、いや、いいよ。いやイヤとかじゃなくて、その、ほら重たいし」
「あー、てか立てないならおんぶむりかな。抱っこか」
「えっ」

 桜井くんに体を持ち上げられ、慌ててしがみついた。ジャンプしているときとは違う浮遊感に襲われる。大体、自分とそう変わらない体格だと思うの桜井くんに抱えあげられるなんて思ってもみなかったせいで、その意味での驚きもあった。

 桜井くんの右腕は膝下にあった。もう少し先に、新庄が触れた場所がある。ぎゅ、と無意識に、桜井くんの肩に乗せた腕に力が籠ってしまうのを感じた。

「さーて、ラブコメは後にしてもらおうか」

 倉庫内を見て回っていた蛍さんが倉庫の出口を指さす。

「こんなところに入ってて、誰かに見つかると面倒くさい。いったん外に出る。話はその後だ」

 視線を動かし、携帯電話が転がっているのを見つける。拾わなきゃ、と考えていると、まるでテレパシーでも伝わったように、雲雀くんがそれを拾い上げてくれた。雲雀くんのいつもの不愛想な顔と目が合う。

「……三国のだろ?」
「……うん。ありがと」

 私が桜井くんにしがみついているせいか、雲雀くんはそのまま携帯電話を預かってくれた。隣では荒神くんが「あーもう、マジ痛い」と手首を擦っていた。
 桜井くんにしがみついたまま外に出ると、ずっと倉庫の入口に立っていた長身の人が「ああ、結局なんもなし?」「逃げたっぽい」と蛍さんと話す。その視線が私に向いた。

 ゴールデンウィークに蛍さんと一緒にやって来た人とシルエットが完全に一致するから「能勢のせ芳喜よしき」さんだろう。ほんの少し垂れ気味の優しそうな瞳とほんのりと口角の上がった薄い唇と、口元の黒子ほくろが印象的だった。同時に、桜井くんが「イケメンで背が高くて色気がある」と言っていたことも思い出したし、納得もした。今後「色気のある人」と言われて真っ先に浮かぶ人になりそうだ。

 そしてなにより、この中にいると明らかに浮いていた。というか、私とこの能勢さんだけ、見た目があまりにもありふれた高校生だった。改造もなにもされていない制服と黒髪のせいなのだろうけれど、ピンクブラウンの髪に刺繍入りの学ランを着ている蛍さんの仲間には到底見えない。

 なんだか不思議な人だな……と不躾ぶしつけに観察してしまっていると、その能勢さんは穏やかに目尻を下げて笑った。

「三国英凜ちゃん? はじめましてじゃないんだけど、はじめましてって言ったほうがいいかな?」

 その声はハスキーで、桜井くんや雲雀くんの声が子供っぽく思えた。

 ふるふると桜井くんの腕の中で首を横に振る。海で会ったときは顔は分からなかったけど、あの時は蛍さんとこの能勢さんもいたからこそ、あのゴリラ達が蜘蛛の子を散らすように逃げていったのだと考えると、あれをカウントしないのは失礼な気がした。

「……こんな形で、すみません。三国英凜です」
「女の子がそんなこと気にしないでいいんだよ。むしろ、新庄に誘拐されて永人さんを呼ぶのは賢かったんじゃない?」

 なんとなく、本当になんとなくだけれど、それは安心する声だった。声の高さか、喋り方か、その両方かが絶妙に心地が良かった。

「永人さんもお気に入りなことだし」
「そういう話じゃねーよ、俺は対価はキチッと貰う主義だしな」

 私はバイクの上に横向きに載せられた。誰のバイクか分からずに辺りを見回すとバイクは2台しかない。雲雀くんと桜井くんは学校にバイクでは来ない、と考えるとこれは蛍さんと能勢さんのものだろう。

「さて、三国」能勢さんの隣で蛍さんが腕を組み「この間言ったとおりだ、俺は群青のメンバーじゃないヤツは助けない。この意味が分かるな?」

 群青のメンバーでないのであれば、助けない。逆に言えば、助けるのであれば──。

「桜井くんと雲雀くんは、私のせいで群青に入りましたか」
「三国、そうじゃない」桜井くんが素早く訂正して「三国のせいじゃなくて、俺達のせいで三国が誘拐されて、だから俺達は群青に入ることにした。間が抜けてる」
「……雲雀くんみたいな喋り方するね」
「……確かに俺にしては理屈っぽいこと言ったかも」

 むむ、と口角の一方を下げて眉間に皺を寄せる表情は、間違いなくいつもの桜井くんのものだった。蛍さんの視線は桜井くんと私、そして雲雀くんを見る。

「今回の件の話をしよう。三国、お前から雲雀に宛てた電話で、コイツらはいよいよ自分達の手に負えないと判断したらしい。真っ先に俺のところに来やがった、群青に入る代わりに三国を助けてくれってな。お前から俺に宛てた電話は、コイツらが群青に入ると決めた後だ」

 ほっ──と胸に安堵が広がる。私が誘拐されたことが発端とはいえ、私が蛍さんに電話をしたせいで群青に入ったわけではなかった。

「コイツらが群青に入るにあたって提示した条件は、三国、今回の件について俺が──群青が、お前を助けることだ。いいか、今回の件について、だ」

 蛍さんは注意深く、対象を限定した。

「俺は、群青のメンバーの女が誘拐されただのなんだの言われれば、そんなクソみたいな外道は潰してやる。ただ、メンバーのダチだのお気に入りだの、そんなものにまで手を広げるほど暇じゃない」
「……私を助けるのは今回限りってことですね」
「ああ。もちろん、桜井と雲雀はこれからもお前を助けてくれるんだろうけど」

 当然だとでもいうように、桜井くんがうんうんと頷いた。雲雀くんは動かないけれど、それこそが肯定だろう。

「それで手に負えなくなったのが、今回だ。お前が同じように拉致だの誘拐だのされる可能性はいくらでもある」

 桜井くんと雲雀くんと一緒にいる限り、ということだろう。推測ではあるけれも、2人が群青に入ったことで一層2人の周りは危険に晒される気がした。

「分かったら、今ここで、コイツらとは縁切りな」

 蛍さんは、そうして執拗しつように私と桜井くん達を切り離そうとする。

 桜井くん達は何も言わなかった。蛍さんの言葉が正しいからだ。

 でも、本当に、もう遅いのだ。スカートの上で手を握りしめた。

「……イヤです」
「……だろうな」
「えっ」

 きっと怒られると思っていたので面食らった。それどころかあまりにも簡単に引き下がられて、これからしようとしていた理由付けが頭から飛んだ。

「だろうなって……」
「誘拐されて、ろくに話したこともねー俺に電話かけてくる女がまともなわけねーからな。どうせゴネるとは思ってた」

 蛍さんは舌打ちした。そのセリフからすれば、分かりきっていたこととはいえいざ耳にすると苛立たずにはいられない、きっとそんな舌打ちだった。

「が、三国。俺はお前のその度胸を買ってやる」

 ピンクブラウンの髪の隙間から覗く、蛍さんの瞳が細められた。

「誘拐犯は6人、メンツはディープ・スカーレット。お前と荒神つー人質がいる中で桜井と雲雀がろくに相手をできるわけがない。その中に、連中と最高に仲が悪い群青のトップを、|使える(・・・)って理由だけで呼びつけて助かろうとした、その度胸を買ってやる」

 ぶるっと、さっきまでとは別の意味で背筋が震えた。

「さあ、三国、選びな」

 桜井くんも雲雀くんも口を出さないのは、きっとその選択をするしかないと分かっているからだ。

「群青に関するあらゆる決定権限は俺にある。――お前が群青に入るって言うなら、俺は受け入れる」

 群青とは、何なのか。そう問いかけた私に、蛍さんは、自分みたいなのが群れているだけだと言った。だから桜井くんも雲雀くんも――私も、群青に相応ふさわしいのだと。

 私には、私と桜井くん達との共通点は分からなかった。むしろ私だけが異質に思えていた。私だって桜井くん達と同じだと思いたいのに、私だけが仲間外れに思えてならなかった。

「お前は、群青おれたちの仲間になる覚悟はあるか?」

 そんなもの、つゆほどしかなかった。

 記憶のフォルダに保存されてしまった、この倉庫内の光景が怖かった。新庄の顔が怖かった。耳元で永遠にささやかれ続けているかのように鮮明に克明こくめいよみがえる新庄のセリフも声も怖くて怖くて仕方がなくて、それなのにきっと何度も何度も自分の頭の中で再生できてしまうし、だからこそ忘れることができないと半ば確信できることが、私を一層恐怖で縛り続ける気がした。

 でも、群青にいることは、その怖さを誤魔化す方法のひとつだろうし、新庄の口にした「また」は、今後の私がどんな立場になってもなかったことにはならないのだろう。それなら群青にいるべきだし……、それに、しいていうなら、つゆほどなら覚悟があった。

 なにより、この人達の仲間だという言葉の響きが、ただただ耳に心地が良かった。

「……まだ、あるとまでは言えませんけど。仲間になるのに必要なら、持ちます」
「……いいね」

 蛍さんが口角を吊り上げたけれど、その笑みの意味は、分からなかった。

「正式なメンバー告知はまた後日。そん時は連絡するから顔出しな。で、今日は桜井、雲雀、お前らが三国を送れ。荒神、お前は知らねー、1人で帰れ」
「……はーい」

 ふと、蛍さんと荒神くんの関係に疑問が浮かぶ。蛍さんは、結局、荒神くんを群青には誘っていないのだろうか。そして荒神くんはなぜ、蛍さんに認識されているのだろう。認識でいえば、新庄も、桜井くんと雲雀くんと一緒にいるヤツとして荒神くんを認識していたけれど、それとは別に能勢さんは荒神くんと面識があったみたいだし……。

 いくつもの疑問が頭に浮かんで、そのまま答えを見つけられずにただよう。ぼんやりとしていると「つか、三国よお」と蛍さんが携帯電話を振った。

「お前、俺のケー番登録してないつってたろ。どうやって電話かけた」
「……覚えてました」
「あぁ?」

 蛍さんの眉が跳ね上がった。

「蛍さんが、手書きで番号を渡してくれたから、覚えてました。……あの時はまだ、私は蛍さんと関係のない人間だったので、登録する|必要・・はありませんでしたけど、電話をする可能性はあったので」
「永人さん、三国、めちゃくちゃ記憶力いいんですよ」

 なぜか桜井くんが横から口を出した。蛍さんは少し目をぱちくりさせていたけれど――ハハッと声を上げて笑った。

「そっか、そうだったか。電話番号って……11桁だろ? いざってときのために覚えるけど登録はしない、か。三国、やっぱりお前の度胸スゲェな」
「……これでも必死だったんですが」
「安心しろ、褒めてんだよ。で、ついでにそろそろ俺のバイクから降りな」
「あ、すみません――」

 慌てて降りようとすると、まるで子供を抱き上げるようにして正面から抱きしめられた。ほんの僅かな煙草の臭いが鼻孔をくすぐるほどに密着した、それによる緊張か、狼狽ろうばいか、恐怖か、どれともつかぬ感情に支配された心臓が再び跳ね上がる。

 一体何をされるのか――まどう間もなく、ストンと地面におろされた。

 あ、なんだ、バイクから降ろしてくれただけか。動揺している私を、蛍さんはバイクから見下ろした。

「三国英凛、お前、群青に入るならもうちょっと男に慣れな」

 そんなこと言われたって、急に先輩に抱きしめられて動揺しない子のほうがどうかしてる。つい、口をとがらせてそんな文句を言いたくなった。煙草の臭いがするくらい密着して平気な顔をしろなんて、そんな――。

 ……あれ? ふ、と妙な違和感が脳裏を掠める。蛍さんって、煙草嫌いなんじゃないっけ。ああ、でも、臭いがするから吸ってたってことにはならないな。誰かが蛍さんの近くで煙草を吸ってた可能性だって――。

 脳裏に新庄の咥え煙草の姿がよぎった。

 その瞬間、ゾッと背筋が震えた。

 もし、蛍さんが、仕組んだのだとしたら?

 蛍さんが執拗に私に忠告したのは、それでも桜井くん達が私と離れないか――桜井くん達にとっての私の重要性を確認するため。大して関わりのない私にわざわざ電話番号を渡した理由は、最終手段として私が蛍さんに助けを求めるように仕向けるため。だから電話番号を登録したのか確認した。

 そしてその後に、私と荒神くんが拉致されて、新庄は、わざわざ私に携帯電話を返した。ろくに連絡をできる相手がいないとはいえ、桜井くん達が到着するまで、余計な手段は奪っておくに越したことはないのに、わざと携帯電話を返した――私が蛍さんに連絡が取れるように。

 そして新庄は、私が蛍さんへ電話をかけていたと確認した途端、まるで、目的は達したかのようにいなくなった。

 筋は通っている。新庄のセリフの中に、蛍さんの登場を懸念けねんするようなものがあったけれど、蛍さんとの関係を誤魔化すためのものだったといわれても不自然ではない。蛍さんが、桜井くんと雲雀くんを群青に入れるために、そのための取引を持ち掛けるために、新庄と組んで、この誘拐を仕組んだのだとしたら……、話の筋が綺麗に通った。

 ぞわりと、身の毛がよだつ。

 私は、この人を、信用していいのだろうか。

「ああ、そうだ、言い忘れてた」

 バイク音が空気を震わせる中、ピンクブラウンの髪が、海に沈む太陽に照らされ、淡く光る。

「ようこそ、群青ブルー・フロックへ」

 それは、後戻りのできない3年間の始まりだった。
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