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第9話

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 数年後、帝国には疫病が蔓延した。身分を問わず平等に人々が罹患していったそれは、歴史書によれば、過去にも蔓延したものであったが、その治療法は不明であった。帝国には腕利きの薬師はおらず、その資料もなく、また薬草庫もなかった。

 皇帝は、帝国中の医師を集めよとの勅命を出したが、間もなく病死した。帝国は混乱に陥り、エーヴァルト皇子もやがて床に伏し、「クラリッサを連れてこい」と喚き続けていた。

 そんな中、ある辺境伯領の騎士団が帝都に入り、薬と食料を配給した。これにより、蔓延していた病はあっという間に終息の兆しをみせ始めた。それにもかかわらず、ただ王宮にだけ、薬が届かなかった。

 阿鼻叫喚の図を作っていた王宮に現れたのは、例の薬を配り歩いた騎士の主の、辺境伯だった。

「私に帝国を譲ることを条件に、この薬を差し上げましょう。いかがですか?」

 命あっての物種、なにより、皇族はこの混乱を収束させる力を持たず、それどころか帝国を混乱へ陥れた元凶そのものであり、病に苦しむ者をよそに莫大な財を糧に自分らだけ生き延びようと手練手管を尽くしていたと反感を買いすぎた。既に、現皇家を支持する者など誰もいなかった。

 エーヴァルト皇子はなすすべなく、その年、その地位を辺境伯へ譲り渡した。

 辺境伯領は、その領主が辺境伯令息──現皇家の次男坊すなわち公爵令息となったこと以外、何も変わらずにいる。



 クラリッサは、深い森を前に立ち尽くし、ぼんやりと風の動きを見ていた。

「――クラリッサ」

 蹄の音に振り向くと、ユリウスが迎えに来てくれたところだった。腕を引かれて馬に乗り、クラリッサは背中をユリウスの胸に預ける。

「新当主はいかがでしたか?」
「先代よりも随分と素直で人が良さそうで、逆に心配事になりそうだった。君のことも気にしていた」
「私のことですか?」
「ああ。なにせ今回の疫病を終息させた功労者だ」

 微かに振り向くと、ユリウスも少し首を傾けた。眼帯で塞がれていないほうの目が、クラリッサの目と至近距離で見つめ合う。

「先代辺境伯の提案にもあったが、君さえ望めば相応の地位を約束できると。それこそ、帝都の薬草庫を復旧させるのも容易なはずだが、話を受ける気はあるか?」

 ユリウスの屋敷に住むようになったとはいえ、相変わらずクラリッサはこうして森までやってきては手を泥だらけにして草を採り、冬にはあかぎれも作りながら薬を調合する、そんな生活をしている。

 しかし、宮廷薬剤師になれば、もっと環境の整った場所で薬の研究ができるだろう。いわば臨床からは離れ、日々カスパーや騎士団のための調剤に追われず、自分の好きな調剤に専念できる。

 そんな提案を、クラリッサは丁重に断った。ユリウスは怪我が原因で辺境の騎士団長を辞すことになったものの、指導者の立場で残っているし、もし宮廷薬剤師になればユリウスと離れて暮らすことは免れない。
 
「私は結構です。そもそも今回の件は私ではなく、知識を受け継いできた一族に感謝すべきことですし。そうだ、それなら離散した一族を呼び戻していただけると嬉しいですよ。きっと皆よく働きます」

 グラシリア家は草の虫と揶揄されるほど薬草研究が好きなものばかり、それがまた宮廷薬剤師にしてもらえるとなれば喜んで昼夜問わず調剤に明け暮れてしまうに違いない。

 ふふ、と笑いながら、クラリッサは手綱を握るユリウスの左手に手を添えた。手綱は指の間に引っかかっているだけで、握ることはできていなかった。

「それに私は、ユリウス様とこの村で暮らしていくほうが幸せですから」
「……そうか」

 ユリウスは、クラリッサの小麦色の頭に、ふわふわと顔を埋めた。

「それなら、よかった」


 かつて偽物聖女と糾弾され追放された“聖女クラリッサ”、彼女はいまも辺境の村でひっそりと暮らしてる。
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