2 / 4
第2話
しおりを挟む
さて。部屋を引き上げた私は王城の門に立った。背中にそびえたつ王城のせいで、西日すら遮られ、私の頭上には影が落ち、仁王立ちした足の間からはヴァレンの顔が出ている。
「……これからどうしよう」
「そう焦らずとも、二、三日は猶予をもらえばよかったのだ」
まるで他人事のような口ぶりに、じろりと足元を見下ろした。その先では、ぷわあ、とヴァレンがあくびをして大きな牙を覗かせている。
「もっとも、あの感情的な王子はなにを言い出すか分からん。今日のうちに飛び出したのは正解だったが」
「結論において相違ないってことでしょ。というか、ヴァレンなんてただの獣なんじゃないかって言い始めたときによく飛び掛からなかったわね」
「ただの獣と違って、格下は相手にしない主義でな」
「ご立派でなにより」
小さく返事をしながら、何も解決しないやりとりに溜息をついた。
ヴァレンは神獣の中でも特に知能が高いらしく、人間の言葉を理解するだけでなく喋ることもできる。いや喋るというと少し語弊がある、限られた者――少なくとも私にはその言葉が直接耳に届くだけだ。
その会話を「自作自演だ」と陰で言われていることがあるのは知っていたが、まさかヴァレンの神獣性を否定してヴィオラ様の謎のウサギを神獣認定していたとは。アラリック殿下の馬鹿殿っぷりには恐れ入る。
「……行くあてはないけれど、正式に結婚する前に向こうから婚約破棄してくれて、それ自体は幸いだったかもしれないわね。あのまま王城にいたら、もしかしたら結婚という契約さえすれば加護があるんじゃないかって、形だけ結婚させられて対外的に妃として振る舞うのはヴィオラ様になって、私は地下牢にでも繋がれていたかもしれないし」
でも、じゃあ、これからどうしよう。幼い頃からヴァレンが隣にいてくれたお陰で、我ながらたくましく生きてきた自覚はある。家族に金代わりに売られて、殿下に邪見にされ、公爵令嬢に目の仇にされ、殿下いわく臣下に煙たがられ、普通ならしょんぼり落ち込んで部屋に閉じこもる以外できなかっただろうけれど、そうはならずに済んだ。これからも、ヴァレンがいればきっと生きていける。
「とりあえず、住み込みの職を探しましょう。ヴァレンと一緒の部屋で暮らさないといけないからちょっとハードルは高いかもしれないけど、いざとなれば野宿でもいいし」
「これからの季節は寒いだろう」
「ヴァレンがそばにいれば暖炉よりも暖かいわ」
「ねえ、仕事探してるの?」
「え?」
不意に、びっくりするほど軽い口調が降ってきた。驚いて振り向くと、立派な商隊を率いる馬車を更に率いる馬に乗って、少年がこちらを見ている。
お使いにでも来てるの、と聞きたくなるほど可愛らしい顔立ちをした子だった。少し跳ねた太陽色の髪に、いたずらっぽいグリーンの目。この子ならヴァレンも懐くかも、そんな人懐こそうな、他人を警戒させない雰囲気があった。
実際、足元のヴァレンは顔を上げるだけで、特段牙をむくことはない。
「きっと王城《ここ》に勤めてたんだよね? クビになちゃった?」
ヴァレンの存在も気に留めず、彼は穏やかに微笑みかけてくる。
しかし確かに、私はそう見えるのかも……。王子の元婚約者が供つけず、それどころか自分で荷物を両手に足元にオオカミを従えて吊り橋前で立ち尽くしているなど誰も思うまい。身に着けているドレスも古いし、ヴァレンももしかしたら犬と思われているかもしれないし、住み込みの使用人が職と住を一挙に失ったと勘違いされるのも当然だ。
そしてまあ、婚約者の立場をクビになったといえば、そうでもある。重たい荷物を地面に下ろしながら「……ええ、まあ……」と頷く。
「そう……ですね……」
「じゃ、俺が雇おっか?」
「え?」
少年は商隊を振り向きながら「適任がいなくて困っててさあ」と肩を竦める。
「条件は悪くないと思うよ、衣食住保障だし、身の安全もかなり確保できると思う。求めるものは多いかもしれないけど、王城《ここ》に勤めてたなら務まるんじゃないかなって。ああ、もちろん、犬も飼っていいよ」
どう? なにか企みごとでもありそうな笑みに警戒心が顔を出す。
「もちろん、怪しい人間じゃないよ。ほら、王城を出入りする許可証もちゃんともらってるし」
広げられた許可証には「ラウレンツ・F」と署名がされていた。確かに違法な商人ではないから、怪しい人ではないはず。この少年を見たことはないけれど、商人だから直接顔を見たことがないだけだろう。
それに、神獣に守護される女なんて、どこの誰に利用されるか分かったものではない。下手な職探しをするより、こうして身元の確かな商人を頼ったほうがいい。
いざとなればヴァレンもついているし、と見下ろした先では、犬呼ばわりされたことに怒っているのか、少年を睨みつけていた。
「……じゃあ、お願いします」
「……これからどうしよう」
「そう焦らずとも、二、三日は猶予をもらえばよかったのだ」
まるで他人事のような口ぶりに、じろりと足元を見下ろした。その先では、ぷわあ、とヴァレンがあくびをして大きな牙を覗かせている。
「もっとも、あの感情的な王子はなにを言い出すか分からん。今日のうちに飛び出したのは正解だったが」
「結論において相違ないってことでしょ。というか、ヴァレンなんてただの獣なんじゃないかって言い始めたときによく飛び掛からなかったわね」
「ただの獣と違って、格下は相手にしない主義でな」
「ご立派でなにより」
小さく返事をしながら、何も解決しないやりとりに溜息をついた。
ヴァレンは神獣の中でも特に知能が高いらしく、人間の言葉を理解するだけでなく喋ることもできる。いや喋るというと少し語弊がある、限られた者――少なくとも私にはその言葉が直接耳に届くだけだ。
その会話を「自作自演だ」と陰で言われていることがあるのは知っていたが、まさかヴァレンの神獣性を否定してヴィオラ様の謎のウサギを神獣認定していたとは。アラリック殿下の馬鹿殿っぷりには恐れ入る。
「……行くあてはないけれど、正式に結婚する前に向こうから婚約破棄してくれて、それ自体は幸いだったかもしれないわね。あのまま王城にいたら、もしかしたら結婚という契約さえすれば加護があるんじゃないかって、形だけ結婚させられて対外的に妃として振る舞うのはヴィオラ様になって、私は地下牢にでも繋がれていたかもしれないし」
でも、じゃあ、これからどうしよう。幼い頃からヴァレンが隣にいてくれたお陰で、我ながらたくましく生きてきた自覚はある。家族に金代わりに売られて、殿下に邪見にされ、公爵令嬢に目の仇にされ、殿下いわく臣下に煙たがられ、普通ならしょんぼり落ち込んで部屋に閉じこもる以外できなかっただろうけれど、そうはならずに済んだ。これからも、ヴァレンがいればきっと生きていける。
「とりあえず、住み込みの職を探しましょう。ヴァレンと一緒の部屋で暮らさないといけないからちょっとハードルは高いかもしれないけど、いざとなれば野宿でもいいし」
「これからの季節は寒いだろう」
「ヴァレンがそばにいれば暖炉よりも暖かいわ」
「ねえ、仕事探してるの?」
「え?」
不意に、びっくりするほど軽い口調が降ってきた。驚いて振り向くと、立派な商隊を率いる馬車を更に率いる馬に乗って、少年がこちらを見ている。
お使いにでも来てるの、と聞きたくなるほど可愛らしい顔立ちをした子だった。少し跳ねた太陽色の髪に、いたずらっぽいグリーンの目。この子ならヴァレンも懐くかも、そんな人懐こそうな、他人を警戒させない雰囲気があった。
実際、足元のヴァレンは顔を上げるだけで、特段牙をむくことはない。
「きっと王城《ここ》に勤めてたんだよね? クビになちゃった?」
ヴァレンの存在も気に留めず、彼は穏やかに微笑みかけてくる。
しかし確かに、私はそう見えるのかも……。王子の元婚約者が供つけず、それどころか自分で荷物を両手に足元にオオカミを従えて吊り橋前で立ち尽くしているなど誰も思うまい。身に着けているドレスも古いし、ヴァレンももしかしたら犬と思われているかもしれないし、住み込みの使用人が職と住を一挙に失ったと勘違いされるのも当然だ。
そしてまあ、婚約者の立場をクビになったといえば、そうでもある。重たい荷物を地面に下ろしながら「……ええ、まあ……」と頷く。
「そう……ですね……」
「じゃ、俺が雇おっか?」
「え?」
少年は商隊を振り向きながら「適任がいなくて困っててさあ」と肩を竦める。
「条件は悪くないと思うよ、衣食住保障だし、身の安全もかなり確保できると思う。求めるものは多いかもしれないけど、王城《ここ》に勤めてたなら務まるんじゃないかなって。ああ、もちろん、犬も飼っていいよ」
どう? なにか企みごとでもありそうな笑みに警戒心が顔を出す。
「もちろん、怪しい人間じゃないよ。ほら、王城を出入りする許可証もちゃんともらってるし」
広げられた許可証には「ラウレンツ・F」と署名がされていた。確かに違法な商人ではないから、怪しい人ではないはず。この少年を見たことはないけれど、商人だから直接顔を見たことがないだけだろう。
それに、神獣に守護される女なんて、どこの誰に利用されるか分かったものではない。下手な職探しをするより、こうして身元の確かな商人を頼ったほうがいい。
いざとなればヴァレンもついているし、と見下ろした先では、犬呼ばわりされたことに怒っているのか、少年を睨みつけていた。
「……じゃあ、お願いします」
134
お気に入りに追加
45
あなたにおすすめの小説
新しい聖女が見付かったそうなので、天啓に従います!
月白ヤトヒコ
ファンタジー
空腹で眠くて怠い中、王室からの呼び出しを受ける聖女アルム。
そして告げられたのは、新しい聖女の出現。そして、暇を出すから還俗せよとの解雇通告。
新しい聖女は公爵令嬢。そんなお嬢様に、聖女が務まるのかと思った瞬間、アルムは眩い閃光に包まれ――――
自身が使い潰された挙げ句、処刑される未来を視た。
天啓です! と、アルムは――――
表紙と挿し絵はキャラメーカーで作成。
腹黒宰相との白い結婚
黎
恋愛
大嫌いな腹黒宰相ロイドと結婚する羽目になったランメリアは、条件をつきつけた――これは白い結婚であること。代わりに側妻を娶るも愛人を作るも好きにすればいい。そう決めたはずだったのだが、なぜか、周囲が全力で溝を埋めてくる。

常識的に考えて
章槻雅希
ファンタジー
アッヘンヴァル王国に聖女が現れた。王国の第一王子とその側近は彼女の世話係に選ばれた。女神教正教会の依頼を国王が了承したためだ。
しかし、これに第一王女が異を唱えた。なぜ未婚の少女の世話係を同年代の異性が行うのかと。
『小説家になろう』様・『アルファポリス』様に重複投稿、自サイトにも掲載。
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
黎
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
女神に頼まれましたけど
実川えむ
ファンタジー
雷が光る中、催される、卒業パーティー。
その主役の一人である王太子が、肩までのストレートの金髪をかきあげながら、鼻を鳴らして見下ろす。
「リザベーテ、私、オーガスタス・グリフィン・ロウセルは、貴様との婚約を破棄すっ……!?」
ドンガラガッシャーン!
「ひぃぃっ!?」
情けない叫びとともに、婚約破棄劇場は始まった。
※王道の『婚約破棄』モノが書きたかった……
※ざまぁ要素は後日談にする予定……
悪役とは誰が決めるのか。
SHIN
恋愛
ある小さな国の物語。
ちょっとした偶然で出会った平民の少女と公爵子息の恋物語。
二人には悪役令嬢と呼ばれる壁が立ちふさがります。
って、ちょっと待ってよ。
悪役令嬢だなんて呼ばないでよ。確かに公爵子息とは婚約関係だけど、全く興味は無いのよね。むしろ熨斗付けてあげるわよ。
それより私は、昔思い出した前世の記憶を使って色々商売がしたいの。
そもそも悪役って何なのか説明してくださらない?
※婚約破棄物です。

突然伯爵令嬢になってお姉様が出来ました!え、家の義父もお姉様の婚約者もクズしかいなくない??
シャチ
ファンタジー
母の再婚で伯爵令嬢になってしまったアリアは、とっても素敵なお姉様が出来たのに、実の母も含めて、家族がクズ過ぎるし、素敵なお姉様の婚約者すらとんでもない人物。
何とかお姉様を救わなくては!
日曜学校で文字書き計算を習っていたアリアは、お仕事を手伝いながらお姉様を何とか手助けする!
小説家になろうで日間総合1位を取れました~
転載防止のためにこちらでも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる