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18.その執着、恐怖につき
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微笑を向けられたカールハインツは、紅茶を飲む手を止めてじっとその顔を見つめた。喜怒哀楽は色々向けられたが、こんな顔は初めて見た。
そう気が付くと湧き上がる感情は色々あったが、クロードが視線を動かしたのが視界の隅に映ったため自分を抑え、気を取り直すために咳払いした。
「……少し話は変わるが、メラニーにいわれなき罪を着せられた君は、なぜ真正面から話をしようとしたんだい? あんなの、君を陥れようとしているだけ――真っ当な理由なんてないのが明らかだったのに」
「あ、ええと……」
途端、レナータは口籠った。それを言われると恥ずかしい。
「私、他人の心情に弱いといいますか……取引であれば常に利害関係がありますから、相手の心理も理解しやすいのですが、全く無関係な心情と言われると……」
「メラニーが君を陥れても得られる利益に心当たりがなく、ゆえにその言動に動揺した?」
「そのとおりです……しかし、彼女からのお手紙でよく分かりました」
レナータは、ある社交界の数日後にメラニーから届いていた手紙を思い出した。
「きっと、エーリヒ殿下と婚姻するために私を蹴落としたかったのですね」
しみじみと、まるで謎解きを果たした後のように呟いたレナータに、カールハインツは吹き出した。
「な……なぜそうお笑いになるのです」
「いや、だって……当たり前だろう、私でも分かる」
笑い過ぎたカールハインツは、目尻から涙を拭った。
「エーリヒ殿下との婚姻は、ローザ国の令嬢の至上命題だろう?」
「……はあ」
「いや、そうだね、君は利益がないから分からないというのだろう」
「ええ。王家が持つ利権に大したものはありませんし、反面、我がエッフェンベルガー家の利権が王家に握られるのは困ります。これでもお互いに利益が出るように手を取っているのですから」
レナータにとって、エーリヒ第一王子との婚姻には、十害あって二利といったところだ。取引をするに値しない。
「……そうだね。それから、メラニーが君を敵視した理由は、彼女自身が裁判で告白していたじゃないか」
そうだっけ? はて、とレナータは首を傾げた。さすがにそんなことを口にすれば、メラニー側の弁護士が止めていたはずだが……。
「君が才色兼備と誉めそやされ、またエーリヒ殿下ともいい仲にあり、まさに自分の手に入らないものをすべて手中に収めていて、そのことに嫉妬したんだと」
「……それはメラニーがでっちあげた、私がメラニーを妬んだ理由です」
「違うよ。メラニーが君をそう妬んでいたから、そう言ったんだ」
「……でも社交界ではメラニーのほうが注目されていたように思います。彼女はいつもおしゃれでしたし、センスも良かったです」
「それを羨んであげた?」
「うらや……? いえ、別に羨ましくはなかったので……」
「ただそれだけの話だよ」
レナータには意味が分からなかった。そんなことを言われたって、メラニーのセンスがいいことは認めていた。いつも口に出して褒めていたし、お世辞を言ったこともない。それなのに羨ましがらなかったからというのは……。
「……よく分かりませんね」
「メラニーは、もしかしたら誰よりも君を辺境伯として認めていたのかもしれないね」
だとしたら喧嘩を売るはずがないのでは。レナータはますます首の角度を大きくした。
「自分は成り上がりの伯爵令嬢ながら社交界でその立場を認められているし、周囲もある程度ちやほやしてくれる。しかし、君は由緒正しき辺境伯の血を継ぎ、今や自ら当主となって活躍しながら、同時にエーリヒ殿下を魅了する女性でもある。だから癪に障ったんじゃないかな」
「……メラニーは美人ですから、あんなことさえしなければ、いい家に嫁ぐことなんていくらでもできたと思いますけれどね」
その所感は少しピントがずれていたが、カールハインツはもう口を挟まず、レナータもその答えを再考しようとは思わなかった。
そうして話がひと段落したところで、目の前の皇族のことを思い出した。散々はぐらかされたが、結局カールハインツがしばらく姿を消し、裁判でメラニーの味方のような顔をしていたのはどういうことだったのか。
「話は戻りますが、なぜ殿下はわざわざメラニー様側の証人を買って出たのです?」
「え? だから分かりきってるだろう?」
「いえだから分かりません」
「だってそのほうがメラニーに恥をかかせることができるじゃないか」
メラニーにより恥をかかせる方法だと? レナータは猫に舌をとられてしまったような顔をした。しかしカールハインツは、そんな顔をされるなんて心外と言わんばかりだ。
「あらゆる貴族の目の前で貶められ、その顔が苦痛に歪むのを見たかった。これはごく常識的な話だけれど、叩き落とすためには高いところからのほうがいいだろう? だからもともとメラニーには近付いておいたんだ、宝石を保険とすることの口出しもそうだったけれど」
「……そういえば確かに」
「それから、君が裁判を起こしたと聞いたからね。これは都合がいいから、ぜひともローザ国の貴族連中の前でしっかりと叩き潰してあげようと思って、彼女側の証人を買ってでたんだよ」
ね、分かりきったことだっただろう? そう微笑まれ、レナータは背筋に僅かな寒気が走るのを感じた。そうか、この皇子を敵に回すと、首を斬られるより苦しい結末が待つことになるのか……。
「……そこまでしようとしたということは、メラニーになにか恨みが?」
「ああ、もちろん。ベルティーユ海より深い恨みがあるよ」
そこまで話して、カールハインツは立ち上がる。
窓の外でも眺めながらその怨恨を滔々と語り始めるのだろうか。……なんて想像していたレナータは、座っている自分の前で腰を折り手を取ったカールハインツに、きょとんと目を丸くした。
その丸い目を、カールハインツの太陽色の瞳が優しく映し返す。
「だって、レディ・メラニーは君を深く傷つけたのだから」
またその話ですか――なんて溜息と一緒に返事をするのではなく、レナータは顔を真っ赤にしてしまった。
なぜ赤面してしまったのか、自分でも分からない。カールハインツからは何度もしつこいくらい求婚され、すべて冗談だと思って聞き流していたし、本気だとしても絶対に政略なのに帝国皇子が相手だなんて御免だと検討にも値していなかった。
それなのに、いまこうして握られた手を離せないのはなぜか。なにに焦るでもないのに、心臓が脈打ち、思考が停止する。
「お嬢様、殿下に報酬の話をまだしておりません」
それを、クロードの声が引き戻す。
カールハインツはその顔に僅かに鬱陶しさを滲ませる。しかし、皇子が得られる権利を前に黙っていては体裁が悪い。
「……そういえばそんな話もあったね。では、約束どおりいただくとしようか」
「あ、はい、そうですね、はい。はい、こちらです」
レナータは手を引っ込め、それが汗ばんでいることに気が付いて、慌ててもう一方の手で書簡を差し出した。
「私が殿下に対し、ディヒラー元伯爵領の租税徴収権を譲渡する旨の契約書です」
「……ああ、なるほどね」
対してカールハインツは冷静に書簡の内容を改め、感心して頷いた。
「帝国皇子である私に領地そのものを売却することはできない。が、ローザ国貴族は領地を自由に利することができるから、領地から租税を徴収する権利を譲渡することは許された処分の範囲内というわけか」
「ええ。しかも、租税徴収権の付随的内容として領地改革が含まれます。当然ですよね、領地の状態は租税の額に直結するのですから、徴収権を持つ者に改革権も与えられるべきです。もちろん、ローザ国王家への納税額に値する分はいただきますが」
「つまり、これは租税徴収権という金の問題ではなく、領地の実質支配権者が誰になるかという問題だね」
カールハインツが租税を徴収しても、結局領地についてローザ国に対して支払うべき税は、レナータに支払わなければならない。ゆえに、金銭的な旨味はそれほどない。ただ、領民にとっての主は、レナータではなくてカールハインツになるだろう。
「ローザ国王家との契約には全く違反しない。しかし、事実上他国に領地を譲渡したも同然――こんな喧嘩を売るようなことをしていいのかい?」
「ええ。先に私を軽んじたのはあちらのほうですし、あの王家にこの国を任せきりにすることには疑問があります」
ディヒラー元伯爵領で理不尽なルールが横行していたこと然り、王宮の不正然り、エーリヒの未熟さ然り、王室裁判所の無能さ然り……挙げればきりがない。
「それに、私と殿下の間でこのような契約がなされているなど、王家には知り得ないことです。私はこのままじっくり、辺境伯としての力を蓄えることといたします」
つまり、場合によってはレナータ自身がローザ国の頂点に立つこともあり得る――そういう話だった。
頼もしい。カールハインツは思わず呟き、もう一度手を取った。レナータの顔はタコより赤く染まる。
「あの……あの殿下、その……わが国ではこのような挨拶はなされないのですが……」
「そうだね、挨拶ではない。求婚だよ」
指先に口づけられ、レナータはそのまま目を白黒させた。
「冗談で言っているのではない。私と結婚してくれ、レナータ・フォン・エッフェンベルガー」
冗談でない……本当か? 相手は謎多き英雄、他国の社交場で自分に言い寄る令嬢にしれっと毒を吐き、レナータの復讐もにこにこ笑いながら眺めていたどことない性悪さのうかがえる、大国の王子だ。それが急に求婚してきて、信じろというほうが無理がある。
「……理由は?」
「理由?」
カールハインツはまた笑い出した。
「君を好きだからに決まっているじゃないか」
「……いえ、甘言には騙されません」
カールハインツによる「好き」を「甘言」と認識している時点で騙されているようなものだ、とはレナータは気付いていなかった。
「ただでさえ婚姻なんて政略があってなんぼ、それなのに会ったこともない辺境伯を好く愚鈍な王子がいるはずありません!」
「会ったことはあるじゃないか」
「ほんの数ヶ月前に宮殿で、でしょう? それを詭弁というのですよ!」
「そうじゃなくて、5年前にグラオ城下でだよ」
5年前? レナータの顔からは険しさが消え、代わりに困惑が浮かんだ。
「……グラオ城下には辺境伯の名を継いで以来何度も出入りしております。5年前であれば名を継いだ直後ですが……殿下にご挨拶させていただいたことはございません」
「そうだね、私も名乗りはしなかった。トルテ伯爵に交易税の特別減税を持ち掛けられたことは覚えているかい?」
その名を聞いた途端、レナータの心がざらつき、同時に羞恥に襲われた。
そう気が付くと湧き上がる感情は色々あったが、クロードが視線を動かしたのが視界の隅に映ったため自分を抑え、気を取り直すために咳払いした。
「……少し話は変わるが、メラニーにいわれなき罪を着せられた君は、なぜ真正面から話をしようとしたんだい? あんなの、君を陥れようとしているだけ――真っ当な理由なんてないのが明らかだったのに」
「あ、ええと……」
途端、レナータは口籠った。それを言われると恥ずかしい。
「私、他人の心情に弱いといいますか……取引であれば常に利害関係がありますから、相手の心理も理解しやすいのですが、全く無関係な心情と言われると……」
「メラニーが君を陥れても得られる利益に心当たりがなく、ゆえにその言動に動揺した?」
「そのとおりです……しかし、彼女からのお手紙でよく分かりました」
レナータは、ある社交界の数日後にメラニーから届いていた手紙を思い出した。
「きっと、エーリヒ殿下と婚姻するために私を蹴落としたかったのですね」
しみじみと、まるで謎解きを果たした後のように呟いたレナータに、カールハインツは吹き出した。
「な……なぜそうお笑いになるのです」
「いや、だって……当たり前だろう、私でも分かる」
笑い過ぎたカールハインツは、目尻から涙を拭った。
「エーリヒ殿下との婚姻は、ローザ国の令嬢の至上命題だろう?」
「……はあ」
「いや、そうだね、君は利益がないから分からないというのだろう」
「ええ。王家が持つ利権に大したものはありませんし、反面、我がエッフェンベルガー家の利権が王家に握られるのは困ります。これでもお互いに利益が出るように手を取っているのですから」
レナータにとって、エーリヒ第一王子との婚姻には、十害あって二利といったところだ。取引をするに値しない。
「……そうだね。それから、メラニーが君を敵視した理由は、彼女自身が裁判で告白していたじゃないか」
そうだっけ? はて、とレナータは首を傾げた。さすがにそんなことを口にすれば、メラニー側の弁護士が止めていたはずだが……。
「君が才色兼備と誉めそやされ、またエーリヒ殿下ともいい仲にあり、まさに自分の手に入らないものをすべて手中に収めていて、そのことに嫉妬したんだと」
「……それはメラニーがでっちあげた、私がメラニーを妬んだ理由です」
「違うよ。メラニーが君をそう妬んでいたから、そう言ったんだ」
「……でも社交界ではメラニーのほうが注目されていたように思います。彼女はいつもおしゃれでしたし、センスも良かったです」
「それを羨んであげた?」
「うらや……? いえ、別に羨ましくはなかったので……」
「ただそれだけの話だよ」
レナータには意味が分からなかった。そんなことを言われたって、メラニーのセンスがいいことは認めていた。いつも口に出して褒めていたし、お世辞を言ったこともない。それなのに羨ましがらなかったからというのは……。
「……よく分かりませんね」
「メラニーは、もしかしたら誰よりも君を辺境伯として認めていたのかもしれないね」
だとしたら喧嘩を売るはずがないのでは。レナータはますます首の角度を大きくした。
「自分は成り上がりの伯爵令嬢ながら社交界でその立場を認められているし、周囲もある程度ちやほやしてくれる。しかし、君は由緒正しき辺境伯の血を継ぎ、今や自ら当主となって活躍しながら、同時にエーリヒ殿下を魅了する女性でもある。だから癪に障ったんじゃないかな」
「……メラニーは美人ですから、あんなことさえしなければ、いい家に嫁ぐことなんていくらでもできたと思いますけれどね」
その所感は少しピントがずれていたが、カールハインツはもう口を挟まず、レナータもその答えを再考しようとは思わなかった。
そうして話がひと段落したところで、目の前の皇族のことを思い出した。散々はぐらかされたが、結局カールハインツがしばらく姿を消し、裁判でメラニーの味方のような顔をしていたのはどういうことだったのか。
「話は戻りますが、なぜ殿下はわざわざメラニー様側の証人を買って出たのです?」
「え? だから分かりきってるだろう?」
「いえだから分かりません」
「だってそのほうがメラニーに恥をかかせることができるじゃないか」
メラニーにより恥をかかせる方法だと? レナータは猫に舌をとられてしまったような顔をした。しかしカールハインツは、そんな顔をされるなんて心外と言わんばかりだ。
「あらゆる貴族の目の前で貶められ、その顔が苦痛に歪むのを見たかった。これはごく常識的な話だけれど、叩き落とすためには高いところからのほうがいいだろう? だからもともとメラニーには近付いておいたんだ、宝石を保険とすることの口出しもそうだったけれど」
「……そういえば確かに」
「それから、君が裁判を起こしたと聞いたからね。これは都合がいいから、ぜひともローザ国の貴族連中の前でしっかりと叩き潰してあげようと思って、彼女側の証人を買ってでたんだよ」
ね、分かりきったことだっただろう? そう微笑まれ、レナータは背筋に僅かな寒気が走るのを感じた。そうか、この皇子を敵に回すと、首を斬られるより苦しい結末が待つことになるのか……。
「……そこまでしようとしたということは、メラニーになにか恨みが?」
「ああ、もちろん。ベルティーユ海より深い恨みがあるよ」
そこまで話して、カールハインツは立ち上がる。
窓の外でも眺めながらその怨恨を滔々と語り始めるのだろうか。……なんて想像していたレナータは、座っている自分の前で腰を折り手を取ったカールハインツに、きょとんと目を丸くした。
その丸い目を、カールハインツの太陽色の瞳が優しく映し返す。
「だって、レディ・メラニーは君を深く傷つけたのだから」
またその話ですか――なんて溜息と一緒に返事をするのではなく、レナータは顔を真っ赤にしてしまった。
なぜ赤面してしまったのか、自分でも分からない。カールハインツからは何度もしつこいくらい求婚され、すべて冗談だと思って聞き流していたし、本気だとしても絶対に政略なのに帝国皇子が相手だなんて御免だと検討にも値していなかった。
それなのに、いまこうして握られた手を離せないのはなぜか。なにに焦るでもないのに、心臓が脈打ち、思考が停止する。
「お嬢様、殿下に報酬の話をまだしておりません」
それを、クロードの声が引き戻す。
カールハインツはその顔に僅かに鬱陶しさを滲ませる。しかし、皇子が得られる権利を前に黙っていては体裁が悪い。
「……そういえばそんな話もあったね。では、約束どおりいただくとしようか」
「あ、はい、そうですね、はい。はい、こちらです」
レナータは手を引っ込め、それが汗ばんでいることに気が付いて、慌ててもう一方の手で書簡を差し出した。
「私が殿下に対し、ディヒラー元伯爵領の租税徴収権を譲渡する旨の契約書です」
「……ああ、なるほどね」
対してカールハインツは冷静に書簡の内容を改め、感心して頷いた。
「帝国皇子である私に領地そのものを売却することはできない。が、ローザ国貴族は領地を自由に利することができるから、領地から租税を徴収する権利を譲渡することは許された処分の範囲内というわけか」
「ええ。しかも、租税徴収権の付随的内容として領地改革が含まれます。当然ですよね、領地の状態は租税の額に直結するのですから、徴収権を持つ者に改革権も与えられるべきです。もちろん、ローザ国王家への納税額に値する分はいただきますが」
「つまり、これは租税徴収権という金の問題ではなく、領地の実質支配権者が誰になるかという問題だね」
カールハインツが租税を徴収しても、結局領地についてローザ国に対して支払うべき税は、レナータに支払わなければならない。ゆえに、金銭的な旨味はそれほどない。ただ、領民にとっての主は、レナータではなくてカールハインツになるだろう。
「ローザ国王家との契約には全く違反しない。しかし、事実上他国に領地を譲渡したも同然――こんな喧嘩を売るようなことをしていいのかい?」
「ええ。先に私を軽んじたのはあちらのほうですし、あの王家にこの国を任せきりにすることには疑問があります」
ディヒラー元伯爵領で理不尽なルールが横行していたこと然り、王宮の不正然り、エーリヒの未熟さ然り、王室裁判所の無能さ然り……挙げればきりがない。
「それに、私と殿下の間でこのような契約がなされているなど、王家には知り得ないことです。私はこのままじっくり、辺境伯としての力を蓄えることといたします」
つまり、場合によってはレナータ自身がローザ国の頂点に立つこともあり得る――そういう話だった。
頼もしい。カールハインツは思わず呟き、もう一度手を取った。レナータの顔はタコより赤く染まる。
「あの……あの殿下、その……わが国ではこのような挨拶はなされないのですが……」
「そうだね、挨拶ではない。求婚だよ」
指先に口づけられ、レナータはそのまま目を白黒させた。
「冗談で言っているのではない。私と結婚してくれ、レナータ・フォン・エッフェンベルガー」
冗談でない……本当か? 相手は謎多き英雄、他国の社交場で自分に言い寄る令嬢にしれっと毒を吐き、レナータの復讐もにこにこ笑いながら眺めていたどことない性悪さのうかがえる、大国の王子だ。それが急に求婚してきて、信じろというほうが無理がある。
「……理由は?」
「理由?」
カールハインツはまた笑い出した。
「君を好きだからに決まっているじゃないか」
「……いえ、甘言には騙されません」
カールハインツによる「好き」を「甘言」と認識している時点で騙されているようなものだ、とはレナータは気付いていなかった。
「ただでさえ婚姻なんて政略があってなんぼ、それなのに会ったこともない辺境伯を好く愚鈍な王子がいるはずありません!」
「会ったことはあるじゃないか」
「ほんの数ヶ月前に宮殿で、でしょう? それを詭弁というのですよ!」
「そうじゃなくて、5年前にグラオ城下でだよ」
5年前? レナータの顔からは険しさが消え、代わりに困惑が浮かんだ。
「……グラオ城下には辺境伯の名を継いで以来何度も出入りしております。5年前であれば名を継いだ直後ですが……殿下にご挨拶させていただいたことはございません」
「そうだね、私も名乗りはしなかった。トルテ伯爵に交易税の特別減税を持ち掛けられたことは覚えているかい?」
その名を聞いた途端、レナータの心がざらつき、同時に羞恥に襲われた。
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