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16.その裁判、圧巻につき

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 ディヒラー伯爵の領地はすべて剥ぎ取った。その領地内を馬で駆けまわり、ディヒラー伯爵の不正行為の証拠になるものをかき集め、徹夜で作業してその罪を告発した。カールハインツがくれた証拠をもとに、父に罪を着せた件についても訴状を作成し、王室裁判所に提出した。これらを受け、王室裁判所の裁判官たちはレナータとメラニーの力関係について考えを改めた。エーリヒも、メラニーを見捨てた。
 そうなれば、この裁判の終結は見えたようなものだ。次回期日に向かいながら、レナータはぎゅっと拳を握りしめる。唯一の不安要素は、カールハインツ。

「この数週間、顔を見せませんね」
「そうね。まあ忙しいんでしょう」

 なぜカールハインツのことを考えていると分かったのか、そう尋ねることができないほど、レナータはぼんやりしていた。
 もともとメラニーの言いがかりがあまりにも稚拙だったこともあり、普通に裁判が執り行われれば勝利は間違いない。そう考えるとつい気も緩んでしまい、ここ最近急に姿を見せなくなったカールハインツはどうしているのかと思ってしまうのだ。

「……あの皇子」

 “変態”呼びでなくなっていることに気付いたが、クロードは黙っておいた。
 レナータは馬車の中で物憂げに頬杖をつく。

「少し前までは妙に頻繁に訪ねてきてたわよね。別邸は帝国西側にあるって言ったってそれなりに時間もかかるのに、一体どうしてるのって聞いたら、なんでもしばらく近くに滞在してたらしいのよ。他に何の用事があったのかしら」
「……他に用事などなかったのでは?」
「でもじゃあどうして近くにいらしたの?」
「……さあ」

 相変わらず怪しい皇子だ。クロードは顔をしかめるが、レナータは首を傾げるばかり。口先では疑っているが、どうやら例の書簡で正常な判断ができなくなってしまったらしい。
 とはいえ、レナータがカールハインツとどうこうなるはずもない。そう確信しているクロードに心配などなかった。この場は流して、裁判にきちんと決着をつけることだけ考えればいい。

「それより裁判のことですが。この一ヶ月の間にディヒラー伯爵の領地に調査も入りましたし、最早メラニー様に逆転の余地はないでしょう。異例ですが、次回には判決が下る見込みだとか」
「そうね。ただ、昨日早馬が届いたのよ、メラニーが証人申請したって」

 つまり、これから証人尋問がなされるということだ。しかし、この状況で、しかも端から出まかせしか述べていないメラニーが、わざわざ誰を呼ぶというのか?
 その疑問は、法廷に着いた途端に解けた。

「こんにちは、エッフェンベルガー辺境伯」

 カールハインツだ。レナータは顎が外れそうなほど口を開け、穴が開くほどその端正な顔を見つめた。
 見間違えようはずがない、他人の変装であるはずがない。やたらとレナータに付きまとい、ここ数週間姿を消していたカールハインツ皇子本人が、被告席――つまりメラニーの味方の席に座っていだ。

「あらあら、レナータったら。殿下にご挨拶なさらないの?」

 メラニーの顔は、再び自信を取り戻していた。
 当然だ、帝国皇子が味方についたのだから。エーリヒが顔を見せなくなったことなど屁でもない。

「……お嬢様」

 唇を噛んでいたレナータは、クロードに声をかけられて我に返る。

「……ごきげんよう、カールハインツ殿下」

 日頃なら「今日も可愛い声で呼んでくれてありがとう」などと歯の浮いたセリフで返してくるものだが、もちろんそんなことはしない。ただの顔見知りのように、対岸から微笑んでくるだけだ。
 ――敗けた。開廷後、レナータは机の下で拳を握りしめ、全身を襲う焦燥感に耐えた。わざとらしいほどレナータを誉めていたこと、初対面にしては不自然なほどレナータを知っていたこと、成功報酬があったとはいえあまりに協力的であったこと、どれもこれも疑ってくれと言っているようなものではあった、だからこそ疑ってかかりつつ、しかし分かりやす過ぎて逆に疑う余地はないとも思っていた、が。

「では、新たに提出された証拠について確認します」

 レナータの焦りとは裏腹に、裁判は淡々と進む。この裁判、レナータはメラニーというネズミを叩き潰すために軍を動かしたと言っても過言でなかったのに――カールハインツさえ、いなければ。

「では……次回証人尋問を……」
「裁判長」

 メラニー側の弁護士が立ち上がる。

「こちらは尋問の準備は終えております。迅速に事件処理することを目指し、カールハインツ皇子殿下への証人尋問を始めてはいかがでしょう。もちろん、レディ・レナータが是というのであれば、ですが」

 じろ、とレナータがメラニーを睨めば、鼻で笑って返してきた。勝負は見えた、と思っているのだろう。
 そのとおりだ。

「……私は構いません」
「エッフェンベルガー辺境伯、よろしいのですか」
「ええ。カールハインツ殿下がいる時点で帰趨は変わりませんから」

 一連の画策の中で、この裁判は取り零すことになってしまったが、やむを得ない。通常どおり期日を進めるよりも、有意義な時間の遣い方はいくらでもある。
 そうして、カールハインツが法廷の真ん中に立つ。メラニー側の弁護士は喜色をあらわにしながら「殿下、この度は快くご協力いただきまして心から感謝しております」などと述べた。

「殿下は、件の社交場にいらっしゃっていましたでしょう? その日の夜会において、レディ・レナータが身に着けていたペンダントはどんなものでしたか?」

 馬鹿げた質問に、レナータは立ち上がって出て行きたくなった。
 この局面でレナータの請求が棄却される可能性があるとすれば、それは「メラニーとレナータのペンダントが酷似していた」とカールハインツが主張すること。そうすれば、先日メラニーが主張した「ペンダントのすり替え」の裏付けがなされる。
 だから、カールハインツは「メラニーが身に着けていたものとよく似ていた」と答えるのだろう。レナータはカールハインツを見ることができないまま、適切な賄賂について思いを巡らせていた。この期日が終わった後、カールハインツに証言を撤回させ、レナータを勝利させるための賄賂……。
 ……そうか、カールハインツはそれを狙っていたのかもしれない。信じた自分が馬鹿だった。
 レナータが溜息を吐く向こう側で、カールハインツは自信たっぷりな笑みをこぼしながら、裁判官に向かって口を開いた。

「レディ・レナータが身に着けていたものは、オーシャンサファイアに流星模様のペンダントでしたね」
「……カールハインツ殿下?」

 レナータは弾けるように顔を上げ、メラニーはひきつった笑みを浮かべた。
 それの特徴は、レナータが提出したペンダントと一致している――つまり、すり替えの否定。
 コホン、とメラニー側の弁護士は咳ばらいをした。その額には冷や汗が浮かんでいる。

「よく思い出してください、殿下。そもそも、殿下はレディ・レナータのペンダントを間近で確認することができましたか?」
「ええ。私はレディ・レナータの手を取り挨拶しましたから。その際によく見たのです、オーシャンサファイアなんて珍しいと思いましたし、真紅のドレスとのコントラストが美しかった。なにより、レディ・レナータの白い肌に非常によく映えていましたからね」
「この変態皇子ッ!」

 かと思いきや、歩く変態であることには変わりなかった。レナータは状況も忘れて顔を真っ赤にし、机を叩いてしまった。しかしカールハインツはどこ吹く風だ。

「……えー……しかし、当時、レディ・メラニーがペンダントを盗まれてしまっていたのは事実ですよね?」
「存じ上げませんね。私はそれをレディ・メラニーの口からしか聞いておりませんから。しかし私が確認したところ、レディ・メラニーは、自分のものはブルートパーズに螺鈿模様だと断定し、一方でレディ・レナータに盗まれたのだと頑強に主張して譲りませんでしたね」
「……殿下、お尋ねしたいことは以上です――」
「なお、私がその点を指摘すると、レディ・メラニーは勘違いだったかもしれないとのみ述べ、まるでそれ以上の弁解が思いつかないかのように話題を変えました」

 止められたのにも構わず、カールハインツは勝手に続けた。

「私がそう問い詰めた数日後、レディ・メラニーは贋作の主張を始めました。私が別物と暴露した以上、引っ込みがつかず、別の言い訳を考えたのでしょう」

 無様な弁明でしたね? そう念押しするように、メラニーの顔を見る。メラニーは、青くなるほど強く唇を噛みしめ、一方で羞恥か怒りかで顔は真っ赤にしていた。
 裁判官たちは顔を見合わせる。カールハインツがメラニー側からレナータに有利な証言をしたことは、単に裁判の結論を決める以上の意味を持つ――伯爵令嬢メラニーは、帝国皇子の怒りを買っていた。

「誤解があったようです!」

 叫び声が法廷を横切った。メラニーの弁護士は「メラニー様、不要な発言は慎んでください!」と止めたが、それを聞くメラニーではない。

「レナータの身に着けていたペンダントは本当によく似ていましたわ! ここでは別物と明白だとおっしゃいますが、宮殿の――そう、照明と、合わせているドレスの色とで、まったく同じものに――」
「その程度であれば簡単な事実確認が可能でしたよね、レディ・メラニー」

 馬鹿馬鹿しい。レナータは冷ややかにそれを切って捨てた。

「むしろ、それはあなたの言動の悪質さを一層裏付けます。エーリヒ王子殿下にカールハインツ殿下までをも含む王侯貴族揃い踏みの中で、容易にできる事実確認をせず、この私を盗人に決めつけ、罵詈雑言を吐いたのですからね」
「だからそれは――」
「これ以上、新たな主張は認められないはずです。それより裁判長、以上のことから、レディ・メラニーのしたことがいかに悪質であったかは十二分に裏付けられたはずです」

 レナータは熱い耳を隠すべく必死に髪を手櫛で梳きながら、しかし冷静に続けた。

「ですから、私の請求はすべて認容されてしかるべきと、改めて主張します。すべてです。慰謝料請求に名誉回復措置として挙げたもの、すべ・・が、認容されてしかるべき、と」

 静かにゆっくりと、レナータは繰り返した。



 一月後、公開法廷において判決が読み上げられた。メラニーにはレナータに対して多額の慰謝料の支払いが命じられたほか、同時に、社交場で盗人の汚名を着せられたレナータの名誉を回復するための措置も命じられた。

「レディ・メラニーは、レナータ・エッフェンベルガー辺境伯の名誉を回復するため、『メラニー・ディヒラーは、嘘だと知りながら、あたかもレナータ・エッフェンベルガーが盗人であり、またそのペンダントが贋作であるかのように他人に触れ回り、名誉を傷つけたことをお詫びします』と自筆にて書き記した書簡を国王陛下に提出し、王宮に掲示するほか、当時社交場に出席していた各貴族に手紙にて報せなければならない」
「そんな乱暴な判決があっていいのですか!」

 なぜ、自分で恥を上塗りするようなことをしなければならないのか。メラニーは叫んだが「静かに」と制されただけだった。

「静かに、ではありません! 私は……私はただ、レナータの持つペンダントが私のものによく似ていたから怒っただけですわ! それなのにどうして私が嘘を吐いて、まるでレナータを貶めようとしたかのような書簡を……カールハインツ殿下がレナータの味方をしたからって、そんな判決は不当極まりありません!」
「これは他人の名誉を毀損した場合のごく妥当な措置よ」

 レナータは、得意げな顔をするでもなく、その判決が出て当然と言わんばかりの顔をしていた。

「だってあなた、名だたる貴族の前で私を盗人呼ばわりしたのよ? 不名誉な噂がはびこっていて、なおかつ私はこれに深く傷ついた。慰謝料は私の傷心に対してなされるもの、となれば前者は? 噂を否定するために、あなたが関係者全員に対して自筆で『嘘でした、ごめんなさい』と謝罪するのは、常識よ」
「そんなの……そんなの、訊かれたら答えて差し上げるわ! それで充分でしょう!」
「いいえ、充分ではないわ、メラニー。あなたがなんと答えるかも分かったものじゃないし」

 おかしい。メラニーはつい立ち上がってしまったまま、背筋に冷や汗が流れていくのを感じる。
 ほんの嫌がらせだった。レナータは辺境伯の地位を継いで以来、ただの親の七光りのくせに、一部の人間に誉めそやされ、調子に乗っていた。私がどれほどいいものを身に着けても、社交辞令的に褒めるだけでまったく羨ましがらなかった。そんな、辺境伯の爵位を継いだだけでろくに苦労も知らないレナータに、ちょっと社交界の常識を分からせてやろうと思っただけだ。
 ほんの、嫌がらせ。ちょっと騒いで、みんなが「可哀想」と同情して、「許せない」とレナータを詰って、それで終わり。レナータはしばらく社交界に来ることができないだろうけれど、社交界の噂話なんて掃いて捨てるほどある、レナータの話だって、どうせみんなすぐに忘れる。ほとぼりが冷めたらまた来ることができるんだから、何を言ったって、大したことじゃない。
 大したことにはならない――そう思っていた。メラニーは、自分の顔から血の気が引くのを感じていた。

「ねえメラニー、あなたカールハインツ殿下に忠告されてたでしょう? 貴族の名誉を貶めると回復するのが大変だって。ご自身の立場を弁えなさいな、子どもが庭先で喚くのとは違うのよ」
「大袈裟よ! たった、たったちょっとのことでしょう! あなたのつけていたペンダントを……見間違えたっていう、ただそれだけのことに、ここまでするなんて、蛇すら怯える執念深さだわ!」
「たったそれだけ?」

 開き直って、なおもわが身を庇おうとするその呆れた口上に、レナータは蛇より冷たい目をした。

「私、喚くだけの格下は相手にしない主義なのだけれど、エッフェンベルガーの名を傷つける者だけは許さないことにしているの。……ディ・・ヒラ・・ー家・・は、我がエッフェンベルガー辺境伯の名を三度傷つけた。もう二度と、ローザ国の地を踏ませないわ」
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