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13.その書簡、不自然につき

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 クロードと共に別邸に宿泊したレナータは、夜中に目が覚め、バルコニーに出た。別邸は、辺境伯領からみれば北寄りで、そのせいか頬を撫でる風は少々冷たい。一応上着は羽織ったが、春の陽光に包まれているようなベッドから抜け出してくると少し心もとない。

「……あと少し」

 トーマス・マルトリッツを名乗ってディヒラー伯爵の土地の一部を買い、辺境伯の立場から利権の共有持ち分をちらつかせ、土地を担保に金を調達させ、さらにその金を費消した。次は王室裁判の期日を待ち、その後はすぐにレーガー家に担保権を実行させ、そして伯爵領を手にして……。
 ギィと扉の軋む音がして顔を向ける。隣のバルコニーに、カールハインツが出てきたところだった。寝起きに間違いないはずだが、その髪にも顔つきにも乱れはなく、軽装であることを除けば、そのまま執務机についていてもおかしくないほど隙がなかった。

「やあ、夜半の物憂げな君も素敵だね」
「……起こしてしまいましたか。失礼しました」
「いや、星を眺めながら君と話せたら楽しいだろうなと思っただけだよ」

 この軽薄な口説き文句は、味方であることをアピールするためか? 油断を誘うためか? それにしては本人も全く効果がないことを分かっていいはずなので、本当にただの口癖か? そういえば、南部には女性を大事にする文化が根付いているため、女性をみれば賛辞を送ると聞いたことがある。帝国皇子だし、その血がどこかに混ざっていてもおかしくない。信用し過ぎないようにしつつも、レナータはそう自分を納得させた。

「計画も大詰めかな?」
「そんなところですね。これからはスピード勝負の側面もありますから、引き続き気を引き締めなければなりませんが」
「計画がまとまったら私と結婚してくれるかな?」
「殿下と私の間にはこのくらいの溝がありますので、それが埋まったら考えることにします」

 このくらい、と言いながらレナータはバルコニー間の隔たりを示した。間隔自体は手を伸ばせば届く程度の距離だが、3階であることを踏まえるとなかなか深い溝だ。ううむ、とカールハインツはわざとらしく顎に手を当てた。

「相変わらず、君は皇子相手の私に臆することを知らないね」
「一応、殿下の立場と自分の立場の重要性は理解しておりますので」
「というと?」
「殿下は、五十年戦争を終結させましたよね。そして我が国では英雄と賛美されている。もし、帝国がローザ国を吸収することになっても、民衆や貴族の反発を招かずに済むでしょう」

 自分が契約する王家の存続を否定する仮定だが、レナータは特に躊躇いもなく口にした。

「しかし、我が領を力づくで征服しては、その伏線が水の泡です。五十年戦争の英雄ですし、皆は私の不敬や反発を想像してくれるかもしれませんが、和平協定の裏でローザ国を狙っていたと想像される可能性も同じくらいあります。我が領はその足掛かりだと。ですから、殿下が私を屈服させる利益はないと踏んでいるのです」

 それに加えて、エッフェンベルガー領は帝国領と接する地。エッフェンベルガー辺境伯はなにも帝国に敵対しているわけではないし、なんならその恩恵を受ける帝国商人も多い。

「我が辺境伯領を帝国が支配すれば、体制の変化に不安を持つ商人もいるでしょう。我が領を直接、または間接的に征服することには、漠然とですがリスクはあります。だから私と婚姻することで、身分関係に仮託して辺境伯領を吸収する――これが殿下にとっての最適解。その意味で、殿下と私は対等です」

 おいそれと手出しはできまい。そう言ってのけたレナータに、カールハインツは呆気にとられた。
 次いで、クスクスと笑いだす。

「……的外れだけれど、まったくもって正しいね」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だよ。……話は変わるけれど、少し前は悪いことをしたね」
「いつのことです?」
「D伯爵と君の父君の話だよ」

 また、その話か。せっかく夜風が心地よかったというのに、まるで全身が氷の膜に包まれてしまったかのようだ。

「……いいんです、あれは。それより――」
「私は、君の父君に罪を被せたのもD伯爵だったと知っている」

 が、その膜が叩き割られた。驚いて見つめ返せば、カールハインツは上着の懐から書簡を取り出した。

「君の父君に着せられた罪は、五十年戦争中の相手国の手引き。君の父君が暗号化して送った書簡が捕虜から発見されたことで発覚した」
「……ええ。父は否定しましたが、父の筆跡に酷似していたほか、戦争需要が辺境伯領に与える利益が強調されました。しかし父は王宮での仕事上ペンを執る機会も多く、その筆跡の模倣は容易で、書簡の筆跡は大した証拠ではなかったはずです。……ほとんど動機一本で有罪を決められました」

 動機だけで有罪を決められるのなら、父の失脚を狙う貴族の思惑とも考えられるではないか。相手国が内乱のために仕掛けた罠かもしれないではないか。そう主張しても虚しく、疑わしきは罰せよと言わんばかりの判決が下った。

「が、君の父君の死後、D伯爵が高らかに冤罪を宣言した」
「……ええ。相手国の別の捕虜を捉え、例の書簡はローザ国内の混乱を招くための罠であり、父は関与していなかったと自白させたのです」
「そして、その捕虜は伯爵の領民だった」
「そのとおりです」

 本当は、書簡はディヒラー伯爵が作成したものだった。ディヒラー伯爵は匿名で書簡の存在を王室裁判所に知らせ、レナータの父が死亡した後に、白々しくも「辺境伯が陛下を裏切るはずがないと思っていた」と自らの領民を突き出した。その領民は、家族の生活と引き換えに、相手国の捕虜を演じることに同意した。

「実際には、その領民の家族は口封じのために殺されかけ、伯爵領から逃亡しました。その一人が我が領に辿りつき、罪滅ぼしか一矢報いるためか、伯爵の企みを母に伝えていったのだそうです」

 その領民はレナータ達の恨みを買っていることを恐れ、すぐに逃げ出したそうだが、いずれにせよ証人になってもらうことはできなかっただろう。貴族でない者の供述など、吹けば飛ぶような価値しかない。

「……ですから、私は父の冤罪の裏を知っています。しかしなぜ殿下が、しかも帝国皇子の立場でありながらご存知なのですか?」
「五十年戦争の和平協定を結んだ当時、私は戦争関連の資料に目を通す許可をもらっていてね。そのとき、君の父君が罪を着せられる証拠となった書簡を手に入れたんだ」
「ですから、それによってなぜ」
「君の父君が差し出したとされる暗号書簡は、羊皮紙でできていた」

 紙は破れやすいので、重要なことを書き記す際には羊皮紙を用いる慣例がある。例えばトーマス・マルトリッツとディヒラー伯爵間で結ばれた売買契約の書面は羊皮紙だ。

「しかし、暗号書簡だよ? 目当ての相手以外に見られては困るもの、内容を確認次第処分したいものだ。大体、羊皮紙なんてかさばるものは邪魔だし、運搬の道中で見つかってしまったときに紙と違ってすぐに燃やして隠滅を図ることもできない。これは見つけてもらうための書簡だったのだと検討がつく」

 レナータはゆっくりと目を瞠った。当時、そんなことは考えもしなかった。

「相手国が内部の混乱を招くためにしたとも考えられるけれど、戦地は西方、辺境伯領の真逆、どうせ嵌めるならもっと戦地に近い貴族を選ぶべきだ。ということは、辺境伯に敵対していた内部貴族の可能性が高いよね。ではそれは誰か、羊皮紙についていた花粉が答えだ」
「……花粉、ですか?」
「羊皮紙を作り方は知ってるだろう? 最後は何をする?」
「え……ええと……石の粉で磨く、ですか?」
「本当に本当の最後だよ」
「……最後は、それは乾かしますが……」

 大雑把には、羊皮紙は水に濡らして乾かすことを繰り返して作る。その最後と花粉の時期が重なれば、表面には花粉がついてしまうかもしれない。

「それがディヒラー伯爵と何の関係が……」
「書簡が発見されたのはいつだった?」
「……少なくとも、父に疑いがかけられたのは春頃……ちょうどいまの時分でしたが」
「辺境伯領が春を迎える頃、ローザ国内の大半で、まだ花粉は飛んでいない」

 そこまで言われて、はっと気が付いた。

「……乾かす過程で花粉が飛ぶ季節を迎えているのは南部……国内の交易品は大体辺境伯領を通じていましたから、南部の交易品が出回る地域は限られる。そしてその地域は、国内南部にあるディヒラー伯爵領……」

 そういうことだったのか。愕然として、手すりを握りしめる。氷のように冷たかったが、構わなかった。
 なぜ、自分はその可能性に気が付かなかったのだろう。春を迎えて間もない辺境伯領で手に入る羊皮紙に、花粉がついているはずがない。それは西方にある相手国も同じことだ。であれば、その羊皮紙に花粉がついている理由は、南方で製造したか、または南方で運搬されたかのふたつで、いずれにせよローザ国南部を経由する。そして、国内南部に領地を持つディヒラー伯爵は、父の政敵だった。
 それに気付いていれば、父は最初から冤罪をかけられずに済んだのでは?

「あの時点で暴くのは難しかったと思うよ。なにせ無罪を裏付ける暗号書簡は有罪の証拠なんだ、父君が吟味する機会なんて与えられまい」
「……そうだったのかもしれません。でも、もし……」

 もし、可能性に気付いて、羊皮紙の確認を求めていたら。暗号書簡に羊皮紙が用いられていることの不自然さを指摘していたら。父は死なずに済んだのではないだろうか。
 白くなるほど手すりを握りしめていると、カールハインツの側から包みが差し出された。

「……これは?」
「暗号書簡に花粉がついていて、それが製造過程に付着した可能性が高いことを記録したものだよ。私の印章も押してあるから帝国皇子のお墨付きだ」

 つまり、これを手に暗号書簡の調べ直しを申し立てれば、ディヒラー伯爵の罪を暴くことができる。レナータの沈鬱な表情は、ゆっくりと明るさを取り戻す。

「……これを私に?」
「好きに使うといいよ。ただ、既に父君の冤罪は晴れている。王室裁判所に申し出たところで、いまさら訴えに出る利益がないと判断される可能性は否めないけどね」

 書簡を受け取り、大切に抱きしめた。カールハインツのいうとおり、この書簡をもってディヒラー伯爵の罪を訴えたところで、王室裁判所がその門を開くことはないかもしれない。しかし、この計画に織り込めば。
 父の仇を真正面から打つことができる。そう考えると胸が熱くなり、同時に目頭に涙が滲むのも感じた。カールハインツに見られぬよう、慌てて頭を下げる。

「あ、りがとうございます! 大事に保管しますね。では、遅くに失礼いたしました!」

 顔も見ることができないまま、部屋に飛び込んだ。書簡を抱いた胸の中で、ドクドクと心臓が高鳴っている。
 この高鳴りは、仇を打てる高揚感か、それとも。唇を噛んで表情を引き締めたレナータは、自分の頬が熱いことに気が付かないふりをした。 
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