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7.その利害、一致につき
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レナータは馬を駆り、グラオ城へと向かった。グラオ城は交通の要衝にあり、地理関係上、レナータとグラオ城主には交友関係があった。
「エッフェンベルガー辺境伯がきたとお伝えしてもらえるかしら?」
レナータの顔を知っている門兵はすぐにレナータを通し、グラオ城主もすぐに会談に応じた。
「ここ二年で通過した商隊が持っていた作物の記録を貸してもらえないでしょうか?」
「もちろん、辺境伯のご依頼であれば五年でも十年でもお貸ししましょう」
そこで馬車を借り、次にヘルブラオ帝国とローザ国を行き来する宝石商に会いに行く。
が、今度は思わぬ客がいた。カールハインツだ。
「やあ、レディ・レナータ。久しぶりだね」
「久しぶりというほどでもございませんが、ご無沙汰しております」
「やあこれはこれは、エッフェンベルガー辺境伯殿、ご無沙汰しております」
「お久しぶり、こちらこそご無沙汰しております」
レナータは宝石商とも親し気に挨拶を交わし、カールハインツは面白そうに顎に手を当てた。
「辺境伯殿、か」
「カールハインツ殿下は何用で?」
「もちろん、君にプレゼントするピアスを作りに」
カールハインツの指が耳たぶに触れ、レナータは「ひいっ!」悲鳴を上げながら、思わずそれを弾き返してしまった。
バチンッと痛々しい音が響き、宝石商が呆然と二人を見守る。
「……御冗談ですよね?」
「冗談でないことはこの手の痛みから確からしい」
「ちょっと何をおっしゃっているのかよく分かりません」
「ところで君は?」
「……私は商談をお持ちしたのです」
「商談?」
訝しむカールハインツをおいて、レナータは宝石商に向き直った。
「新しいペンダントのご提案です。使う宝石は赤色を中心にして……」
どんなデザインがいいか、レナータはあれこれ依頼した。宝石商は「これは間違いなく流行りますね! 相変わらず抜群のセンスをお持ちで!」と喜びながらデザインを羊皮紙に描いていた。
さて次は……とレナータが考え事をしながら馬車に乗りこむと、カールハインツが扉に手をかけてきた。
「な、なんですか! 憲兵を呼びますよ!」
「いやなに、面白そうなことをしているから気になってね」
「だからといって護衛――先日のヴェルナー様もいらっしゃらないのに、他国の辺境伯の馬車に乗り込む皇子がどこにいらっしゃいます!」
「大丈夫だよ、ヴェルナーは凄腕だ。多少離れていても問題はない」
そこではない。レナータは睨み付けたが、カールハインツはどこ吹く風だった。なお、ここに着いたときからヴェルナーの姿は見当たらなかったが、近くに潜んではいるのだろう。馬車が出発すると背後から別の馬の足音が聞こえたので、きっとそれだ。
「それで、君はなにをしてるのかな」
「カールハインツ殿下には関係ありません」
「では勝手に隣で見せてもらうことにしよう」
エーリヒといい、カールハインツといい、なぜ自分のまわりの王子はこうも人の話を聞かない者ばかりなのか。レナータが諦めて無視を決め込めば、カールハインツも話しかけてこようとはしなかった。
代わりに、馬車を降りることもしなかった。レナータの行く先々で、馬車の中でじっと息を潜め、何の話をしているのか聞いている。
そこまでして知りたがるのは不可解だったが、それはそれとして顔を見せないでいるのはありがたかった。一般人ならともかく、商人となればカールハインツの顔を知っているだろうから。
目的を遂げた後、レナータはやっとカールハインツを見た。
「……私はこれから宿に向かいます。帝都は遠いですが、殿下はどちらへ? 仕方ないのでお送りいたしましょう」
「君は皇子に敬意を払っているのか払っていないのか分からない態度をとるよね」
「敬意を払っているからお送りしますと申し出ているのですよ」
そもそも、ローザ国の辺境伯がヘルブラオ帝国の皇子に敬意を払う理由はない。
ローザ国の貴族は、ローザ国王家から領地を借り受け領主としてこれを利する代わりに、有事の際は王家を守るという内容の双務契約を結んでいる。主従関係ではないものの、「自分達は、伝統ある血筋から領主に任じられた立場にある」として、貴族が王家に対して敬意を払うのが一応の建前だ。
逆にいえば、貴族が隣国王家に敬意を払う理由はないわけだ。だからといって馬鹿にしたり格下扱いするようなことはないし、むしろその逆だが、それは潜在的に双務契約を結ぶ可能性があるから。わざわざ大国の皇子の不興を買うことはないが、へこへこ下手に出る必要もない。
つまり、これをレナータに引き直すと、レナータにとってのカールハインツは「舐められたらおしまい」の取引相手だった。そして、カールハインツは、そんなレナータの態度に気を悪くする素振りを見せないどころか、むしろ好意的に受け止めているように見える。その意味では、強気な態度を崩さないのが求められる接し方だった。
「しかし宿か。どこに泊まるの?」
「なぜお話しする必要が?」
「ローザ国の辺境伯をあばら屋に泊めるわけにはいかないから私の別邸に招待しようと思ってね」
レナータは再びその目に警戒心を滲ませた。しかしカールハインツは微笑み返すだけだ。
「辺境伯のスイッチが入ると、君は途端に手負いの獣のようになるね。心配しなくても、一宿一飯を盾に辺境伯の持つ利権を奪おうとはしないから安心したまえ」
「それ、紙に書いてもらえます?」
「本当に私に対する信用が皆無だな……君がそれで満足するなら書いてもいいけど、なにせいまは紙もペンもない。前回の借りを返すと思って招待されてくれ」
むう、とレナータは頬を膨らませた。皇子がそこまでせこい取引をするとは思えないから、さすがに紙に書けは冗談だった。しかしなぜ、カールハインツはレナータになにかと構おうとするのか。
「……もしかして、私になにか御用でした?」
「うん?」
「殿下の別邸へ招待するという、その理由をお尋ねしてます」
「意中の女性を食事に誘うのになにか特別な理由が?」
「特に理由はないとのことで承知いたしました」
きっとこの皇子にとっては挨拶のようなものなのだろう。そう自分を納得させたレナータは、気付けばまんまとカールハインツの別邸に招待されていた。
帝国西端にある別邸とはいえ、ヘルブラオ帝国皇族の別邸はローザ国の王宮に張る豪華さだった。出迎えた使用人達の数も、地理的位置には大差ないレナータの屋敷の数倍にのぼる。
ローザ国が戦争に喘ぐ間にヘルブラオ帝国は国力を蓄えてきたから当然といえば当然だったが、さすがのレナータも目を瞠ってしまった。
「……さすがですね。国力の違いを見ました」
「皇族の屋敷に招待された一言目がそうなる女性なんて、世界広しといえど君くらいだろうね」
「他にどんな反応をするのですか? 私とて皇族相手に誉め言葉から入るくらいの心得はあります」
「そんなことを真正面から言ってのける女性も君くらいだろう。あちこち歩き回って疲れたんじゃないかな、すぐに食事を用意させるから応接間で待っててくれ」
カールハインツと入れ替わりに数人のメイドに取り囲まれ「こちらへどうぞ、レナータ様!」「殿下が女性を連れられるなんて初めてのことですよ!」「温かい紅茶を用意しておりますのよ!」と応接間に連れていかれる。
「あ、あの、なぜ私の名前を……」
「もちろん存じ上げておりますとも。レナータ・エッフェンベルガー辺境伯を出迎える準備を整えておくようにと昼過ぎにカールハインツ殿下から早馬がありましたし」
昼過ぎ……レナータの頭には宝石商の前で出会ったカールハインツが浮かんだ。
「さきほども申しましたけれど、カールハインツ殿下が女性をお連れすることなんて今までなかったのです。挙げ句に王宮よりもこちらの屋敷を好むようになり、使用人一同不安に思っておりましたが、合点がいきました。エッフェンベルガー辺境伯レナータ様と懇意になさっていたからなのですね!」
レナータと年の変わらないメイドはそう頬を染めたが、レナータは顔を青くした。
今日の昼に会った瞬間からレナータを言いくるめて屋敷に連れてくる算段を整えていたどころか、他国の辺境伯領近くに屋敷を構えて見張っていただなんて!
「……失礼ですが、カールハインツ殿下と私は特に懇意というわけではありません。先日の社交界で偶然お会いしただけの関係です」
「え? しかし、カールハインツ殿下からは、大切な女性なので丁重にと言い使っておりますが……」
外交上大切な女性……。レナータは顔を険しくしたが、メイドは紅茶を淹れながら「でもびっくりしましたわ、噂のエッフェンベルガー辺境伯がこんな可愛らしい方だなんて」と嬉しそうに微笑む。
「……殿下の早馬以前に私をご存知だったので?」
「それはもう、グラオ地方でエッフェンベルガー辺境伯を知らぬ者などおりません。片田舎に過ぎなかったこの地方が一大都市に発展したのはエッフェンベルガー辺境伯のお陰ですから」
「ごめん、待たせたね」
レナータが頬を染めていると、カールハインツが入ってきた。レナータを見るたびに微笑んでいたその顔は、しかし今は少し不機嫌そうに変わっていた。
「どうかなさったんですか?」
「……ルーリエに何を言われた?」
メイドの名前だった。使用人一人一人の名前を覚えているのか、とレナータは感心する。不遜な態度のわりに傲慢ではないらしい。
「カールハインツ殿下に隣国女性を監視するご趣味があるということをお聞きしました」
「そんな趣味はない。そうではなく、私に何を言われてもにこりともしなかった君がそんな顔をした理由を訊いている」
「もしかして笑える冗談のおつもりだったんですか? 今後は善処いたします」
クスクスとメイド――ルーリエが笑いながら、カールハインツのぶんの紅茶も準備する。
「殿下がこんな風に女性を口説くのは初めてですね」
「口説きたい女性は二人も三人もいないからね」
「それは失礼いたしました」
口説く? レナータが驚いてカールハインツの顔を見ると、カールハインツはにっこりと満面の笑みで返した。
「少しは真面目に考える気になってくれたかな」
「……ええ。よくよく考えさせていただきます」
もしかすると、カールハインツが狙っているのは、エッフェンベルガー辺境伯が独占している海洋の利権かもしれない……! 大国の皇子がここまでして欲しがるということはそういうことだ。レナータは運ばれてきた食事そっちのけで顎に手を当てて考え込んでしまった。
「……なにか違うことを考えているように見えるけれど、それはそうとして、今日は結局なにをしていたんだい? そろそろ教えてくれないかな」
「商談だと申し上げたじゃありませんか……」
カールハインツへの警戒心が増していたレナータだったが、それが大きくなる前にふと気づいてストップをかけた。
これから進める予定だった計画は、カールハインツを利用できるほうが遥かに容易に進められる。しかも、レナータと取引するのは悪い話ではないはずだ。
コトリと、レナータは紅茶のカップを置いた。膝に手を置き、まっすぐにカールハインツを見つめる。
「カールハインツ殿下は、ローザ国のどの領地にご興味がおありなんですか?」
カールハインツは笑顔のまま首を傾げた。
「……どの領地とは?」
「もちろん、エッフェンベルガー辺境伯領を欲しがっていらっしゃるのは存じ上げております。ただ、ディヒラー伯爵領も海への近さでいえばいい領地ですよ。現在の土地は痩せていますが、穀物を選んで数年育てればいい土地になると思います」
「……なぜ私相手に、しかも他人の領地の商談をしているのかな」
「カールハインツ殿下がおっしゃったのですよ、私が何をしていたのか知りたいと」
「それが領地の商談だと?」
「ええ。しかしいまのはほんの冗談です、もともと私が手に入れる予定で動いておりましたから」
しれっと口にしながら、レナータは簡単なサラダを挟んだパンに手をつけた。最近疲れて食欲をなくしていた胃には、これくらいの軽食がちょうどいい。意外と気が利く王子だ。
「……聞いてもいいかな」
「もちろんです」
「ディヒラー伯爵というのは、先日君と諍いを起こしていたレディ・メラニーの父君だろう?」
「ええそうです」
カールハインツは、今度は心底不思議な気持ちで首を傾げた。
「……その土地を手に入れるというのは、どういう意図だ?」
「そんなの分かりきっているじゃありませんか」
レナータは至極真面目に頷いた。
「私の名を貶めた復讐をするのです」
カールハインツは一度口を閉じた。本気か冗談か分からず、本気だとして一体なにをどうするつもりなのか見当もつかなかったからだ。
「……それは」
「ですので、よろしければ皇子殿下も私の復讐に一枚噛みませんか?」
さらに畳みかけられ、カールハインツはいよいよ返答に窮した。
しかし、そこで理由を尋ねるしかできぬほど愚鈍ではなかった。しばらく考え込んだ後、「そうだね」と頷く。
「もちろん、それは私にとっても悪い話ではないというのだろう?」
「もちろんです。さきほど、ディヒラー伯爵領は穀物を選んで育てればいい土地になるとお話しましたでしょう?」
企みでもするように、レナータは人差し指を唇に沿え、にっこりと笑みを浮かべた。ここ十数日でカールハインツが目にすることはなかった、辺境伯としての得意げな笑みだった。
「ディヒラー伯爵領を、殿下に差し上げます」
「エッフェンベルガー辺境伯がきたとお伝えしてもらえるかしら?」
レナータの顔を知っている門兵はすぐにレナータを通し、グラオ城主もすぐに会談に応じた。
「ここ二年で通過した商隊が持っていた作物の記録を貸してもらえないでしょうか?」
「もちろん、辺境伯のご依頼であれば五年でも十年でもお貸ししましょう」
そこで馬車を借り、次にヘルブラオ帝国とローザ国を行き来する宝石商に会いに行く。
が、今度は思わぬ客がいた。カールハインツだ。
「やあ、レディ・レナータ。久しぶりだね」
「久しぶりというほどでもございませんが、ご無沙汰しております」
「やあこれはこれは、エッフェンベルガー辺境伯殿、ご無沙汰しております」
「お久しぶり、こちらこそご無沙汰しております」
レナータは宝石商とも親し気に挨拶を交わし、カールハインツは面白そうに顎に手を当てた。
「辺境伯殿、か」
「カールハインツ殿下は何用で?」
「もちろん、君にプレゼントするピアスを作りに」
カールハインツの指が耳たぶに触れ、レナータは「ひいっ!」悲鳴を上げながら、思わずそれを弾き返してしまった。
バチンッと痛々しい音が響き、宝石商が呆然と二人を見守る。
「……御冗談ですよね?」
「冗談でないことはこの手の痛みから確からしい」
「ちょっと何をおっしゃっているのかよく分かりません」
「ところで君は?」
「……私は商談をお持ちしたのです」
「商談?」
訝しむカールハインツをおいて、レナータは宝石商に向き直った。
「新しいペンダントのご提案です。使う宝石は赤色を中心にして……」
どんなデザインがいいか、レナータはあれこれ依頼した。宝石商は「これは間違いなく流行りますね! 相変わらず抜群のセンスをお持ちで!」と喜びながらデザインを羊皮紙に描いていた。
さて次は……とレナータが考え事をしながら馬車に乗りこむと、カールハインツが扉に手をかけてきた。
「な、なんですか! 憲兵を呼びますよ!」
「いやなに、面白そうなことをしているから気になってね」
「だからといって護衛――先日のヴェルナー様もいらっしゃらないのに、他国の辺境伯の馬車に乗り込む皇子がどこにいらっしゃいます!」
「大丈夫だよ、ヴェルナーは凄腕だ。多少離れていても問題はない」
そこではない。レナータは睨み付けたが、カールハインツはどこ吹く風だった。なお、ここに着いたときからヴェルナーの姿は見当たらなかったが、近くに潜んではいるのだろう。馬車が出発すると背後から別の馬の足音が聞こえたので、きっとそれだ。
「それで、君はなにをしてるのかな」
「カールハインツ殿下には関係ありません」
「では勝手に隣で見せてもらうことにしよう」
エーリヒといい、カールハインツといい、なぜ自分のまわりの王子はこうも人の話を聞かない者ばかりなのか。レナータが諦めて無視を決め込めば、カールハインツも話しかけてこようとはしなかった。
代わりに、馬車を降りることもしなかった。レナータの行く先々で、馬車の中でじっと息を潜め、何の話をしているのか聞いている。
そこまでして知りたがるのは不可解だったが、それはそれとして顔を見せないでいるのはありがたかった。一般人ならともかく、商人となればカールハインツの顔を知っているだろうから。
目的を遂げた後、レナータはやっとカールハインツを見た。
「……私はこれから宿に向かいます。帝都は遠いですが、殿下はどちらへ? 仕方ないのでお送りいたしましょう」
「君は皇子に敬意を払っているのか払っていないのか分からない態度をとるよね」
「敬意を払っているからお送りしますと申し出ているのですよ」
そもそも、ローザ国の辺境伯がヘルブラオ帝国の皇子に敬意を払う理由はない。
ローザ国の貴族は、ローザ国王家から領地を借り受け領主としてこれを利する代わりに、有事の際は王家を守るという内容の双務契約を結んでいる。主従関係ではないものの、「自分達は、伝統ある血筋から領主に任じられた立場にある」として、貴族が王家に対して敬意を払うのが一応の建前だ。
逆にいえば、貴族が隣国王家に敬意を払う理由はないわけだ。だからといって馬鹿にしたり格下扱いするようなことはないし、むしろその逆だが、それは潜在的に双務契約を結ぶ可能性があるから。わざわざ大国の皇子の不興を買うことはないが、へこへこ下手に出る必要もない。
つまり、これをレナータに引き直すと、レナータにとってのカールハインツは「舐められたらおしまい」の取引相手だった。そして、カールハインツは、そんなレナータの態度に気を悪くする素振りを見せないどころか、むしろ好意的に受け止めているように見える。その意味では、強気な態度を崩さないのが求められる接し方だった。
「しかし宿か。どこに泊まるの?」
「なぜお話しする必要が?」
「ローザ国の辺境伯をあばら屋に泊めるわけにはいかないから私の別邸に招待しようと思ってね」
レナータは再びその目に警戒心を滲ませた。しかしカールハインツは微笑み返すだけだ。
「辺境伯のスイッチが入ると、君は途端に手負いの獣のようになるね。心配しなくても、一宿一飯を盾に辺境伯の持つ利権を奪おうとはしないから安心したまえ」
「それ、紙に書いてもらえます?」
「本当に私に対する信用が皆無だな……君がそれで満足するなら書いてもいいけど、なにせいまは紙もペンもない。前回の借りを返すと思って招待されてくれ」
むう、とレナータは頬を膨らませた。皇子がそこまでせこい取引をするとは思えないから、さすがに紙に書けは冗談だった。しかしなぜ、カールハインツはレナータになにかと構おうとするのか。
「……もしかして、私になにか御用でした?」
「うん?」
「殿下の別邸へ招待するという、その理由をお尋ねしてます」
「意中の女性を食事に誘うのになにか特別な理由が?」
「特に理由はないとのことで承知いたしました」
きっとこの皇子にとっては挨拶のようなものなのだろう。そう自分を納得させたレナータは、気付けばまんまとカールハインツの別邸に招待されていた。
帝国西端にある別邸とはいえ、ヘルブラオ帝国皇族の別邸はローザ国の王宮に張る豪華さだった。出迎えた使用人達の数も、地理的位置には大差ないレナータの屋敷の数倍にのぼる。
ローザ国が戦争に喘ぐ間にヘルブラオ帝国は国力を蓄えてきたから当然といえば当然だったが、さすがのレナータも目を瞠ってしまった。
「……さすがですね。国力の違いを見ました」
「皇族の屋敷に招待された一言目がそうなる女性なんて、世界広しといえど君くらいだろうね」
「他にどんな反応をするのですか? 私とて皇族相手に誉め言葉から入るくらいの心得はあります」
「そんなことを真正面から言ってのける女性も君くらいだろう。あちこち歩き回って疲れたんじゃないかな、すぐに食事を用意させるから応接間で待っててくれ」
カールハインツと入れ替わりに数人のメイドに取り囲まれ「こちらへどうぞ、レナータ様!」「殿下が女性を連れられるなんて初めてのことですよ!」「温かい紅茶を用意しておりますのよ!」と応接間に連れていかれる。
「あ、あの、なぜ私の名前を……」
「もちろん存じ上げておりますとも。レナータ・エッフェンベルガー辺境伯を出迎える準備を整えておくようにと昼過ぎにカールハインツ殿下から早馬がありましたし」
昼過ぎ……レナータの頭には宝石商の前で出会ったカールハインツが浮かんだ。
「さきほども申しましたけれど、カールハインツ殿下が女性をお連れすることなんて今までなかったのです。挙げ句に王宮よりもこちらの屋敷を好むようになり、使用人一同不安に思っておりましたが、合点がいきました。エッフェンベルガー辺境伯レナータ様と懇意になさっていたからなのですね!」
レナータと年の変わらないメイドはそう頬を染めたが、レナータは顔を青くした。
今日の昼に会った瞬間からレナータを言いくるめて屋敷に連れてくる算段を整えていたどころか、他国の辺境伯領近くに屋敷を構えて見張っていただなんて!
「……失礼ですが、カールハインツ殿下と私は特に懇意というわけではありません。先日の社交界で偶然お会いしただけの関係です」
「え? しかし、カールハインツ殿下からは、大切な女性なので丁重にと言い使っておりますが……」
外交上大切な女性……。レナータは顔を険しくしたが、メイドは紅茶を淹れながら「でもびっくりしましたわ、噂のエッフェンベルガー辺境伯がこんな可愛らしい方だなんて」と嬉しそうに微笑む。
「……殿下の早馬以前に私をご存知だったので?」
「それはもう、グラオ地方でエッフェンベルガー辺境伯を知らぬ者などおりません。片田舎に過ぎなかったこの地方が一大都市に発展したのはエッフェンベルガー辺境伯のお陰ですから」
「ごめん、待たせたね」
レナータが頬を染めていると、カールハインツが入ってきた。レナータを見るたびに微笑んでいたその顔は、しかし今は少し不機嫌そうに変わっていた。
「どうかなさったんですか?」
「……ルーリエに何を言われた?」
メイドの名前だった。使用人一人一人の名前を覚えているのか、とレナータは感心する。不遜な態度のわりに傲慢ではないらしい。
「カールハインツ殿下に隣国女性を監視するご趣味があるということをお聞きしました」
「そんな趣味はない。そうではなく、私に何を言われてもにこりともしなかった君がそんな顔をした理由を訊いている」
「もしかして笑える冗談のおつもりだったんですか? 今後は善処いたします」
クスクスとメイド――ルーリエが笑いながら、カールハインツのぶんの紅茶も準備する。
「殿下がこんな風に女性を口説くのは初めてですね」
「口説きたい女性は二人も三人もいないからね」
「それは失礼いたしました」
口説く? レナータが驚いてカールハインツの顔を見ると、カールハインツはにっこりと満面の笑みで返した。
「少しは真面目に考える気になってくれたかな」
「……ええ。よくよく考えさせていただきます」
もしかすると、カールハインツが狙っているのは、エッフェンベルガー辺境伯が独占している海洋の利権かもしれない……! 大国の皇子がここまでして欲しがるということはそういうことだ。レナータは運ばれてきた食事そっちのけで顎に手を当てて考え込んでしまった。
「……なにか違うことを考えているように見えるけれど、それはそうとして、今日は結局なにをしていたんだい? そろそろ教えてくれないかな」
「商談だと申し上げたじゃありませんか……」
カールハインツへの警戒心が増していたレナータだったが、それが大きくなる前にふと気づいてストップをかけた。
これから進める予定だった計画は、カールハインツを利用できるほうが遥かに容易に進められる。しかも、レナータと取引するのは悪い話ではないはずだ。
コトリと、レナータは紅茶のカップを置いた。膝に手を置き、まっすぐにカールハインツを見つめる。
「カールハインツ殿下は、ローザ国のどの領地にご興味がおありなんですか?」
カールハインツは笑顔のまま首を傾げた。
「……どの領地とは?」
「もちろん、エッフェンベルガー辺境伯領を欲しがっていらっしゃるのは存じ上げております。ただ、ディヒラー伯爵領も海への近さでいえばいい領地ですよ。現在の土地は痩せていますが、穀物を選んで数年育てればいい土地になると思います」
「……なぜ私相手に、しかも他人の領地の商談をしているのかな」
「カールハインツ殿下がおっしゃったのですよ、私が何をしていたのか知りたいと」
「それが領地の商談だと?」
「ええ。しかしいまのはほんの冗談です、もともと私が手に入れる予定で動いておりましたから」
しれっと口にしながら、レナータは簡単なサラダを挟んだパンに手をつけた。最近疲れて食欲をなくしていた胃には、これくらいの軽食がちょうどいい。意外と気が利く王子だ。
「……聞いてもいいかな」
「もちろんです」
「ディヒラー伯爵というのは、先日君と諍いを起こしていたレディ・メラニーの父君だろう?」
「ええそうです」
カールハインツは、今度は心底不思議な気持ちで首を傾げた。
「……その土地を手に入れるというのは、どういう意図だ?」
「そんなの分かりきっているじゃありませんか」
レナータは至極真面目に頷いた。
「私の名を貶めた復讐をするのです」
カールハインツは一度口を閉じた。本気か冗談か分からず、本気だとして一体なにをどうするつもりなのか見当もつかなかったからだ。
「……それは」
「ですので、よろしければ皇子殿下も私の復讐に一枚噛みませんか?」
さらに畳みかけられ、カールハインツはいよいよ返答に窮した。
しかし、そこで理由を尋ねるしかできぬほど愚鈍ではなかった。しばらく考え込んだ後、「そうだね」と頷く。
「もちろん、それは私にとっても悪い話ではないというのだろう?」
「もちろんです。さきほど、ディヒラー伯爵領は穀物を選んで育てればいい土地になるとお話しましたでしょう?」
企みでもするように、レナータは人差し指を唇に沿え、にっこりと笑みを浮かべた。ここ十数日でカールハインツが目にすることはなかった、辺境伯としての得意げな笑みだった。
「ディヒラー伯爵領を、殿下に差し上げます」
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しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
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