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6.その求婚、不可解につき
しおりを挟むその翌日、クロードは扉を開けたところにいる人物を見て眉をひそめた。
「……どちら様でしょう」
「こちらはエッフェンベルガー辺境伯の屋敷で間違いないかな」
「ええ、そうですが……」
どことなく雰囲気のある立ち姿で、その隣にはこれまた妙な圧のある青年が立っている。怪しい者ではなさそうだが、顔に心当たりはない。視線を彼らの向こう側へと投げ、畦道の向こう側に停めてある馬車の紋章を見――クロードは目を瞠った。
「失礼、申し遅れたね。私はカールハインツ・フォン・ノイラートというのだけれど――」
「……帝国皇子殿下が、何の御用で?」
にこりとカールハインツは人懐こい笑みを浮かべた。噂に聞くとおり、掴みどころのない皇子らしい。
「エッフェンベルガー辺境伯と約束をしているんだけれど、いらっしゃるかな」
「……少々お待ちください」
カールハインツを応接間に案内した後、クロードは少々狼狽したままレナータの部屋を訪ねた。
「……お嬢様、ヘルブラオ帝国の皇子殿下がいらっしゃっております」
「え? あ、ごめんなさい、昨晩は遅かったから、詳しく説明する時間がなくて」
というのは建前で、公にできないことを話すのだから、名を伏せてくるのだと思っていたし、それを前提にクロードらには「客人がある」としか伝えていなかった。
「……では、お約束があるというのは本当で」
「ええ。応接間にお通ししてるのよね。すぐにおうかがいするわ」
「いいえお嬢様、相手がカールハインツ皇子殿下だというのなら別のお召し物を!」
ちょうど紅茶を出していた年嵩の使用人は、レナータが迷わず出て行こうとしたのを見てすかさず引き留めた。レナータは商談用のドレスを着ていて、それ自体は質のいいものだが、皇子の前に出る女性が着るには相応しくないという。
「お待たせするわけにはいきませんが、それだけはお着替えになってください!」
そうして着飾り直して応接間に行くと、カールハインツは座って紅茶を飲んでいた。わずかに目を伏せた表情といい、優雅な所作といい、その瞬間がまるで絵画のような美しさだった。
レナータが入ると、太陽の色をした目が嬉しそうに微笑む。後ろに控えているヴェルナーも、礼儀正しく敬礼した。
日頃ならそれを見た瞬間に頭を切り替えることができるが、いまのレナータは疲れていた。帝国皇子との会談、裏があるかもしれないとはいえ大きなチャンスには変わりないことは分かっている。しかし、カールハインツを見ただけであの騒動を、そしてレナータへ誹りを向ける令嬢達の表情を克明に思い出してしまう。
お陰で、体が折れたような頭の下げ方になってしまった。
「……このような辺境に足を運んでいただき光栄です、カールハインツ殿下。先日はお話の途中で失礼いたしました」
「いや、改めて話をと申したのはこちらだからね。とりあえず座っていただいてもいいかな」
「……失礼します」
ローテーブルを挟んで向かい合い、レナータは改めてカールハインツを観察する。
五十年戦争について、全くの第三者でありながら殊勲者にして英雄という謎の肩書を与えられた皇子。裏があるに違いないと警戒していたが、実際に裏話が舞い込んだことはない。
その皇子が、話があると堂々とやってきた。そう考えると、優しい微笑に黒い影が見えるようだ。
社交界の噂なんかで落ち込んではいられない。レナータは背筋を伸ばす。エッフェンベルガー辺境伯の名を継いだ自分がなすべき責務はここにある。
「私にどういった御用ですか?」
レナータの目には警戒心が滲んでいたが、カールハインツは気にした素振りなく微笑んだままだった。
「ええ、私と結婚していただけないかと思いまして」
「ああそうですか、結婚……。……結婚?」
復唱してしっかりとその単語を咀嚼した後、レナータは唖然とする。後ろに控えていたクロードも開いた口が塞がらなかった。
「な……」
「いかがでしょう」
唖然としたまま、しかしレナータの頭は素早く、ほぼ無意識に、自身の地位と立場による利害関係を整理した。なぜカールハインツはレナータに親切にしてくれたのか、なぜ社交場でメラニーから庇うような態度をみせたのか、なぜ結婚を申し込んできたのか――すべてに筋が通る狙いはひとつだけ。
「……化けの皮剥がれたりですね!」
今度はカールハインツが笑みを凍りつかせる番だった。
レナータは動揺のあまり立ち上がり、一国の皇子を睨み付けた。カールハインツは柄にもなく困惑した。
「……化けの皮、とは?」
「とぼけないでください、なにが欲しいのかと考えてはおりましたが、まさか私――エッフェンベルガーの地位そのものとは。結婚してエッフェンベルガー家の利権を根こそぎ我が物とし、辺境伯領地を貪り尽くした挙句にひいてはローザ国の中枢まで食い尽くす魂胆なのでしょう。そうはいきません、私は現エッフェンベルガー辺境伯としてこの領地を継ぐ義務がございます。五十年戦争の英雄などという肩書に騙されるものですか!」
間違いない、それしかない。やり手と有名なこの皇子は、エッフェンベルガー辺境伯レナータが持つあらゆる権利の価値を正しく評価しているに違いない。そのうえで結婚を迫るということは、そういうことだ。
「……お嬢様、落ち着いてください」
「私は冷静よ。舐められてなるものかと気を張っているだけ」
レナータは、威嚇する子猫のごとく、髪一本一本の毛先にまで緊張を滲ませている。それを見たカールハインツは、しばらく呆気に取られていた。
しかし、ややあってふふっと笑い出す。
「図星ですか!?」
「いや、そうではなく。随分疑われているものだと驚くあまり笑ってしまったんだ」
「心を弱らせたところに付け込むのは詐欺師の常套手段ですから。何の見返りも求めずに五十年戦争の和平協定を買ってでた時点で怪しいと言っているようなものです。そして現に、こうしてヘルブラオ帝国近辺にある我が辺境伯領を手に入れるべく現れたのですから。さては先日の社交界以前に私の話をメラニー様からうかがい知っていたのでしょう? あずかり知らぬ罪を着せられ、エーリヒ第一王子にも邪険にされ、傷ついた小娘は格好のエサだとでも考えたのでしょうが――侮っていただいては困ります!」
笑ったままのカールハインツに向け、レナータは立て板に水のごとくまくしたてた。
「これでも十二歳からエッフェンベルガー辺境伯の名を守って参りました。私を騙そうとする者もおりましたし何度か騙された経験もございます、しかしそれも若かりし頃の話、多少傷ついたところで詐欺師に名を渡すほど落ちぶれてはおりません!」
「ああ、うん、そうだね」
「話を聞いていらっしゃいます!?」
ククク、とカールハインツは笑い続けていた。なんなら、後ろのヴェルナーもだ。レナータは顔を真っ赤にして机を叩いたが、「いや、失敬、馬鹿にしているわけではない」とまさしく馬鹿にしているかのように笑うばかりだ。
「こんなにも真正面から信じてもらえないものだとは思っていなくて、つい」
「ええ、ヘルブラオ帝国カールハインツ殿下の政治手腕はイヤでも耳に入ってきます。今まで是という者以外おりませんでしたでしょう」
「褒められてるのかな、これは」
「いえ、貶されているものだと思います、殿下」
怒っているレナータを差し置いて、カールハインツはヴェルナーと談笑する。
「……騙せないとお分かりであれば、お引き取りいただいてもよろしいでしょうか?」
「いや、そうだね、騙せないことはよく分かった。婚姻の話は一度保留にしよう」
詐欺に保留もなにもあるものか。レナータは顔をしかめたが、カールハインツは「まあまあ、もう一度座って」と穏やかに宥める。
相手が正真正銘の詐欺師なら追い返すところだが、あくまで詐欺というのは揶揄――一応、カールハインツは一国の王子として政治をしにきただけだ。渋々、レナータは座り直した。
「先日の社交界でも話したけれど、君はメラニー・ディヒラー伯爵令嬢のペンダントを盗んだという疑いをかけられたままのようだね」
「……そうですね」
その話……。途端にレナータの腹がずんと重くなる。
「昨日も顔色が悪かったけれど、その件のせいで落ち込んでいるのかな」
「……殿下に関係ありませんでしょう」
「それはそうかもしれない。しかし、昨晩の帰り、レディ・メラニーは、ペンダントが戻ってきたと話していたよ」
「はい?」
ペンダントが戻ってきた?
「それは……つまり、私の冤罪が晴れたということですか?」
その答えは、聞く前から明らかだった。
なにせ、カールハインツは相変わらず笑みを浮かべているが、それは、ニヤニヤとでも聞こえてきそうな意地悪なものに変わっていたからだ。
「“君はペンダントを盗んで贋作をこしらえたが、騒ぎになったからメラニー嬢のペンダントは元に戻しておいた”だそうだ。レディ・メラニーの睨みでは、昨晩のどさくさに紛れてそっとメラニー嬢の馬車にペンダントを投げ込んだのだろうと」
レナータとクロードは、揃って珍味を飲まされたような顔をした。
つまり、レナータにかけられた罪に、窃盗に贋作作りが加わった。何の話ですかと、お尋ねしたくなるような荒唐無稽な言い訳だった。
「……やはり、メラニー様に、勘違いなどないのですね」
「うん?」
「……私、メラニー様はなにか勘違いをしていらっしゃるのだと思いました。そうでなければあれほど大声で他人を責めるはずがないと……」
「お人好しだねえ、騙されたことがあるというのに」
じろ、と睨んだが、カールハインツは素知らぬ顔で紅茶を口に運ぶ。
しかし、そうか……。メラニーは、自分を陥れたかったのか。ようやく気付いたレナータは、ドレスの上で軽く握った拳を見つめた。
「……カールハインツ殿下は、いまのお話を私に教えてくださるためにいらしたんですか?」
「いや、婚姻の話をするためだけれど」
「真面目に答えていただけますか?」
「……いまの話をしたうえで、必要であればこちらで調査のうえ君の冤罪をはらすと提案する予定だった……が、その様子だと必要なさそうだね」
レナータの目に生気が戻りつつある様子を見て、カールハインツは嘯いた。
「相変わらず頼もしいね」
「……相変わらずとは?」
「こちらの話だよ」
レナータは首を傾げたが、カールハインツは笑って紅茶を飲み干した。
「急に訪ねてきてすまなかったね。次は真面目に話を聞いてくれると嬉しいよ」
「真面目なお話を持ってきてくだされば真面目に聞きます」
レナータが口を尖らせるのにも構わず、カールハインツは涼しい顔で辞去しただけだった。クロードだけが、カールハインツの後ろ姿を恨めし気に睨んでいた。
その数日後、レナータが出掛ける準備をしていたとき、クロードが手紙を届けてくれた。メラニーからだった。
『レナータ、あなたにはすっかり失望したわ。あなたが誠意をもって謝罪すれば許すつもりでいたけれど、一言も口にしないなんて。他のみなさんもびっくりしているのよ、あなたってばどれだけ厚い面の皮の持ち主なのかしら……』
罵倒だらけの手紙は読むに堪えなかった。しかし、最後の一文を見て気分が変わる。
『そういえば、最近エーリヒ殿下からお茶のお誘いをいただいたの。これがどういう意味か分かるわよね?』
婚約の匂わせだった。レナータの中でやっと、メラニーの言動の理由に思い当たるものができた。
「お嬢様、ご予定どおりお出かけですか?」
「ええ、昨晩話したとおり、クロードは領地の見回りをお願い。私はグラオ城まで出かけてくるわ」
「グラオ城ですか」
国境の向こう側、ヘルブラオ帝国にある城だ。つい先日も出かけたばかりだが、とクロードは首を傾げる。
「この度は何用で?」
レナータは外套を羽織りながら、幼さの残る目元を険しくした。
「我がエッフェンベルガーの名を汚したことを、後悔させに行くのよ」
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