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「なぜあの女が来ていないんだ」

 ラーシャルード学園入学式の日。
 参列しているはずのが王族関係者席に居なかったので、式から帰ってすぐに叱責の手紙を出した。
 王太子の婚約者が参列しないなど、有り得ない行動なので、王太子としては当然の行動だった。

 しかし数日後。
 平身低頭して謝りに来ると思った婚約者は現れず、代わりに婚約者の実家、アッペルマン公爵家から苦情の手紙が届いた。
 要約すると『なぜうちの娘が王太子の入学式に行かなければいけないのか。二度とこんな手紙は寄越すな!』という内容だった。

 手紙の内容が理解出来ない王太子は、王太子妃教育に来るクラウディアを問い詰めようと待ち構えていた。
 当然、クラウディアが王宮へ来るはずも無く。
 それについても『なぜ王太子妃教育をサボったのか』と手紙を書いた。
 しかしそれは、封も切られず返って来た。


 王太子には、8才のお茶会でクラウディアに一目惚れをし、婚約者に指名した記憶がある。
 青いワンピースを着た令嬢と、何度もお茶会をして交流もした。
 婚約者の実家でのお茶会で事件があり、それ以来会うのは王宮になったのも覚えている。

 そこでふと、婚約者の実家でのお茶会の記憶が曖昧な事に気が付いた。
 お茶を飲んで倒れ、そのまま誘拐されたのは誰だったか。
 いや、お茶会での事件は毒殺であり、侯爵家が没落したのだった。

 とにかく婚約者としての義務を果たせ、と王太子は何通も手紙を送った。
 しかしそれら全ては封が開けられず、ことごとく返送されてきた。
 手紙を公爵家へ届けるように命令する度に、何か言いたそうにする侍従にもイラついていた。



 入学式の日に出会い、恋人になったカミラ・リンデル伯爵令嬢。
 学業や王太子教育の合間、自由時間の多いカミラとの逢瀬を楽しんだ。
 王太子妃教育から王妃教育へと移行しているはずの婚約者クラウディア。いい加減顔を見せに来い、と何度も手紙を送っているが、それに返事を書く暇も無いほど忙しくしているようだ。

 優秀で使い勝手の良い王太子妃クラウディアに、一緒にいて気が楽な側妃カミラ。

 あまり勉強は得意では無く、王太子妃になっても外交に携わると毎回必ず相手国を怒らせて、それが原因で国交断絶になった国もあった。
「国交断絶?」
 王太子は、自分の思考に怪訝な気持ちになる。

 王太子妃になるのはクラウディアであり、カミラは表に出すつもりは無い。
 だが王子の母はカミラなので、カミラを正妃にする事に議会は反対せず……?

「何だ、この記憶は」
 王太子は混乱していた。
 そしてそれは、それからすぐに解決する事になる。


「ねぇモンス様ぁ。いつ私との婚約を王様にお願いしてくれるのぉ?」
 ある日、カミラが王太子にそう聞いたのだ。
「既に婚約者がいるのに無理に決まっているだろう」
 いつものように王太子がそう告げると、カミラは「はぁ?」と眉間に皺を寄せる。

「モンス様、ホントは婚約者いないじゃん。ノルドグレーン侯爵令嬢との婚約が白紙になってから、誰とも婚約してないって知ってるもんねぇ」
 父親にでも聞いたのか、カミラは得意気に言う。

「婚約者はいない……」
 頭の中のもやが晴れた気がした。
 クラウディアが婚約者だったのは、前回の記憶だった。
 今回はノルドグレーン侯爵令嬢と婚約したが、母親が事件を起こしたので白紙撤回されていた。

「子供の名前は、覚えているか?」
 カミラの肩を掴み、王太子は真剣に問い掛ける。
 しかしカミラは目をパチクリと瞬きした後、ケラケラと笑いだした。
「やぁだぁ。さすがに気が早い~」
 演技でも何でも無いその態度に、カミラには前回の記憶が無いのだと理解した。



 王宮に戻った王太子は、急いでアッペルマン公爵家の事を調べた。
 クラウディアにはまだ婚約者が居なかった。
 そして、前回は幼くして亡くなっている次男のルードルフがまだ生きている。

 前回の記憶のある誰かが、過去を変えたのだ。
 次男誘拐殺害犯のノルドグレーン侯爵家が没落している事でも、それは確かだと王太子は考えた。
 そしてその記憶があるのがクラウディアだとも。

 なぜなら、今までずっと婚約間近だと噂されているのに、ヘルストランド侯爵令息と未だに婚約していないからだ。
 クラウディアは、自分からの求婚を待っている。
 王太子は、クラウディアがまた王太子妃になりたいのだと、自分の事を愛しているのだと

「今度こそ愛されると思っているのか、哀れな女だな」
 10年もの間、仕事をするだけの惨めな生活に文句も言わず耐えた妻。
 それが王太子の中のクラウディアだった。



 王太子は気付いていない。
 前回とのズレの期間が長過ぎたせいで、過去と現在の記憶が曖昧になっている事に。
 今回の人生では、クラウディアと一切関わっていない。
 個人的に会話した事すら一度も無い事に。


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