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「やはり記憶が有ったよ」
 屋敷に帰ってから両親に呼ばれたマティアスは、小一時間後にクラウディアの部屋を訪れて来た。
 馬車の中での発言の意図を問われ、最初はのらりくらりとわざと話を逸らし、相手が前回の記憶が有る事を匂わせたところで種明かしをしたそうだ。

 最期は孫に見守られ旅立った年齢まで長生きしたマティアスから見たら、今の両親など青二才に感じるだろう。
 主導権を握るのなど造作も無い。

「父上は、婚約の申込みが来た時、母上はルードルフの命日だ」
 儂はクラウディアの婚約が決まった日じゃ、とマティアスが笑う。
 王太子のお茶会まで戻ったクラウディアが1番早い。
 しかし全員が王太子との婚約を後悔した事だけは確かだろう。

「ディアに記憶が有る事は伝えていないから」
 マティアスが12才らしい顔で笑う。
「今度は地位とか関係無く、好きな人と結婚すれば良い」
 まるでまだ子供だから言えるのだとでもいうように、あっけらかんと本心を口にする。
 前回が辛かったから、とはさすがのマティアスも言わなかった。



「好きな人……か」
 夜。自室のベッドの中で暗闇を見つめながら、クラウディアは呟く。
 目を閉じると屈託のない笑顔が浮かび、驚いて目を開けると、闇の中に黒い人影が見えた気がした。
 無論、人など居ない。

 突然窓が開いて、月明かりを背に真っ黒い人影が浮かび上がる。
『こんばんは』
 夜の静寂と月光の静謐せいひつさを凝縮したら、このような姿になるのではないだろうか?
 優雅な所作もそれを後押しする。
 しかし、近付いて来た事により見えた赤い瞳だけが、それらを裏切る。

『王太子妃殿下、お別れの時間です』

 クラウディアは慌てて起き上がった。
 無論、窓は閉まったままだし、室内に人の居た気配は無い。
 それに、今見えたものは公爵家では無い。
「これは、王太子妃だった時の記憶?」
 バクバクと大きく脈打つ心礎を、服の上から押さえ付ける。
 いつのまにか、汗も掻いていた。

『私は地獄から蘇った悪魔ですから』

 黒髪に赤い瞳の悪魔。
 今は見る影も無いくらいに幸せそうに笑う、侯爵家の令息。
 暗殺者、ルキフェル。

「マティアスお兄様にお願いして、彼ともう一度会えるようにしてもらいましょう」
 ベッド脇のサイドテーブルにある呼び出しの鈴を鳴らしながら、クラウディアは小さく呟く。
 とりあえず今は、予定外に汗まみれになった体を清拭せいしきし、サラリと乾いた服に着替えたかった。



 翌日、予定通りクラウディアはマティアスへ、ニコラウス・ヘルストランド侯爵令息とのを整えるようにお願いをした。
「マーチャ! ディアはヘルストランド卿に会いたいです!」
 殊更幼い口調でお願いをしてくるクラウディアへ、マティアスは苦笑を返す。

「惜しい。6才の子はヘルストランドとは言わないね」
 正しい呼び方が、幼さを台無しにしていた。
「ヘルストランド様?」
 クラウディアが首を傾げながら言い直す。
 あくまでも幼い子供の我が儘として押し通すつもりのようだ。

「もうそれで良いよ」
 あっはっはっと珍しく大声で笑うマティアスを、使用人達が驚いた表情で見つめていた。
 孫達としていたごっこ遊びおままごとのようだ、とマティアスは思ったが、口には出さなかった。


 約束通りマティアスは『遊びに来ませんか?』との招待状をニコラウスへと送ったのだが、その返事は否だった。
「体調を崩して寝込んでいるらしい」
 ヘルストランド侯爵家から届いた返事を、マティアスはクラウディアへ手渡す。

 公爵家令息の誘いを断る利点は何も無い。むしろ負の要素しかなく、せっかくの縁を捨てるような行為である。
 そう考えると、体調を崩したのは本当なのだろう。

「とても元気そうでしたのに」
 クラウディアが残念そうに言うと、マティアスの眉間に皺が寄った。
「一日二日、子供が体調を崩す事はよくある。しかし、まだ余裕の有る公爵家からの招待を断る程の体調不良……?」
 自分の中で何かを整理整頓しているのか、こめかみを指で軽くトントンと叩きながらマティアスは瞼を閉じた。


「ヘルストランド侯爵家の有罪判決が出た日だ」
 カッと目を見開いたマティアスの口から、思わずといった感じで言葉が零れ落ちた。
「え?」
 クラウディアが驚いて声を出すと、マティアスは身を乗り出すようにして説明を始める。

「あの! 第二王子の誕生日パーティーの翌日が、誘拐事件の裁判の判決の日だったはずじゃ!」
 ヘルストランド侯爵家が冤罪を着せられ、没落させられた日。
 その後、控訴する事も許されず、驚くほど早く処刑された。


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