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番外編
番外編2・彼女の一番欲しいものの日
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翌朝。早起きしてサンドイッチを作っていたら、起きて来たお母さんがニヤニヤとした顔で言った。
「砂里ちゃん~?」
「なぁに……?」
「彼氏が出来たならお母さんに紹介してね」
グホッハッホヘッ……!
盛大にむせ込みながらお母さんを振り返ると、カウンター越しに頬杖を突くようにして微笑んでいた。
「あ、やっぱり彼氏なのね?」
……。
(まぁ……やっぱり気が付くよね。休みの度にお弁当を作って出掛けているし、インドアだった私がこの夏休み毎日出掛けているのだってなんとなく分かるだろうし……)
「うん……」
私の返事に、お母さんはニコニコと言う。
「どんな子なの?」
どんなって言われると……。
「綺麗で、頭が良くて、カッコ良くて、立ってるだけで一枚の絵画のようで、だけど聡明な瞳は真実を映し出す鏡のように煌めいていて、世界で一番優しい人……」
「そう……とっても好きなのね……」
どうしてサースのことを説明しただけでとっても好きだと伝わってしまうのだろう?
お母さん、心が読める魔法使えるわけじゃないよね……。
その通りだけど、恥ずかしいな……。
お母さんが笑顔で私を手招きしたから、手を拭くとお母さんのところまで歩いた。
するとお母さんは私の頭を抱きかかえるようにして言った。
「心配になるくらい好きな人みたいだけど……信頼出来る人なのよね?」
「うん……」
「良かったね。お母さんずっと心配していたのよ。砂里ちゃんあんまりいい子過ぎるから、好きな物や欲しいものが出来ても遠慮してしまうんじゃないかって」
「……遠慮?」
「うん。お母さんもお父さんも、もうずっと家にちゃんと帰れてないでしょ。砂里ちゃん中学の頃から掃除も洗濯もやってくれて、一人でご飯も作って食べてくれてる。不満も文句も何も言わないし、欲しいもの無いか聞いても何も欲しがらない。いつでも満足そうに何かしてるし、勉強もちゃんとしてる。良い子過ぎて心配だったのよ」
「……」
お母さんがそんなことを言ったのは初めてだった。
「良い子なんかじゃないよ……」
お母さんの言っていることに戸惑ってしまう。
こっそり無断外泊を繰り返してる良い子なんていない。
何と言っても勝手に実家を異世界に繋げてしまっている子もそういない……。
この2ヶ月ちょっと、思えば両親には言えないようなことばかりしてきた気がする。
それでも私は、彼の側に居ることを望んでいた。彼を助けたいと、強く願った。私の全てをかけてそうしたいと思って過ごしてきた日々は、きっと随分に親不孝なものだったんだろう。
知らぬ間に生まれていた誤解に、咄嗟になんて言ったらいいのか分からないでいると、お母さんは続けて行った。
「良い子じゃなくて、いいのよ。ちょうど良いんじゃないかな」
「本当に良い子、なんかじゃちっともないよ……」
「それでいいのよ」
お母さんは私の頭を優しく撫でる。
その手はとても温かくて、私はなんだか涙が出そうになる。
「お父さんもお母さんも気に掛けてくれているから……不満なんてなかったよ」
小学校の頃、お父さんとお母さんの会社が大きくなって、二人は急に忙しくなった。
だけれど、両親と一緒に居る時間と引き換えに、我が家はそれまでより裕福になって、都心に一軒家を買って引っ越して来れた。
私が小さい頃は家政婦さんも来てくれていたけど、中学に上がるころには私が自分から家事を受け持つようになった。
寂しい心は抱え持っていたけれど、愛情を疑ったことはないし、いつだって気に掛けてくれていることを知っていた。
遅くまで働いて家族を養ってくれている。食費をくれて、家で友達と遊んでも良いって言ってくれて、友達と一緒に食べても良いって食材も買わせてもらえてる。私はたぶん、これ以上なく両親に信頼してもらって自由にさせてもらえている、とても恵まれている子供なんだと思う。
「ずっと有難く思ってるよ……」
「砂里ちゃん……」
お母さんがぎゅうっと力を入れるように私を抱きしめる。
「その子は、砂里ちゃんにわがままを言わせてくれる子なの?」
「わがまま?」
「そう、砂里ちゃんが欲しいものを言わせてくれる子?」
「……うん」
それは間違いがないような気がする。彼はいつだって不思議なくらい私の叶えたいものを聞いてくれる。
お母さんは顔を上げると笑顔で言った。
「その子、お母さんも気に入ると思うの。今度紹介してね」
「うん」
私も微笑んで答える。
けど、彼氏を両親に紹介なんて、とっても恥ずかしいな……。
サースは挨拶に来てくれるかなぁ。きっと、お父さんもお母さんも彼を見たらびっくりするんだろうなぁ。
そうして、サンドイッチを作った後は電車に乗って、中野の谷口くんの家に向かった。
デートの日なのでサースは私を迎えに来ると言い張ったのだけど、今日は目的地が谷口くんちの方だったから、私からサースのところに行くことにした。
「成田さん、いらっしゃい~」
谷口くんは玄関の扉を開けると、にっこりとした笑顔で出迎えてくれた。
「あ!久しぶりだね」
「そうだね、毎日僕は向こうの世界に行ってたからね」
谷口くんに促されてリビングに入ると、サースが黒いスーツ姿で立っていた。
高貴さを漂わせる聡明な顔立ち、一つに束ねられた艶やかな黒髪、そしてその美しい容姿を際立たせるように高級そうなスーツをモデルのように着こなしている。
映画の中の美青年のように、サースは長い黒髪を揺らしながら振り返った。もはや脳内にはサースの後ろに薔薇が咲き誇っているのが見えている。
(吐血……!!)
むしろ普通に鼻血……!私は顔に手をあてて流血事件が起きていないかを確認する。
「さっき兄ちゃんに着させられちゃってたんだよ」
お兄さま……最高です。
眩暈が起こるような興奮に頭をクラクラさせていたら、サースが私の肩を支えてくれた。
「砂里……大丈夫か?」
「ダイジョブデス」
ちょっと写真撮りたいだけです。
「兄にフォーマル用の服とカジュアル用の服を借りてあるが、今日はどこに行くんだ?」
えーと……。
「ううううう、名残惜しいけど、今日はすごく暑いし、カジュアルの洋服で大丈夫だよ」
「そうか。ならば着替えて来よう」
私はサースの手をがしりと掴んで引き留める。そして真顔でサースを見上げて言った。
「一緒に写真撮っていい?」
「あ、撮ってあげるよ」
谷口くんが慣れているように声を掛けてくれた。
「ありがとう!」
「……構わないが」
はっ……サースの返事を聞く前にカメラを構えようとしてしまった。
サースは私の隣に立つと肩を抱いた。そうして谷口くんに渡したスマホでカシャリと一枚。
「あ、サースの全身写真も撮らせてね?」
「構わないが」
「じゃあ僕そろそろ出かけるね」
「うん、ありがとう!」
谷口くんを見送った後にカシャカシャと数枚撮ったところで、サースがなんとも言えないような表情をしていることに気がついた。
「ご、ごめんね、嫌だった?」
「そうではないが……俺が何もしなくても、楽しそうにしている砂里が不思議だっただけだ」
はてな?とサースの顔を見上げた。
「俺には何も望まぬのに、ただ一人で満足そうにする」
十分サースの写真を撮らせて欲しいと望んでいたと思うけれど……。少なくとも一人で満足なんじゃなくて。
「……サースが一緒だからだよ」
人の全身写真撮らせてもらったのなんて生まれて初めてだ。
して欲しいことがあるのも、満たしてくれるのもこの人だけだと思う。
「サースと一緒に居たら、いつだってどんな瞬間だって、満たされて幸せだよ」
「……」
あれ……?
私今、彼氏の写真撮らせてもらえて大満足ですって内容のことをドヤ顔で言ってない……?
冷や汗をかくような気持ちで彼を見上げると、私の視線を受けたサースは魅惑的な笑みを浮かべた。
「もっと望め、砂里。俺にして欲しいことを言うといい」
「……」
頭の中にぼんやりと、お母さんとの会話が思い浮かんで来る。
――その子は、砂里ちゃんにわがままを言わせてくれる子なの?
(……うん。サースは、なんでも言わせてくれるよ)
そうしてきっと、どうしてだか分からないけれど、私の心の声を、本音を、欲望を、誰よりも知りたがっている人――
私に良い子じゃなくていいのよ、と言ってくれたお母さん。もしかしたらサースも、同じことをずっと私に思っていたのかな……。
そんなことを少しだけ思いながら、サースの手を握ると、彼は幸せそうな微笑みを私に向けてくれた。
谷口くんちから電車で10分くらいの場所にある、若者に人気の駅で降りた。
駅を降りて繁華街を抜けると、すぐに緑の多い場所に出る。
「公園か……?」
「うん」
都会の街並みが突然緑に覆われるのだから、サースはちょっとだけ驚いたようだった。
「また……サースと公園デートしたいなって思って……」
だいぶ前にランチを食べに行った公園の事もデートに入れていいのか分からなかったけれど、今思うと、あの時だって、私たちはもうお互いを意識をしていたんだろう。
「そうだな、また来ようと言ってあれきりになっていたな」
「うん」
サースは今、白いリネンのシャツにジーンズというなんでもない恰好をしているけれど、街行く人達はみんなサースを振り返っている。
サースは私の作ったお弁当が入っているランチバッグを持ってくれていて、今日も世界で一番優しい!
「俺には良く分からないから、砂里の行きたい場所に連れていってくれ」
「うん」
その辺は抜かりなく、私も考えて来ていた。
公園に入ると大きな池があって、私の目的地はその先にあったのだけど、手を繋いでいたサースは池に視線を移すと言った。
「あれに……乗らなくていいのか?」
あれ。
それは、池の上を漂う、数々のボートのこと……。その中でもサースの視線は、スワンボートの中でキャッキャウフフと楽しそうにしているカップルに注がれていた。
え、あれ?あれを私に求められてるの……!?
私はサースを見上げておもむろに切り出した。
「この池には都市伝説がありまして……」
「ほう」
「祀られている神様に嫉妬されてカップルが別れるという」
「……そうなのか」
「……」
私はサースの手をきゅっと握りながら、彼の目をまっすぐに見つめながら言った。
「……サースが気にしないなら、乗りたいな」
私の台詞にサースは少しだけ考えるようにしたあとに、面白そうに微笑んだ。そして顔を私に近づけて来ると低い声で囁いた。
「俺たちの仲を引き裂けるような神など、いるはずもないだろう?」
ぐはっ!!
いつの間にか神にも引き裂かれない仲になってた……!
知らなかったけど、その通りです。絶対そうです。サースに間違いはありません。
サースは私の手を引くとボート乗り場に向かい、数あるボートの中から決まっていたようにスワンボートを選んだ。
先に乗り込んだサースが私に腕を伸ばす。
「おいで……砂里」
「……」
サースに支えられてふわりとボートに乗り込む。
お姫様みたいだなって思う。柄でもないのに、サースの隣にいると、生まれて初めて私でもお姫様になったような気持ちになれる。
ボートは思ったより体力を消耗した。夢見心地ながらもせっせと足を動かしていると、サースが器用にハンドルを操作する。
「上手いねサース」
「そうか……?」
サースは暫くして身分や生き方を決めたら、乗り物の免許を取ろうと思っていると教えてくれた。
「サースならどんなものでも乗りこなせると思うよ」
それはもうきっとジェット機だって。
私の台詞にサースは面白そうに笑う。夏の明るい日差しの元で、輝くような彼の明るい笑顔。
見ているだけで私の心も水面のようにキラキラと煌めく。
日差しや足漕ぎで暑くなってきたころ、私たちはボートを降りて目的地へと向かった。
「動物園……?」
「うん、子供の頃に来たことがあったの……」
公園に併設されているとは気付けないくらいの、小さな動物園があった。
入園券を買って園内に入ると、まずは一番の目的だった、小動物とのふれあいコーナーへ!
分かりやすく瞳を煌めかせながら私はサースをそこに連れて行く。
(ああ、かわいいいいいいいいいいいいい……)
動物園の中には、小動物とふれあえるコーナーが作られていて、たくさんのモルモット達が出迎えてくれた。
感激に震える手をモルモットに添えて膝の上に乗せると、人間が気になるのか可愛らしく動き回る。
「あう……ぅ」
優しく撫でさせてもらえると感激に変な声を出してしまう。
ベンチの隣に腰掛けたサースは私をじっと見つめていたけれど、その戸惑うような表情は、私が想像していた通りのものだった。
「サース、膝の上に乗せるね」
「あ、ああ……」
「驚かせないように、そっと撫でてね」
「ああ……」
サースが恐る恐ると手を伸ばすと、モルモットは大人しく撫でられる。
その気持ち良さそうにも見える様子に、小動物にもサースのフェロモンが分かるのだろうかと疑問に思う。
「ペットにね、飼ってる人も多いんだよ」
「そうなのか」
サースは動物を飼ったことも、触れ合ったこともほとんどないと言っていた。
「壊してしまいそうで怖いな」
そう言うサースはとても優しい瞳でモルモットを見つめていた。
私はちょっとだけ、モルモットになりたい……なんて思ったりなんかする。
その後は、サルとかシカとか鳥小屋とかをサースと一緒に見て歩いた。
サースはどれも見たことがない動物だと言っていた。
「俺の国に居た時でも動物を見る機会は少なかったが、だが、やはり生き物の種類が少し違うようにも思える」
サースはとても興味深そうに動物たちを見つめていて、知的好奇心が強いだろう彼が夢中になって見ているのがなんだか嬉しく思えた。
お昼になる前に公園に戻って、私たちはランチを食べることにした。
広場でベンチを探そうと言いながら歩いていると、近くに不思議な気配を感じた。
(なんだろう、これ。サースの闇の魔力に似てる……)
気配のする方向に顔を向けると、そこには背の高いスタイルの良い男の子が立っていた。
(あれ?どうして普通の人から、闇の魔力を感じるの……?)
サースを見上げると、彼も息を飲むようにしてその人を見つめていた。
すると、その人が、何かに気が付いたようにこちらを振り向いた。
綺麗な顔立ちの男の子だった。歳が近そうだけれど、サースと同じように現実離れした美しい容姿をしていた。
「冬真くん……?」
小柄な女の子が声を掛けると、彼ははっとしたように女の子を振り返り、蕩けるような甘い眼差しを向けた。
「なんでもないよ、行こう」
人波の中に彼らが消えるまで、私たちは見送っていた。
「……この世界にもいるのか、魔法を使える者が」
「……そうなの?」
「ああ、男の方だけじゃない。女の方もだ。肉体に魔力を通すことに慣れている者の気配だった」
「私たちみたいに?」
サースは私に視線を移し、優しく微笑んだ。
「そうだ。俺たちのように。愛する者がいる男の目をしていた」
「……」
突然の台詞に、赤面してしまう。
ちょっと恥ずかしい気持ちになっていると、サースは私を日陰にある空いたベンチに連れて行ってくれた。
渡されたバッグから水筒やお手拭きを出して、そしてサンドイッチの包みをサースに渡す。
「いっぱい作って来たから食べてね」
「ああ、頂く。ありがとう砂里」
「ううん」
サースは最近は、味の感想を教えてくれるようになっていて、からしマヨネーズのハムカツサンドを気に入ってくれたみたい。
「負担になってないか?」
「うん。サースに食べてもらえるのはすごく嬉しい」
えへへ、と笑うとサースも嬉しそうに微笑んでくれる。
「サースも……楽しんでる、かな?」
「ああ、とても面白かった。何もかもが初めてだが、この世界の普通のカップルのようにボートを漕ぐのも、知らない動物を見れたのも、触れ合えたのも、とても勉強になった」
しかし……とサースは続ける。
「砂里はこれでいいのか?これでは俺の為に考えた場所のようだが」
「そんなことないよ。めちゃくちゃ楽しんでるよ。サースが一緒に喜んでくれるのが私には一番嬉しいよ」
「……そうか」
たくさんの人がいる公園の中で、夏の日差しを浴びたサースが、甘く微笑んで私を見つめている。
私はドキドキとしながら、こんなに幸福でいいのかな、もうすべての幸運を使い果たしちゃってるんじゃないのかなと心配になる。
「ゾウがね……居たの」
「ゾウ?」
「ゾウはね、とても体が大きな、ゆったりとした動きの、穏やかな目をした動物なの……」
子供の頃、両親の仕事が忙しくなる前、その時私の家はまだ郊外の方にあって、ちょっと遠出してここに連れて来てもらったことがある。
「ゾウを見たのは初めてだったし、両親もここに居るとは知らなかったみたいで教えてなかったし、小さな私は興奮してずっとゾウの前から動かなくて、家に連れて帰るのが大変だったって、お母さんが言ってた」
あの時お母さんは、また会いに来ましょうね、そう言っていたのを覚えている。
「また……会いに来たかったんだけど、両親の仕事が忙しくなって、動物園とか行ける時間も中々無くなって、私も行きたいとは言わなくなって、そうしたら、そのゾウさん亡くなってしまったの」
そんなことが、ずっと忘れられずに心に残っているなんて。私はもっと行きたいって言えば良かったのかな。
「ずっと心残りだったから……もう一度ここに来てみたかったんだ」
高校生になった今、もう一人でも来れるのだけど、それでも。
「今の自分の大切な人と、来たかったの」
どうしてそう思うのか分からないけれど、楽しい思い出のある場所で、ぽっかり空いたゾウ舎を見ても、思ったよりも寂しい気持ちにならずにいられた。
「砂里……俺には、我慢をするな」
「我慢?」
「そうだ。今なら分かるが……子供が親と過ごせないのは寂しいはずだろう。寂しさすら受け止めて一人で解消しようとする砂里を尊敬はするが、俺には出来るならそれをしないで欲しい」
「……」
「俺は、砂里の感情を受け止めたいと思っているし、砂里から教えて貰えるものはきっとどんなものでも嬉しいのだから」
見上げると、漆黒の瞳がまっすぐに私を見つめている。
彼の言葉に嘘なんて、いつだって一つもなかった。
それに私は、私の中のどんな小さな声だって、彼は聞くことを望んでいると、ずっと感じて来た気がする。
「どうして……?」
だけど私は自信がなくて聞いてしまう。
「砂里と一緒だ。共に居て……砂里が一緒に喜んでいてくれることが、俺にも一番に嬉しいことなんだ」
それはさっき言ったばかりの私の台詞で、サースは愛おしそうに細められた瞳で私を見つめながら、優しく頭を撫でる。
「ただ……同じ気持ちなだけだ」
サースはいつも真っすぐに本当の気持ちを伝えてくれる。こんなに優しい人が、少し前まで魔王になる運命だったなんて、今では信じらないと思う。
「同じ気持ち……」
「そうだ。分かったか砂里」
「うん……」
この優しい人の笑顔を守りたいとずっと思ってきた。今サースは、私と同じ気持ちだと言って、隣に居てくれる。
「私の気持ち……重いよ」
サースはふっと笑って言った。
「同じだよ……砂里」
それはむしろ望むところに思えてしまう。
だけど、私の気持ちは本当にとっても重いので、サースも同じ気持ちだったとしたら、だ、大丈夫かなぁ……心配だなぁ……と思う。
ランチを食べ終わった後、公園を出て街をふらふらと歩いた。
「見たいお店に寄ってもいい?」
「ああ」
洒落た店の並ぶ街を歩き進むと、目指していた店に辿り着いた。店内には色とりどりの商品が置かれていて、とてもいい香りが漂っている。
「なんの店だ?」
「自然の原料をベースにした海外生まれの自然派化粧品のお店なのですが……シャンプーを買いたいなって思って……サースの」
「俺の?」
「サースの髪の匂いを私好みの色で染めてみたい……はっ」
今うっかり本音が口から駄々洩れた!
「……」
サースは驚いたように一瞬呆けていた。そんな表情は珍しかった。
「ご、ごめんね。嫌だったかな……」
「違う。砂里が初めて欲を出したかと思えば……俺の髪の匂いなのか……」
え!?初めて!?初めてがこれだったの!?
オロオロとしているとサースが嬉しそうに並んでいるボトルを手にし出した。
「香りも原料も違うんだな」
「うん」
「砂里の好きな匂いを教えて欲しい……」
えーと。あれ、好きな匂いを教えるって、もしかして自分のフェチを語るようですっごく恥ずかしいことなんじゃないかな!?
今更そんなことに気が付きながらも、サースを見上げるといくつかの石鹸の匂いを嗅いでいる。
「あ……!サースの好きな匂いも教えてね」
「……ああ。俺もお前に好ましい香りのものをプレゼントしよう」
ぐはっ!?
あなた色に染められちゃう!?って、あれ、これ冗談じゃなくてそういう……?
自分のことは棚に上げながら、なんだかすっごくエロい感じのプレゼント交換になって来た気がするのを感じていた。だ、大丈夫私たちはまだ清いお付き合い……。
小一時間掛けてお互いに選びあって、買った後は、一度谷口くんちに戻ってシャンプーを置いて来た。
私が夜まで出かけたいところがあると言ったら、荷物を軽くしようと言ってくれたのだ。
実はこっそりサースに選んだシャンプーは自分用のも買った。同じ香りに包まれたいのだもの……。
「俺は構わないが、砂里は疲れないか?」
「大丈夫、すごく元気だよ。夜遅くなっても平気?」
「ああ。夕食はどうする?」
「行った先で食べようかなって」
「分かった」
手を繋ぎながら電車に乗って一時間くらい。サースと一緒ならそんな時間も一瞬だった。
三時半ごろ、海近い駅に降りた。
「あれはなんだ?」
サースは大きく描かれたネズミーの絵を見つめて言った。
「あれはね、このテーマパークのキャラクターなんだよ」
私はチケットカウンターに並んで夕方からのチケットを買おうとしていた。お金を出そうとしたらサースに支払われてしまった。デートだからと譲らなかったので、後でご飯は私が出すね、と言った。
さて。夢と魔法の国にやって来ました!
私にとっての夢も魔法もとある国にあった気がするけれど、それはそれこれはこれ。
デートと言えばここ!定番中の定番!
一日に詰め込み過ぎかと思ったけれど、どうしても絞れなかったのだ。
園内に入ると、すぐに聞いたことがある声が聞こえて来た。
「成田っち……?」
「え?砂里」
「あ、例の人……」
振り返ると、ゲート脇でキャラクター達とグリーティング写真を撮っていたらしい高校生の集団がこちらを見ていた。
クラスメイトだった。男女合わせて10人くらい居て、隣の席の鈴木くんも居る。
こんなところで会うとは思っていなくて、呆然としていると私たちは囲まれてしまった。
「うわ、デートで出来たの?」
「来たばっかり?」
「あ、皆で一緒に写真撮ってもらおうよ」
圧倒されているうちに私たちは気が付くとネズミーと一緒に写真を撮らされていた。カシャリ。
「邪魔してごめんね。」
「写真あとで送っておくね」
「成田すごいのと付き合ってるんだな……」
男の子たちもなんか呟いてる。
サースは私と友達を見比べるようにしてから、小さな声で私に言った。
「砂里が嫌でなければ、少し友達と一緒に居ないか?」
「え?」
「もう長い間、俺はずっと砂里の時間を貰ってきた。折角友達と会えたんだ。一緒に過ごすと良い」
ああ、気遣ってくれるサースは、世界で一番優しい……!
本当は、友達ともいつでも会えるからここでは一緒に過ごさなくても構わなかったのだけど、でも、サースにも高校生らしい感じを味わって貰いたいなって少しだけ思っていた私は、その申し出を受けた。
「え?いいの??」
友達も驚いていたけれど、サースはめちゃくちゃ大歓迎されて、話しかける友達たちの会話を面白そうに聞いている。
「砂里はずっとゲームの話してたよね」
「鈴木とw」
「……鈴木?」
サースの問いに、皆の視線は後ろを歩いている鈴木くんに注がれた。鈴木くんが視線を受けてぎょっとしたようにこっちを見た。
少ししてから私のところに走って来て、小声で聞いた。
「なんでさっきこっち見てたの?」
「え、えーと、世間話で?」
「そーかぁ?なんか睨まれた気がしたんだけど」
睨む?そんなことはないと思うけれど。
「気のせいだよ」
心配性の鈴木くんが面白くて笑ってしまう。
「のーてんきだなー」
鈴木くんもいつものように笑う。
私たちはその後、アトラクションを二つクラスメイトと一緒に乗ってから、ご飯を食べにいくと言って皆と別れた。友達たちはその日サースを囲んでいつもより沢山写真を撮っていた気がするのは、きっと気のせいではないと思う。
「ご飯なんにしようか」
さっきサースにも食べ物屋の載ってる冊子を読んでもらっていたので、食べたいものがあるならそこに行きたかった。
「……サース?」
黙っているサースを不思議に思いながら見上げると、困ったような顔をしたサースが私を見つめていた。
「どうしたの?」
「……いや」
表情をかげらせて視線を伏せる彼が気になって、私はサースをベンチに座らせて、隣に腰を下ろした。
「どうかしたの?サース」
「すまない……本当になんでもないんだ」
なんでもない人の挙動ではなかった。
私はサースの手を両手で握って、まっすぐに瞳を見つめながら言った。
「なんでも話して欲しいな……我慢しないで、欲しいな。サースから教えて貰えるものは、私もどんなものでも嬉しいんだよ」
サースが何かに気付くように視線を上げた。それは彼がさっき私に言ってくれたばかりの台詞なのだから。
少しだけ考えるようにしてから、彼は困ったように笑う。
「……気が付いたんだ」
「うん」
「君は、この世界の少年と楽しそうに微笑む、普通の少女だ」
「……うん」
「俺に出会わなければ、今か未来に……君の世界の中に愛する者を見つけていたのだろうと」
「……」
それは私もずっとサースに思ってきたことだった。
「俺の世界は作り変えられているが……もしもこの世界もそうなのだとしたら……砂里は誰と結ばれたのだろうか」
私はそのことを考えたことがなかった。目を見開いて彼を見上げると、また、困ったように笑う。
「俺は誰かの場所を奪ったのかもしれない。だが、それを知っていても俺は、砂里の微笑みを、向けられる愛情を他の者になど渡したくない」
もちろんあいつにも……と言って鈴木くんの名前を上げたから、私は思わず笑ってしまった。
「鈴木くんはそういうんじゃないよ」
「未来には分からないだろう」
「そうかなぁ。ゲームとか部活に夢中で、女の子なんて見てないよ」
私はサースの手を撫でながら、少し前のことを思い出す。彼に私の気持ちを打ち明けようとした夜。
「……誰にも、譲らないよ。世界で一番サースの近くに寄り添いたい。この場所は誰にも渡さないよ」
「……」
サースは私を見つめながら、低い声で言う。
「……俺も譲る気はない」
「うん」
「神に逆らうことになろうとも砂里の隣には俺がいる」
「……うん」
「なのに、なぜだろうか。砂里が俺を見ていることを知っている。あれがただのクラスメイトなのも知っている。それなのに、二人の姿を見るのが辛かった」
サースは、改変された影響なのではないか……と台詞を続けていたのだけれど、私の耳にはほとんど入って来てはいなかった。
(え……?)
私は頭の中を一生懸命整理していた。
私と鈴木くんが一緒にいる姿を見るのが辛かった?
「笑い合う姿を見ると、心臓が痛くなる。大事なものが失われるような焦燥感を感じる」
サースはまだ詳しく説明を続けてくれていて、私はこれはもう思った通りで間違いないだろう事態に動揺していた。
(いや……これって、もしかして……)
私はたぶん鳩が豆鉄砲を食ったような顔でサースを見上げている。
ふと視線を周囲に向けると、園内を歩く人々が皆サースを振り返っていた。
夕方の空を背にしたサースは、宝石のように美しい容貌を輝かせている。
「砂里……」
その顔が苦しそうに歪められて、私だけをまっすぐに見つめている。
(はわ…………わっ!!!!)
嬉しさと恥ずかしさに私は両手で自分の顔を覆った。
きっと今私の顔は史上最大級の赤さに染まっている。とてもサースには見せられない。
「どうかしたのか砂里……」
全身が震えるくらいに幸福感で包まれる。
ああ、この気持ちどうしてくれよう。
羞恥と歓喜の入り混じった複雑な感情を心の中で爆発させるように、私はサースの首に手を回して抱き付いた。
驚くような表情をしたサースが私を受け止めてくれた。
「大好き……大好きサース。世界で一番大好き」
「……俺もだが」
突然のことにサースが戸惑っている。
普段なら外で絶対に言えない台詞なのに、感極まっている私は想いを溢れさせてしまう。
「私もサースが女の人と親密にしてたらきっと辛くなるよ」
「そんな相手はいないが」
「例えだよ。一緒なんだよサース」
「そうか……」
サースはとても頭が良くて、私はずっと頼って来ていたから、もうすっかり忘れかけていた。
一人で生きて来たサースが、いろんな感情を知って行く過程を一緒に過ごして見ていたのに。
彼は、あの時私に言っていた。『俺を人にしてくれた』と。
彼もきっと、私と一緒に大人になって行くのだ。
「サースと一緒に嬉しいことも辛いことも……受け止めながら生きて行きたいよ」
「俺もだよ、砂里……」
顔を上げて微笑みあっていたら、花火が打ち上げれた。
サースが驚くように空を見上げる。
ああ、サースはきっと花火を見たのは初めてなんだろう、そう思いながら、これから先の、一緒に過ごせて行ける長い時間をとても幸福なものに思えていた。
結局夕食を食べるのが遅くなって、屋台のイベント限定の食べ物を食べたのだけど、サースは物珍しそうにしながらも楽しんでいるのが分かって、私も楽しかった。
テーマパークを出ると、サースは私の家まで送ってくれた。
玄関前で別れるときに彼は言った。
「遅くなったが大丈夫なのか?」
「うん。言ってあるから」
「砂里……今日は俺の喜ぶことばかり考えてくれていたが……」
え?そうだった?
「次は、もっと、君の望むことをしよう」
……。
今日私は、めちゃくちゃ満たされましたが……。
「君の一番に望むものを……考えておいてくれ」
そう言って微笑む彼の眼差しは、とても優しく私に注がれている。
私はサースの片手を握って言う。
「あのね……」
「ああ」
「私たぶん、一番欲しいものに気付いちゃったの」
「え?」
まっすぐにサースを見上げながら、私は言ってもいいのかを少し考える。
――良い子でなくていいのよ。
ああ、お母さんの言葉を思い出す。
全てが終わった後にサースは言っていた。俺の心には穴が空いていたのだと。それは小さな少年の姿をしていたんだよ、と。
もしかしたら私の心にも……ずっと穴が空いていたのかもしれない。自分ではそうと気付かず、本当にずっと、良い子のふりをしていたのかもしれない。
欲しいものに気付かないふりをして、傷付くことから逃げるように、感情に蓋をする。
だけど……お母さん、あなたの娘は、今日良い子ではなくなります。
「サースが私を求めてくれるのが嬉しい……」
「……」
「本能から、私を誰にも渡さないって思ってくれるのが嬉しい」
「……」
「私を手にいれたいと……思ってくれることが嬉しい」
「……どういう意味だ」
サースが当惑したように私を見下ろしている。
私はサースの胸に抱き付いて、もう一度言う。
「本能から私の全部を欲しがってくれたら、私の心も身体も、全部が震えるほど嬉しい」
「……」
動かなくなったサースを感じて、そろりと顔を上げると、顔を赤くさせたサースが呆然と私を見下ろしていた。
「な……にを……」
「世界でたった一人、私を心から満たしてくれるのはサースだけだよ」
にっこりと微笑んでから、私は手を振って玄関に駆け込んだ。
家に入ったところで、深呼吸をする。動悸がヤバイ。
(はう……っ)
なんて大胆な台詞を言ってしまったんだろう。もう子供ではいられないお年頃。
ああ、思ったより早く大人の階段を上ってしまった。
だって知ってしまったんだもの。
私だけを求めてくれる彼から与えられる最高の快感を。
未だ純粋な心を抱え持つ彼が、抗えない本能からの欲求のように、自分でもそうと気付いていないのに、心から私を求めてくれていることが伝わって来た。
これ以上に嬉しいことなんて、世界に他にないんだ。
生きてて良かった……生まれて来て良かった……!
お父さんお母さん生んでくれてありがとう!サースのお父様お母様サースを生んでくれてありがとう!!
世界の全てにありがとう……!!!
本当に、本当に嬉しくて、その日私は黒猫を抱き締めながらまたしても嬉し涙を止められず眠った。
……きっとサースには全部筒抜けになっているけれど、でももう、伝わることも嬉しいなって思っていた。
(お盆の間はお店はお休み。ラザレス達と約束をした夏祭りの日も、もうすぐやってくる)
番外編は後3話続く予定です。
「砂里ちゃん~?」
「なぁに……?」
「彼氏が出来たならお母さんに紹介してね」
グホッハッホヘッ……!
盛大にむせ込みながらお母さんを振り返ると、カウンター越しに頬杖を突くようにして微笑んでいた。
「あ、やっぱり彼氏なのね?」
……。
(まぁ……やっぱり気が付くよね。休みの度にお弁当を作って出掛けているし、インドアだった私がこの夏休み毎日出掛けているのだってなんとなく分かるだろうし……)
「うん……」
私の返事に、お母さんはニコニコと言う。
「どんな子なの?」
どんなって言われると……。
「綺麗で、頭が良くて、カッコ良くて、立ってるだけで一枚の絵画のようで、だけど聡明な瞳は真実を映し出す鏡のように煌めいていて、世界で一番優しい人……」
「そう……とっても好きなのね……」
どうしてサースのことを説明しただけでとっても好きだと伝わってしまうのだろう?
お母さん、心が読める魔法使えるわけじゃないよね……。
その通りだけど、恥ずかしいな……。
お母さんが笑顔で私を手招きしたから、手を拭くとお母さんのところまで歩いた。
するとお母さんは私の頭を抱きかかえるようにして言った。
「心配になるくらい好きな人みたいだけど……信頼出来る人なのよね?」
「うん……」
「良かったね。お母さんずっと心配していたのよ。砂里ちゃんあんまりいい子過ぎるから、好きな物や欲しいものが出来ても遠慮してしまうんじゃないかって」
「……遠慮?」
「うん。お母さんもお父さんも、もうずっと家にちゃんと帰れてないでしょ。砂里ちゃん中学の頃から掃除も洗濯もやってくれて、一人でご飯も作って食べてくれてる。不満も文句も何も言わないし、欲しいもの無いか聞いても何も欲しがらない。いつでも満足そうに何かしてるし、勉強もちゃんとしてる。良い子過ぎて心配だったのよ」
「……」
お母さんがそんなことを言ったのは初めてだった。
「良い子なんかじゃないよ……」
お母さんの言っていることに戸惑ってしまう。
こっそり無断外泊を繰り返してる良い子なんていない。
何と言っても勝手に実家を異世界に繋げてしまっている子もそういない……。
この2ヶ月ちょっと、思えば両親には言えないようなことばかりしてきた気がする。
それでも私は、彼の側に居ることを望んでいた。彼を助けたいと、強く願った。私の全てをかけてそうしたいと思って過ごしてきた日々は、きっと随分に親不孝なものだったんだろう。
知らぬ間に生まれていた誤解に、咄嗟になんて言ったらいいのか分からないでいると、お母さんは続けて行った。
「良い子じゃなくて、いいのよ。ちょうど良いんじゃないかな」
「本当に良い子、なんかじゃちっともないよ……」
「それでいいのよ」
お母さんは私の頭を優しく撫でる。
その手はとても温かくて、私はなんだか涙が出そうになる。
「お父さんもお母さんも気に掛けてくれているから……不満なんてなかったよ」
小学校の頃、お父さんとお母さんの会社が大きくなって、二人は急に忙しくなった。
だけれど、両親と一緒に居る時間と引き換えに、我が家はそれまでより裕福になって、都心に一軒家を買って引っ越して来れた。
私が小さい頃は家政婦さんも来てくれていたけど、中学に上がるころには私が自分から家事を受け持つようになった。
寂しい心は抱え持っていたけれど、愛情を疑ったことはないし、いつだって気に掛けてくれていることを知っていた。
遅くまで働いて家族を養ってくれている。食費をくれて、家で友達と遊んでも良いって言ってくれて、友達と一緒に食べても良いって食材も買わせてもらえてる。私はたぶん、これ以上なく両親に信頼してもらって自由にさせてもらえている、とても恵まれている子供なんだと思う。
「ずっと有難く思ってるよ……」
「砂里ちゃん……」
お母さんがぎゅうっと力を入れるように私を抱きしめる。
「その子は、砂里ちゃんにわがままを言わせてくれる子なの?」
「わがまま?」
「そう、砂里ちゃんが欲しいものを言わせてくれる子?」
「……うん」
それは間違いがないような気がする。彼はいつだって不思議なくらい私の叶えたいものを聞いてくれる。
お母さんは顔を上げると笑顔で言った。
「その子、お母さんも気に入ると思うの。今度紹介してね」
「うん」
私も微笑んで答える。
けど、彼氏を両親に紹介なんて、とっても恥ずかしいな……。
サースは挨拶に来てくれるかなぁ。きっと、お父さんもお母さんも彼を見たらびっくりするんだろうなぁ。
そうして、サンドイッチを作った後は電車に乗って、中野の谷口くんの家に向かった。
デートの日なのでサースは私を迎えに来ると言い張ったのだけど、今日は目的地が谷口くんちの方だったから、私からサースのところに行くことにした。
「成田さん、いらっしゃい~」
谷口くんは玄関の扉を開けると、にっこりとした笑顔で出迎えてくれた。
「あ!久しぶりだね」
「そうだね、毎日僕は向こうの世界に行ってたからね」
谷口くんに促されてリビングに入ると、サースが黒いスーツ姿で立っていた。
高貴さを漂わせる聡明な顔立ち、一つに束ねられた艶やかな黒髪、そしてその美しい容姿を際立たせるように高級そうなスーツをモデルのように着こなしている。
映画の中の美青年のように、サースは長い黒髪を揺らしながら振り返った。もはや脳内にはサースの後ろに薔薇が咲き誇っているのが見えている。
(吐血……!!)
むしろ普通に鼻血……!私は顔に手をあてて流血事件が起きていないかを確認する。
「さっき兄ちゃんに着させられちゃってたんだよ」
お兄さま……最高です。
眩暈が起こるような興奮に頭をクラクラさせていたら、サースが私の肩を支えてくれた。
「砂里……大丈夫か?」
「ダイジョブデス」
ちょっと写真撮りたいだけです。
「兄にフォーマル用の服とカジュアル用の服を借りてあるが、今日はどこに行くんだ?」
えーと……。
「ううううう、名残惜しいけど、今日はすごく暑いし、カジュアルの洋服で大丈夫だよ」
「そうか。ならば着替えて来よう」
私はサースの手をがしりと掴んで引き留める。そして真顔でサースを見上げて言った。
「一緒に写真撮っていい?」
「あ、撮ってあげるよ」
谷口くんが慣れているように声を掛けてくれた。
「ありがとう!」
「……構わないが」
はっ……サースの返事を聞く前にカメラを構えようとしてしまった。
サースは私の隣に立つと肩を抱いた。そうして谷口くんに渡したスマホでカシャリと一枚。
「あ、サースの全身写真も撮らせてね?」
「構わないが」
「じゃあ僕そろそろ出かけるね」
「うん、ありがとう!」
谷口くんを見送った後にカシャカシャと数枚撮ったところで、サースがなんとも言えないような表情をしていることに気がついた。
「ご、ごめんね、嫌だった?」
「そうではないが……俺が何もしなくても、楽しそうにしている砂里が不思議だっただけだ」
はてな?とサースの顔を見上げた。
「俺には何も望まぬのに、ただ一人で満足そうにする」
十分サースの写真を撮らせて欲しいと望んでいたと思うけれど……。少なくとも一人で満足なんじゃなくて。
「……サースが一緒だからだよ」
人の全身写真撮らせてもらったのなんて生まれて初めてだ。
して欲しいことがあるのも、満たしてくれるのもこの人だけだと思う。
「サースと一緒に居たら、いつだってどんな瞬間だって、満たされて幸せだよ」
「……」
あれ……?
私今、彼氏の写真撮らせてもらえて大満足ですって内容のことをドヤ顔で言ってない……?
冷や汗をかくような気持ちで彼を見上げると、私の視線を受けたサースは魅惑的な笑みを浮かべた。
「もっと望め、砂里。俺にして欲しいことを言うといい」
「……」
頭の中にぼんやりと、お母さんとの会話が思い浮かんで来る。
――その子は、砂里ちゃんにわがままを言わせてくれる子なの?
(……うん。サースは、なんでも言わせてくれるよ)
そうしてきっと、どうしてだか分からないけれど、私の心の声を、本音を、欲望を、誰よりも知りたがっている人――
私に良い子じゃなくていいのよ、と言ってくれたお母さん。もしかしたらサースも、同じことをずっと私に思っていたのかな……。
そんなことを少しだけ思いながら、サースの手を握ると、彼は幸せそうな微笑みを私に向けてくれた。
谷口くんちから電車で10分くらいの場所にある、若者に人気の駅で降りた。
駅を降りて繁華街を抜けると、すぐに緑の多い場所に出る。
「公園か……?」
「うん」
都会の街並みが突然緑に覆われるのだから、サースはちょっとだけ驚いたようだった。
「また……サースと公園デートしたいなって思って……」
だいぶ前にランチを食べに行った公園の事もデートに入れていいのか分からなかったけれど、今思うと、あの時だって、私たちはもうお互いを意識をしていたんだろう。
「そうだな、また来ようと言ってあれきりになっていたな」
「うん」
サースは今、白いリネンのシャツにジーンズというなんでもない恰好をしているけれど、街行く人達はみんなサースを振り返っている。
サースは私の作ったお弁当が入っているランチバッグを持ってくれていて、今日も世界で一番優しい!
「俺には良く分からないから、砂里の行きたい場所に連れていってくれ」
「うん」
その辺は抜かりなく、私も考えて来ていた。
公園に入ると大きな池があって、私の目的地はその先にあったのだけど、手を繋いでいたサースは池に視線を移すと言った。
「あれに……乗らなくていいのか?」
あれ。
それは、池の上を漂う、数々のボートのこと……。その中でもサースの視線は、スワンボートの中でキャッキャウフフと楽しそうにしているカップルに注がれていた。
え、あれ?あれを私に求められてるの……!?
私はサースを見上げておもむろに切り出した。
「この池には都市伝説がありまして……」
「ほう」
「祀られている神様に嫉妬されてカップルが別れるという」
「……そうなのか」
「……」
私はサースの手をきゅっと握りながら、彼の目をまっすぐに見つめながら言った。
「……サースが気にしないなら、乗りたいな」
私の台詞にサースは少しだけ考えるようにしたあとに、面白そうに微笑んだ。そして顔を私に近づけて来ると低い声で囁いた。
「俺たちの仲を引き裂けるような神など、いるはずもないだろう?」
ぐはっ!!
いつの間にか神にも引き裂かれない仲になってた……!
知らなかったけど、その通りです。絶対そうです。サースに間違いはありません。
サースは私の手を引くとボート乗り場に向かい、数あるボートの中から決まっていたようにスワンボートを選んだ。
先に乗り込んだサースが私に腕を伸ばす。
「おいで……砂里」
「……」
サースに支えられてふわりとボートに乗り込む。
お姫様みたいだなって思う。柄でもないのに、サースの隣にいると、生まれて初めて私でもお姫様になったような気持ちになれる。
ボートは思ったより体力を消耗した。夢見心地ながらもせっせと足を動かしていると、サースが器用にハンドルを操作する。
「上手いねサース」
「そうか……?」
サースは暫くして身分や生き方を決めたら、乗り物の免許を取ろうと思っていると教えてくれた。
「サースならどんなものでも乗りこなせると思うよ」
それはもうきっとジェット機だって。
私の台詞にサースは面白そうに笑う。夏の明るい日差しの元で、輝くような彼の明るい笑顔。
見ているだけで私の心も水面のようにキラキラと煌めく。
日差しや足漕ぎで暑くなってきたころ、私たちはボートを降りて目的地へと向かった。
「動物園……?」
「うん、子供の頃に来たことがあったの……」
公園に併設されているとは気付けないくらいの、小さな動物園があった。
入園券を買って園内に入ると、まずは一番の目的だった、小動物とのふれあいコーナーへ!
分かりやすく瞳を煌めかせながら私はサースをそこに連れて行く。
(ああ、かわいいいいいいいいいいいいい……)
動物園の中には、小動物とふれあえるコーナーが作られていて、たくさんのモルモット達が出迎えてくれた。
感激に震える手をモルモットに添えて膝の上に乗せると、人間が気になるのか可愛らしく動き回る。
「あう……ぅ」
優しく撫でさせてもらえると感激に変な声を出してしまう。
ベンチの隣に腰掛けたサースは私をじっと見つめていたけれど、その戸惑うような表情は、私が想像していた通りのものだった。
「サース、膝の上に乗せるね」
「あ、ああ……」
「驚かせないように、そっと撫でてね」
「ああ……」
サースが恐る恐ると手を伸ばすと、モルモットは大人しく撫でられる。
その気持ち良さそうにも見える様子に、小動物にもサースのフェロモンが分かるのだろうかと疑問に思う。
「ペットにね、飼ってる人も多いんだよ」
「そうなのか」
サースは動物を飼ったことも、触れ合ったこともほとんどないと言っていた。
「壊してしまいそうで怖いな」
そう言うサースはとても優しい瞳でモルモットを見つめていた。
私はちょっとだけ、モルモットになりたい……なんて思ったりなんかする。
その後は、サルとかシカとか鳥小屋とかをサースと一緒に見て歩いた。
サースはどれも見たことがない動物だと言っていた。
「俺の国に居た時でも動物を見る機会は少なかったが、だが、やはり生き物の種類が少し違うようにも思える」
サースはとても興味深そうに動物たちを見つめていて、知的好奇心が強いだろう彼が夢中になって見ているのがなんだか嬉しく思えた。
お昼になる前に公園に戻って、私たちはランチを食べることにした。
広場でベンチを探そうと言いながら歩いていると、近くに不思議な気配を感じた。
(なんだろう、これ。サースの闇の魔力に似てる……)
気配のする方向に顔を向けると、そこには背の高いスタイルの良い男の子が立っていた。
(あれ?どうして普通の人から、闇の魔力を感じるの……?)
サースを見上げると、彼も息を飲むようにしてその人を見つめていた。
すると、その人が、何かに気が付いたようにこちらを振り向いた。
綺麗な顔立ちの男の子だった。歳が近そうだけれど、サースと同じように現実離れした美しい容姿をしていた。
「冬真くん……?」
小柄な女の子が声を掛けると、彼ははっとしたように女の子を振り返り、蕩けるような甘い眼差しを向けた。
「なんでもないよ、行こう」
人波の中に彼らが消えるまで、私たちは見送っていた。
「……この世界にもいるのか、魔法を使える者が」
「……そうなの?」
「ああ、男の方だけじゃない。女の方もだ。肉体に魔力を通すことに慣れている者の気配だった」
「私たちみたいに?」
サースは私に視線を移し、優しく微笑んだ。
「そうだ。俺たちのように。愛する者がいる男の目をしていた」
「……」
突然の台詞に、赤面してしまう。
ちょっと恥ずかしい気持ちになっていると、サースは私を日陰にある空いたベンチに連れて行ってくれた。
渡されたバッグから水筒やお手拭きを出して、そしてサンドイッチの包みをサースに渡す。
「いっぱい作って来たから食べてね」
「ああ、頂く。ありがとう砂里」
「ううん」
サースは最近は、味の感想を教えてくれるようになっていて、からしマヨネーズのハムカツサンドを気に入ってくれたみたい。
「負担になってないか?」
「うん。サースに食べてもらえるのはすごく嬉しい」
えへへ、と笑うとサースも嬉しそうに微笑んでくれる。
「サースも……楽しんでる、かな?」
「ああ、とても面白かった。何もかもが初めてだが、この世界の普通のカップルのようにボートを漕ぐのも、知らない動物を見れたのも、触れ合えたのも、とても勉強になった」
しかし……とサースは続ける。
「砂里はこれでいいのか?これでは俺の為に考えた場所のようだが」
「そんなことないよ。めちゃくちゃ楽しんでるよ。サースが一緒に喜んでくれるのが私には一番嬉しいよ」
「……そうか」
たくさんの人がいる公園の中で、夏の日差しを浴びたサースが、甘く微笑んで私を見つめている。
私はドキドキとしながら、こんなに幸福でいいのかな、もうすべての幸運を使い果たしちゃってるんじゃないのかなと心配になる。
「ゾウがね……居たの」
「ゾウ?」
「ゾウはね、とても体が大きな、ゆったりとした動きの、穏やかな目をした動物なの……」
子供の頃、両親の仕事が忙しくなる前、その時私の家はまだ郊外の方にあって、ちょっと遠出してここに連れて来てもらったことがある。
「ゾウを見たのは初めてだったし、両親もここに居るとは知らなかったみたいで教えてなかったし、小さな私は興奮してずっとゾウの前から動かなくて、家に連れて帰るのが大変だったって、お母さんが言ってた」
あの時お母さんは、また会いに来ましょうね、そう言っていたのを覚えている。
「また……会いに来たかったんだけど、両親の仕事が忙しくなって、動物園とか行ける時間も中々無くなって、私も行きたいとは言わなくなって、そうしたら、そのゾウさん亡くなってしまったの」
そんなことが、ずっと忘れられずに心に残っているなんて。私はもっと行きたいって言えば良かったのかな。
「ずっと心残りだったから……もう一度ここに来てみたかったんだ」
高校生になった今、もう一人でも来れるのだけど、それでも。
「今の自分の大切な人と、来たかったの」
どうしてそう思うのか分からないけれど、楽しい思い出のある場所で、ぽっかり空いたゾウ舎を見ても、思ったよりも寂しい気持ちにならずにいられた。
「砂里……俺には、我慢をするな」
「我慢?」
「そうだ。今なら分かるが……子供が親と過ごせないのは寂しいはずだろう。寂しさすら受け止めて一人で解消しようとする砂里を尊敬はするが、俺には出来るならそれをしないで欲しい」
「……」
「俺は、砂里の感情を受け止めたいと思っているし、砂里から教えて貰えるものはきっとどんなものでも嬉しいのだから」
見上げると、漆黒の瞳がまっすぐに私を見つめている。
彼の言葉に嘘なんて、いつだって一つもなかった。
それに私は、私の中のどんな小さな声だって、彼は聞くことを望んでいると、ずっと感じて来た気がする。
「どうして……?」
だけど私は自信がなくて聞いてしまう。
「砂里と一緒だ。共に居て……砂里が一緒に喜んでいてくれることが、俺にも一番に嬉しいことなんだ」
それはさっき言ったばかりの私の台詞で、サースは愛おしそうに細められた瞳で私を見つめながら、優しく頭を撫でる。
「ただ……同じ気持ちなだけだ」
サースはいつも真っすぐに本当の気持ちを伝えてくれる。こんなに優しい人が、少し前まで魔王になる運命だったなんて、今では信じらないと思う。
「同じ気持ち……」
「そうだ。分かったか砂里」
「うん……」
この優しい人の笑顔を守りたいとずっと思ってきた。今サースは、私と同じ気持ちだと言って、隣に居てくれる。
「私の気持ち……重いよ」
サースはふっと笑って言った。
「同じだよ……砂里」
それはむしろ望むところに思えてしまう。
だけど、私の気持ちは本当にとっても重いので、サースも同じ気持ちだったとしたら、だ、大丈夫かなぁ……心配だなぁ……と思う。
ランチを食べ終わった後、公園を出て街をふらふらと歩いた。
「見たいお店に寄ってもいい?」
「ああ」
洒落た店の並ぶ街を歩き進むと、目指していた店に辿り着いた。店内には色とりどりの商品が置かれていて、とてもいい香りが漂っている。
「なんの店だ?」
「自然の原料をベースにした海外生まれの自然派化粧品のお店なのですが……シャンプーを買いたいなって思って……サースの」
「俺の?」
「サースの髪の匂いを私好みの色で染めてみたい……はっ」
今うっかり本音が口から駄々洩れた!
「……」
サースは驚いたように一瞬呆けていた。そんな表情は珍しかった。
「ご、ごめんね。嫌だったかな……」
「違う。砂里が初めて欲を出したかと思えば……俺の髪の匂いなのか……」
え!?初めて!?初めてがこれだったの!?
オロオロとしているとサースが嬉しそうに並んでいるボトルを手にし出した。
「香りも原料も違うんだな」
「うん」
「砂里の好きな匂いを教えて欲しい……」
えーと。あれ、好きな匂いを教えるって、もしかして自分のフェチを語るようですっごく恥ずかしいことなんじゃないかな!?
今更そんなことに気が付きながらも、サースを見上げるといくつかの石鹸の匂いを嗅いでいる。
「あ……!サースの好きな匂いも教えてね」
「……ああ。俺もお前に好ましい香りのものをプレゼントしよう」
ぐはっ!?
あなた色に染められちゃう!?って、あれ、これ冗談じゃなくてそういう……?
自分のことは棚に上げながら、なんだかすっごくエロい感じのプレゼント交換になって来た気がするのを感じていた。だ、大丈夫私たちはまだ清いお付き合い……。
小一時間掛けてお互いに選びあって、買った後は、一度谷口くんちに戻ってシャンプーを置いて来た。
私が夜まで出かけたいところがあると言ったら、荷物を軽くしようと言ってくれたのだ。
実はこっそりサースに選んだシャンプーは自分用のも買った。同じ香りに包まれたいのだもの……。
「俺は構わないが、砂里は疲れないか?」
「大丈夫、すごく元気だよ。夜遅くなっても平気?」
「ああ。夕食はどうする?」
「行った先で食べようかなって」
「分かった」
手を繋ぎながら電車に乗って一時間くらい。サースと一緒ならそんな時間も一瞬だった。
三時半ごろ、海近い駅に降りた。
「あれはなんだ?」
サースは大きく描かれたネズミーの絵を見つめて言った。
「あれはね、このテーマパークのキャラクターなんだよ」
私はチケットカウンターに並んで夕方からのチケットを買おうとしていた。お金を出そうとしたらサースに支払われてしまった。デートだからと譲らなかったので、後でご飯は私が出すね、と言った。
さて。夢と魔法の国にやって来ました!
私にとっての夢も魔法もとある国にあった気がするけれど、それはそれこれはこれ。
デートと言えばここ!定番中の定番!
一日に詰め込み過ぎかと思ったけれど、どうしても絞れなかったのだ。
園内に入ると、すぐに聞いたことがある声が聞こえて来た。
「成田っち……?」
「え?砂里」
「あ、例の人……」
振り返ると、ゲート脇でキャラクター達とグリーティング写真を撮っていたらしい高校生の集団がこちらを見ていた。
クラスメイトだった。男女合わせて10人くらい居て、隣の席の鈴木くんも居る。
こんなところで会うとは思っていなくて、呆然としていると私たちは囲まれてしまった。
「うわ、デートで出来たの?」
「来たばっかり?」
「あ、皆で一緒に写真撮ってもらおうよ」
圧倒されているうちに私たちは気が付くとネズミーと一緒に写真を撮らされていた。カシャリ。
「邪魔してごめんね。」
「写真あとで送っておくね」
「成田すごいのと付き合ってるんだな……」
男の子たちもなんか呟いてる。
サースは私と友達を見比べるようにしてから、小さな声で私に言った。
「砂里が嫌でなければ、少し友達と一緒に居ないか?」
「え?」
「もう長い間、俺はずっと砂里の時間を貰ってきた。折角友達と会えたんだ。一緒に過ごすと良い」
ああ、気遣ってくれるサースは、世界で一番優しい……!
本当は、友達ともいつでも会えるからここでは一緒に過ごさなくても構わなかったのだけど、でも、サースにも高校生らしい感じを味わって貰いたいなって少しだけ思っていた私は、その申し出を受けた。
「え?いいの??」
友達も驚いていたけれど、サースはめちゃくちゃ大歓迎されて、話しかける友達たちの会話を面白そうに聞いている。
「砂里はずっとゲームの話してたよね」
「鈴木とw」
「……鈴木?」
サースの問いに、皆の視線は後ろを歩いている鈴木くんに注がれた。鈴木くんが視線を受けてぎょっとしたようにこっちを見た。
少ししてから私のところに走って来て、小声で聞いた。
「なんでさっきこっち見てたの?」
「え、えーと、世間話で?」
「そーかぁ?なんか睨まれた気がしたんだけど」
睨む?そんなことはないと思うけれど。
「気のせいだよ」
心配性の鈴木くんが面白くて笑ってしまう。
「のーてんきだなー」
鈴木くんもいつものように笑う。
私たちはその後、アトラクションを二つクラスメイトと一緒に乗ってから、ご飯を食べにいくと言って皆と別れた。友達たちはその日サースを囲んでいつもより沢山写真を撮っていた気がするのは、きっと気のせいではないと思う。
「ご飯なんにしようか」
さっきサースにも食べ物屋の載ってる冊子を読んでもらっていたので、食べたいものがあるならそこに行きたかった。
「……サース?」
黙っているサースを不思議に思いながら見上げると、困ったような顔をしたサースが私を見つめていた。
「どうしたの?」
「……いや」
表情をかげらせて視線を伏せる彼が気になって、私はサースをベンチに座らせて、隣に腰を下ろした。
「どうかしたの?サース」
「すまない……本当になんでもないんだ」
なんでもない人の挙動ではなかった。
私はサースの手を両手で握って、まっすぐに瞳を見つめながら言った。
「なんでも話して欲しいな……我慢しないで、欲しいな。サースから教えて貰えるものは、私もどんなものでも嬉しいんだよ」
サースが何かに気付くように視線を上げた。それは彼がさっき私に言ってくれたばかりの台詞なのだから。
少しだけ考えるようにしてから、彼は困ったように笑う。
「……気が付いたんだ」
「うん」
「君は、この世界の少年と楽しそうに微笑む、普通の少女だ」
「……うん」
「俺に出会わなければ、今か未来に……君の世界の中に愛する者を見つけていたのだろうと」
「……」
それは私もずっとサースに思ってきたことだった。
「俺の世界は作り変えられているが……もしもこの世界もそうなのだとしたら……砂里は誰と結ばれたのだろうか」
私はそのことを考えたことがなかった。目を見開いて彼を見上げると、また、困ったように笑う。
「俺は誰かの場所を奪ったのかもしれない。だが、それを知っていても俺は、砂里の微笑みを、向けられる愛情を他の者になど渡したくない」
もちろんあいつにも……と言って鈴木くんの名前を上げたから、私は思わず笑ってしまった。
「鈴木くんはそういうんじゃないよ」
「未来には分からないだろう」
「そうかなぁ。ゲームとか部活に夢中で、女の子なんて見てないよ」
私はサースの手を撫でながら、少し前のことを思い出す。彼に私の気持ちを打ち明けようとした夜。
「……誰にも、譲らないよ。世界で一番サースの近くに寄り添いたい。この場所は誰にも渡さないよ」
「……」
サースは私を見つめながら、低い声で言う。
「……俺も譲る気はない」
「うん」
「神に逆らうことになろうとも砂里の隣には俺がいる」
「……うん」
「なのに、なぜだろうか。砂里が俺を見ていることを知っている。あれがただのクラスメイトなのも知っている。それなのに、二人の姿を見るのが辛かった」
サースは、改変された影響なのではないか……と台詞を続けていたのだけれど、私の耳にはほとんど入って来てはいなかった。
(え……?)
私は頭の中を一生懸命整理していた。
私と鈴木くんが一緒にいる姿を見るのが辛かった?
「笑い合う姿を見ると、心臓が痛くなる。大事なものが失われるような焦燥感を感じる」
サースはまだ詳しく説明を続けてくれていて、私はこれはもう思った通りで間違いないだろう事態に動揺していた。
(いや……これって、もしかして……)
私はたぶん鳩が豆鉄砲を食ったような顔でサースを見上げている。
ふと視線を周囲に向けると、園内を歩く人々が皆サースを振り返っていた。
夕方の空を背にしたサースは、宝石のように美しい容貌を輝かせている。
「砂里……」
その顔が苦しそうに歪められて、私だけをまっすぐに見つめている。
(はわ…………わっ!!!!)
嬉しさと恥ずかしさに私は両手で自分の顔を覆った。
きっと今私の顔は史上最大級の赤さに染まっている。とてもサースには見せられない。
「どうかしたのか砂里……」
全身が震えるくらいに幸福感で包まれる。
ああ、この気持ちどうしてくれよう。
羞恥と歓喜の入り混じった複雑な感情を心の中で爆発させるように、私はサースの首に手を回して抱き付いた。
驚くような表情をしたサースが私を受け止めてくれた。
「大好き……大好きサース。世界で一番大好き」
「……俺もだが」
突然のことにサースが戸惑っている。
普段なら外で絶対に言えない台詞なのに、感極まっている私は想いを溢れさせてしまう。
「私もサースが女の人と親密にしてたらきっと辛くなるよ」
「そんな相手はいないが」
「例えだよ。一緒なんだよサース」
「そうか……」
サースはとても頭が良くて、私はずっと頼って来ていたから、もうすっかり忘れかけていた。
一人で生きて来たサースが、いろんな感情を知って行く過程を一緒に過ごして見ていたのに。
彼は、あの時私に言っていた。『俺を人にしてくれた』と。
彼もきっと、私と一緒に大人になって行くのだ。
「サースと一緒に嬉しいことも辛いことも……受け止めながら生きて行きたいよ」
「俺もだよ、砂里……」
顔を上げて微笑みあっていたら、花火が打ち上げれた。
サースが驚くように空を見上げる。
ああ、サースはきっと花火を見たのは初めてなんだろう、そう思いながら、これから先の、一緒に過ごせて行ける長い時間をとても幸福なものに思えていた。
結局夕食を食べるのが遅くなって、屋台のイベント限定の食べ物を食べたのだけど、サースは物珍しそうにしながらも楽しんでいるのが分かって、私も楽しかった。
テーマパークを出ると、サースは私の家まで送ってくれた。
玄関前で別れるときに彼は言った。
「遅くなったが大丈夫なのか?」
「うん。言ってあるから」
「砂里……今日は俺の喜ぶことばかり考えてくれていたが……」
え?そうだった?
「次は、もっと、君の望むことをしよう」
……。
今日私は、めちゃくちゃ満たされましたが……。
「君の一番に望むものを……考えておいてくれ」
そう言って微笑む彼の眼差しは、とても優しく私に注がれている。
私はサースの片手を握って言う。
「あのね……」
「ああ」
「私たぶん、一番欲しいものに気付いちゃったの」
「え?」
まっすぐにサースを見上げながら、私は言ってもいいのかを少し考える。
――良い子でなくていいのよ。
ああ、お母さんの言葉を思い出す。
全てが終わった後にサースは言っていた。俺の心には穴が空いていたのだと。それは小さな少年の姿をしていたんだよ、と。
もしかしたら私の心にも……ずっと穴が空いていたのかもしれない。自分ではそうと気付かず、本当にずっと、良い子のふりをしていたのかもしれない。
欲しいものに気付かないふりをして、傷付くことから逃げるように、感情に蓋をする。
だけど……お母さん、あなたの娘は、今日良い子ではなくなります。
「サースが私を求めてくれるのが嬉しい……」
「……」
「本能から、私を誰にも渡さないって思ってくれるのが嬉しい」
「……」
「私を手にいれたいと……思ってくれることが嬉しい」
「……どういう意味だ」
サースが当惑したように私を見下ろしている。
私はサースの胸に抱き付いて、もう一度言う。
「本能から私の全部を欲しがってくれたら、私の心も身体も、全部が震えるほど嬉しい」
「……」
動かなくなったサースを感じて、そろりと顔を上げると、顔を赤くさせたサースが呆然と私を見下ろしていた。
「な……にを……」
「世界でたった一人、私を心から満たしてくれるのはサースだけだよ」
にっこりと微笑んでから、私は手を振って玄関に駆け込んだ。
家に入ったところで、深呼吸をする。動悸がヤバイ。
(はう……っ)
なんて大胆な台詞を言ってしまったんだろう。もう子供ではいられないお年頃。
ああ、思ったより早く大人の階段を上ってしまった。
だって知ってしまったんだもの。
私だけを求めてくれる彼から与えられる最高の快感を。
未だ純粋な心を抱え持つ彼が、抗えない本能からの欲求のように、自分でもそうと気付いていないのに、心から私を求めてくれていることが伝わって来た。
これ以上に嬉しいことなんて、世界に他にないんだ。
生きてて良かった……生まれて来て良かった……!
お父さんお母さん生んでくれてありがとう!サースのお父様お母様サースを生んでくれてありがとう!!
世界の全てにありがとう……!!!
本当に、本当に嬉しくて、その日私は黒猫を抱き締めながらまたしても嬉し涙を止められず眠った。
……きっとサースには全部筒抜けになっているけれど、でももう、伝わることも嬉しいなって思っていた。
(お盆の間はお店はお休み。ラザレス達と約束をした夏祭りの日も、もうすぐやってくる)
番外編は後3話続く予定です。
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