次期ご当主様の花嫁選び

ツルカ

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それは生涯ただ一度の・下(side慧十郎)

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「何を隠してる?慧十郎」

 ある放課後、累にしては珍しいほどの直球でそんなことを聞いてきた。隠しごとがあることは彼の中で確定なのかと、苦笑する。

「そんなもの、一つや二つではないと分かっているだろう」
「まあね」

 それでも問いたくなるほど、今の俺の様子は気にかかるのだろうか。

 俺はずっと考えていた。
 真の意味で彼女を守るにはどうしたらいいのだろうか、と。かつて俺が傷つけたかよわい少女。どうか、俺のいなくなった後の世界でも輝くような笑顔を浮かべ生きていって欲しいと思う。

 しかし彼女は今この時だって、子供の頃のような笑顔を浮かべてはいない。昔に比べると、少し諦めたような大人びた笑みを浮かべる。

 俺が消え、そして現当主もいなくなり、その後を弟に託したとしても……しかし、それだけで彼女を守れるとは思えなかった。

 特殊な能力の持ち主である彼女を、手駒にしようとする勢力がこの先どこから出てきてもおかしくない。彼女の意思とは関係なしに、突然穏やかには生きてはいけない世界に引き摺り込まれるかもしれない。

 なんの知恵も力もないまま、見知らぬ世界に一人放り出された彼女はどうなるのか。

 父はそんなことにならないように気を配っているようだが、だがいつまで続くのかも分からない。彼女は良いとして、その子供は?またその子供は?小石家は盾になるだろうが心許ない。本家だけで守り抜くのは、無理があるだろう。

 彼女が望むのなら……彼女自身が知恵を付け、そして彼女を理解する仲間に囲まれることが最善に思えた。

 累など、出会ってからずっと彼女を気に掛けている。最も俺が気にしていたからだが。







「君を、一族の者だと思ってもいいだろうか」
「もちろんです、慧十郎様」

 さりげなさを装って彼女を学ばせる。最低限の知識があれば、彼女ならサイキのことは本能で理解ができるだろう。

 そして双子の妹がいる。部活動の仲間は、きっと彼女の味方をする。いらぬ心配をする必要などないのかもしれない。

 そんなある日気が付いた。
 身体がとても軽いのだ。肉体にサイキが留まることなく巡っている。まさか、と思う。

 ここに来て、初めて父に打ち明けた。
 体内に妖鬼を育んでいたこと、それが先祖返りの寿命を縮めていただろうこと、その妖鬼を彼女が無意識に払ってしまっていたこと。父は驚いていたようだが、何故だか喜んでいるようにも見えた。

「確認するよ」

 父はそう言うと俺の体に手を当てる。
 体内のサイキと、また、妖鬼の気配を感じ取ろうとしているのだろう。

「ふむ」

 父は楽しそうに頷く。

「慧十郎は、どう見る?」
「まだ奥深くに妖鬼の存在を感じるが……ほとんどは消えているように思う」
「そうか。私もそう思うよ。しかし、困ったね……あの子は、平穏には生きられないかもしれないね」

 一族の望んだ待望の子は、鬼の血を引き継ぎながらも人のように生きられる、ただそれだけで済む子供ではなかった。

 うちなるサイキの可能性は、今の我らには計り知れなかった。

「慧十郎は?」
「はい」
「自分の肉体をどう見る?」

 おそらく、と俺は答える。

「今のままでも想像より長く生きられる、そんな生命力を感じ取っています。けれど、時間が経てばいずれまた、妖鬼は育まれてしまうかもしれない」
「……うん。そうだね。いつかまた、苦しむ。うちの奥さん息子のこと愛してるからね。このことを知ったら、きっと彼女に話してしまうよ。息子を助けてあげて欲しいって。その気持ちは私も同じだ。彼女はいずれ、お前の身におきていることをなんらかの形で知るだろう」
「……」
「取り返しの付かなくなった後でそれを知るより、先に知っておいた方が良いと思うが……お前はどう思うんだい?」
「俺自身がうちなる妖鬼を制御できるようになれれば問題ないかと」
「……お前は難儀な子だねぇ」

 父の言うことはもっともだった。俺自身が制御出来る様になるまで、彼女に伝えて助力を請うべきなのだ。

 そうしないと言うなら……それはまるで、自殺行為だ。







 話すべき日を思い悩んでいるうちに、彼女が過去の記憶を思い出した。

 一族の霊園で、彼女は真っ直ぐに俺を見て言った。

「小さな頃、私を助けてくれたことも。私のためにしてくれたことも。今、また助けてくれていることも、とても感謝してます。ありがとう……慧くん」

 怒っているようでもわだかまりを持っているようでもなかった。先日までと何も変わらぬ瞳を俺に向ける。

 ……なにか、おかしいと思う。
 彼女の態度に違和感を感じる。あまりに盲目的に俺を見上げる。

 そうか、と思う。妖鬼に侵された者たちの態度と変わらないのだ。一族の子供たちを畏怖で支配したように、子供の俺は孤独に飢えた彼女を愛情という名の飴で支配していたのだ。

 彼女はただ俺への感謝だけを伝える。その気持ちは俺が蒔いたものだと伝えると、当然のように彼女は泣いた。

 胸が震える。彼女の涙は、心動かされることの少ない俺の心の臓を突き刺すただ一つの刃のようだと思う。

 俺を崇拝するようにしか生きるしかなかった彼女に、助けて欲しいなどとは口が裂けても言えなくなった。










 そうこうしているうちに、彼女は自ら学び出し、一族に顔見せをするようになった。これではもう彼女は一族から無縁に生きていくことは出来なくなるだろう。

 そうなると、一族の誰かとの婚姻を結ぶ未来が見えてくる。
 今彼女は剣に護られるように生活を送っているらしい。

「剣か……」

 あいつに彼女を護りきれるのだろうか。





 結果、剣はよくやってくれていた。それでも彼女は階段から突き落とされた。陰ながら一族の護衛は付けていたが、学校の中では守りきれなかった。

 一族の病院を訪れる。病室で眠る彼女を見下ろすと、青白い顔をしていて体に包帯を巻いていた。

「……すまない」

 彼女は一族の集まりで言っていたそうだ。俺の花嫁に立候補する気があるのだと。

 子供の頃に自分が蒔いた種が、今でも彼女を苦しめている。

「……慧十郎さま」

 振り向くと小石陽奈が立っていた。

「大きな怪我はないそうです。あとは目が覚めれば……」
「ああ」

 話し声に気付いたのか、彼女が目を覚ます。俺は隠れるように病室の外に出た。

「……剣くんはどこにいるの?」
「隣の病室だよ」

 剣。
 彼女は目覚めるとすぐにそう聞いた。

 少ししてから彼女が部屋の外に出てくる気配を感じ、パネルの後ろに隠れる。彼女は剣の病室に入ると、精一杯の感謝を伝えている。剣には慣れないことなのだろう、受け答えがぎこちない。

 剣は、俺……お前のこと……と、小さな声で言った。

「たぶんだけど、結構好きなんだと思う」
「私も、たぶん結構好きだよ」

 聞いてはいけない会話を聞いてしまったように思う。

 しかしそんな2人とも、その口で俺を慕っていると続けるのだからなんとも言えない気持ちになる。

 2人は笑顔で別れ、そして俺も病院を後にした。








 彼女の将来の伴侶に、剣の存在を当てはめて考えてみる。彼はまだ若く、未熟な部分もあるが、それでも、彼女を守るために必要な強い意思を持っている。

 彼女が望むのなら、どんな存在とでも結ばせてあげたいが、彼女はいまだ俺に縛られている。

 今の彼女は剣では充たされないだろう。
 剣では、だめだ、そう考えてから思い直す。

 ……誰ならいいのだと。

 彼女を誰よりも守った彼より、相応しいものなどどこにもいない。何も出来ずにいた自分より遥かに相応しい。

 それでも……。

「嫌なんだ」

 彼女が誰かの隣に並び立ち、手を繋いで微笑みかける。
 幼い日にしてくれたそれを、他の誰かに向けることに耐えられない。

 自ら捨てた未来はもう二度と手に入ることはないのに。なのに何故、俺は、こんなにも彼女を欲する。

 子供の日のあの時、いつかこんな気持ちになるだろうとは、思ってもいなかった。

 ―― 「たぶんだけど、結構好きなんだと思う」

 剣の言葉が、今になって心に染み渡るように響いた。

 あの時剣は、助けた理由を答えるのに、そう伝えていた。
 シンプルな思考を好む剣らしい、端的な表現だなと思う。

「たぶん、結構、好きか……」

 深くため息を吐く。

「俺はあまりに幼いのか」

 まさか剣に遠く及ばぬほど、心の発達が遅いとは。

 いつからなのだろうか。
 幼い頃から、真綿で包むように大事にしたいと感じていた。人の愛し方は分からなかったが、何をしたら人が喜ぶかは分かっていた。彼女を喜ばせるために幼い俺は思いつくことをなんでもしていた。

 彼女の心の傷を、自分のことのように感じた。そんなことは生まれてはじめてのことだった。大人になった今でも、同じように彼女の涙に心が震わされる。

 心が動かされることで、まるで、普通の人のようになれたように錯覚することが出来た。

 彼女が笑うと、釣られるように笑顔が浮かびそうになる。
 すると同じ時間と同じ感情を共有することが出来ているような気になる。実際には、俺にはどれほど普通の人と同じものが分かっているのだろうか。

 このまま、共に過ごしたいと思う。
 ただ隣にいて、同じ時間を共有し、感じているものを伝え合い、彼女を、人を知りたいと思う。

 なぜ彼女に対してだけ、俺はそう思うのか。

「たぶんなんてものではない」

 幼いあの日、人の心を知る前に、俺は彼女の命を愛した。それは人としての愛とは違ったのかもしれない。けれど、彼女の命の輝きを曇らせるものを許せなかった。たとえそれが自分自身だとしても。

 そして今。

 彼女が俺に人に興味を持たせ、そして感じる心を教えてくれた。思いやる心、いつでも怒りに潰されそうになる、弱い心。移ろいやすく、一つではない心。

 揺れる人の心の中で、彼女の心の揺れだけを感じていたいと望む、心。

「おれはきっと、生涯ただ一度の……」

 恋を、知ったのだ。
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